5.ポプリ様の憂鬱
この魔界に暮らす人々は、おもに三種に分類される。
ひとつは、普通の人間のような姿の魔人種。フレスやコロン、リッシュはこれにあたる。
つぎに、フレスがたびたび言及していた『空を飛べる者』にあたる有翼種である。彼らは腕が翼のような形を残していたり、または背から大きな翼が伸びている。多くの者は飛行能力を失っているが、ごく短時間の滑空ならば可能である。また、ごく一部の者は地上から羽ばたいて飛ぶことができた。
最後に魔王種である。これはポプリがそうなのだが、頭に角があり、かつそれが耳の大きさを超える場合にそう呼ばれる。彼らの多くは角で周囲の情報を鋭敏に感じ取るため、五感が魔人種や有翼種よりも鋭くなっている。ポプリのものは触角のようにやわらかく、風でそよいでしまうほどだがこれも角だった。
この三つの種は、魔界においてそれほど厳格に区別されているわけでもなく、また交雑が進んでいる。そのため、ザメルは魔王種ではないが、娘のポプリは魔王種であるといったような、隔世遺伝もおきていた。
結局のところ、特にこうした種族の違いは意識されることの方が少なくなっていた。先だっての戦いの際に、「空を飛べる者がいれば」と考えられるくらいが関の山だが、その数は少ない。たとえば、空を飛べる有翼種だけの部隊を作って、機動力に優れた遊軍として活用するといったようなことはまず無理だ。そのかわり、斥候としてはよく使われた。ロンシャロン軍もよくこうした活用をしており、フレスはそれによって悩まされてきた。自軍の情報が奪われるということが問題だったのではなく、斥候としてあらわれた有翼種を発見した味方が、それに向かって突撃してしまうという事態のためだ。
ザメル軍はロンシャロン軍との戦いにおいて連戦連勝だったが、死傷者がゼロということはない。ロンシャロン軍も精強な兵士をそろえており、苦戦することも多かった。
フレスは知恵をしぼって味方の損害を減らそうとしていたが、その策自体がうまくいかなかったり、味方の暴走により失敗したりといったことがよくあり、結局は兵の質により押し込んで勝つという状況になっていた。幸い、魔界の人々は非常に頑健である。たとえば腕や足が切断されるようなことになっても、消毒をして縫合すれば一週間ほどでくっついてしまう。また、押しつぶされたり失われたりしていても、二の腕から先くらいなら半年ほどで再生してしまうほどだ。
逆に言えば、敵も同じように頑健であり、遠慮なく攻めこんでも禍根は少なかった。同時に、時間を与えれば負傷兵が回復してしまうということでもあり、人間界での戦争とは一味違う戦術が組み立てられている。一人と一人の戦いを考えてみても、単純に槍などで敵を突き殺そうとしても、片肺を潰したくらいでは敵が止まらないということがしばしばだ。心臓を貫かれてもまだしばらく戦ったというような豪傑もいるくらいである。もはや完全に敵を戦闘不能に追い込むには重要な血管を傷つけ時間をかけて失血死させるか、首を斬り飛ばすかしかない。そのようなことが戦場でできるような、圧倒的な攻撃力が求められている。
フレスは少し振り返って、自分のすぐ後ろを守るように歩いているリッシュの姿を見やった。彼女は巨大な剣を肩にかけ、真面目な顔で歩いている。闘志がみなぎっているという感じだ。
「どうでしょうか? 今回、戦いになりますか、軍師殿」
視線に気づいたのか、リッシュは少し笑って話しかけてきた。不穏分子を一掃した件があってから、彼女はますますフレスへの信頼を強くしたようだった。以前から盲信に近い部分があったが、より一層そうなっており、もはや手が付けられない。死ねと言われたら喜んで死ぬような危うささえも見え隠れする。
それでもフレスは彼女を信頼していた。内戦の時からずっと自分を護衛していた部下なのだ。命を救われたことも何度もある。
「もしかしたら。だが、あくまでも今回は友好の使者として出撃しているのだ。私の指示に従ってもらう」
「当然です。いつでもお任せください」
そうはいっても強敵と戦わせてくれるんだろう、というような言外の期待が見えていた。フレスは本当に今回は戦うつもりがないし、戦いにならなければいいと考えている。
「それに戦いにならないなら、こんなに連れてこないでしょう」
と、リッシュは振り返った。彼女の後ろには、ポプリ軍の精鋭が五百名も続いている。
五百名という数は少なく見えるかもしれないが、これには理由がある。ポプリ軍は本城を落として降伏させた旧ロンシャロン軍の兵士たちを罪に問わなかった。引き続き兵士としての雇用を望む者だけを採用し、他は解散させるにとどめた。これは「重税から各地を立ち直らせるためには労働人口を減らすべきではない」という意図によるものだったが、軍事力はザメル軍がロンシャロン軍を倒した時のままの戦力でほとんど据え置きになっていることを意味する。しかもザメルのように引退を希望したり、武器を手放したいと思った部下は引き留めなかったから、むしろ減っているまである。
結果、この五百名は現在ポプリ軍が抱える全兵力の約二割に相当する。これ以上は厳しい。
五百名の兵士たちの中ほどには、輜重部隊もある。彼らは戦略物資を運んでいるが、前線に到着次第物資を置いて戻っていき、次の物資を運んでくることになる。また負傷兵なども出ていれば連れ帰る。だが、今運んでいる戦略物資の大半は食料だった。武器や防具、それらの修理用具といったものもあるが食料がほとんどだ。何しろ兵士たちが頑健なので、医療品はそれほど必要なかった。
「それに、ポプリ様が直々にご出陣です」
「あ、ああ」
たしかに、輜重部隊の後ろあたりにポプリとコロンがいる。二人とも馬に乗って、進軍速度に合わせてゆったりと進んでいるはずだ。
大柄で屈強な、ザメルのような頼りになるシルエットではない。俺についてこい、といえるようなものではない。だが、ポプリたちは幼く見えるし可憐だ。逆に、勇猛な兵士たちは「俺たちが守ってやらねばな」というように燃えている。
といった報告はすでに受けている。ザメル引退後の混乱は抑えられているとみてよかった。
あとはこの作戦がとりあえずうまくいってくれれば、と考えているところに、リッシュが不意打ちのような質問をしてくる。
「ところで、気になっているのですが、軍師殿はポプリ様と婚姻なさるのですか?」
「なんだって」
あわてたフレスが目を見開いたが、リッシュは動じていなかった。
「だって、そうしたほうがこのあとは安泰で。ポプリ様はまだお若いし、コロン様もまつりごとに御経験はないと。今はポプリ軍といいながら実質的にフレス軍です。それなら二人が結婚してしまったほうがまとまりそうですし、いずれはその子が率いるというのが自然ですし。ザメル様もそれを期待していらっしゃるのではないかと」
「そんな大それたことは考えていない。私はザメル様に引き立ててもらった身だ。ポプリ様とはご身分が違う」
「そ、……そうですかね? そうは思えませんが……」
リッシュは何か複雑そうな表情だったものの、ひとまず引き下がってくれた。フレスの答えは彼女をそうさせるためのものだったが、完全に嘘ではない。
ザメルに取り立ててもらった身であるということは本当だし、そうしてくれなければ仮に死ぬことはなくとも全く違った時間を過ごしていただろう。だから自分を大いに認めてくれたザメルに感謝している部分もある。しかしながら、軍師という役職はあまりにも自分に釣り合っていないとも思う。
「私はそもそも、思慮のあるほうでもないし、知識もあるわけではないのだ。他に適する人があれば、よろこんでこの地位を譲っていいと考えている。そのような者が勢力の中枢にいるわけにもいかない。ポプリ様も長く玉座に居座るおつもりではなさそうだし」
正直なところをフレスは口にした。こうしたことを言うのは初めてではない。
リッシュはまたかというような顔をして、いつものように返事をした。
「他に適する人ですか? 今のところ、そんな人はいないですね。それに、我々は軍師殿、フレス様以外の策略に命を預けられません」
「ああ、そうだろうな」
フレスは求められていることを知っている。なのでまだ軍師をしている。
そして、兵士たちの士気を下げないために軍師として偉ぶった態度を演じてもいる。
しかし彼の本質は、どうがんばってもただの凡人であり、武人でもなければ文人とも言い難い。彼の自己評価は低く、ただ臆病なだけの男が必死に何か浅知恵を繰り出し、それがどうにかばれずにきているというだけでしかなかった。
実際に逃げ出したいと考えたことは一度や二度ではない。それでもとどまり続けているのは求められていて、しかも自分よりうまくやれそうな者が見当たらないからだった。
明らかに自分は適格ではないが、自分がいなくなればもっと事態が悪化する。しかも義があるのはザメル軍であり、彼らがロンシャロン軍につぶされてしまえば、被害を受けるのは民衆だということがわかっている。それに、死者が出ていることを嘆き悲しんでいるポプリをみるのはつらかった。
フレスはなんとなく、幼いポプリのことを話し始める。
「ポプリ様に初めてお会いしたのは、大きな支城を落としたあとだ。心配で駆け付けたと言っていたが、戦いの現実を見て泣いておられた。そのとき、君もいただろう?」
「そうでしたか?」
頑健な魔界の兵士と言えども、死んでしまえば生き返ることはない。その時の戦いは激戦だったので、味方にも少なくない被害がでた。さすがにザメルが心配になったのか、ポプリは戦い終えたばかりのザメル軍の占拠した城下にやってきてしまったのだ。
その時に付き添ってきたのがコロンであり、二人は過酷な戦いの傷跡を見ることになった。いくら頑健な魔界の兵士と言えども、刀や槍で戦えば皮が切られて血が噴き出る。内臓が傷つけば激痛が続き、治るまでは苦しみ続ける。ことに目や耳などの繊細な部分に深い傷がつけば、治癒しないこともある。
幸いにもザメルは軽傷であったが、兵士の中には苦しみながら息絶えてしまった者もある。
そのような状況を見て、ポプリたちは泣き出してしまったのだ。
フレスは負傷兵たちの世話をしながら、それを見た。そして、声をかけたのである。
「こんにちは、ポプリ様。初めてお目にかかります」
ポプリは泣いたままだった。コロンは涙目でフレスを見たが、何も答えられなかった。
かまわず、フレスは言葉をつづける。
「私はザメル様の軍師のようなことをさせてもらっている者です。あなたのことはザメル様から聞いております。お隣のお方は?」
「わ、私はコロンといいます」
どうにかコロンがそのように答えると、フレスは大きく頷いた。
「ポプリ様はとても賢く、お優しい方であるとうかがっております。驚かれたことでしょう。恐ろしいものばかり、映ったかもしれません」
この言葉に、コロンもコクリと頷き、そしてポプリも小さく頷くのが見えた。フレスはそれを見て、話をつづけた。
「あまりこのようなところを、ポプリ様には見ていただきたくありませんでした。戦いの恐ろしさなど、できれば知ってほしくはなかった。ザメル様もそう思っておられるでしょう」
「ごめんなさい」
小さな声で、ポプリが言うのが聞こえる。当然だがザメルはポプリがこのようなところに来れるように、はからってはいない。ポプリが自分で判断してやってきた結果だった。
「おそらく、賢いポプリ様のことですから、ここに来ればおそろしいものを見てしまうことはわかっていたはず。ですが、それをおしてもザメル様や我々をご心配下さった。私はそのように判断しています」
できるだけやわらかい声色でそう言うフレスに、ポプリは目をこすっていた手を下げ、やっと彼の顔を見上げた。
幼いポプリの目に、フレスがどのように見えていたのかはわからない。しかしフレスはこのとき、必死になって死線をくぐり、そしてそのまま負傷者の処置をしていたところだった。あちこち傷だらけの上に、血や汚れが付いたままの姿だったはずである。
「ポプリ様、あなたのようなお優しい方に、このような戦いの恐ろしさを味わってほしくはありません。いずれ向かい合わなくてはならないとしても、まだそのときではありません。今日はもう、お戻りください」
「でも、お父様はまだこれからも、戦うのです、よね?」
泣きやみかけたような表情のままで、ポプリが途切れ途切れにそんなことを言う。
「そうです。ロンシャロンを打倒するまでは、戦われるでしょう」
フレスは細心の注意を払って優しい言い方をした。ポプリは「じゃあ」と懇願するように言う。
「お父様がケガしないように、みんながケガしないようにして。できるだけでいいから……」
祈るように手を組んで、ポプリが頭を下げる。フレスは驚いて、やめさせようとしたがその方法をどうするべきか戸惑った。また、戦争をしているのにケガをするなというのは無理な注文である。
「私の力が及ぶ限り、やってみましょう。ポプリ様、さあもう顔をお上げください。帰りは信頼する部下に送らせましょう」
無理な注文にもかかわらず、フレスは軽々しく返事をした。本来なら不可能だと返事をすべきだったが、フレスには泣いている子供を前にして重苦しい現実を言葉にできるほど、勇気がない。
子供に泣かれては、どうしようもなかった。ポプリのような愛らしい子供なら特にそうだ。もう少し小さな子供なら、抱き寄せて背中を叩いていたかもしれない。
「あなたも……」
「なんです?」
「あなたも、ケガをしないでね」
ポプリの付け足した思わぬ言葉に、フレスはしっかりと頷いて返した。
「はい、私もそうしましょう」
それから軽傷だったリッシュを呼んで、ポプリを安全な場所へ戻るまで護衛させたのだった。
ポプリは歩き始めるまで、ずっとぼんやりとフレスの顔を見ていた。
これが二人の、最初の出会いだった。
「ああ、あのときですか」
話し終えたフレスに、リッシュは笑って答えた。彼女はポプリとコロンを護衛して、後方まで下がった時のことを思い出したのだろう。
「確かあのときのポプリ様はずっと泣いてばかりで、何も話しませんでした。まああんなところに初めてきたというなら、仕方なかったですね」
「私だってできれば目を背けたかったくらいだからな」
「あの時のことはひどかったですね。ですが今になって思えば、あそこで戦えたことは誇らしくもあります」
リッシュは笑った。死人が出た戦いだったのだが、意味のあるものだったと思っているらしい。
「私の戦友もほとんどあそこで死にましたが、立派な死にざまでした。私は生き残ってしまって、悪いことをしました」
「生き残って悪いということもなかろう。逝くときは土産話をもっていくべきだし、もう少し生きてもらわねば困る」
あまりに豪胆な意見に、フレスはあわててフォローを入れた。
「軍師殿にそう言われるとは。もちろんですよ、試していない剣術がまだいくらもありますからね」
そのように話をしているうちに、やっと目的地が見えてきた。
目指していたのは、ルシアン領との国境である。
ルシアンは今頃驚いているだろうか、汗をかいているだろうか。フレスは勝手な予想をしながら、自分の策がうまくいくことを祈った。
もちろん、このまま五百人でルシアン領を攻撃するわけではない。兵士たちを多数引き連れてきたのは、別の理由がある。




