31.銀貨十五枚の機密費
「そんじゃあもういいな、始めるぞ!」
ルベッサが投げ込まれた銀貨を拾い集め、投票札を配り終え、熱狂がやっと少し落ち着いた。ようやく打ち合いが始まろうとしていた。
フレスも腕を組み、二人の様子を見ている。結局、五分と言いながら、十分以上も時間を取られてしまった。エカルは待ちくたびれている。リッシュも既に座り込んでいた。どちらも身体は疲れていないが、集中力が少し切れかけているという具合に見えた。
実際に戦う二人でそうなのだから、見ているだけの主君をこれ以上待たせるわけにはいかない。
ポプリは緊張した様子でじっと見ている。
「よし、はじめっ!」
ルベッサが右手を振り上げて叫んだ。
「ちぇりゃあ!」
開始と同時にリッシュが踏み込む。気合を込めた一撃を打ち下ろした。最初の一太刀でもう決めてしまうつもりの、強烈な一撃。
これをエカルは体を開き、身体を反らせてかわした。が、すぐさまリッシュは振り下ろした剣をそのまま掬い上げるような、返しの攻撃を見舞った。一瞬の反転。
さすがにエカルも避けることができない。木剣で受けて、身体ごと吹き飛んでいく。
「ええっ」
コロンが悲鳴を上げる。ポプリも唖然としている。
「大丈夫です。あれは自分で飛んでいるのです」
咄嗟にフレスが解説する。まともにリッシュの攻撃を受けていては木剣ごと叩き折られるので、エカルは衝撃を逃がすために自分から地面を蹴っていた。結果的に吹っ飛ばされたように見えるが、実態は違う。
そう言っている間にも、リッシュが追撃。空中に浮いたままのエカルに素早く引き戻した木剣を突きこむ。容赦のない攻撃だった。
この攻撃を読んでいたエカルも、しっかり防ぐ。巧みに木剣の腹で受け、切っ先を逸らした。
「着地を狙えよ!」
「そこだ!」
周囲の兵士たちが騒ぐ。エカルが着地する一瞬を狙えと言っているのだ。しかし着地するより早く、空中でエカルの木剣はもう一回転。
伸びきったリッシュの前腕を思い切り打った。
「つっ」
真剣でも致命傷を与えるほどではないが、このために着地を狙った攻撃はしかけられない。
しっかりと両足で着地したエカルが、余裕を持って武器を構えなおす。
リッシュはこれを見て、軽く舌打ちをしながら構えを下段に切り替えた。
この一瞬の攻防に、兵士たちがどよめく。エカルの力を知っていた者は何をいまさらという顔をしているが、それに該当する者は少なかった。ほとんどの兵士は「エカルのやつ、あんなに強かったのか」という驚愕に顔をゆがめ、口を開けている。
「な、なにい……。エカルがリッシュの攻撃をいなしたぞ」
「おい、ルベッサてめえ! あれでオッズ二割増しは低すぎだろ!」
「今、一発入っただろ! リッシュてめえしっかりしろ! 十五枚がパーになってもいいのか!」
外野が非常にうるさい。
エカルは木剣を片手で構えて、空いている右手はだらりと下げる。リッシュの馬鹿力を受け止めたのでしびれたのかもしれない。
それでも、エカルは戦士だった。真剣に、技量の全てをかけて戦っている。真剣そのものの表情で、リッシュの出方をじっと見ている姿に、ポプリは息をのむ。
「かっ、かっこいいですね」
「かっこいい?」
突然漏れたポプリの一言に、フレスは戸惑った。
「あんなに大きいリッシュに、あんなに小さいエカルが抗って。さっきのなんて、空中でくるくる回って、いつ攻撃したのかわかりませんでした」
「はい」
「なんて立派なんでしょうか! 尊敬できます。かっこいいです」
ポプリの両目がキラキラと光り、触角がピンと真っすぐに立ち上がっていた。
「はい。そうですね。エカル殿は格好いいです」
「あんなにかわいいのに、かっこいいなんて。反則じゃないですか! きっともてるんでしょうね」
「ええ、まあ……? もて、もてる……?」
頷こうとしたが、フレスの言葉は生返事に腰砕けた。
この間のネルカとの交渉で、変な言葉を覚えてしまったらしい。そうだとすれば、すべて自分のせいである。フレスは言うべき言葉が思いつかず、黙るしかない。
ポプリはもうこの一瞬でファンになってしまったエカルの戦いをじっと見つめている。
リッシュが両手でブンブンと攻撃を仕掛けているのを、エカルは受けたりかわしたりして、耐え凌いでいる。それを見て、ポプリはハラハラと手に汗握っていた。
「ああ、もう。もう叩かれてしまいそう。でも、あんなに軽くスルスルと剣を避けて。踊るみたいにクルクル回って、怖いのに目が離せません。フレス、二分はまだなんですか!」
「まだ一分過ぎたところです」
「うー、じれったい、じれったいです! こんなに攻撃を避けているのに、まだ勝ちにならないんですか!」
ポプリがこれほど熱狂している中、実際に金を賭けている兵士たちはそれよりもずっと激しい応援をしていた。ただ、ポジティブな応援も一部あるが、ほとんどはネガティブな応援であった。
「早く決めろ! そこだ! なんでいかねえんだ、バカ! 俺の酒代がどうなってもいいのか!」
「一発決まれば終わりなのに、グズグズしやがって! なにしてんだ!」
「ああー! また外した、そこじゃねえよ! 頭悪いな!」
「くそ、バカ! ちがう! なにやってんだ! バカバカバカ! あー!」
などといった、もはや幼く可憐な主君の前であるということを忘れたような醜いヤジが飛び交う惨状となっている。
「あと三十秒」
フレスが砂時計を見ながら告げた。
瞬間、リッシュが一歩下がった。両手で下段に構え、腰を深く落とす。
「リッシュのやつ、勝負に出たな。大ぶりの一撃で薙ぎ払うつもりか?」
ルベッサが少し大きな声で唸るように言った。
たしかに理にかなった戦い方ではある。大きな力の前では、多少の技巧で逆らうことはできない。後ろに飛んだり受ける角度で逸らすということも許さないほどの一撃であれば、エカルを吹っ飛ばして壁にたたきつけ、それで戦いは終わるはずだ。
エカルはそれを見ても先制攻撃を仕掛けない。後の先を狙っている。
じっとお互いがタイミングを探ったまま、にらみ合う。
あれほど飛んでいたヤジもピタリととまり、静けさが訓練所に戻った。
「あと十秒」
静かにフレスが告げると同時に、リッシュが放たれたように、一瞬の攻撃を見舞う。
受けようとしたエカルの腕から何かが吹っ飛んだ。吹き飛んだものは、勢いのあまりにゴツンと訓練所の壁に突き刺さる。
「ひっ!」
コロンの悲鳴が上がった。彼女の目には、エカルの腕が引きちぎられたように見えたのだろう。
「もらったぁ!」
叫びながらリッシュが猛烈に踏み込む。上半身にひねりを加えた第二撃。
まともに食らったエカルが吹っ飛ぶ。しかし、
「あっ!」
ポプリは笑った。今度はエカルの動きが見えたからだ。
彼女は自分から後ろにジャンプして、リッシュの攻撃をかわしている。それから空中で構えをしっかりとっていることも、見えていた。
ぐるりと空中で一回転。彼女の投げた木剣が、攻撃の終わったリッシュの顔面に突き刺さる。
「いだっ! あたたた……」
鼻先にそれを喰らったリッシュが、思わず顔を抑えて下を向く。鼻血を吹いているのかもしれない。
あっという間に空気が弛緩した。
「お、おいおい。そんなに強く投げてないだろ」
着地したエカルもその有様に勝負を中断して、リッシュに駆け寄る。
「時間だ、それまで」
冷静に時間を見ていたフレスが、打ち合いの終わりを宣言する。
「顔を狙うなよ! 軍師殿の前でカッコ悪いだろ」
リッシュがぶつくさ言いながら鼻血を止めようと指でおさえているが、エカルは大して悪びれもしていない。
「お前あんだけ本気でブンブン振り回しといてよく言うよ。私じゃなかったら死んでたぞ。それに、木剣も折れちまったじゃないか」
壁に突き刺さっているものを、エカルが指さす。それは、元々彼女が持っていた小さめの木剣の切っ先だった。リッシュに投げたのは、もう一本の木剣。
最初からエカルは袖の中に二本目を隠していた。途中から右手を下げていたのは、隠した武器をいつでも使えるように確認していたのだ。
「卑怯だろ、二本も使って。それに武器を落としたらその場で負けのはずじゃないのか?」
「それは試合のルール。軍師殿は打ち合ってくれとしか言ってないからいいだろ。だいたい真正面から戦う時点で私には不利なんだし」
戦った二人はどこか平和にじゃれ合っているのだが、ルベッサの周囲はそうもいかない。金を賭けた野郎どもが群がっている。
「おい、どっちだルベッサ! 引き分けなんていうんじゃねえだろうな!」
「おう、任された以上はちゃんとどっちが勝ったのか説明してもらおうじゃねえかよ、あの卑怯なオッズも含めてよお!」
「どこいくんだ。おい! コロン様も賭けてんだから逃げられるわけねえだろ!」
ルベッサは勝負をきちんと見届けていた。見ていたのだが、どちらの勝ちにするべきか迷っていたのだ。
攻撃を仕掛け続けて圧倒していたのはリッシュだが、有効に攻撃を与えたのは明らかにエカルだった。彼は逡巡して、それから両手をバシンと合わせて、判定をくだした。
「エカルの勝ちだ! ちゃんと攻撃が入っていただろ!」
だがその理屈は熱狂した者たちには通じなかった。
「なにっ、てめえ! 儲かるほうを選びやがったな!」
「全額返金しろ!」
「エカルは武器を落としてただろ!」
彼の弁明は通用せず、あっという間にルベッサはもみくちゃにされてしまう。しかし、賭博の行方はフレスにとっては些事である。彼はあえて見ないふりをして、ポプリに向き直る。
「エカルの勝ちだということです。見方によってはまた変わるでしょうが、今回はルベッサに審判を任せたので」
「すごかったです! エカル!」
しかし、判定などもはやポプリにとってはどうでもいいことになっていた。
パチパチと一人で拍手をして、それからポプリは椅子を飛び降り、リッシュの傷を見ているエカルのところに走って行ってしまう。
「ちょっと、ポプリ様」
あわてたコロンが後をついていくが、彼女は足を止めない。
「素晴らしい勝負でした、エカル! かっこよかったです!」
「ポプリ様」
興奮してはしゃぐ主君に、エカルは向き直って深く頭を下げた。
「ご声援を賜りまして」
「いいんですよ! そんなかたっ苦しいことは。すばらしかったです、すごかったです!」
「ご期待に沿えたようで、何より……」
「だから、普通でいいんですよ。よかったです。途中ではびっくりしましたし、ハラハラしましたが、あんなに立派に戦っていて。先ほどは、あなたのことを子供だなんて言ってしまってすみませんでした。本当は謝るためにここに来たんですが、すごいものを見れました!」
礼儀なんかどうでもいいんだ、とばかりにしゃべりまくるポプリに対して、エカルは困惑しながら顔を上げる。すると、すぐさまその両手はポプリにとられてしまった。
「あなたなら、絶対大丈夫です! 信頼します。もう今後、ずっと私の護衛になりませんか! かわいくてかっこいいなんて、無敵じゃないですか!」
さらにまくしてるポプリに、エカルは目を見開く。
何度か瞬きをしてから、ようやく断りを入れた。
「すみません。それはちょっと。申し訳ないですが」
「わ、わかりました。無理は言いません。で、でも」
「なんでしょう?」
ポプリは何か言いたそうにしている。躊躇していたが、ついにはっきり口にした。
「えっと、抱っこしていいですか?」
「は?」
思わず訊き返した。
「今、なんと……」
「いや、すみません。忘れてください。失礼でした……」
クルリとポプリは踵を返した。
「もう部屋に戻ります。行きましょう、コロン。もう一度お茶を入れてくれますか」
「わかりました」
その頃にはすでにルベッサから金貨を回収していたコロンも、ポプリについていく。二人は訓練所を去って行った。トボトボと歩くポプリと、どことなく上機嫌についていくコロンを見送って、フレスは訓練所に残った混乱を見る。
完全に混乱しているエカルと、木箱に座って鼻をおさえているリッシュ。そして、ルベッサを中心とした大混乱。
まずフレスは、エカルに声をかけた。
「ありがとうございます。急なことで申し訳ありませんでした」
「武器が折れたときは冷や汗をかきましたけどね。リッシュにはもっとちゃんとお礼を言ってくださいね、勝ちを譲ってくれたんですから。本気ならあんなの、あいつなら軽く避けられたでしょうし」
「わかっています。銀貨を十五枚も賭けるとは思っていませんでしたが」
「演出でしょ。機密費か何かで落としてあげてください」
それからポプリが去って行った方向に目をやって、頭を掻いた。
「それにしてもまさか、抱っこしたいなんて。ポプリ様は私のことをぬいぐるみかなんかだと思ってるんですかね」
「素直でいいじゃないですか。あのくらいでちょうどいいですよ」
そんな会話をしてから、次にリッシュに声をかける。
「リッシュもありがとう。おかげでポプリ様には納得してもらえた。怪我は大丈夫なのか?」
「ああ、軍師殿」
木箱に座って上を向いていたリッシュが、手ぬぐいを当てて鼻をおもいきり噴いた。べっとりと手ぬぐいが赤くなるが、そのままゴシゴシと鼻をこする。
「このくらいはいつものことです。なんでもありません」
「悪かったな。これを」
銀貨の詰まった袋を出して、そのままリッシュに差し出した。彼女は中身を一目見て、突き返す。
「いいですよ。私が勝手にやっただけですから」
「そういうわけにもいかない。私の矜持の問題だ。それに将来的にこのことが公になったとき、君ほどの戦士から不当に搾取したと思われてはかなわん」
「わ、わかりました。万一にも軍師殿の評価に傷はつけられませんからね」
理屈をつけると、今度はちゃんと受け取った。素直に受け取り、ポケットに仕舞う。
「それで、あれはどうするんです?」
リッシュが指さした先には、ルベッサを中心とした混乱がまだ続いている。
「てめえ、八百長だ!」
「馬鹿野郎、勝負をちゃんと見てたのかよ! エカルの勝ちだっ、早く勝ち金をよこせ!」
「引き分けに決まってるだろ! 全額払い戻しだ!」
「エカルは武器を落とした! リッシュの勝ちだろ!」
「折れただけで、落としてねえよ!」
「投げただろ!」
「うるせえ、てめえら都合いいこといってんじゃねえぞ!」
ドタバタと暴れまくり、彼らはすでに訓練よりも汗を流しているようにさえみえる。
「いいんですか、放っておいて」
「賭博について、私は見ないふりをしていると約束したからな。ルベッサもそれは承知のはずだ」
「ああ、それもそうですね。自己責任ですか」
リッシュは納得したようににんまり笑って、木剣を肩に担いだ。
「それにしても、あの中からちゃんと回収したコロン様も、ただものじゃないですね」




