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8.撤退

 図らずも敵の重要拠点を制圧してしまったが、この拠点を維持する意味はない。そんなことをしたら、ルシアンとの同盟が本当に破棄されてしまう可能性がある。

 フレスは人員に招集をかけた。


「皆、よくやってくれた。ルシアン卿も我々の強さを知ってくれたことだろう。だが敵を殺すことは我らの本意ではない! 倒した敵が動けないようであれば、手を貸し、集めよ! 治療をせよ! 今回は運よく我らが勝ったが、敵もよく戦った! 次回のさらなる戦いのため、負傷した者を敵味方区別なく治療せよ!」

「おお!」


 ポプリ軍は決して蛮人の集まりではない。腕を磨いた彼らは武人であり、敵を敬う考えもある。

 憎き敵であったロンシャロン軍はすでに壊滅しているが、強大な敵があってこそ、自分たちの力が際立ち、そして役に立つ。フレスはそうした部分をついた。

 戦場に残った者たちは、動けなくなっているルシアン兵たちを救助し始めている。


「フレス!」


 やがてポプリたちもフレスのところに戻ってきた。彼女たちは後ろの方で様子を見ていたが、戦後処理が始まったことでどうしていいかわからなくなったのだろう。


「ポプリ様、戦いは終わりました。すぐにルシアン卿も戻ってこられるでしょう。我々は負傷兵の手当てをして戻ります。何名かの護衛を残していきましょう」

「そ、そうですか。その、ルシアン卿が壊れないと言っていた門が壊れてしまいましたが、これは?」

「はい。見ての通り、壊れてしまいました」


 なぜ国境を守る堅牢な門が破壊されてしまったのかについて、フレスはあまり考えたくなかった。

 ルシアンが「絶対に壊れない」などと言ったせいだ、と責任を擦り付けたい気持ちはある。さりとて実際に壊したのはポプリ軍の兵士たちであり、その指示を出したのはフレス自身だった。

 計算外の事態であり、まさかこうなるとは思っていなかった。ルシアンも驚愕していたようだから、怒られることはないと思いたい。


「我が軍は私が思っていたよりもずっと精強だったようです。日ごろの鍛錬の成果を存分に発揮してくれました」

「それにしても、この門を直すのは時間がかかるのでは」


 破壊された門を振り返りながら、ポプリは不安そうにしている。

 亀裂は割り広げられ、人間が数人横に並んで通れるほどになっていた。当然修理となれば時間がかかるだろう。門扉を一から作り直したほうが早いかもしれない。


「我が軍から何名か、作業人員をお貸ししてもいいかもしれません。費用を出すことはできませんが。ポプリ様、作業の終わった人員を集めて、点呼をとらせていただけますか? 我が軍にも動けないほどの怪我人があるかもしれませんから」

「え、えっ。どうすれば?」

「コロン様」


 簡単な指示を出してくれるようにポプリに頼んでみたが、戸惑っている。フレスは彼女の後ろにいるコロンに目をやった。

 察したコロンは再び指笛を鳴らし、注目を集めた。そのまま手のひらを向けて、ポプリを促す。


「あっ、えっ。さ、作業のある者はそのまま! 手すきの者は整列せよ! 点呼をとり、確認終了次第出発する!」

「おお!」


 ポプリ軍の五百名は、素早く撤収して門前の橋に整列を始める。一糸乱れぬ整列ぶりであった。

 負傷兵を運んだり傷の縫合をしたりしている衛生兵や、それを手伝う者たちを除いて、撤収が完了した。わずかに一分強。

 そうしているうちに、フレスのもとにリッシュが戻ってきた。彼女は楽しそうな笑顔で血の付いた剣を掲げている。


「軍師殿! 怪しい奴らを追い払いました。五名ほどいましたが、ただ、何人かは取り逃がしてしまいました」

「有翼種か?」

「はい!」


 元気な返事である。フレスは安堵の息を吐き出した。少し前までの彼女なら、逃げ出した有翼種を追いかけて殺すか見失うまで戻ってこないところであった。斥候を見つけるところまでは想定内だが、深追いせずにあえて取り逃がし、情報を持ち帰ってもらうことも必要なことだ。リッシュはその前提を崩さなかった。

 ポプリ軍の中では非常に優秀な行動である。たっぷり褒めておいていい。


「よし。よくやってくれた。その敵は取り逃がして構わないので、君が戻ってくることが大事だったのだ。疲れているか?」

「まだまだ動けます!」

「わかった。ではすまないが、ルシアン卿が戻ってくるまで、ここにいてくれ。万が一、怪しい奴らがここにいるルシアン卿の負傷兵たちを襲いに来ては大変だからな。彼女たちの姿が見えたら、君も撤退してくれ」

「はい、お任せください」


 たくさん戦えて上機嫌なリッシュは剣を力強く振って血を飛ばし、そのまま鞘に突っ込む。フレスは手入れとか大丈夫なのかと一瞬不安になったが、あえて何も言わなかった。


「では先に行ってるぞ。ポプリ様、コロン様、まいりましょう」


 整列した兵士たちを連れて、フレスは撤退した。これ以上ここにとどまる意味はない。

 点呼の結果も、幸いなことにポプリ軍に動けないほどの負傷はなく、全員が生きていることを示した。自力で戻れるだろう。


「これでよかったのですか? ルシアン卿と何か話をするべきでは?」


 不安そうな表情でポプリが馬を寄せてきた。


「いえ、特に問題ありません。オルガリアの斥候が全員撤退したとは限りませんし、仲良く話をしているところを見られる可能性もあります。ルシアン卿もそれをわかっているはずですから」

「わかりました……、それで次はどのようにするのですか?」

「はい、手はすでに打っています」


 こともなげに、フレスは答えた。


「そ、それはどのような?」

「ザメル様に、静養に行っていただきました」


 静養と言われて、ポプリは首をかしげている。ザメルが静養することのどこが、次の手になるのだろうかという表情だ。

 フレスは声をおさえて説明を始めた。


「我々が大きく軍を動かしていることは、すでにオルガリアも承知しているはずです。問題なのは、ルシアンとの模擬戦のために城を守る兵力を大きく削いでしまったということです」

「もちろんです」

「そして我々は実際に軍事衝突を行った。であれば、今のうちにオルガリアは我が領土を攻撃しようとするかもしれません。なにしろ、私もポプリ様もまるで反対側、ルシアン軍との国境にいるわけですからね」


 つまり、軍が留守のスキをついて城を奪おうとする動きである。オルガリアならそのくらいはやりかねなかった。

 しかも彼は、勝手に国境を動かしている。山道の中ではなく、ふもとまで兵を送っているのはこのための準備としか考えられなかった。


「それで?」

「ですので、国境付近の温泉地にザメル様に静養に行っていただきました。護衛のために兵士三百名を連れて」

「……それは、静養ではないのでは?」


 フレスはにっこり笑って続けた。


「我々はこの情報を隠していません。ですので、オルガリア軍は実際には攻撃を行わないでしょう。ザメル様の勇猛さとロンシャロンとの一騎打ちの様子はすでに、大変有名になっていますから。三百名という数は少なく見えますが、ほとんどがザメル様に心酔している古参の精鋭です。もし、オルガリアが侮って攻撃してきたのであれば、ザメル様なら返り討ちにできます」

「あなたがいなくても?」

「問題ありません。ザメル様は弱者を見捨てられることはない。温泉地にはたくさんの民衆が暮らしていますし、湯治のために病気の方や怪我をされた方が多くいます。その方々を放り出してオルガリア軍を追いかけることはないでしょう」


 ポプリは唖然とした。そしてしばらくしてから、


「い、いえ。私が聞きたかったのはあなたなしでオルガリア軍に勝てるのかということなのですが」


 と申し訳なさそうに言う。フレスはその可能性を全く考えていなかった。なにしろザメルは直接戦闘で敗走したことが一度もない。彼とその周りを固める古参兵は桁違いの強さであり、かつてリッシュの友人など多数が死亡した戦いにあってさえ、ザメルは退かずに突撃を繰り返し、最終的には自ら敵将を討ったほどだ。

 フレスは笑って言った。


「確かに何らかの計略を仕掛けてくる可能性はありますが、ご心配には当たらないと思います」


 それからしばらく行軍を続けて、最も近い村に到着した。行きにも通過した村だが、ここで休憩をとる。

 フレスはポプリを促した。今度は察して、彼女は声を張り上げた。


「ここで休憩を取ります! 村の外で野営!」

「おお!」


 ポプリ兵たちは即時に準備を始めた。盾や物資を集めて立てておき、風よけにしながら穴を掘る。

 彼らは虫よけになるような薪を集めながら、火を起こす準備も始めていた。ただの筋力任せの集団ではない。統率された軍であった。


「ではポプリ様とコロン様は村の中にどうぞ。村の者たちには行きの時と同じように話をつけております」

「しかし」


 野営の準備をこなす兵士たちをみて、ポプリは戸惑った。行きの時は「そういうものか」と思ったが、目の前で戦いを見た後では、「彼らに外で寝させて自分はベッドで眠ることが、本当にいいのか」と思えているのだ。


「兵士たちへのお気遣いは尊いですが、ポプリ様にふさわしい場所で安全にお休みいただくことも兵士の仕事です。コロン様も宰相であられ、戦いをされる方ではありません。どうぞ、村の中で温かくお過ごしください」

「わ、わかりました」


 フレスはポプリとコロンを村の中に送った。ついでに、フレスが乗っている馬も村で預かってもらうことにした。数名の護衛が付き添っていく。

 まだまだ軍の指揮などできそうにはないが、ポプリが懸命に自分に与えられたことをやろうとしていることは伝わっている。フレスはそう感じながらも、深く息を吐いた。兵士たちの目がなければ、その場に座り込みたいくらいだった。

 だが、野営の準備は始まったばかりだ。自分だけさぼっているわけにもいかない。フレスがやらなくとも、他の兵士たちは何も言わないだろうが、こういうときにふんぞり返っているのもよくない。フレスなどよりも、直接戦闘をして矢の雨に打たれた兵士たちの方がよほど疲れているのだ。

 その準備がようやく終わり、即席のかまどで食事が出来上がろうという頃。地面に座り込んだフレスのところへ大きな声が響いてきた。


「軍師殿ー!」


 振り返ってみればリッシュが十名ほどの兵を連れて走ってきているところだった。休みなしで、一息に来たのかもしれない。

 もちろん、彼女たちは徒歩である。


「いやあ、お待たせいたしました。ルシアン卿が戻ってこられたので、我々も撤退してきました!」


 ずっと走ってきたとは思えないほど元気いっぱいだった。フレスは大きく頷き、まずは必要なことを言った。


「ご苦労だった。ルシアン卿は何か言っておられたか?」

「はい、『門を破壊するとは恐れ入った、今後のことは追って連絡する』とのことです」

「そうか、ありがとう。君たちも疲れただろう。ちょうど食事ができているところだ。ポプリ様はすでに村の中におられる。ゆっくり休んでくれ」

「わかりました。ありがたくそうさせていただきます」


 リッシュはそういうなり、フレスの近くにあるかまどに近づいて、自分の椀を素早く取り出してそこにスープを注いだ。もう最初からそのつもりで準備をしていたのだろう。フレスとしても最後まで残ってくれていたリッシュたちに設営や食事の準備をさせようとは思っていなかったが。

 彼女の後ろについていた十名ほどの兵士たちも、すでに好き勝手に食事を始めている。


「うむ、やはり戦いの後の飯は最高ですね。酒はありませんか?」


 遠慮なく具材を山盛りにした椀では飽き足らず、彼女はさらなる要求を口にする。フレスはこらえようとしたが、結局こらえられなくて笑った。まるでザメルのような豪快さだと思ったからだ。

 戦いの後の飯。そして酒。これこそが兵士の本懐。そして武人がわかりあうための最大の後押しだと。ザメルはそんなことをたびたび口にしてきた。フレスもそれを戦いの中で理解している。

 しかし大っぴらに酒盛りをするわけにもいかない。


「まあ、よかろう。君はよくやってくれたからな。ルシアン卿からもらった酒が少し余っている」


 フレスは自分用の椀に、腰のポーチから取り出した酒を少し注いで、リッシュの前に差し出した。

 彼女はその椀に注がれた琥珀色の液を見て、さらに上機嫌にニマッと笑い、


「いただきます。大将軍にはなれなくとも、これなら頑張った甲斐もあるというものです」


 と言うなり、味わう様子もなく一息に飲み干したのだった。

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