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30/52

そして魔法は消える

 締め忘れたカーテンから差し込む光で目が覚めた。


(あれ? 私……。そっか昨日帰ってきてからそのまま寝ちゃったんだ)


 ちゃんとした体勢で眠らなかったからか、体が痛い。それに朝の気温が少し寒かった。


「いま、何時……?」


 ベッド脇のチェストを見れば、置いてある目覚まし時計は五時半を差している。


「いけない、寝坊しちゃった」


 倦怠感を振り払い、私はいつもの服装に戻った。

 クローゼットに掛けたドレスは夜より鮮やかな赤色で、少しだけ見惚れた。


(大変だったけど、悪い記憶だけじゃない)


 魔法の門。初めての他校。ビジネススマイルのウールドリッジ。それに、私を気にかけてくれた水の魔法使い。


(プレゼントだけど、着る機会はもうないわね)


 袖を通さないドレスは、もはや絵画扱いだ。それにしては豪華だけれど。


(……先生の魔法回路)


 そっと裾に手を伸ばす。もうあの美しいビーズのような輝きは失われている。


(魔法って、やっぱり解けちゃうのね)


 私は残念に思いながら、昨夜の自分をハンガーにかけられたドレスと共に置いて部屋を出た。

 今朝の私は昨夜とは違う。もう女子寮の寮母さんだ。


「さて、まだ少し体が重いけど頑張らなきゃ」



 キッチンに入って手早く食事の支度をする。


(今日はなににしようかな?)


 最近は洋食ばかりだったし、和食に似た朝ごはんも良いかもしれないと思いながら、鍋に火をかけた。

 ぐつぐつと煮え始めたほうれん草は胡麻和えにして、出汁巻きたまごを焼く。


(真帆ちゃんは甘いたまご焼きが好きだから、砂糖を少しっと)


 慣れた料理の匂いが香った時、ぱたぱたと軽快な足音が聞こえる。


(真帆ちゃんね)


 私は火を止めて、パントリーに閉まっていたブラシを取り出した。毎朝の習慣になっている彼女の髪を梳かすために。


「吉乃さんおはよう」

「おはよう真帆ちゃん、いまごはんを――」

「あの」

「ん?」


 真帆は視線をきょろきょろと彷徨わせながら唇をキュッと締める。


「今朝は、食堂で食べてみようかなって」

「あら、良いわね」

「ごめんなさい、朝ごはん作ってくれたのに……」


 申し訳なさそうにする真帆に、私は微笑む。


「いいの。少ししか作っていないもの」


 あれから、真帆なりにこの世界と付き合っていくと決めたのか、彼女は少しだけ勇気を出すようになったと。


「それじゃ、髪を梳かそうか?」


 私はブラシを手にした。しかし、真帆は首を振った。


「ううん。今朝はもう自分で梳かしたの」


 その一言に、私は目をぱちくりとした。だって、この世界に来てから毎朝の習慣みたいになっていたから。

 思い返せば、あれは真帆の精神的な安定感を得る行動だったのだろう。それが、今なら分かる。


(分かるけど)

「……そっか。じゃあ、いってらっしゃい」

「うん、行ってきます!」


 どこか動きがぎこちない真帆は、それでも私が安心できるように努めて明るい笑顔で寮の扉を開けた。

 朝日が真帆の姿を照らし、頼りなかった背中が伸びている。


「行っちゃった……」


 大きく手を振った真帆の姿が見えなくなるまで見送った私は、力の入らない足で立ち尽くす。


「成長したのね」


 そのめでたい一言が、どこか私の胸に違和感を抱かせる。


(良いことだわ)


 必要なくなったブラシをエプロンのポケットに入れて、踵を返してキッチンへ戻ると、そこには二人分の食器が空っぽのまま並べられていた。


「片付けなきゃね」


 一人きりの朝食。初めてではないはずなのに、どこか寂しいのは、冷えたスープのせいかもしれない。




 冷えたスープを胃に収めた私は学園へ歩を進める。

 回廊は相変わらず生徒の笑い声が溢れてて、日常になってしまったその光景に目元を緩める。


(この子達もいつかは大人になって、この学園を去っていくのね)


 保育士として働いていた頃を思い出す。

 まだふわふわだった存在が、頼りない足取りになり、友達と喧嘩したり、思いやりを覚えていく。

 そして、巣立っていく。その先の道を知ることは出来ない。


(当たり前だけど、寂しいわね)


 苦笑して回廊を歩いてく。

 今朝は学園長に呼ばれている。もしかしたら最近張り切っている真帆がなにか失敗したのかもしれない。呼び出される内容は大体彼女のことで、私はいつもアドバイスと小言を聞かされるのだ。


「タキザワさま」

「あ、ガレス殿下」


 後ろから声をかけられて振り返れば、朝露に輝く花ように微笑むガレスが立っていた。


「あの、その様ってやめてください」

「しかし」

「真帆ちゃんが名前なのに、私が様呼びなんて怒られちゃいます」


 私は聖女の付き添いなのだ。そんなオマケの存在に恭しくされても居心地が悪いだけだ。


「では、ヨシノさん。僕のこともガレスとお呼びください」

「呼び捨ては流石に不敬なので、えっと……ガレスくん?」

「はい、なんだか照れますね。ウールドリッジ先生はエルヴィンと呼ぶので」

「確かに。ウールドリッジ先生はみんなにそうですね」

「はい。僕には得難い存在です」


 依怙贔屓しないウールドリッジは、王族のガレスにも同じだという。彼らしく、ガレスをエルヴィンと呼ぶ姿が容易に想像できた。


「ふふ。あ、それで私になにか用ですか?」

「あぁ、口調も気楽にお願いします。この学園では生徒なので」

「いいんですか?」

「勿論です」

「じゃあ、ガレスくんは私になにか用?」

「えぇ。最近マホがよく魔法のことを聞いてくれるようになったんです」

「真帆ちゃん頑張ってるんですね」

「はい。こちらが驚くほどの吸収力です」


 「この間は図書館で勉強しました」とガレスは安心したように微笑んだ。

 そういえば、最近の真帆は談話室にもよく現れるようになった。寮生と交流しようと頑張っている姿を思い出す。


(よかった。真帆ちゃんの努力が実を結び始めているのね)


 出会った時のように、元々の活発さを取り戻しつつある彼女は以前よりずっと魔法に意欲的だ。


(最近は私と過ごす時間も減ってきた)


 それでも毎日寝る前のおしゃべりは続いているけど、時間は短くなったように思える。


(素晴らしいことだわ)

「マホは聖女についても調べるようになって、少しずつですが聖女としての覚悟というのでしょうか……以前より嫌悪感がなくなりました」

「あれだけ嫌がっていたのに。成長ね」

「はい。召喚した身としては感謝しかありません」


 胸に手を当てて、ガレスは胸を撫で下ろしているようだった。

 事情があったとはいえ、若干十七歳で責任を負ったのだ。彼の真摯な願いを、改めて私は感じた。


「あ、呼び止めて申し訳ない。それではヨシノさんまた」

「えぇ。授業頑張って」

「はい」


 血色の良い頬を上げた彼は回廊を歩いていく。その背中は周りの学生と同じで、肩書がなければ普通の男の子だと安心した。


吉乃2


 冷えたスープを胃に収めた私は学園へ歩を進める。

 回廊は相変わらず生徒の笑い声が溢れてて、日常になってしまったその光景に目元を緩める。


(この子達もいつかは大人になって、この学園を去っていくのね)


 保育士として働いていた頃を思い出す。

 まだふわふわだった存在が、頼りない足取りになり、友達と喧嘩したり、思いやりを覚えていく。

 そして、巣立っていく。その先の道を知ることは出来ない。


(当たり前だけど、寂しいわね)


 苦笑して回廊を歩いてく。

 今朝は学園長に呼ばれている。もしかしたら最近張り切っている真帆がなにか失敗したのかもしれない。呼び出される内容は大体彼女のことで、私はいつもアドバイスと小言を聞かされるのだ。


「タキザワさま」

「あ、ガレス殿下」


 後ろから声をかけられて振り返れば、朝露に輝く花ように微笑むガレスが立っていた。


「あの、その様ってやめてください」

「しかし」

「真帆ちゃんが名前なのに、私が様呼びなんて怒られちゃいます」


 私は聖女の付き添いなのだ。そんなオマケの存在に恭しくされても居心地が悪いだけだ。


「では、ヨシノさん。僕のこともガレスとお呼びください」

「呼び捨ては流石に不敬なので、えっと……ガレスくん?」

「はい、なんだか照れますね。ウールドリッジ先生はエルヴィンと呼ぶので」

「確かに。ウールドリッジ先生はみんなにそうですね」

「はい。僕には得難い存在です」


 依怙贔屓しないウールドリッジは、王族のガレスにも同じだという。彼らしく、ガレスをエルヴィンと呼ぶ姿が容易に想像できた。


「ふふ。あ、それで私になにか用ですか?」

「あぁ、口調も気楽にお願いします。この学園では生徒なので」

「いいんですか?」

「勿論です」

「じゃあ、ガレスくんは私になにか用?」

「えぇ。最近マホがよく魔法のことを聞いてくれるようになったんです」

「真帆ちゃん頑張ってるんですね」

「はい。こちらが驚くほどの吸収力です」


 「この間は図書館で勉強しました」とガレスは安心したように微笑んだ。

 そういえば、最近の真帆は談話室にもよく現れるようになった。寮生と交流しようと頑張っている姿を思い出す。


(よかった。真帆ちゃんの努力が実を結び始めているのね)


 出会った時のように、元々の活発さを取り戻しつつある彼女は以前よりずっと魔法に意欲的だ。


(最近は私と過ごす時間も減ってきた)


 それでも毎日寝る前のおしゃべりは続いているけど、時間は短くなったように思える。


(素晴らしいことだわ)

「マホは聖女についても調べるようになって、少しずつですが聖女としての覚悟というのでしょうか……以前より嫌悪感がなくなりました」

「あれだけ嫌がっていたのに。成長ね」

「はい。召喚した身としては感謝しかありません」


 胸に手を当てて、ガレスは胸を撫で下ろしているようだった。

 事情があったとはいえ、若干十七歳で責任を負ったのだ。彼の真摯な願いを、改めて私は感じた。


「あ、呼び止めて申し訳ない。それではヨシノさんまた」

「えぇ。授業頑張って」

「はい」


 血色の良い頬を上げた彼は回廊を歩いていく。その背中は周りの学生と同じで、肩書がなければ普通の男の子だと安心した。


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