恋愛免疫がない私にそれはダメ
週始めの昼休みに、私は日参している図書館の扉を開けた。
大きなステンドグラスに螺旋階段と多くの書棚に迎えられた私は辺りを見渡す。
メインフロアの隅にある机。魔力で灯るランプの前に長い脚を組んで座っている男性に静かに駆け寄る。
「ウールドリッジ先生、お待たせしました」
こっそり囁くと、彼はフッと閉じていた瞼を上げて私を見る。
「あぁ、来たか」
「すみません」
「いや、謝罪はいらん」
相変わらず愛想の一つもない彼に、私はいつもとは違う苦笑を浮かべる。
今日は魔道具について聞く日だ。
この世界は魔法が使えない者も多く、けれど魔道具が普及しているおかげで人の生活はとても便利で。私もその恩恵を受けているひとりだ。
「本当に便利ですよね。とても有難いです」
「おまえは特に感じてるだろうな」
「言い方悪いですよ。まあ、否定はできませんけど」
毎朝の掃除に洗濯。それに学校の雑用。とてもじゃないがひとりでは無理なスケジュールをこなせるのは魔道具のおかげだ。
「魔道具がなければ、この時間もありませんでしたから」
「この俺の授業をタダで受けられる機会なんてそうないからな」
「だから言い方」
(本当にこの人は……)
いつの間にか慣れてしまった小憎たらしい言葉は苦笑の対象だ。
気を取り直して開かれている本と彼の声に集中しようとした。けれど――。
(……聞いてもいいのかしら?)
一昨日マーガレットに聞いたこと。
(本当に医務室に来ていたのかしら?)
それも毎日。
マーガレットの言葉が間違っているかもしれないし、真実なのかもしれない。
確証がないものにお礼を言うというのも変な話だ。だから躊躇う。
(どうしようかしら……?)
「ぉい」
(でも本当だったら……)
「おい、聞いているのか」
「ひえ」
「上の空とはいいご身分だ」
「ご、ごめんなさい」
ウールドリッジはニヒルな笑みを浮かべている。それは生徒たちを罰する時の表情だ。
「ちょっと、考え事を……」
「ほう? なんだ?」
「え、聞くんですか?」
「当たり前だろう」
隠したいことも悩みもあるのに、その全てを曝け出せというのはあまりにも酷なことではないか?
「でも」と躊躇っていると、彼は肩肘をついて私をジッと見た。
「言っただろ。言わんと思考も出来ん」
「あ……」
(そういえば、倒れた時に言われたっけ)
あの言葉はその場限りではないのかと悟って、私は胸がいっぱいになった。この人は、本当に気にかけてくれているのだ。
「その、医務室に来てもらっていたと聞いて」
ウールドリッジを見つめる勇気はなくて、膝においた手をギュッと握る。
(違ったらどうしよう)
「誰に聞いた」
「マーガレットちゃんです。うちの寮生の」
「マーガレット・ブレアか。……アイツの目と耳はどこにでもあるな」
呆れているウールドリッジが珍しくて、俯いていた顔を上げる。彼の様子から見るに、マーガレットは少々苦手そうだった。
「それで、本当ですか?」
「あぁ」
「理由を聞いても?」
「理由? そんなの決まっているだろう」
ゴクリ。
「介抱した身として事後処理もあるからな。……おまえの寮生たちがうるさくて敵わん」
「毎日おまえのことを聞いてくる」とうんざりした表情をして、事後処理がなんなのか察してしまった私は「ご迷惑おかけしました」と頭を下げた。
(そんなに心配してくれていたなんて……)
なんだか今日はキッチンが忙しいことになりそうだ。
「聞きたいことはそれだけか? 続けるぞ」
「は、はい」
中断していた授業を再開して、私は真剣に聞く。いつものように彼の心地いい声で紡がれるあらゆる知識たち。その代わりに私の知り得る全てを差し出す。そのネタもそろそろ切れそうだった。
そして、昼休み終了の鐘が鳴る。
「ここまでだな。この世界のことも大体分かっただろう?」
「はい、おかげさまで。先生はどうですか?」
「実に有意義な時間だった」
「それは良かったです」
知識は全て彼へ。そして逆も然り。
(この時間も終わりかしら……)
なにも持っていない私に、もう聞くこともない。それは、毎日の習慣がひとつ無くなるということだ。
(この時間が気に入っていたんだけど)
真帆の自立に続いてウールドリッジとの授業も終わり。なんだか寂しいこと続きだ。
「先生、ありがとうございました。明日からはゆっくり出来ますね」
「そうだな」
「ご迷惑おかけしました」
「等価交換だろう? 礼を言うのは俺も同じだ」
(でも、ありがとうは言わないのよね。この人)
もしかしたら明日も図書館に来てしまうかもしれない。習慣からはそう抜けられない。
「なんだか寂しいですね」
「なぜだ?」
「え、だって先生は淋しくないかもしれませんけど、私は結構気に入っていたので」
「別にここでなくともいいだろう」
(ん?)
「なにもここだけが話す場ではない」
「た、たしかに……?」
まあ学内で合ったら立ち話もするし、そう考えたら場所は関係ない気がしてきた。
納得しているのか自分でも分からないこんがらがる頭を、ウールドリッジは本の角でコツンとぶつけた。
「――秘密基地、だったか?」
「え?」
それは、植物園の彼の城に招かれた時に私が言った言葉だ。
「好きな時に来ればいい」
「ではな」と精霊に本を渡して去っていってしまった後ろ姿に、声をかけることも追いかけることも出来ず、私は収集がつかなくなった毛糸のような頭を抱えた。
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