聖女、真帆2
あたしはとぼとぼと歩く。
さっき見た吉乃さんとウールドリッジ先生の顔が頭にこびりついて離れない。
(吉乃さん、楽しそうだった)
彼女は依怙贔屓をする人じゃない。だから、余計にショックだった。
吉乃はこの世界に適応している。それが置き去りにされているようで、あたしは唇をギュッと締める。
「あたしだけなんだ」
こ胸にのしかかる鉛のような感情は、バランスを取ろうと足元がフラフラする。
「聖女さま?」
柔らかく涼やかな声がかけられた。
この世界で、一番最初に聞いた声だ。
「……皇太子さま」
重い頭を傾けた視線の先には、声とは反対に燃える紅葉の髪が揺れる。
「どうされたんですか? 顔色があまりよくありませんが……」
ガレス・ソーマ・エルヴィン。
この国の皇太子。
あたしを呼んだ張本人。
(何が聖女さまよ)
心配そうにあたしを伺う彼の緑の瞳に、目が鋭くなる。
(どうされた? なに言ってるの? 心配するなら、早く元の世界に戻る方法を考えてよ)
あたしは負の感情を隠さない。いや、隠せない。
「別になんでもありません」
「そうは言っても」
ガレスの後ろには、二人の男の子が控えている。一人は剣を腰に携え、もう一人は皇太子と同じように、あたしの顔色を窺っていた。
(自分は友だちがいるくせに)
拳を握る力が強くなる。
自分は環境が変わらないくせに、あたしには孤独を与える。
ガレスはこの世界に親がいる。でも、あたしにはいない。
彼には親しく信頼する友だちがいる。今のあたしには心を開いてくれる友だちはいない。
(あたしには、吉乃さんだけなのに)
滲みそうになる涙を堪え、見られないように眉根を寄せる。
「あの、聖女さま」
「……やめてよ」
ポツリと呟くけど、その声は消えそうにか細かった。
(あたしの名前は聖女じゃない)
お父さんとお母さんが悩んで迷って笑顔で贈ってくれた白石真帆という名前がある。
「どうかされましたか? もしなにか足りないものがあったら――」
「ありません。失礼します」
これ以上ここにいたら王子に、胸の苦しさ全てをぶつけてしまう。さすがに、この国の皇太子に感情的にはなれない。それくらいの理性は残っている。
「あ、」
ガレスがなにか言いたげだったけれど、あたしは無視して彼の横をすり抜ける。
曲がり角をまがって、ようやく彼らの気配が消えた。
(頭が痛い。足が重い)
中庭を囲む回廊。天気が良い強い日差しは、中庭の中心にある噴水をキラキラと反射させる。
反対に、日陰になっている回廊は薄暗くて、あたしに光は届かない。
午後の休息を楽しむ笑い声が広い中庭に響いて、多くの笑顔が花のように咲くけれど、その花はあたしを見たら萎むように口角下げた。
(あたし、どうしてここにいるんだろう?)
ぼやけた頭が、イヤのことばかり浮かばせる。
(吉乃さんは、あっち側)
あたし一人が日陰にいる。
別に、同じ場所にいてほしかったわけじゃない。ただ、あたしを一人にしないで欲しかっただけ。手を繋いでいてほしかっただけ。
吉乃という唯一の居場所が歪み始めている。
目が虚ろになり始め、視界が細くなっていって目を瞑った。
(疲れた……)
壁に手を付いて凭れ掛かろうとした時、声をかけられる。
「シライシくん」
目を開けると、太った体に少ない髪を七三分けにした男性教師が、スーツの肩についた埃を払っている。
(この先生は)
「こんなところでどうしたんだい?」
優しく気遣う先生に、あたしの沼に沈みかけていた脳が少しだけ引き上げられる。視界が開いて先生の顔がハッキリと視界に捉えた。
「あ、少し疲れちゃって」
「勉強のしすぎかな?」
(教師ってそういうのも分かるのかな?)
毎晩十二時を回るまでテキストを見ているあたしの努力に気付いてくれたのかもしれない。それだけで、心が締め付けられるほど嬉しい。
「えっと、そんな感じです」
でも、それを認めるのが少し恥ずかしくて、あたしは「えへへ」と誤魔化す。
(見てくれていた人がいるんだ)
日差しのある中庭に歩き出す教師を追って、あたしも光の世界で足を照らす。
「今日のテストだが」
午前中に受けたテストは、この世界に来て一番出来たと思った。
毎日の努力が出せた喜びを、吉乃に報告するつもりだった。結局、ウールドリッジと話してたから引き返してしまったけれど。
(認めて貰えるかも!)
頬に熱が帯び、久しぶりに高揚する胸を必死で宥めて、あたしは先生に早口でまくし立てた。
「あの、今回のテストはちょっと自信が――」
「――ダメだね」
「え?」
笑顔のまま時が止まった。
「本当に授業を聞いているのかね? ひどい出来だった」
(なに? なにを言わてるの?)
動き始めた脳がジワジワと現状を理解していく。
(どうして……?)
こんなに頑張っているのに、どうして分かってもらえないんだろう。
脳内が、今まで感じたことない痺れを発した。それはこめかみを通って目元までやってくる。
「いくら異世界から来たからって、授業は基礎中の基礎だよ? シライシくんどうして分からないんだい?」
(なんで? どうして?)
先生の声は中庭に響くほど大きく、周りにも聞こえているはずなのに、助けてくれる人は誰もいない。
それが孤独で、苦しくて――。
教師の一言一言が、凶器みたいに刺してくる。
(ここから逃げたい……)
そう思って、すぐ頭に浮かぶアンサー。
――この世界のどこへ逃げられるの?
(ない。あたしには逃げる場所が、ない)
ピシ。
心にヒビが入っていく音がする。
「もっと頑張ってもらわないと」
ピシシ。
(……イヤ)
教師が嫌な笑みを浮かべて、わざとらしく丁寧に言葉を紡いだ。
「みんな期待しているですよ?」
「――聖女さま」
バキン。
(もうイヤ)
「もう、全部イヤ!!!!!!!」
手で顔を覆い、今までの感情を全て吐き出して叫ぶ。 すると、足元から大きく強い光が円を描いて発光した。
「な、なんだ?!」
ゴゴゴゴ……と地鳴りが起き、足元がグラグラと揺れる。バキバキと音を無らしながら割れた地面の欠片が、たくさん宙に浮いて、ドドド、と地面が揺れるほどに噴水の水も溢れた。
「なんで、なんであたしがこんな思いしなきゃいけないの……!?」
「来たくて来たわけじゃないのに……っ!!」
我慢できなかった。もう、我慢することが限界だった。
あたしは、溢れる涙を止められず、理解されない苦しみと、孤独と理不尽にガンガンと痛む頭を手で抑える。
でも、痛みは和らがない。
(お父さん、お母さん!)
二人の顔が浮かんで更に涙が落ちる速度が上がった。
視線を上げれば、周りは混乱と恐怖に騒然としていて、私を見る目は恐怖に染まっていた。
(苦しい、助けて)
痛む頭と張り裂けそうな胸を抱えても、視界はハッキリとしていて、気を失うことも出来ない。
(夢だったらよかったのに)
目の前に手をかかげたら、キュウウと光が凝縮する音が立って手の平に熱が集まった。
「真帆ちゃん!!!」
とめどない涙で歪む視界はなにも見えないけれど、その声が耳に届く。
柔らかくて凛としてて、優しい。聞けば安心する声。
声を聞いただけで耳が温かくなるけど、衝動は止まらなくて。
もう、どうすれば止まるのか、自分でも分からなかった。
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