6.三貴族ルシアン卿
国境を警備する部隊は、予想よりもかなり多かった。
今いるところはポプリ領というよりも、旧ロンシャロン領でしかない。ルシアンの気持ちになってみれば、勝手に三貴族のうちの一つがつぶれたのだから、勝手に領土を増やしてもいいはずだった。なにしろ、ロンシャロン側で国境を警備していた兵士たちは勝手にいなくなってしまっているのだ。
事実として、オルガリア領との国境は勝手に変更されており、わずかだが旧ロンシャロン領よりも減っている。本来的には険しい山道の中ごろが国境のはずだったが、麓付近までオルガリア軍が顔を見せているとの報告がある。
しかしルシアンは律儀にも領土を増やすことはなく、以前と同じ国境を守っていた。だからといってルシアンが味方であるとは言い切れないが、印象はよい。ただ単純に、せっかく作った警備のシステムが領土を変更するとうまく機能しなくなるから、などの理由によってそうしないだけかもしれないが。
「あれがルシアン領ですか。そして、その防衛軍というわけですね」
目の前に見えているものが何なのか、リッシュが口にした。
国境はかなり堅牢な石づくりの壁で守られていた。ザメル様でも力任せに突破するのは時間がかかりそうだな、とフレスが考えるほどには頑丈にみえる。その壁に作られた門の前に数名の、そして門の後ろにかなりの数の兵士が待ち構えているようだった。
だがこの門が国境というのは正確ではない。門の手前にかなり大きな川があり、これが実質的な国境だった。ここにかかる橋は長大で、堅牢この上ない。過去に何度か起こった戦争でも破壊されていない。
その橋に足を踏み入れながら、フレスは口を開いた。
「歓迎の準備ができているようだな、見たところ六百くらいか」
「我々よりちょっと多いくらいですね。このまま攻め込んでも、おそらく倒せますよ」
「かもな。だが、ルシアン軍は我々の敵ではない」
リッシュの軽口にこたえてから、フレスは馬を速めて軍の先頭に進んだ。彼は「ルシアンと敵対することはない」という意味で言ったのだが、リッシュは「当然ですよね」と軽く息を鳴らしていた。
それを背に聞きながら、フレスは門の前にたった一人で進んだ。門の周りをよく見て、それから大きな声で告げた。
「ルシアン軍の方々へ告ぐ! 我々はロンシャロン軍を打倒したポプリ軍の者だ。ここへは、ルシアン卿の安否を確認に参った」
たった一騎で大軍の前に出たのだ。ルシアン軍は弓を射かけることもしなかった。
これは予想できたことである。ルシアンはオルガリアにちょっかいをかけられ続けており、ポプリ軍とまで争う余裕はないはずだった。そのため、軽々に戦闘を仕掛けることはおそらくしない。相手が和平を求めているのなら猶更である。
「私はポプリ軍の軍師フレス! ルシアン閣下はおられるか!」
後方の軍の中にはポプリ本人もいるが、フレスはそれを言わずに自分が矢面に立った。いるか、と聞いてはいるがここにルシアン本人がいるとは考えていない。あくまでも確認したいだけだ。
しばらくざわつきがあったが、やがて想定通りの返答がルシアン軍からされる。
「そちらの用件はわかった。こちらの指揮官に確認をするので、しばし待たれよ」
そう言って、兵士たちの中では少し小柄の者が奥へと消えていった。大柄な兵士たちの中で背丈が低いのでかえって目立つような人物だった。まだ若い、というより大人になりきっていないような印象さえ受ける。
返答を待つ間に、後ろから走ってきたリッシュがフレスの乗った馬の近くについた。
「こちらのお方は、我が軍の最高の軍師だ。私が護衛する、文句はないな!」
彼女はルシアン軍に向かってそう叫び、大きな剣を肩にかけたまま、フンと鼻を鳴らす。これを見たポプリ軍の兵士は「自分も」とばかりに身勝手に動こうとしたが、フレスがそれを押しとどめた。
「護衛はひとりで十分。皆、動くな。すべてうまくいく、大丈夫だ」
これによって、なんとかポプリ軍の規律は保たれる。ルシアン軍は精強に見えるが、このまま戦いを挑めば敗れはしないだろう、という考えが兵士たちの中に見えていた。
こういった様子は当然、ルシアン軍も感じているはずだ。彼らのほうでも、この緊張に耐えられるものではない。
できれば指揮官とやらが、頭の切れる人物であればいいのだが。フレスがそう考えていると、すぐに先ほどの兵士が戻ってきて、告げた。
「お待たせした。我らの指揮官は詳しい話を聞きたいとお考えである。そちらの兵をもう少し下がらせてほしい。しかれば、糧食と酒を振るまえる。その間に指揮官はそちらとの対談ができるとお考えだ」
「かしこまった。場所はどうされる」
「我が軍の中では落ち着けまい。そちらが下がられたのち、今フレス殿がおられる場所で行う。そのまま護衛を連れていてかまわぬとの仰せだ。こちらも護衛を一人連れて、向かおう」
「承知した。指揮官殿の判断に感謝する」
想像以上に、指揮官は和平的な判断をしてきた。最悪のパターンも想定していただけに、フレスは安心して小さく息を漏らす。
彼は振り返って、兵士たちに指示を出した。
「聞いた通りだ! 我々は後ろに下がる。目の前の軍は敵ではない、我々に酒をふるまってくれるそうだ!」
「おう!」
兵士たちから歓声があがった。戦いは好きだが、酒も彼らの好むところである。
少し時間をかけて、ポプリ軍は後ろに下がった。フレスとリッシュ以外の全員が橋から降りて、対岸まで下がった。そうする間に会談の準備が進められ、たったさっきまでフレスの立っていたところに、会場がつくられる。簡素なテーブルとイス、そして直射日光を遮るタープが用意された。
会談までの間、フレスはただ兵士たちを下がらせて、そのまま先頭に居続けた。ポプリやコロンと会うことも、書簡をやり取りするといったことさえしなかった。リッシュはといえば、当然のようにじっとフレスのそばについて離れない。
設営が終わると、先ほどの兵士からあらためて通達がされ、
「フレス殿、ただいまより約束の酒と糧食を提供する。そちらを刺激するつもりも、害するつもりもない」
約束通り、ルシアン軍から食料と酒が届けられた。荷車に積まれ、かなり大量に用意されている。これは両軍の見守る前でまずリッシュが無作為に選んだ酒を飲み、料理を口に入れて毒見を果たした。それからフレスも口にし、ようやっとポプリ軍に配られた。
「そちらを疑うつもりはないが、必要なことだ。気分を悪くしないでくれ」
毒見したことについてフレスはそう申し入れたが、相手は笑って手を振る。
「気にしないでほしい。こちらもわかっている。それより、かけられてはどうだ。立ったままというのも落ち着かないだろう」
と言って、彼は椅子のわきに立った。まだ指揮官らしき人物は見えない。
もしや、彼が指揮官だったのだろうか。だとしたら、なかなか豪胆で知恵のある人物だ。フレスはそう感じとって、用意された椅子に腰かけた。もちろん、その直前にリッシュが軽く椅子を調べている。
フレスが座ったのを見て、兵士もその対面に腰かけた。そして、そのわきにルシアン軍のかなり大柄な別の兵士が寄り添って、護衛の姿勢をみせる。
やはりそうか、この人物が司令官か、と思ったそのとき、対面の兵士はかぶっていた兜を脱ぎ、長髪をあらわにした。そしてニンマリと笑って、
「はじめましてフレス殿。私が三貴族のルシアンだ」
と、挨拶をしたのだった。
あまりの衝撃にフレスは一瞬目を見開いた。まさかこんなところにルシアン本人がいようとはまったく、考えもしていなかったのだ。ルシアンはオルガリア軍への対応のためにそちら側の国境付近か、もしくは本拠にいるだろう。そのように考えていたのだが、当てが外れた。
背丈がやや低い、と感じたのも当然だった。女だったからだ。それさえ感じさせなかったのは、さすがとしかいいようがない。
一瞬後、落ち着きをどうにか取り戻すと「本当にルシアン本人なのか」という疑念が湧いた。
ルシアンの容貌は知らないのだ。ポプリ軍の中には、本人と会ったことのあるものがいない。だが相手がそう言っているのであれば、信用する他はない。たとえ疑わしくとも、それを指摘しても話が進まないからだ。
「あなたがルシアン閣下。知らぬこととはいえ、失礼をお許しください」
「なに、問題ない。ところで、安否を確認しに来たと言ったな。目的は達成できたか? それとも他にも何か用事があったのか」
余裕たっぷりにルシアンは笑っている。彼女もポプリ軍がロンシャロン軍を倒したことは知っているはずだ。それでも、この余裕があるということは、このまま戦争になったとしても勝つだけの戦略があるのあろうか。
「ルシアン閣下へ我が主、ポプリ様のお言葉を持ってまいりました。実は、以前にも別の者がルシアン閣下へお届けしたつもりですが、何者かによって邪魔を受けたように感じられたので、無礼を承知で我が軍の精鋭を率いてまいりました」
「なるほど。ではさっそく、そのお言葉をいただこう。書状を持っているのだな?」
それをうけ、フレスは荷物の中から手紙を取り出してルシアンへ手渡した。彼女は何の警戒もなく無造作に手で受け取り、二重の封蝋にちらりと目をやって、指でそれを破った。
慣れた手つきで手紙を広げ、ほんの数分で端から端まで読み、ルシアンは部下に何かを告げ、彼が去っていくと同時にこちらへ向き直る。
「フレス殿、お話は承知した。こちらとしても、そちらと争う利点はない。詳細を話したいが、その前に見ていただきたいものがある」
しばらくしてから戻ってきた部下から、ルシアンは小さな箱を受け取った。そしてそれを、そのままフレスに手渡してくる。
それがなんであるのか、フレスには半ば予想がついた。
「我々の出した封書ですね」
「正確には、『私のところに届けられた君たちの署名がされた手紙』だ」
箱を開けてみれば、ポプリが署名した封書にそっくりの、封蝋も偽造されたらしいものが入っていた。
中身は当然、差し出したものではない。全く別の内容になっていた。
『我々ポプリ軍は、民衆を苦しめるロンシャロン軍を天に代わって成敗した。我々は向かうところ敵もなし。恐れも知らず、死も恐れず。
ついてはルシアン領は、我々に降られるがよい。和平を望まれるのなら、速やかにされるがよい。
上納される金額については、追ってお伝えするが、ひとまずは人質としてルシアン卿の家族を二名ほど送られたい。
受け入れられぬ場合には、相応の対価を頂戴するため、近く国境に向かう用意がある。 偉大なる帝王ポプリ』
読んでみて驚きの内容である。非常に侮辱的な内容であり、ありえないほどの挑発的、尊大なものだった。
ルシアンにこのような内容を送りながら、ポプリには『会談をしたい』という内容の返答を送るということは、つまりチグハグなものになっている。会談の申し込みを真に受けてノコノコと国境までやってくれば、激怒したルシアン軍に叩き潰されるだろう。
そういった事態を引き起こそうとして、このようなすり替えをしたものと考えられた。
「なるほど、事態はわかりました」
フレスは弁明しなかった。ルシアンがすでに、この封書が偽物であることを察していると思ったからである。
「我々はこのようなことをしたオルガリアに対し、制裁を下す必要があります」
「それは同感だが、君の所へはどのような手紙が来たのかを教えてくれるか?」
「ええ、写しですが」
フレスは持ってきた箱の底から、もう一つの書状を出した。ルシアンはこれを受け取って、やはり素早く目を通し、それから深く息を吐いた。
「こんなことだろうと思っていたよ。それで、神算鬼謀の軍師殿はどうしたいのかい」
「最低的な条件として、ルシアン閣下にはオルガリアが弱体化するまで、不可侵をお願いしたい」
「おいおい」
思わず、といった調子でルシアンはそんな声を上げた。フレスが最低条件から提示したからだ。交渉とはお互いの腹を探り合いながらするものであり、いきなり最低条件から出したのでは、それ以上を望めなくなる。
「まあいい。それをしたら、君はどうしてくれるんだ?」
「オルガリアへ一撃を与えます。我々は精強にして不敗。少なくとも後れを取ることはありえません」
「そうしてくれるならありがたいが、それでは我々に有利過ぎる。それでいいというならかまわんが」
「これは最低限の条件です。一撃を与えて撤退します。我々はオルガリア軍に侵略を受けている。これを取り戻したいので、どちらにせよ戦う必要があります。そのためには、ルシアン閣下の同意が必要です。そのための確認ということです」
ルシアンは軽く目を閉じて、少し間をおいてからこたえた。
「確認したい。フレス、君はなぜそんなにたくさん兵を連れてきたんだ。君の意見を聞きたいね」
「はい」
言われて、フレスが後ろを見た。ポプリ軍の兵士たちが酒と食料をもらって盛り上がっている様子が見えた。
「いくつか理由がありますが、なんといっても確実にルシアン閣下に我々の意志を伝えるためです。手紙のすり替えがどこで起こったのかはわかりませんが、我々がこうして兵士を率いてくれば、途中でオルガリア軍が絡んでくることはないとふみました。ルシアン軍を装ったオルガリア軍がすでに領内に入り込んでいて、偽の国境をつくり我々を待ち受け、そして手紙を受け取るということが最も警戒されました。なにしろ、我々には国境を守る兵力も足りていないので。そこでそうしたことができないようにしたかった。こうしてくれば、戦いを仕掛けに来たと考えて接触を控えるだろうと」
「なるほど。かもな。他の理由は?」
「領内にいるオルガリア軍に対する警備のためです。道中、村々を通って、おかしなことがないか巡察を兼ねました。地元の民衆から情報を金で買い、定期的に情報を集めるようにもする必要がありました。なにしろ、我々の軍には諜報や偵察ができる人材が不足していますから」
「ほお、そこまで困っているのか。ポプリ軍はかなりの情報弱者のようだな」
「恥ずかしながら。ただし、直接の戦闘になれば、負けることはないという自負が兵士たちにはあります」
この言葉を受けて、護衛についているリッシュは誇らしげに胸を張って鼻を鳴らした。当然だ、と言いたげである。
フレスは一息を入れて、目の前に置かれていた酒をグッと一息に飲み干し、それから提案を始める。わずかに声を細めて。
「ルシアン閣下、もちろん我々がこのように接触していることはオルガリアの偵察部隊によってどこかで見られているはずです。会話までは聞き取られているのかわかりませんが、彼らに手柄を持たせるのはうまくないとお思いになりませんか」
「ああ、一芝居うつのか。だが会ったばかりの私をそこまで信用していいのか?」
こちらの思惑をルシアンはすぐに察した。どうせこの状況をオルガリア軍に見られているのなら、芝居をして交渉が決裂したり、うまくいかなかったようにみせかけて終わることもできるだろう。そのほうが今後の戦いに有利になるはずだった。
「信用しなくては、オルガリア軍に潰されてしまいます。彼らを完全に出し抜くためにも、模擬的な戦闘を行う用意もあります。もしも万一、ルシアン閣下が本気で戦ってきたとしても、少なくともこの場では勝つ自信があります」
もっと大胆な一手を告げる。
実際にルシアン軍と戦闘することだ。完全に戦いになってしまえば、巻き添えを恐れてオルガリア軍の偵察部隊は撤退するだろうし、そうしないのであれば、場所さえわかれば潰走したふりをして兵を送り叩き潰すこともできるだろう。本来こうした手は、ルシアンが裏切って本当に兵士たちを傷つけないという保証があればこそできるものだ。だが、その可能性は精強極まりないポプリ軍においては考えなくていい。長期の戦略的にはともかく、今この場で敗北する可能性はないからだ。
「なんだと、いや……」
ルシアンは『俺たちはお前らに負けることはない』と言われて、不快に感じたようだ。だが、すぐに頭を切り替えた。
そうして彼女は、この一連の流れが現実的に彼女を怒らせ、しかし交渉の決裂まではつながらない挑発になっていると感じ取る。まさに遠目からこの状況を見ているオルガリア軍の偵察部隊が、『ふとしたことから交渉が決裂し、戦闘に至る』という勘違いをしやすいように仕組まれている。そしてそれは、ルシアン軍にとっても都合のいいことだった。
「フレス、君はただものではないな」
彼女は驚くべき智謀を見せたフレスに対し、素直に感嘆の声を漏らした。




