あの人なら
季節は過ぎゆき、この頃は涼しい日が続いている。
怯えていた真帆も、最近では友人増え、談話室でおしゃべりする時間が長くなった。
(いいことだけど、就寝時間ギリギリはだめね)
夕食の洗い物を終えた私は、濡れた手をタオルで拭く。少しカサついているが気にすることでもないのだかけれど。
(この間、ウールドリッジ先生に貰ったクリームが……あった。)
エプロンのポケットにいれていた手の平サイズの円形の蓋をあけて、少し指に取る。滑らかなクリームはすぐに肌に浸透してカサついた手をすべすべにしてくれた。
(薬草を調合して作ったって言ってたわね)
先日、売店で買い物をして歩いていたら、生徒居住区にやって来たウールドリッジに会った。植物園や校舎の中でしか会ったことのない彼が珍しくて駆け寄ったら、ハンドクリームを渡されたのだ。
『薬草の成分について調べていてな。ついでに作ったからやろう』
ベストのポケットから出したハンドクリームを私の手に置いた彼は『それだけだ』と言って去っていった。
(もしかして渡すためにこっちに来てたとか?)
わざわざそんな労力を私に使うだろうか。
(そんなわけないか)
意味を持たない贈り物だけど、ありがたいのは確かで。
(それにしても、缶もおしゃれだし結構凝ってるのよね)
シルバー色の缶の蓋には星や植物の蔦が彫られている。サイズがもう少し大きればメコンパクトミラーにも見えた。
(使い終わっても飾っておこう)
「ふふ」と機嫌を良くした私はキッチンを後にして談話室へ入る。すると、寮生たちがまだ会話を楽しんでいた。
「こらぁ、もう消灯になるわよ?
「もうそんな時間? 早い!」
「あ〜あ、ヨシノさんに聞きたいことあったのに」
「私に? 短ければ答えるわよ?」
明日の朝食のメニューだろうかと、思っていたのに、寮生たちから出た質問に、私は飛び退きそうになった。
「ウールドリッジ先生とはどうなんですか?」
「どうって?」
「付き合ってたりするのかな〜て」
「う、ウールドリッジ先生と私が?!」
なにがどうなってそんなことを聞くのか分からない私の反応に、彼女たちは「あれ? 違った?」と首を傾げている。
「だって、よく一緒にいるじゃないですか」
「前は一緒に赤ちゃん育ててたし」
「あれで先生たちは付き合ってるって噂になってるんだよ?」
思い出すのは、ウールドリッジの隠し子疑惑があったエリカのことだ。あの子の瞳は彼の色に似ていたが、結局は違った。それに、私の面影なんてどこにもないのだから分かるはずだ。
(誰かのイタズラね)
まだネタにして誂う生徒がいるなんてと、私は少しだけ怒りそうになった。
「ウールドリッジ先生とはなにもありません! ほら、早く寝なさい」
「なんだ〜つまんない」
「まったくもう。……あれ?」
「ちぇ〜」なんて期待外れといわんばかりの彼女たち。私とウールドリッジのことを気にしていた寮生は多いのか、明らかに残念がっている。
しかし、その中にいない人物が――。
「真帆ちゃんは?」
いつもなら真帆もおしゃべりしている筈なのに、今夜は見当たらない。
「あぁ、マホは具合悪いからって、もう寝てるよ」
「夕食には来てたのに……」
「朝には良くなってるよ」
「相変わらずヨシノさんは心配性だね」
誂う寮生たちに「こら!」と言うと、寮生は小さな子供みたいに逃げていった。
就寝の点呼をした私は最後の寮生になった真帆の部屋への階段を上がる。
(真帆ちゃん大丈夫かしら? 最近は元気だったのに)
ドアの目の前に来て、一度ピタリと止まる。このまま叩いたら、また過干渉だと思われるかもしれない。真帆が自分で乗り越えられるならそれに越したことことはないけれど、やっぱり私は放っておけなかった。
コンコン
「真帆ちゃん? いる? 私よ、吉乃」
応答はない。
やはり、なにかあったのだろうか。
(もしかして、留守?)
就寝の点呼を無視するような子ではない。
ゾクリと、背中が粟立つ。
「真帆ちゃ……」
「吉乃さん!!!!」
もう一度ノックをしようとしたら、扉が勢いよく開いて真帆が私に飛び込んできた。
「吉乃さん! どうしよ、あたし……!」
背中に腕を回して泣き崩れる真帆に、私は慌てて抱きしめ返した。
これはどうみても緊急事態だ。
「真帆ちゃん落ち着いて? とりあえず部屋に入ろう?」
「うん……」
誰にも聞かれていなかったか廊下を確認した後、扉を締めてベッドで膝を抱えている真帆へ近寄った。
「なにかあった?」
努めて冷静に対応する。これは保育士として如何なる場合でも混乱してはならないという私の信条でもあった。
鼻を鳴らして、泣き止んでいたと思っていた真帆のブラウンの瞳が潤んでいく。湖畔を作っていた水滴が目からこぼれ落ち、堪えられないと肩が震えていた。
「今日、魔法の実習だったの……」
「うん」
確か、今日は攻撃魔法の実習で周りの男子生徒たちは喜んでいた。血気盛んな彼らを微笑ましく思いながらも、怪我をしないといいのだけどと心配していので覚えている。
「……失敗ちゃったの」
真帆がぽつりと零した。けれど、私は疑問に思う。
(真帆ちゃんは他の生徒より学ぶのが遅かったから、失敗しても当たり前じゃないの?)
しかし、私の考えは甘かった。
「コントロール出来なくて、怪我させちゃったの」
「え?」
「どうしよう。またあの時みたいになっちゃったら」
あの時、というのは真帆の魔法が暴走したことだろう。確かにあの膨大な魔力は塊というのが相応しく、魔力を持たない私でもそのパワーを体感した。
けれど、もしそれが再現されれば私の耳にも入ってくるはず。
「相手の怪我は?」
「打撲と擦り傷……」
真帆の言葉を聞いて、安堵の息を吐く。被害にあった生徒への安心もあった。
「前は瘴気は小さかったから大丈夫だったんだと思う……」
「真帆ちゃん……」
「……っあたし、怖いよ……! また誰かを傷つけたら!」
滂沱の涙を流しながら膝に顔を埋める真帆を、私は抱きしめた。大きく震える体は恐怖に支配されていて、これは私の範疇では対処できないことだ。
「怖い、吉乃さん。怖いの」
(大丈夫なんて、魔法が使えない私には言えない)
どうしようと頭を悩ませて無意識に呟く。
「ウールドリッジ先生なら、きっと相談に乗ってくれるわ」
「先生……? もし呆れられたら……?」
「大丈夫。そんな人じゃないわ」
高慢だけど、彼の生徒への想いに触れたから分かる。彼は真帆の悩みを無碍にしない。それどころ不安が消えるまでサポートしてくれるだろう。
(あの人なら、信用できる)
私は、意地悪で傲慢な紫の瞳を思い出して真帆に微笑んだ。




