蝶に誘われて
昼休みが終わったあと、私は植物園を散策していた。
(やっぱり気持ちいいわね)
風が吹いていないのに立ち上る花の香りは、リラックスを与えてくれる。
胸いっぱいに花の香りを吸い込んで息を吐く。それだけで疲労が出ていく。
(植物園にカフェとかあれば素敵かも)
場所は春のように温かな野草や自然植物エリアに設置するのはどうだろうか。
そんな妄想をしながら歩いていると、ふわりとすれ違った影に、私は自然と目が向いた。
「蝶……?」
魔法で管理された植物園にも虫はよく見るが、その蝶は珍しかった。
(青い蝶なんて初めてみたかも)
黒の縁に真ん中はガラスにように美しい青い色をしている。
(でも、あれ?)
まるで私を花とでも勘違いしているように周囲を飛び回る。
(不思議ね……?)
まるで挨拶でもしているようだ。
「ふふ、あなたは何て言う蝶なのかしら?」
挨拶代わりに指先を少しだけ近づける。
(逃げられちゃうかな?)
しかし、私の予想に反して美しい蝶はピタリと指先に止まった。
(あら、珍しい)
蝶が人の指先を花と勘違いすることなんてあるのだろうか?
でも、きっとすぐに離れていくだろう。蝶は蜜や花粉がなければ離れていくものだ。
しかし――。
(に、逃げないわね?)
その蝶は私の指先にずっと止まっている。羽の筋までじっくり観察できるほどの近さに寄ってもなんともない。
「あ、」
ジッと見つめていると、蝶はゆるく羽ばたき始める。音もなく空気に乗った蝶だが、それでも私から離れない。
「一緒に散策でもする?」
(なんて、言葉が通じるわけないか)
「ふふ」と自分の中にある夢見がちな面に笑うと、その蝶はびっくりする行動に出た。
「へ?」
私の鼻先に止まったのだ。
「あ、え、」
鼻先をくすぐる蝶の足は、不思議と嫌じゃない。それに、少しだけいい香りがする。その匂いは、どこかで嗅いだことのなる香りだ。
(でも、なんの匂いだったかしら)
「あ」
鼻先に止まっていた蝶が離れる。そしてまた周囲を踊るように飛んで、私の前を羽ばたく。
「バイバイ」
別れの挨拶をしたつもりなのに、蝶はその先から去らない。
(なんだか、ついてこいって言われているような?)
そんなわけないのに、いつか見た映画のようなシチュエーションに好奇心が湧いた。現実感のない植物園に蝶は夢を抱かせるには十分で。
「どこへ行くの?」
蝶へ近づくと離れる。しかし、また止まる。
「一緒に来いってこと?」
ヒラヒラと花弁のように舞いながら私を誘う青い蝶。
まるでおとぎ話の主人公のような気持ちになって、私は蝶の後を追った。
「ねぇ、待って」
蝶は植物園の道を飛び回りながら私を誘う。
ここは魔法の世界なのだから、少し不思議なことが起こってもおかしくない。でも魔力を持っていない私には胸が高鳴る光景で。
野草の自然植物エリアから道を進むと、周りは鬱蒼とした景色へと変わった。
野草の花たちとは違う濃厚な植物の香り。
亜熱帯エリアだ。
肌に触れる湿気を含んだ空気と、背丈ほどもある植物が生い茂る熱帯植物たちの中にいると、まるで自分が小人にでもなったみたいだ。
「どこへ行くのかしら?」
熱帯植物に紛れてしまいそうな蝶を早足で追いかける。
そして、蝶はストレチアの群生に入ってしまった。
「流石にここからは行けないかな」
(あれ?)
既視感のある場所に、私はそっとストレチアたちを手で左右に広げる。
すると、風が道を作るようにストレチアたちがその身をしならせた。
道の先には、あの蝶がまだ飛んでいる。
(ここまで来たら最後まで付き合おう)
出来立ての獣道を進んでいくと、蝶が花粉のような粒子を撒けば巨木の幹に扉が現れる。
暗がりの階段を上がり、光指す光源へ足を踏み入れれば、蔦に覆われたガラスのドーム。
(やっぱり……)
蝶は室内をヒラヒラとしながら一直線にある場所に飛んでいく。
「ん……」
少し気だるそうなうめき声。聞き覚えのある低く色気のある声の持ち主がソファから身を起こした。
「……ん? あぁ、おまえか」
「こんにちは」
ここはウールドリッジの秘密基地だった。
彼はどうしてここにいる? と言いたげだ。
「よくここが分かったな。一度しか来ていないだろう」
「その蝶に誘われて」
「ん?」
ウールドリッジは自分の周り飛んでいる一匹の蝶に注目すると呆れる。
「どうりで一匹足りないはずだ。おまえのところにいたのか」
「一匹足りない?」
「あぁ、こいつは俺の使い魔だ。交流会の時に見せただろ?」
「あ!」
そういえばドレスに柄を纏わせてくれたのは青い蝶だった。
あの時は色々なことが起こりすぎて忘れていたが、ドレスの周りを飛び回る蝶の姿が頭の中で鮮明になる。
「それにしても、訳のわからんモノに釣られるとは……意外とお転婆だな」
「お転婆って、そんな歳じゃないです」
「だが事実だ」
「間違っているか?」とニヤリと笑う彼に否定できない私は「以後気をつけます」と謝罪する。
「ところで先生、どうしてここに? 授業はお休みですか?」
「いや。講義はあったが、自習にした」
「それってサボり……」
「生徒の自主性も大切だ」
「それは屁理屈ですよ」
「気にするな」
(また、この人は……)
手の抜き方が上手いのかもしれないが、それにしたってここでサボらなくてもいいのではないだろうか。
「しかし」
「?」
「来るのが随分遅かったな」
「え?」
目を瞬かせた私にウールドリッジは首を傾げた。
「言ったはずだ。好きな時に来たら良いと」
数日前の図書館の出来事を思い出す。
彼は私の頭を本の角で軽く小突き――。
『――秘密基地、だったか?』
『好きな時に来たらいい』
ウールドリッジの囁く声が反芻してボッと顔が赤くなる。
「あれ社交辞令だと思ってました」
「おまえに対して、そんな面倒くさいことはせん」
(それもそうか。私にリップサービスする意味がないものね)
ということは、本当に来てもいいということか。
(それはそれで、なんというか……)
少しだけ特別扱いのような気がして、悪くない気分だ。
「ここに座れ。紅茶くらいは淹れてやる」
「失礼します」
ウールドリッジが杖を振ってティーポットとカップを空中に浮かす。ティーポットから流れる紅茶の滝の向こうに生い茂った植物が映るのをソファで見つめる。
「飲め」
「ありがとうございます」
ふわりと目の前にやってきたカップを持つ力加減が分からなかったが、落とすことなく持てたのだから正解だったらしい。
緊張しながら唇を付けてコクリと飲む。
芳醇な花の香りが湯気から鼻腔をくすぐる。そういえば蝶の香りはウールドリッジの香水の香りだったと合致して胸のつかえが取れる。
(だからいい香りだったのね)
納得と、満足していれば、隣に座っていたウールドリッジが大きな欠伸をした。そんな彼の姿が珍しくて顔を覗き込む。
「先生、疲れてます?」
「何故そう思う?」
「あくびもそうですけど、なんだかいつもより――」
言語化できない違和感に、私は悩む。
「ふう。そのとおりだ。俺は疲れている」
「やっぱり」
「どっかの聖女とその付き添いが問題を起こすからな」
「それは、すいません」
言葉を濁しているように見せかけて、凄く明確に名指ししている。
ウールドリッジは真帆の担任で、私もここ最近の自分を振り返れば、彼に事後処理の多さを察する。
「すいません」
「フン。全くだ」
ウールドリッジが目頭を押さえた。
「大丈夫ですか?」
「少し静かにしろ」
「頭痛?」
「大したことじゃない」
どうしようと思っていると、急に膝の上に軽い衝撃があたる。
なんだろうと視線を向けると、今まで隣に座っていたはずのウールドリッジが消えて、その姿は私の膝にいた。
「借りるぞ」
「う、ウールドリッジ先生?!」
突然のことに戸惑う私は、彼の「うるさい」と一言で姿勢を正す。
それにしたって急なことだ。
「迷惑料と場所代だ」
「十分後に起こしてくれ」
ウールドリッジはそう言うとスヤスヤと寝息を立て始めた。
あっさりと寝てしまったことにびっくりしながら諦める。
(膝枕なんて子どもたちにもしたことないのに……)
細い金の髪が日に当たってキラキラとしている。薄い紫の瞳は閉じられ、縁を形作る長いまつげは艶があり、寝顔は少し幼い。
(安心して寝てるわね)
いばら姫のように眠る美しいウールドリッジを羨ましく思いながら、まるで幼い子供のような行動に口角が緩く上がってしまう。
少し乱れた前髪を整えようとして、指先を止めた。
「……先生、おやすみなさい」
多忙な彼のひと時の休息。その場所に選ばれた私は、なんとなく誇らしい気分になった。




