なんだかんだ優しいんだから
「こんな時間まで何をしていた?」
腕を組んで険しい表情をしたウールドリッジは、食事を終えた三人を厳しい視線で見下ろした。その凄まじい威圧は、あのガレスですらたじたじになるほどだ。
「黙秘は認めんぞ」
一層厳しく放った一言に恐る恐る手を上げたのは、やはりガレスだった。
「エルヴィン」
「……申し訳ありません。実はマホの杖の素材を探しに行ってました」
「杖?」
杖は魔力の放出を安定させるための大切なアイテムだ。そもそも杖、詠唱を無しで魔法を使うことは高度テクニックだ。相当の才能が必要になる。
「その……この間の授業で折れちゃって」
(真帆ちゃんが泣いてしまった夜の日ね……)
あの日、真帆は授業で失敗してしまい魔法が怖いと沈んでいた。その授業で壊れてしまったのだろう。
真帆は瞳を潤ませて肩を震わせる。
「あの杖、マーガレットから、っ貰ったやつなのに……」
真帆の杖はマーガレットが使用していた物のお下がりだったようだ。新品より使用された杖は魔力耐性が強いと聞いた。
「学園に言えば新しい物が支給されるはずだが?」
「それは、そうなんですけど……」
縮こまる真帆を庇うように肩を抱いたのは、制服を土埃で汚したマーガレットだった。
「私が言ったんです。自分の杖を作ってみたら? って」
「それで素材を探しに行ったと?」
「はい」
「エルヴィンは止めなかったのか?」
チラリとガレスに視線を移したウールドリッジが言いたことを察した私は何か言うべきなのか迷う。真帆の後見人であるガレスには彼女の行動に責任があるのだ。しかし真帆はガタリと大きな音を立てて椅子から立ち上がり、ウールドリッジに食って掛かるように声を上げた。
「が、ガレスは止めてくれたんです! でも、あたしが聞かないで森に入ったから……! だから、ガレスは悪くなくて」
ウールドリッジの剣幕に怯みながら真帆は涙目で訴える。唇をキュッと噛み締め、目尻は赤く染まり始めていた。
「同行したことが全てだ。誰が悪い良いが争点ではない」
「そんな……」
「マホが気に病むことじゃない。最終的に止めなかったことは僕の選択だ。その責任を取ることは当たり前なんだ」
ガレスが真帆の頭をいいこいいこと撫でたことにより、真帆のビー玉のように大きな涙をポロリと零す。すると、ガレスは「マホ? 大丈夫かい?」と焦りながら顔を覗き込んでいた。
「……ウールドリッジ先生」
沈み込んだキッチンの雰囲気は換気しても晴れないだろう。さてどうするのかと、ウールドリッジを見ると、彼は胸を膨らませて一拍。大きな、それはもう大きな溜息を吐いた。
「……反省文だ」
ずっしりと思い空気の中で犯人が判決を待つようだった沈黙が、ピタリと止まって、たった四文字の言葉を理解した子どもたちの表情は、救いの光を得たように明るくなった。
「良いんですか?」
「最低用紙五枚は提出しろ」
「ご、五枚は多いんじゃ?」
引っ込んだ涙が次は違う意味でじわりと浮かべる真帆にウールドリッジは目を鋭くした。
「それが出来なければ追加で俺の研究を手伝え。ちょうど雑用が欲しかったところだ」
「五枚頑張ります!!!」
前のめりになった真帆の態度に、周りの空気はパンパンに膨らんだ風船が空気を吐き出すかのように抜けていく。
「良かったわね、マホ」
「マーガレットもガレスも巻き込んじゃってごめんね」
「平気よ。ついて行ったのは事実だもの」
「僕の行動の結果だ。マホが気に病む必要はない」
「……二人とも、ありがとう」
涙混じりに微笑む真帆の頭を撫でるマーガレットは巻き込まれたことを恨むことはないようで、彼女の性格の良さを改めて感じながら、大人びた二人が真帆の隣にいてくれて良かったと思う。
(友だちだからよね。私には出来ないことだわ)
友人だから許せることもある。この出会いは真帆の心にどこまでも成長を与えてくれる。私では出来ないことが、二人なら出来るというのは真帆が居場所を見つけた何よりの証しだ。
「さ、お説教も終わったことだし、みんな早く就寝するのよ?」
「はーい」
真帆とマーガレットはガレスを見送るために一緒に玄関へと去っていく。私は安心に息を吐いて横に立つ背の高い男を見上げた。
「優しいですね」
「なにがだ?」
「ふふ、素直じゃないんですから」
本来のウールドリッジなら反省文では済まさないだろうに、随分と罰が軽い。
(心配していたのよね)
顔にも態度にも出さないが、解散した今、彼の表情が落ち着いて体が緩急していることを感じる。
「お茶、淹れましょうか?」
「あぁ、頼む」
「もう夜ですから、ミルクティーにしませんか?」
「お前の好きにすれば良い」
さっきまで真帆が腰をかけていた椅子に座った彼の前にミルクティーを差し出し、私はウールドリッジの隣に腰をかけた。
「お疲れ様でした」
「お前もな。あれだけ混乱していたんだ疲れただろう?」
「お、お恥ずかしい」
三人を探して精神の均衡を完全に崩さなかったのは彼のおかげだ。数時間前の自分を思い出して頬が熱くなるけど、緊急事態だったことで見逃してもらえないだろうか。
ミルクティーに口をつける形の良い唇は、紅茶の温かさを宿して色付いている。それを眺めているとウールドリッジは「どうかしたか?」と訝しんできた。
「もう、なまえで呼んでくれないんですか?」
「っぐ……! な、なんだいきなり!」
「いえ、さっき初めて呼んでくれたので。また〝お前〟に戻ったから」
「少しさみしくなりました」と呟けば、彼は更に咳き込む。カップから紅茶をこぼさない彼の体幹に感心した。
(先生、女性慣れしてるから抵抗ないと思っていたんだけど)
大きく揺れる背中を擦りながら、私は原因を探す。そして「あ」と思い当たるふしがあった。
「もしかして、私のなまえは、この世界では発音しにくいですか?」
異世界の氏名を覚えて音にするのは大変なことだ。私も当初はカタカナのなまえを覚えるのに苦労した。どうして太郎とか山田とかじゃないんだろう。
そんなことを考えていると、ようやく落ち着いたウールドリッジが目尻に涙を滲ませて私を睨めつける。
「意味の解釈も発音も完璧だ。侮るな。いつでも呼べる」
「じゃあ、なんで……」
「むしろ呼んでほしいのか?」
挑発的に口角を上げる彼に、私はきょとんとした。呼ばれないより呼ばれたほうが良いに決まっている。
「はい。ウールドリッジ先生には、なまえを呼んでほしいです」
「…………っ、ふう……」
「先生?」
次は片手で顔を覆ったウールドリッジは、紅茶の熱が伝わった皮の手袋で私の髪を一房取った。
「……吉乃」
「っ……?!」
紫の瞳がまっすぐとこちらを見つめる。低い声で名前を囁かれた私は、自分で呼んでほしいと言ったのに何故か緊張する。胸がドキリと跳ねギュッと締められるのは、学生時代の授業中に教師に名指しされた時と同じだ。
「……赤くなってるぞ?」
「こ、紅茶が熱くて……体が火照ってしまったのかも」
「あまり体温が高くなりすぎるのも良くない。それを飲み終えたらすぐに寝るといい」
「そ、そうします」
「慌てるな。時間ならある」
飲み込む勢いだった私に制止をかける彼はくすぐるように微笑む。まるで監視されているみたいだ。
(そんなに見られてたら飲めないわよ……)
少しぬるくなった紅茶を喉に流し込み、用済みのカップをシンクに置く。彼が使用したカップの底にはミルクティー色のムーンリングが残っていた。随分、待たせてしまったみたいだ。
カップを水に浸け置くと、ウールドリッジは御暇するようだ。椅子から立ち上がり、コートを正している。
「それではな」
「あ、先生!」
キッチンの勝手口を開けて外に出た彼に声をかけた。少し冷えた夜の空気はどこか寂しくて、一緒に飲んだミルクティーの温かさが恋しくなる。
「今夜はありがとうございました」
「礼は言わなくていい」
「でも、あの、学園に報告したり色々ありますよね? ご迷惑おかけします」
真帆の魔力暴走の件、私が倒れた時の件、今回は失踪事件だ。問題を起こす度に後始末に追われているウールドリッジの疲労が気になる。
申し訳なくて肩を落としていれば、彼は「気にすることじゃない」と言う。
「俺の生徒だからな。責任を持つのは当たり前だ。……まあ、おまえの件は恩を返してもらおう」
「その時は甘んじて協力します」
何を言われるだろうかと未来の私を憂いていると、頭にポンと軽い衝撃が走る。そしてサラリと撫でられた。
「それではな、吉乃」
「は、はい。おやすみなさい先生」
ウールドリッジはくるりと踵を返すと颯爽と夜に消えていく。それを小さく手を振りながら見送った私はキッチンに戻った。
(……なまえ呼ばれただけなのに、なんでこんなに緊張するのかしら)
未だに胸がドキドキして、少しだけ苦しい。さっきまで彼が座っていた椅子が視界に入り、何故だか彼の幻が見える。
(ここに、いたんだ)
そっと椅子に手を触れ、もう冷たくなったことに寂しさを覚えて、私は少しだけ動けなかった。




