踏み込めない領域
いつものゆっくりした時間の中で忘れていたが、彼に気持ちがバレてしまったのではないかと、汗が出て体を硬くしていると、くすりと笑われた。
「なにか体が強張ることでもあったか?」
「な、ないです!」
「本当か?」
「ほ、本当です!」
しかし気付かれていてもそうではなくても、彼が面白がっているのは明らかだ。一瞬にしてムッとした私は外方を向いた。
「あ」
「どうした?」
「新しく花が咲いていて」
視線の先には紫と黄色の色をした小さな花がひっそりと春の庭に咲いている。この前まではなかった景色だ。
「あぁ、スミレか」
「可愛らしいですね」
ほっこりと笑みを浮かべていると、ウールドリッジがスミレに向かって歩き出して、疑問に思いながら後をついて行くと、彼はスミレを前にしてしゃがみこんだ。
(先生にも花を愛でる趣味があるのかしら?)
何度も一緒に植物園を訪れているが、そんな素振りを一度も見たことがない。疑問に思いながら隣にしゃがんでウールドリッジはジッとスミレを見つめて、徐ろにスミレの根を掘り出し始めた。
「せ、先生?! なにしてるんですか?!」
「見てわからないか? 掘っている」
「いえ、それは分かりますが!」
(なんのために?!)
丁寧に土を掘り起こし、根が見えて来てもその手は止まらない。細い茎を傷つけないように細心の注意を払いながら真剣に土から取り出すと、こびりついた土を払って彼は満足そうにした。一連の行為を見ても理由が理解できず、私の頭の中は疑問でいっぱいだ。
「ふう、新鮮だな」
「先生この行為にどういう意味が?」
問いかけると、ウールドリッジは「ん?」と私を見た。
「採取だ」
「さ、採取? 部屋に飾るとかではなく?」
「なぜ俺が花を愛でなくてはならない?」
「だって、お花を摘むなんてそれくらいしか思いつきません」
そう言うと、彼は「あぁ、なるほど」と合点がいったのか理由を話し始めた。
「スミレは浄化作用がある。主に皮膚疾患や血液だな」
「ただのお花じゃないんですね……」
「そうだ。調理法は煮るだけだ。まあハーブティーだな」
「私、ハーブティーはレモングラスや香りのあるものが使えると思ってました」
「全ての植物には特性があり毒にも薬なる。それを解明するのが面白い」
語るウールドリッジの横顔は無表情なのにいきいきとしている。探究をするのが好きな彼は根っからの研究者気質なのかもしれない。性格が現れていると笑っていると、彼の視線がこちらに向けられた。
「なんですか?」
「吉乃はスミレは好きか?
「そうですね、可愛いと思います。あ、それに……」
「それに?」
ふと思い出したのは自室の壁だ。水色生地にスミレ柄が散らされた壁紙は物語に出てきそうな可愛らしさがあって気に入っている。それを伝えれば、彼は「ふむ」と考えて、またスミレを掘り起こし始めた。
「え! 足りませんでした?!」
「いや、そういうわけじゃない」
丁寧に手に入れたスミレは傷ひとつ付いていなくて、先程よりも慎重に採取したことが分かる。
「これは飾る分だ」
「でも、お花を愛でる意味がわからないって」
「気が変わった」
「そうなんですか……?」
ウールドリッジは時々予想もしていないことを始める。これもそうだ。私の理解が追いつかない。しかし突拍子もない彼の行動にも慣れた部分がある。スミレの花を飾るのも彼なりの理由があるのだろう。
「あ、先生。手袋が汚れていますよ」
トレードマークになっている黒い手袋が土埃にまみれているのを見て、折角愛用している大切な物なのに……と私は手を伸ばした。
「っ………!」
「え?」
手袋に触れようとしたら手を振り払われた。なにが起こったのか分からず、私は目を見開く。今までウールドリッジが私を拒否したことがなかったので驚いてしまった。
「っすまない……!」
「い、いえ。すいません、急に触って不躾でしたよね」
「……そういうわけじゃない」
だが、ウールドリッジは私の方を見ない。拒絶されたことにショックを受けてしまったので、先程までの優しい空気が気まずくなる。二人で黙りこくって、いつもなら彼が意地悪にからかって空気を変えてくれていたのに、それもなかった。
「えっと、仕事があるのでもう行きますね」
「あぁ……」
「それでは……」
私は逃げることにした。だって追求したって応えてもらえるとは思えない。それに勇気も出なかった。私たちは恋人でもなければ友人という関係でもないのだ。ただ、少し親しいだけの同僚。踏み込めない領域は勿論あって、私はその中に入れないのだと察したら、どうしようもなく胸が軋んで悲しかった。
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