抱きしめられた体温
グツグツと音を立てる鍋を前に、私はスープに口を付けた。
(いい感じね)
コンソメベースの鍋の中で揺れるキャベツは、その青々しさに磨きをかけて輝く。湯気とともに香りが立ち上っては私の鼻をくすぐり、空いていなかったはずの腹が鳴った。
(あ、味見をたくさんしないように、調味料の加減を覚えなきゃ)
料理は好きだったけれど、十人を超える量を作ることは苦戦している。それでも楽しいと思えるのは、寮生が美味しいと頬張ってくれるからだ。
(スープは良し。あとはグラタンね)
熱のこもったオーブンにいれた今夜のメインディッシュであるグラタンもいい感じだ。
(いい香り)
チーズとホワイトソースの香りを吸い込んでいると、香りに釣らられた寮生の何人かが顔を出す。
「美味しい匂いがするわ〜」
「今日のグラタン楽しみにしていたの」
「あらあら」
お腹を擦って腹ペコを教えてくれる寮生に苦笑して、私は可愛い子供たちへ夕食を用意した。
「ちょうど良かった。もう出来たところなの」
タイミングがいいと思いながら、私は食堂へグラタンを持って向かえば、食堂は賑やかに食事を待っている寮生が集まっていた。
「美味しそう!」
「火傷しないように気をつけてね」
「はーい!」
遠慮せずパクパクと食事を頬張る姿は、まるで雛鳥のようで思わず(可愛いわね)と目尻を下げてしまう。でもこの子たちは長くここで生活するわけではない。
(本当に雛鳥のように巣立っていくのよね)
思わずほろりとしてしまう。この感傷癖はどうにかしなければならないと思っているけど、そういう性分なのかもしれない。
(ウールドリッジ先生にも言われちゃったし)
『おまえは今からそんなことを考えているのか?』と呆れられたことを思い出す。
植物園の秘密基地で二人過ごすことは日常になりつつある。でも私一人で秘密基地に行くことはない。やはりウールドリッジの隠れ家という遠慮があった。
(さすがに我が物顔で居座ることはできないわ)
それでも彼に誘われると嬉しい。あの空間は世界から切り離された物語の中のようで心が穏やかになるのだ。
(また行きたいなあ)
ソファに座ってウールドリッジの紅茶を飲む。あの香り高い紅茶の銘柄を教えてもらって自分で淹れてみたけど、彼のような味がしない。きっとウールドリッジが上手いのだ。
(私も頑張らなきゃ!)
ふんす、と鼻を鳴らしていれば徐々に寮生は食事を終えて席を立っていく。
(あれ?)
真帆がいない。
いつもならこの時間には食事を済ませて談話室でマーガレットたちと話しているのに、そのマーガレットの姿も見えない。
(おかしいわね?)
時計を見れば時間は二十時になっている。もう食事の時間も終わるというのに。
(すこし様子を見よう)
けれど、食堂を閉める時間を伸ばしても二人は姿を表さなかった。談話室を覗いても彼女たちはいない。
「真帆ちゃんとマーガレットちゃんは?」
談話室のソファで談笑している寮生に声をかければ、彼女たちは「そういえば」と言った。
「帰ってから見てないかも」
「わたしも。二人とも部屋にいるんじゃないかな?」
「……そう。ありがとう」
私は階段を上がって、二人の部屋を順に回ってノックを数回繰り返した。けれど二人とも留守のようで、私の胸が強い風に煽られた葉のようにザワリとする。
(もう消灯時間なのに……)
就寝の準備のため自室に戻る子も多くなっている。互いに「おやすみ」と声をかけあっているのに、その中に二人の声は混ざっていない。
(どうしていないの?)
心配だけれど、他の寮生を放っておけるわけもなく、私は消灯の点呼を取ってキッチンへ降りる。二人のために残してあった食事にも手を付けられた形跡はない。
(寮に帰ってきてないってことよね?)
いやな焦りがムカデのように体を這い上がってくる。ゾワゾワとした感覚が足を震わせて、私は寮を出て周囲を探し始めた。
(どこにいるの?)
生徒の居住区はシンとしていた。だけど、目の前を走り過った二人の男子生徒に私は慌てて声をかけた。
「ねえ!」
「あ、寮母殿でしたか!」
桃色の髪をした小柄な男子生徒と夜に溶け込む藍色の髪をした二人が、額に汗をかきながら只事ではない表情をしていた。
「ガレス殿下を見ませんでしたか?!」
「ガレスくん?!」
「終業から姿が見えないんです!」
「殿下の護衛という命を受けながらこの失態。陛下になんと言えばいいのか……!」
「私も真帆ちゃんとマーガレットちゃんを探しているの! 二人とものまだ帰ってないのよ! もしかして、ガレスくんも一緒にいるのかしら……?」
サァと血の気が引いていく。魔力コントロールが優秀なガレスが一緒ならと一瞬頭を過ったが、彼もまだ子供だ。偏見は良くない。
「とにかく探しましょう!」
「えぇ!」
私は二人と別れて学園中を走り回る。息苦しさで喘ぐ胸と棒になりそうな足を踏ん張って、もしもの時を考えて喉が痛いほど締められる。
(どこ? どこなの?!)
「真帆ちゃん! マーガレットちゃん! ガレスくん!!」
そこの茂みからひょっこり出てきてくれれば良いのに。そんな脳天気な現状でないことはとうに分かっているけれど、どうしても願ってしまう。
学園の敷地内も探そうと、鍵がまだかかっていなかった門を開けてまた走り出す。
静まり返った不気味な学園の敷地内は薄暗く、ランプの灯りが申し訳程度に足元を照らしている。
「誰かいないの?!」
中庭の回廊を駆け抜けていると、脇目をしていたせいでドン! と何かに体当たりしてしまった。
(っいた)
こんな所で時間を無駄にするわけにはいかないのに、ひっくり返りそうになった体を支える力をパッと見上げた。
「こんな時間に何をしているんだ?」
「ウールドリッジ先生……!?」
「どうした?」
ウールドリッジに顔を見た瞬間、私の膝は崩れ落ちる。
「おい!」
力が抜けた私を支えるウールドリッジに、私は我慢していた涙が溢れる。
「真帆ちゃんが、あの子たちいなくなっちゃったんです……!」
私の様子に只事ではないと悟った彼はサッと表情を変えた。
「どういうことだ?」
「も、門限過ぎてるのに、帰ってこなくて、いつもは早いのに……!」
ウールドリッジは冷静に問いかけてくるが、恐怖に支配された私はまとまらない言葉と涙しか出てこない。
「大丈夫だ。落ち着け」
「あの子たちに何かあったら……! 早く見つけてあげないと!! ……わた、わたし……!!!」
呼吸が乱れて喉が喘ぐ。上手く息が出来なくて、彼の服を掴む手が震えて。ウールドリッジがなにか言っているが耳に入ってこない。
「っおぃ」
「せ、せんせ……、どうしよ……!」
「……つけ……!」
「どしたら……!!」
歯がカチカチと鳴り、呼吸が短くなって目の前が暗くなっていく。彼の靴先が遠くなっていく。
その時――。
「しの……、――吉乃! 俺を見ろ!」
頬を掴まれ強制的に上げられた視界に、パープルの瞳が眉根を寄せて真っ直ぐに見つめてくる。
「しっかりしろ。おまえが混乱していては現状が把握できん」
すると、いやな心臓が動きが緩くなっていった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「焦って解決する訳では無い。」
「はい……」
「冷静になったか?」
「はい……」
「ならいい」
後頭部を撫でられるほどに頭の中も冴えていく。
息を吐いた彼は「それで?」と落ち着いた声で問いかけてきた。
「ま、真帆ちゃんとマーガレットちゃん。それにガレスくんも寮に帰って来てないんです」
「……エルヴィンもか?」
「はい。お付きの二人も今探してて」
「分かった」
ウールドリッジは杖の先で円を描く。すると青い蝶がどこからともなく現れた。
「索敵しろ」
そう言うと無数の蝶たちは羽ばたき散っていく。
「とりあえず敷地内はこれで足りるだろう」
「ほんとですか?」
まだ不安で見つめると、彼はニヤリと口角を上げた。
「俺を誰だと思っている?」
その言葉に相応しく、十五分後にはバタバタと忙しない足音が聞こえてくる。
「……殿下が帰ってきました! 女性達も一緒です!!」
藍色の髪に腰に剣を差したガレスの護衛が駆け込んできて、ウールドリッジは「そうか」と夜のように落ちつた声で頷く。
「歩けるか?」
「はい、大丈夫です」
「ならば行くぞ」
それでも頼りないのか、彼は私の肩を抱いて歩いてくれた。一歩歩く度に焦燥は落ち着き、苦しかった息も整う。
学園を出て生徒居住区に近づけば、五つの影が目に入った。
「帰ってきたな。――おい!?」
考えるより体が動いた。あれだけ覚束なかった足が地面を蹴り、気付いたら手の平が熱くなっていた。
「――こんな時間までどこにいたの!」
目の前には頬が赤くなった真帆とマーガレットが呆然としている。それは回りも同じだった。
「心配したでしょう!!」
「っ、ご、ごめんなさい……」
あまりの剣幕に、真帆は頬に手を添えて小さく呟くと、その大きな瞳を滲ませる。
「ごめん、ない」
「ヨシノさんごめんなさい」
真帆より幾分か落ち着いているマーガレットが悲壮な表情で謝罪をしてきて、私は肩で息をする。
「ヨシノさん、申し訳ありません。僕がいながら……」
「そういう問題じゃないの! 貴方を含めて子供がこんな時間まで帰らないで、誰にも言わないで黙っていなくなって! どれだけ心配したと思っているの!!」
「す、すいません」
「少し落ち着け」
ウールドリッジが私の肩を抱いて、行方不明だった三人を見下ろした。
「おまえたち、分かっているな?」
「はい……」
「普段落ちつた寮母をここまで怒らせたんだ。どういうことか、洗いざらい話してもらうぞ」
「もちろんです」
申し訳なさそうに表情を暗くするガレス。けれど、ウールドリッジは容赦しないだった。
「……三人とも食事を用意してます。話はそこで聞きます」
「だそうだ。よかったな、説教の前に腹を満たしておけ」
「……はい」
トボトボと寮に向かう三人とお付の二人の姿は小さくなっていく。完璧に寮に入るのを確認して、私はズルリと体の力が抜けてウールドリッジが支えてくれた。
「安心して力でも抜けたか?」
「っ、うぅぅ」
「戻ったら泣く暇はないぞ。ここで泣いておけ、胸を貸してやる」
彼は私をギュッと抱きしめた。私は溢れる涙が止まらなくてウールドリッジの胸に顔を埋めて涙を押し殺す。
「よかった」
「あぁ」
「帰ってきた」
「そうだな」
「……叩いちゃった」
「あれくらい折檻のうちに入らん」
「安心しろ」と私を抱きしめて、幼子をあやすように頭を撫でる。革の手袋で体温は感じないはずなのに温かくて、私は余計に涙を零した。




