お久しぶりです
翌朝、鳥が囀る前に私は起床してしまった。というより、眠れなかったという方が正しいのかもしれない。
あの後、夜が明ける前に私とウールドリッジは寮への帰路についた。学園内は防御魔法が張ってあるので、一人でも大丈夫と言うのに、彼が送ってくれた。
『先生、大丈夫ですから』
『ダメだ』
『ダメって……』
送ると頑なに引かない彼に遠慮しながらも嬉しさは誤魔化せない。でも表情には出さなかったはずだから、気付かれてはいないだろう。本当は自分の気持ちを整理したかったのに。
『俺が送っては迷惑か?』
『そ、そんなことあるわけないじゃないですか!』
『なら大人しく送られろ。……心配だ』
『し、心配……』
ウールドリッジの口から心配なんて単語が出てくるなんて思わなかった私は顔が熱くなって、視線を彷徨わせる。普段ならからかうはずなのに、ウールドリッジは真剣に私を見ていた。
冷えた朝の空気は、熱くなった頬には丁度いい。でも心の温度はそのまま。むしろ高くなっていく一方で。いつもと同じ距離なのに、近く感じて、私は離れなきゃという気持ちともどかしい気持ちが綯い交ぜになりながら、寮まで送られた。
――と、数時間前の出来事に、まだドキドキする。恋なんて何年ぶりなのか。しかもこんな気持ちになるのは初めてだ。
(もう! これから先生とどんな顔して会えばいいの!)
起き上がったベッドにまた飛び込む。羞恥に身を悶えさせて足をバタバタしても現状何も変わらない。変わるのは時間だけで、時計の針を見て私はバッと起き上がり、朝ごはんを作るために着替えた。仕事は猶予を与えてくれないのだ。
でも、食事を作っていても掃除をしていても、考えるのはウールドリッジのことばかり。仕事内容を疎かにしないだけで精一杯。
(先生は、私のことどう思ってるのかしら……?)
昼食を作り終え、しばしの休息。でも目の前のランチは少ししか減ってないし溜息ばかり。さっきは寮生に心配までされてしまった。
(うぅ、こんなのダメよね)
一人の男性ことばかり考えてしまうなんて大人としてよろしくない。思考を切り替えようとしても、すぐにウールドリッジを思い浮かべてしまう。
(も〜〜!)
この世界にスマホがないのが、せめてもの救いだ。だって存在していたら、きっと五分と経たずに通知をチェックしてしまうから。それでも、ウールドリッジがキッチンの勝手口をノックするんじゃないかと期待してしまう私は、いい年なのに随分な乙女だ。
(いけないいけない。先生のことを今は忘れよう。夕食のメニューを豪華にすれば手順も複雑だし集中出来るかも)
急なメニュー変更は大変だが、なんとかなる。というかなんとかする。そう決めて「よし」と意気込んで目の間の昼食に手を付けた。
――その時。
コンコン
「!!!!」
突然のノック音に飛び退きそうになった。心臓がバクバクして脈が早くなる。
(え? え? 先生? 数時間前に別れたばかりなのに?!)
心の準備が出来ていないのに、また数度のノック音。私は飛び出しそうな心臓を押さえて「はーい」と努めて、気付いていませんよ? 誰かしら? という素知らぬ顔をしながら、扉をキィと開けた。しかしそこにいたのはウールドリッジではなかった。
「ヨシノさん、こんにちは」
「ガレスくん? どうしたの?」
青空に良く映える朱色の髪が揺らしている来客はガレスだった。
「真帆ちゃんに用?」
「いえ、今回はヨシノさんにお借りしたい物が」
「借りたいもの?」
(私に貸せる物なんてないはずだけど)
私は小首を傾げながら、立ち話なのも悪いのでキッチンへ招き入れた。
「マホは元気ですか?」
「今日は確か寮生と自習をしてるはずだけど呼ぶ?」
「い、いえ! 集中していたら悪いので」
私は見た。ガレスが少し視線を逸らしたのを。これは! と思いつつ、そこは知らないふりをする。若人の春に他人が介入するなんて野暮だ。
「それで、どうしたの?」
「あぁ、そうでした」
ガレスは姿勢を正し、表情を変えた。凛々しく王族の覇気に、思わずこちらも背筋を伸ばす。
「昨日、ヨシノさんが聖女がモチーフになった絵本を購入されたと聞きました。それをお借りしたいのです」
「あの絵本?」
「はい。ただの絵本でも聖女に関するものでしたら、こちらでも把握しておきたいのです」
「それは、良いのだけど。内容は本当に子供向けのものだったの」
あの古い絵本に手がかりなんてないと思いながら、ガレスに頼まれては断れない。
「今持ってくるわね」
断りを入れて自室へ向かい絵本を持ってキッチンへ戻る。ガレスは私が立ち去った時と同じ姿勢のままだ。少しくらいリラックスしてもいいというのに。
「はい」
「ありがとうございます。……たしかに、見た目は古い絵本ですね」
「そうなの。でもガレスくんが必要なら持っていって」
しげしげと絵本を見つめるガレスは私と同じ感想だが、やはり些細なことでも聖女の関わることは調べておきたいと言う。責任感の強い彼らしい。
(あ、でもウールドリッジ先生にも貸す約束をしていたんだわ)
私は昨日のことを思い出して、ガレスに伝えようとした。けれど、それは彼が被せて来た言葉で無意味になる。
「ウールドリッジ先生にも頼まれました。共に調べる予定です」
「あ、そうなの……」
自分が断りを入れずに貸し借り出来るのなら都合がいい。しかし、私は少しだけ面倒くさいことを思ってしまった。
(それなら、先生が来てくれればいいのに……)
王子に尋ねれたのに不敬なことだ。
(って、先生のことは考えないことにしたはずでしょ!?)
なんでもウールドリッジに繋げてしまうのは良いことではない。いつまでも恋に浮かれるなんて大人じゃないと反省して肩を落とす。
「じゃあ、先生にもよろしく伝えてくれる?」
「えぇ、もちろんです。ウールドリッジ先生は本日は忙しいらしくて、ヨシノさんに会えないのを残念がっていましたよ」
「え?!」
「ははは、それでは失礼します。……あ、マホによろしく伝えてください」
ガレスは穏やかに微笑んで勝手口から出ていった。それを見送る余裕もなく、私は顔を赤くして呆然としてしまう。
(……本当に、スマホがなくて良かった……)
そう私は感謝して、ポポポとのぼせそうな体温を冷やそうと思うのに、今立ち上がったら転んでしまうことが容易に想像できて、騒がしい心音と戦うことになってしまった。
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