遅効性の劇薬
どんよりと曇る寒空の中を走り、私はウールドリッジを探した。外気の冷たさに皮膚を晒しながらも、体の内側は火を起こしたように暑い。胸が焼けるような焦燥に駆られ、その衝動のままに学園中を走り回る。
(どこにもいない……)
割り当てられた教員室にも、図書館にも、秘密基地にだっていなかった。
(いやね、私……)
謝りたいという気持ちだけで駆け回っていたけれど、もし拒絶されたらどうするのだろう。
(ダメだわ、どんどんマイナスなことを考えちゃう)
そんな人ではないと理解しているのに、勝手に私の脳内が最悪の想定をしてしまう。本当に触れられたくないことなら、謝罪すら迷惑なのではないか。そんなことはただの自己満足なのではないだろうか。
(うぅん、考えても仕方ないわ)
自己満足でも、私が決めたのは謝罪することだけ。それを曲げることは、彼を傷つけたままにしてしまう。
(そうだ、行ってない場所が一つだけある)
立ち入るのは勇気が要るが、藁にもすがる思いで、私は彼の部屋へと向かう。
学園の敷地内にある教員用の宿舎に来たのは、エリカと過ごした日以来だ。学生寮に引けを取らないほど豪奢な作りの教員寮は、青を基調とした白い建物で、教員以外は出入りできない。そういうことなので、私は扉の前で棒立ちになっていた。
(鍵が必要だったんだわ……)
エリカの時に貸し出された鍵は、すでに返却済みだ。となると、私がこの寮に入るには誰かの手を借りなければならない。
(どうしよう)
そう思っていると、背後から声をかけられた。
「タキザワさんではないですか?」
「バロン先生!」
都合よく現れてくれたバロンは今日も素敵なロマンスグレーで、ウールドリッジとはまた違う品のいいスーツを身につけている。
「どうされた?」
「あ、えっと……」
ここでウールドリッジの名前を出していいものか悩んでいると、バロンは合点が行ったのか「あぁ」と呟いた。
「ウールドリッジ先生かな?」
「そうです……」
わざわざウールドリッジに会いにきたなんて、バロンになんて思われるだろうか。しかし危惧したって仕方ないことだった。だって事実なのだから。
「私が開けよう」
「いいんですか……?」
意外だった。規律に厳しいバロンが理由も聞かずに教員寮に入れてくれるなんて予想もしていなかった私は呆けてしまう。
「あぁ、構わないよ」
「ありがとうございます!」
「なに、ほんのお礼も兼ねているからね」
「お礼……ですか?」
バロンの言葉に、下げていた頭をあげる。私はこの人に何かお礼を言われるようなことをしただろうか。そう思っていると、彼は「あぁそうだ」と言った。
「少し昔話をしようか」
教員寮の廊下を歩きながら、バロンは私に過去の話をした。
昔、この学園には歴代に残る問題児がいたという。傲慢で自信家な生徒は、教師からしたら運悪く成績優秀で、専門家を唸らせるほどの実力者。まだ解明されていない現象や魔法が大好きで、よく学園の備品から施設まで破壊していたらしい。
「歳を重ねて丸くなったと思っていたんだが、まあ性格は変わらずでね。あの者のおかげで退学者も少なくなかった」
「トラブルメーカーですね……」
自分の人生では出没したことのない人種に背中が慄く。ただでさえ授業が難解で高度なのだ。更に鬼のような人物がいたら泣きたくもなる。
「そう。だがね、最近は随分大人しくなったのだよ」
「変な薬でも飲んだのでしょうか?」
「ははは、薬か。……そうだな、とんでもない遅効性の劇薬だったみたいだ」
バロンの琥珀色の瞳に私が映る。その視線で、誰のことを言っているのか、察してしまった。
「あの、その問題児って……」
「あぁ、ここからは道が分かるだろう」
ハッとして前を向けば、廊下の突き当たり右に行けば目的地だった。
「問題児をよろしく頼むよ」
口元は緩く上がり。年相応に刻まれた目尻の皺が下がる。バロンの表情は、その問題児に対しての愛情が浮かんでいた。
「私では役不足かもしれませんが、最善を尽くします」
「いい返事だ」
バロンはスカーレットのスーツを整えながら、私を送り出してくれたのだった。
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