帰ってきた日常
エリカを見送って一週間経った頃、私はこの世界での日常を取り戻しつつあった。
あの目まぐるしかった日々は落ち着き、幼い泣き声と笑い声に満ちていた頃が懐かしく感じるほどだ。
静かなキッチンの中、私は朝の支度を始めている。
(今日はポーチドエッグにマフィンにしましょ)
この寮には数十人の寮生が共に暮らしている。変に気を使わずに過ごせるのは、暮らしている学生が平民が殆どだからだ。
貴族の生徒はタウンハウスを持っており、そこから通っているので寮は必要ない。
真帆も王宮から通う話もあったが、それを断固拒否したのは彼女だった。なんでも王宮は息苦しくて仕方ないし、なにより広すぎて生活するのが面倒くさいとか。
(それは分かる。食堂まで徒歩二十分なんて狂気の沙汰だわ)
そもそも、寮がなければ私が真帆と一緒にいられる時間は少ない。だから、寮生と寮母として学園内で過ごしている。
「この寮も真帆ちゃんと私が住むことになったから魔道具は一式最新のものに取り替え。やりすぎなくらいの待遇だわ」
元の世界で住んでいた部屋よりずっと快適なのは、少し問題だが。なにせ、戻った時に不便を感じるかもしれない。
ちなみに防犯面も抜かりなし。建物全体に強力な防御魔法がかけられている。
(だからウールドリッジ先生のところでも安心して生活出来たんだけど)
私がそう考えていると、談話室の扉が開く音がした。
「真帆ちゃんおはよう」
「あ、吉乃さんおはよう……」
私に気付いた真帆は薄い笑みを浮かべて、こちらへやってきた。
「わ、おしゃれ!」
「おしゃれって」
クスクスと笑いながら、皿に盛っていると、真帆がカトラリーを並べる。
キッチンに置いてある大きな調理台は、数人が使うために用意されていた物のようで、私と真帆はいつもそこで朝食を取っていた。
食堂もあるけれど、いつも寝坊してくる真帆とは広すぎる。
この学園は食事も無料で、多くの学生は学園が用意した食堂で食べることの方が多い。
(お弁当も必要ないし、食事も事前に名前を書いた人数だけ用意すればいい。ありがたいことだわ)
真帆は毎食私と食べてくれる。たまには食堂を使えばいいのに気を使ってくれているのかもしれない。だって彼女は優しいから。
「さ、食べようか」
「うん!」
二人で食べる朝食は、もう当たり前になっていた。
真帆は、美味しいと言ってくれるし、空になった皿を見るのは安心する。
「ごちそうさまでした」
「あれ? 真帆ちゃんどうしたの?」
いつもならペロリと食べてしまう皿の上に料理が残っていた。
「いつもなら食べちゃうのに……」
「……今日は、ちょっとお腹空いてなかったんだ! でも吉乃さんのご飯すっごく美味しかったよ!」
「そうなの? ダイエットとかじゃないのね?」
この年頃の子は体重を気にする。私もそうだったから気持ちはわかるけど、真帆を見れば必要ない。
私の言葉に、真帆は「違うよ」と首を振った。
「本当に食欲がちょっとなかっただけ! ……あ、もう登校時間だ」
真帆の言葉に時計を見れば、確かに彼女の登校時間がやってきてた。
食器をシンクに置いた彼女は、カバンを手にしてキッチンを出ようとするが、私が呼び止める。
「真帆ちゃん、髪の毛がクセがついてる」
「ホント? 吉乃さん直して〜〜!」
「はいはい」
肩より少し短い真帆の髪。子猫のような手触りのそれは、寝癖がつきやすい。
「はい、出来た」
「わーい! ありがと吉乃さん!」
「あらあら」
私にギュッと抱きつく真帆は「へへ」と笑いながら肩に頬ずりをしてきた。まるで小さな子供みたいで、私は彼女の肩を擦る。これはもう保育士のクセみたいなものだ。
「行ってきます!」
「気をつけてね」
「はーい!」
今日も元気に登校して行った真帆を見送って深呼吸。私の仕事はここからが本番なのだから。




