のちのヒーローである
王立セレス魔法学園。
そこは魔法の才能がある者が通える学園だ。
今、私はそこで寮母をしている。
白いワンピースの上に、水色のエプロンをして、髪をひとつに結べば朝の準備は完了。
身支度を終えたら朝ごはんの用意をしていると――。
「吉乃さんおはよー」
眠気眼を擦って一階へ下りてきた聖女こと白石真帆。
彼女は、白いケープを羽織り、紺色のスカートを履いている。この学園の制服は、そのままでも可愛いのだがアレンジが自由な分、生徒の個性が出る。この寮でも標準スタイルで着ているのは真帆だけだ。
「おはよう真帆ちゃん。あ、寝癖ついてるよ」
「え? 本当? ……吉乃さん直してー!」
人懐こい真帆ちゃんは体を向けてきて、私はピョンと跳ねた寝癖を櫛で整える。
(うん、これでよし)
魔法のブラシは寝癖もすぐに整える優れモノだ。こんな小さな道具にも魔法が宿っていることが不思議だが、それはもう考えないことにした。
(街中が魔道具で溢れているなんて驚いたけど……)
整え終えた髪をひと撫ですれば、いつもの柔らかいブラウンの髪が完成して、私までご満悦になってしまった。
「はい、できたわよ」
「わ~い! 吉野さんありがと」
「どういたしまして。ほら、朝ごはん出来てるから、食べちゃおうね」
「はーい」
今朝のブレックファストは、黄色い焼き目のついたトーストにサラダ。そして野菜をたっぷり使ったスーブとゆで卵。
成長期を助ける栄養素は十分摂れているのではないだろうか。
「あ、そろそろ登校時間だよ」
「もう? 時間過ぎるの早すぎない?」
歴史を感じる古時計の時刻は、真帆が登校するジャストタイムに針を進めていた。
それを確認した真帆は、談話室に置かれた自分のカバンを手に、慌ててエントランスへ向かう。
私もついて行き、扉を開けた真帆に手を振った。
「いってらっしゃい真帆ちゃん」
「いってきまーす!」
小さくなっていく背中を見ながら、私は忙しない子だなと微笑ましく思いながら扉をしめる。
重厚な重みを私に与えながらパタリと閉まり、寮生全員が登校したことを確認すれば、ここからが私の本番の仕事が始まる。
まず、洗濯物を魔道具で出来た洗濯機に放り込み、次は掃除へ。
広い寮内を掃除するのは一苦労だが、魔道具に協力してもらいながらも、毎日清潔を保っている。
(前の療寮母さんなら、もっと簡単だったろうな)
私たちがやってくる前の寮母は、高齢ということもあり引退した。
彼女は魔法使いで、大柄な体と精密な魔法コントロールが素晴らしかったらしい。
今は、夫と共に世界中を旅すると、輝く笑顔で去り、最近届いた手紙には南国を満喫していると、動く写真を添えていた。
(いいなー。私も寮母じゃなかったら旅してたかも)
いや、待て。と、私は考え直す。魔法使いでもなく世界のことをあまり知らない私が旅に出て生活出来るのか?
答えは否である。瘴気が蔓延している現在は、魔法に適正がない人間にだって影響している。魔物に襲われたら確実に死ぬだろう。
(やっぱり、寮母で良かったわ)
この仕事は、私に向いていた。
お世話をすることは得意だし、魔道具もあるから仕事も苦ではない。三食昼寝付きの昼寝はないが、それでも私はこの生活が気に入っている。
(あ、そういえば頼まれ事が有ったけ)
昨日、用務員から頼まれた教材の配布を思い出し、私は寮を出た。
(それにしても、本当にすごい学園ね)
広大な学園は行き来するだけで大変だ。
急ぎ足で向かえば、女神像を中心に湧く噴水が目に入った。
聖女ーソフィアー。初代聖女の活躍は書物から詩吟にまで渡り、この世界でもっとも信仰されている存在だ。その魔力は絶大であり、真帆はその再来とも言われている光魔法の持ち主。世界中が、彼女の活躍を待っている。
(たった十六歳の女の子に重責を背負わせるなんてとんでもないことだわ)
真帆は気にしていないみたいだが、本心はわからない。
(私ができるのは、寄り添うことくらい)
己の無力さを感じながら、見えてきた校舎に入った。
魔法学園の校舎は、その歴史を感じさせる壮大さで、用務員室も簡易的ではない豪華な造りだ。
(元の世界で入った大使館を思い出させるくらいすごいわ)
大理石の床に、アンティークの机と椅子。アーチを描く大きな窓からは、この学園の名所である植物園が見える。学園の雑務を請け負うにしては優雅な部屋だ。
柔和な用務員に持たされた教材を抱え、私は各教員に与えられた教員室へ歩き出した。
(えっと、魔法理論のディリバス先生に渡して判子は貰った……。薬草学のマリナ先生にも……)
台車に乗せていた教材の数は減り続けている。受取人のサインも項目を埋めていき、最後に残るのは一名。私はある人の教員室の扉を叩いた。
「失礼します」
窓を背にしている教員の姿は後光が差して影が出来ている。
その人物に近寄り、私は挨拶をした。
「ウールドリッジ先生、教材のお届けです」
けれど、応答はない。不思議に思ったけれど教材を机に置いておけばいいかと思ったのだが、そちらを見れば書類が乱雑に広げられていてとてもじゃないが置く場所がない。
(仕方ない)
「ウールドリッジ先生、あの……」
恐る恐る近づく。
この学園の教師は魔法界で優秀な者が在籍しており、簡単には教師になれないと聞いた。その中でもエドワード・ウールドリッジは最年少でその座を手に入れたという。。
(基準は分からないけど、優秀なのよね?)
そんな人物に近づくなんて怖いけれど仕方ない。だから私は勇気を出した。
「あの、……寝てる?」
腕を組んで椅子の背もたれに体を預けている彼の寝息は穏やかで本当に眠っているようだった。
日に透ける金の髪はキラキラと輝き、長いまつげは艶がある。薄い唇は無防備に緩んでいて、高い鼻は穏やかな寝息を立てていた。
(綺麗な人……)
まさに神に愛されたような容姿にしばし見惚れる。丁寧に形作られた造顔は国宝級だろう。
(でも、どうしよう)
この寝顔はきっと良い夢を見ているに違いない。その安寧を壊していいものなのか悩んだ。お昼寝タイムの子供を起こすのも躊躇うのに、ここまで安らかだと余計に気が引ける。
しかし、この後にも雑務を頼まれている私には時間がない。起こす以外に手はないかと考えたが、広げられた書類や難しそうな本を隅に寄せて教材を置くのは怖い。とても怖い。
だから、私は深呼吸をひとつして彼をジッと見据えた。
「ウールドリッジ先生」
起こすことにしたのだ。
小さく声をかけても目を覚ます兆しはない。それはそうだこれくらいで起きたら私の仕事はもっと楽だった。
「先生、触りますよ」
次は肩を揺する。見た目に反してガッシリとしている肩は力を入れないとピクリとも動かない。そのことに内心驚きながら、上質な生地に隠れた体を先程より強い力で揺すった。
「先生、ウールドリッジ先生!」
優しく起こそうとしても効果が発揮されないことに痺れを切らし始めた私は声が大きくなる。
(もう! どれだけ熟睡してるのよ!)
そろそろガクガクと鳴りそうな体に、私は最後の一押しにもう一度力を入れた。
――その刹那。
「へ?」
ガシっと腕を掴まれ、訳もわからないまま引き寄せられた。
「っ?!」
美しい顔が目の前に迫り、唇は少しでも動いてしまえば触れてしまうほどに近かった。
「……モーニングコーヒーでも淹れてくれたのか?」
寝起き独特のかすれた声は色っぽく、何故か腰に響く。そして薄っすらと開いた瞼から覗く紫色の瞳にドキリとした。しかしときめきもすぐに去る。
「……誰だ?」
トーンを下げた声は先ほどとは違い堅い。私は驚いたが表情には出さなかった。
「滝沢吉乃です」
名乗れば、寝起きの頭が回転し始めた彼は「あぁ」と言う。
「聖女の付き添いか」
付き添いはその通りだが、言葉にされると反発したくなる。
ムッとした私に何を勘違いしたのか、彼は頭に手を当てて背もたれから体を離した。
「すまん……人を間違えた」
(だ、誰と間違えたの?!)
そういえばエドワード・ウールドリッジは相当なプレイボーイと聞く。遊んだ人数は両手でも数えられないほどで、取っ替え引っ替えらしい。今の行動を見ればその噂は本当みたいだ。
「それで? なんの用だ?」
「はあ。教材のお届けです」
「そこに置いておいてくれ」
指を差した場所は、置くのを諦めたデスクだ。
「置く場所がないのですが……?」
「ん? あぁ散らかしたままだったな」
ウールドリッジは懐から出した細い木製の杖をデスクに向かって一振りすれば、まるで意思が洗うように書類や本は整頓されていき、空いたスペースは教材を置く余裕が生まれた。
「ありがとうございます。こっちにサインを」
「助かった。礼言う」
(不遜だけど、意外と良い人?)
お礼を言われただけで印象が少し上がるのだから美形は得だなと思いながら、私は達筆で書かれた署名を確認した。
「それでは失礼します」
頭をペコリと下げると私は部屋を出て、早足で回廊を歩く。
(き、緊張した……!)
あんな綺麗な人みたことがなかった私はドキドキとする胸を押さえた。しかし彼の態度を思い出したらスッと平常に戻る。
(女性慣れしてるけど、教育者としては如何なものかしらね)
どう考えても相応しくない態度だった。
私は仕事モードに切り替えると、さっさと次の用事に向かった。




