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聖女、真帆

 あたしは鳥のさえずりに目を覚ました。


(また、夢じゃなかった)


 朝起きると、毎日悲しくなる。

 異世界に来たのが夢であってほしいのに、現実は残酷だ。

 今日の夢は、友達と遊んでいる夢だった。楽しかったあの時も、この世界では叶わない。

 特別な力を持っている自覚があまりなく、聖女と言われてもピンとこない。それでも、目覚めると目に映るのは別の世界で、今日もこの世界で生きている。


(学校、行かなきゃ……)


 クローゼットから取り出した制服の隣には、元の世界の制服が下げていて、それを見ないふりした。

 あたしは、のそのそと制服の袖に腕を通す。この世界の制服を、最初はとても可愛いし気に入ったけど、今ではもう憂鬱の象徴だ。


(今日の朝ごはんなにかな?)


 でも、そんな世界で頑張れる理由は、吉乃さんがいるから。

 あたしの召喚に巻き込んでしまった吉乃さん。優しくておおらかでお姉さんみたい。彼女がいるから、この世界でもあたしは立っていられた。


「よしのさぁーん」


 談話室には、もう誰もいなかった。いなかったというか、いない時間を見計らって食堂に下りている。


「吉乃さん?」


 いつもキッチンにいる吉乃さんが、今朝はいない。

 その代わり、わたしを迎えたのはキッチンの作業台に置いてある食事だった。

 美味しそうなオムレツとサラダが乗った皿の横にメモがある。


「えっと――真帆ちゃんおはよう。今日は用事があるから先に学校へ行ってるねーー。……そういえば、そんなこと言ってたかも」


 昨夜の会話を思い出すけど、モヤがかかって思い出せない。


「まあ、いいか」


 足の長いカウンターチェアに腰掛けて手を合わせる。


「いただきます」


 誰もいない寮は、シーンとしている。

 黙々と食べ終わり、食器を洗えば食事の時間は終わり。

 その次は、パントリーに置いてあったあたしの魔法のブラシを手に髪を梳かした。


「吉乃さんに梳かしてもらいたかったな」


 本当は髪くらい梳かせるけど、あえてあたしは吉乃さんに整えてもらっていた。あの優しい手に、頭を撫でてもらえると温かい気持ちになるから。


「さ、学校だ!」


 あたしは胸のリボンを整える。

 頬を叩き、力をなくしていた瞳を開いた。


「よし!」


 見送りのない登校は淋しいけれど、あたしは学校へ歩きだす。


(えっと、今日は魔法史と応用魔法。あとは飛行魔法か……飛行魔法苦手なんだよなあ)


 誰でも憧れる飛行魔法。しかし、現実は甘くなかった。

 そもそも、一本の箒に跨ってバランスを取るなんて、とんでもないことなのだ。

 あたしはどうやら魔力は多いらしく、箒は浮くけどバランスがとれないし、更にスピードも調整しなければいけない。


(憧れがあったけど、今は難しすぎて苦手なんだよね)


 だけど、空を飛んでいる生徒たちは楽しそうで。


(あたしも飛べれば、そうなれば――)


 今日も密かな希望を胸にする。


(頑張ろう……!)


 くよくよしても始まらない。それなら、希望を胸に目の前の目標を達成するために頑張るほうがいい。

 毎日そう思いながら、あたしは学ぶのだ。だって、そうしないとこの世界では行きていけないから。



 魔法がない世界から来たあたしには、魔法全部等しく凄いと思うのだけど、周りはそうではないらしい。

 ――光魔法。

 あたしが使える魔法は、瘴気を祓って生命の息吹を促す。聞こえは良いけど、目に見えないものを信じることって難しい。


(専門科があるわけでもないし、授業はみんな同じなんだよね)


 一年生は魔法の基礎の基礎から始めているみたいだけど、全くの素人であるあたしからすれば、授業はちんぷんかんぷん。それを補うように自習も頑張っているけれど、限界はある。周りは生徒同士で教え合ったりするけど、あたしの周りに人はいない。


(……べつに、平気だし)


 お昼の鐘が鳴って、あたしはそそくさと教室を出た。


(今日は、吉乃さんのお弁当もないし、ラウンジ行かないと)


 人の流れから少し離れてラウンジへ向かう。

 白いアーチ状の回廊を歩けば、午後の日差しが窓を突き抜けてあたしの瞳をチカチカさせる。


(いい天気)


 窓の外には、色とりどりの花が風に揺れて眠気を誘ってくるようだけれど、ラウンジに近づくほどにガヤガヤと賑やかになってきて、生徒で賑わうラウンジは今日も盛況している。


(ローストビーフあるんだ!)


 ラウンジの入口に、魔法で書かれた看板。

 少し心が浮かんで、今日はそれを食べようと意気込んでラウンジへ入ると――。


 ――ざわ。


 あたしがラウンジに入った途端、生徒の賑わいがひそまった。あれだけ和やかだった世界が、水を売ったように静かになる理由を、もう知っている。


(あぁ、またか……)


 みんなの視線が、一斉にあたしに集まる。でも声をかけてくる人間なんて誰一人としていなかった。

 腫れ物に触れるような、いや触れもしない環境。


(始めは慣れようと頑張ったけど……)


 元の世界で友達を作るように接しても、ぎこちない笑顔に敬語が返ってくるだけで。そのうち頑張ることを諦めて、ひとりであることに慣れようとしている。

 だって、言葉一つさえ受け取ってもらえないのだ。


(これが聖女の当たり前なの?)


 初代聖女ソフィアは厚い信仰を集めたと言われている。多くの人に好かれたと――


(じゃあ、あたしは?)


 無視をされるわけでもないし、意地悪されるわけでもない。

 イジメじゃない、でも普通でもない環境は、ジワジワとあたしの精神を削っていった。


(……ランチボックスにしよ)


 まるで高級なレストランのようなラウンジで食べる憧れはあるけれど、この広い空間の一角を幅取って食べれるほど、もうあたしは強くなれない。

 カウンターでローストビーフのバケットサンドを貰う。中にはサンドイッチの他に小さなサラダや果物も入っている。


(すごい、美味しそう)


 キラキラ輝くようなランチボックスに胸がときめく。心が沈んでいても美味しいものを見るとワクワクするのは国民柄なのかも。


(あ……!)


 どこで食べようか考えたら、先程の揺れる花を思い出した。ふわふわとした柔らかな花を見ながらベンチで食べたらきっと美味しさも倍になる。


「あの! もうひとつランチボックスください!」


 きっと、今日一番の晴れた声が出た。狭まっていた視界が開き、ラウンジの明るさが広がる。


(今日、吉乃さんもお弁当ないはず!)


 いつもはひとりで食べるけれど、今日は彼女を誘ってみようと、もうひとつランチボックスを受け取ってワクワクする。


(きっと忙しいから、吉乃さんに持ってい行ったら喜んでくれるよね!)


 二つのランチボックスを抱えて、あたしは軽い足どりでラウンジを出る。

 午後の中庭は絵画のように綺麗で、彼女もきっと気に入る。キッチンの作業台にいつも飾ってある小さな花のブーケを思い出して、一緒に見た時の彼女の反応に「ふふふ」と小さく笑みが出た。


(たしか、今日は用務員室にいるはず)


 一応、彼女のスケジュールは確認している。なにか困ったことがないように、毎朝メモを残してくれているのだ。


(吉乃さんのご飯も美味しいけど、たまには学園のご飯もいいよね)


 滝沢吉乃。

 あたしと一緒にこの世界に来たお姉さん。というか、巻き込んでしまったというのが正しい。

 怒っても仕方ないのに、初対面のあたしを抱きしめてくれた。その動作が、体温が、優しい声が、あたしがこの世界で頑張れる一番の理由。


(吉乃さんがいてくれれば)


 あの人の存在があるから、折れないで泣かないでいられる。

 まだ、あたしが、あたしでいられる。

 唯一の、あたしの味方。

 誰よりも、何よりも、あたしはあの人が好き。


 早足で回廊を進んでいると、曲がり角にふわりと揺れるブラウンの髪がチラリと見えた。


(あ!)


 吉乃だと直感したあたしは、駆け出すのを我慢する。口元が波打ってしまうのは仕方ない。だって一緒にランチを食べられるなんて嬉しくてしかたない。


 彼女が笑ってくれて、頭を撫でてくれれば、不安はなくなる。

 あたしがそうなのだから、彼女も同じだろう。

 二人なら支え合って、二人なら共感し合って、共に元の世界へ帰えれる。

 この世界の孤独も、二人なら頑張れると。

 そう、思っていたのに――。


(え? あそこにいるのって)


 吉乃と向き合っているのは、防衛魔法と応用魔法を専門としているエドワード・ウールドリッジだった。

 二人はなにやら談笑していて、吉乃の「あははは」という声が、あたしの耳に届く。

 いつも仏頂面のウールドリッジも、吉乃の前では表情が豊かで、回廊に差し込む日差しに照らされた二人の周りを埃がキラキラして、到底間に入っていける雰囲気ではなかった。


 吉乃がいれば、孤独な夜も、シャワーで零す涙も、喪失感も我慢できた。

 あたしには、彼女だけなのに。


(――吉乃さんには、いるんだ)


 あたし以外が。


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