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心臓飛び出そうなんですけど!

 人の脳は面白いもので、先入観が脳を刺激して体を支配するのだ。

 壁にできた得体のしれない光の中へ足を踏み入れる。距離も分からず、どこへ通じているか想像できない。脳が〝この先は判別できない〟と刺激し、体は強張った。


「きゃっ」

「おっと」


 想像もしていなかった衝撃。

 私が足をついた場所が地面だと知るのは、倒れ込みそうになった体をウールドリッジが支えてくれた後だった。


「ここは……?」


 ゆっくりと目を開ける。

 少し薄暗い室内が映り、最初は奇妙な場所だと思ったが、ザワザワと今まで気づかなかった人の声が耳を刺激した。


「ここが今回交流会に選ばれた学校だ」

「が、学校?」


 周りを見渡すと、ブルーグレーの壁紙の面積は少しだけで、一面が窓だと思った物は意匠を凝らした鏡だった。

 上から吊るされた豪華なシャンデリアはホールを明るく灯し、鏡がきらめき、床の大理石すら反射する。まるで舞踏会でも開かれそうなここが学校の一部なんて、とても思えなかった。


(これが学校?)


 驚きに開いた口が塞がらない。セレス学園も大きいが、こんなダンスパーティーが開けるほどのホールはあっただろうか?


「それより、大丈夫か?」

「あ、まだ少し足がふらつきますけど、大丈夫です」

「そうか」

「……あの」

「なんだ?」

「手を離してもらっても大丈夫ですよ……?」


 抱きとめられたそのまま、ウールドリッジの腕は私の肩に回されたままだ。


「まだふらついているんだろう? 落ち着くまでこうしていた方がいい」

「でも」

(恥ずかしいんだけどな)


 少し距離を取ろうと体を離せば、すぐに肩を抱く手に力を入れられ、彼の胸に寄せられる。まるで逃げられない。


(仕方ないか……)


 まだ脳は混乱しているのか、足元が覚束ない。確かにウールドリッジの言う通りにしたほうが良いだろう。

 それに――。


(醜態を晒して先生に迷惑かけるわけにはいかないもの)


 不慣れな場所だけでも緊張するというのに、頼りない足腰ではこの交流会を乗り切れない。


「じゃあ、完全に慣れるまでお願いします」

「合理的と理解するまでに時間がかかったな」

「羞恥心と戦っていたんです」

「こんなことで恥ずかしいのか?」

「は、恥ずかしいですよ!」

「ただ肩を抱いているだけだというのに?」


 キョトンとしている彼に、私は「うぅ」と唸る。どうやら私たちの価値観の差を埋めるのは大変そうだ。


「おや、セレス学園のエドワード・ウールドリッジ先生じゃないか」

「あぁ、お久しぶりです」


 端から声をかけてきた男性の落ちついた声に顔を向ける。口ひげをたくわえた見るからにダンディーな方は、ウールドリッジを見てにこやかな笑みを浮かべた。


「君は来ないと思っていたよ。嫌いだろう? こういう場は」

「とんでもない。教師として得られる物は得るつもりですよ」

「はは、良い土産があるといいな。――それで、そちらの方は?」

「あ、私は――」


 来るとは思っていたが、いざ視線を向けられると何を言ったらいいのか分からない。口角が引くつき上手く笑えているだろうか。


「彼女はセレス学園の大切な同僚です」

「ほう、こんな若い方が。さすが名門校だ」

「は、ははは」

(ウールドリッジ先生ファインプレーよ。そのまま話を逸らして)


 見るに、どうやらここに私と同じ身分はいないらしい。

 皆、綺麗に着飾って難しい話をして、魔法について議論している。魔力がない私はとんだ場違いだ。


「あの、ウールドリッジ先生」

「ん?」

「お飲み物でもお持ちしましょうか?」

(ここから逃げたい! どうか必要と言って!!)


 強い視線で訴える私に、しれっとしているウールドリッジは私を離す気はないようで。

 何故そこまでするのか理解できずにいた。


(どうして逃がしてくれないのよ〜。――ん?)


 心で泣いていると、視線を感じた。そろりと見てみると、何人もの女性がこちらをチラチラと見ている。それも怪訝そうに。


(あぁ、なるほど)


 これが、ウールドリッジが交流会に行きたくない理由だとを悟った。

 同業者に興味はないと言っていたけど、それは彼の心の中であって、向こうは違う。虎視眈々と様子を伺うヘビのように、その視線は纏わりついている。特に今回は隣に知らない女が肩を抱かれているのだ。彼女たちの内心も穏やかなはずがない。


(視線が痛い……)


 痛覚はないのに精神的に来る彼女たちの視線。来たばかりだというのに、私はもう帰りたくなっている。これはウールドリッジも参加したくないというのも頷けた。

 しかし、盾させられるというのは、少し気に食わない。


(なんだか、タダ働きさせられてる気分)


 目の前に広がる色とりどりの食事たち。歓談の隙間にどうぞと言いたげで、私には輝いて見える。


(たべたい……!)


 チラリとウールドリッジを見れば、まだ話は終わらないようで、私は決死の覚悟でその場を去ることにする。


「ウールドリッジ先生、私すこしお手洗いに行きますね?」


 するりと彼の拘束を抜けた私は競歩の勢いで歩き出した。


「な、おい!」

「うふふ、失礼します」


 私の行動に焦りを見せたウールドリッジから逃げるようにホールから出ると、回廊の奥にあるトイレに入って「ふう」と胸をなでおろした。


(はあ、疲れた)


 体感もう二時間は経っているように思えたが、まだ一時間も過ぎていない。


(あぁ〜。戻るの嫌だなあ。立っているのも疲れるし)


 ただ棒立ちのままは、ヒールも相まって足が痺れてしまう。


(どのくらいの時間、ここにいればいいのかしら?)


 パウダールームに手をつきながら、目の前にある鏡を見た。

 そこには、綺麗に化粧を施された顔が、疲れを滲ませている。


(あ……)


 結んでもらったシニョンが解けかけていた。


(このままじゃダメよね? ウールドリッジ先生に直してもらわないと)


 身なりが大切なことは身を持って実感したし、このだらしない髪では彼の隣に立つには不釣り合いだ。


(先生ってモテるのね。……まあ当然か)


 会場の誰よりも目立つ容姿をしているウールドリッジ。金の髪を撫でつけ、黒いスーツを着こなし、赤いクラバットなんて似合う美丈夫はそうそういない。


(赤い……?)


 ふっと、自分のドレスを見た。


(私も赤いわね?)


 疲れに沈んでいた肩がピクリと動き、じわじわと顔に熱が集まってくる。


(これって、お、お揃いなんじゃ……!?)


 そりゃ、周りの女性から痛いほど視線を感じるわけだ。


(これ先生は気付いてるのかしら?! どうしよう……。恥ずかしさに拍車が……)


 しかしウールドリッジがいなければ学園には帰れないわけで。


(は、恥ずかしがってても仕方ないわ。大人だもの、羞恥心くらい隠せる!)


 良く磨かれた鏡に「よし」と頷き、私は戦場へ出向く兵士の気持ちで会場へ戻る扉を開け放った。

読んでくださりありがとうございます。

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