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さよならリトルレディ

 あの夜から更に数日が経過し、ウールドリッジも子育てに慣れてきたようで、エリカにミルクをあげるのも当たり前になっている。


「あまり急いで飲むなよ。おまえは女性なんだから。……いい子だな可愛いリトルレディ」


 こんな甘い言葉まで口にするようになった。

 生徒たちには、エリカの存在が知られ、珍しさからか良く呼び止められる。ウールドリッジの子だと言われるのは分かるが、私との子だと噂されるのは頂けない。


(どこが夫婦なのかしら)


 まったく、思春期の少年少女たちの想像力には驚く。少し考えれば分かることなのに。まあ殆どが面白半分で噂しているのだろうけど。


 そして、とうとうエリカと別れる時が来た。


「すいませんでした」


 美しいブラウンの髪の女性は深々と頭を下げて、その髪は地面につきそうだった。


「エドワード、ごめんなさい」

「…………」


 校門でうろうろしていたところを、生徒が話しかけたらしい。

 彼女は事務員に理由を話して、学園長室まで案内されて今ここにいる。

 腕を組み、彼女を見下ろすウールドリッジの表情は苛立ちに歪んでいた。それもそうだ。なにせ、エリカは彼の子供ではなかったのだから。


「本当にごめんなさい。……私、限界で……もうどうしたら良いのか、わからなくてっ……!」

「本当に、俺の子ではないんだな?」

「違うわ、この子は他の人との子供なの……でも、子供が出来たと言ったら、彼は……」


 彼女の涙声に、私はその先の言葉が分かってしまった。

 シングルマザーは、国の助成金があっても金銭的に苦しくなるパターンが多い。それ以上に、子供と二人でいることに限界を感じてしまう母親も多いことを知っている。

 私は、保育園で辛い気持ちを言葉にできない親を何人も見てきた。でも、その対応をするのはベテランの先輩たちで。私はなにも力になることは出来なかった。それは、今も同じだ。


「エリカちゃん」

「え?」

「出会った時、ちゃんと爪が切られてました。肌の乾燥もなく、顔色も良かった。いろんなことに興味を持っていました。夜泣きもしましたが……」

「それって、全部お母さんがエリカちゃんを大切にしていたからですよね」


 多くの子供を見てきた保育士の私だから気付けたことだと思う。

 エリカのことを想い、出来る限りのことをしてきた。体重も平均で、エリカの状態は良かった。


(なにより……)

「ウールドリッジ先生だから、頼ったんですよね?」


 まだ出会って時間は短いけれど、少なからず彼の誠実さを私は知っている。孤児院ではなく、ウールドリッジを頼ったのは、彼女の心がまだエリカを想っていたからだ。


「頼ってくれてありがとうございます。おかげでエリカちゃんは健康ですよ」

「う、うぅ」


 彼女の中で、エリカを想う気持ちは嘘ではない。孤児院を頼れば迎えに行くことは困難になる。

 だから、ウールドリッジを頼ったのかもれない。いつでも迎えにこれるように。


「お母さん。エリカちゃんずっと待ってましたよ」


 私は腕の中にいたエリカを、彼女に渡した。


「ぷあ、ぷああ」


 言葉にできない代わりに声を上げている。口の中に出来た泡はエリカが彼女を求めている証拠だ。


「エリカ……ごめんね」


 大粒の涙を流す女性は、言葉にできない怖さと向き合う覚悟を持ったのだ。


「まったく……」

「エドワード……」


 ウールドリッジは大きく溜息を吐いて、腕を組み直す。


「迷惑だから、次は事前に伝えろ」

「……え?」

「子供を見殺しにすることはできん。ただし、一日だけだ」

(まったく素直じゃないんだから。こういうところが頼られちゃうんだわ)

「いいえ、もう貴方たちに迷惑はかけないわ」

「じゃあどうするつもりだ?」


 ぴくりと肩が動いたウールドリッジは、今後のエリカのことを不安に思っているようだった。

 彼女は次同じようなことになったら、きっとウールドリッジには頼らない。そしたら誰がエリカを引き受けてくれるのか。


「実家に帰るの。ここから遠いけど、でもエリカが暮らすには十分な場所だから」

「……そうか」

「えぇ」


 ウールドリッジが選んだ相手なら、よく着飾った女性だったと思う。見目麗しい彼女だったが、髪は手入れされていなく、表情も憔悴しきっていた。だけど、その瞳は穏やかで、きっとエリカのことを考えて選択した答えに自信があるのだろう。

 過去、持ち直した親たちも同じ目をしていた。それは自分をそっちのけで子供のことだけを考えていた人たちだ。だから、彼女もきっと大丈夫だと直感する。


「本当に、お世話になりました」


 もう離さないと言わんばかりにしっかりエリカを抱く女性を、私は呼び止めた。


「これ、どうぞ」


 差し出したのは一冊のノート。


「これは……?」

「保育日記です」

「保育日記……?」


 これは職業病。

 一日のことを書き綴ったノートは、子供と離れている時間を補完する大切な物だ。


「エリカちゃんの様子を書きました。エリカちゃんの様子から、お母さんにとっても愛されていると思いましたよ」

「……っありがとうございます」


 彼女の涙は枯れない。拭っても拭ってもまた溢れてくる。

 私も彼女の気持ちに引っ張られて泣きそうになったけど、グッと我慢した。保育士が泣いてどうする。最後まで、笑顔で送り出すのが仕事だ。


「道中気をつけて」

「もうその赤ん坊を手放すなよ」

「わかってる。本当にごめんなさい。ありがとう」


 彼女はエリカを連れて、学園を去っていった。



「さて、万事解決ですね」

「肩が凝って仕方ない」

(緊張から解放されたんだもの。仕方ないわね)


 それは私もウールドリッジと同じだった。解放感と少し寂しさ。親の元へ帰ったことは素晴らしいことなのに、感傷的になるのは間違っているだろうけど、今日だけは自分を許そう。


「私もウールドリッジ先生の部屋から引き上げないと」

「やはり、俺は誰かと生活を同じくするのは向いてない」

(それが世話になった人に言うセリフ??)


 良い人と意地悪な人が反復横跳びするような男だと呆れながら、私は少ない自分の荷物を整理するために、彼の部屋へと入った。

 メゾネットの階段を上がり、二つある内の手前の扉を開ける。

 緑を基調とした上品な部屋には日差しが差し込んで、夜とは違う顔を見せていた。壁にかけられた絵画を見る余裕もなく、くり抜いた壁に収められた本も読もうと思っていたのに一冊だって手に取っていない。


(こうやって見るとホテルみたいだけど、ベッドの上だけ生活感があるわね)


 長く使っていたベッドは、整えていたとしてもシワが寄ってしまっている。


(ウールドリッジ先生はそのままで良いって言ってくれたし、甘えちゃお)


 これも魔法でどうにかするのかもしれないと思いながら、クローゼットを開けて、数着の服を手に取ってカバンに入れる。

 毎日おしゃれに気を使う彼と違って、私のバリエーションは控え目だ。いや、嘘をついた。ほぼ同じ。


(まあ、エプロンしちゃえば分からないし)


 着飾る理由もないのだし、と頷きながら、でも少し私服が欲しいかなと思いつつ、私は服をかばんに入れ終える。


「じゃあ、お世話になりました?」

「何故疑問形なんだ?」

「いえ、良く考えたら私がお世話していた方なので」


 事実そうなのだから、仕方ない。

 ウールドリッジも、それもそうかと思ったのか私の荷物をひょいと取り上げ、真帆たちが待つ寮へと歩き出す。


「確かにそうだな。世話になったんだ。このくらいしないとな」


 ウールドリッジはフッと笑うと、私の先を歩く。

 追いかけるように、私も日常へ帰る一歩を踏み出した。

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