30.エカルの実力
エカルがやってきたときには、日が暮れかかっていた。
到着の報告を受けたフレスはすぐに自分で歩いて、彼女を迎えた。正面入り口の近くでどこかぼんやりしているエカルを見つけて、フレスは自然に笑った。
「お待たせしました。よく来てくれましたね」
「軍師殿、久しぶりですね。温泉はよかったですが、ザメル様に振り回されましたよ」
相変わらず小さなエカルが、軽く手を挙げる。さすがにポプリよりはわずかに背丈があるが、遠目にはほとんどわからないだろう。彼女は少しサイズの合わない軍服に、上から厚手のマントを着こんでいる。
エカルは、前に会った時よりも随分疲れているように見えた。
だがそれも無理はない。彼女はもともと、ロンシャロンの打倒後に軍に残る予定ではなかった。目的を果たしたし、「ゆっくりと身の振り方を考えたい」「どこかで畑でもやるかな」と言っていたのだが、なぜかそのままポプリ軍にも残っていてくれている。しかも、内戦中の時と同じように、あれこれと割り振りされた以外の仕事でも、見つけては動いていた。疲労もしようというものだ。
フレスとて、戦いが終われば「軍師など必要なくなるだろうから」と引退するつもりだったのだが、軍を辞められてはいない。同じ境遇といえないこともなかった。
「それにしても、軍は辞めるんじゃなかったんですか?」
エカルはフレスの顔を見上げて、文句をつけてきた。冗談らしい言葉だが、どこかに本気の非難が混じっている。
思わずフレスは首を振ってしまった。
「そのつもりでした。しかし、この状況では自分だけ逃げられませんよ。ポプリ様とコロン様だけでは、無理でしょう」
「お人よしですね。まあ、私も人のことは言えませんけど」
「何か似たようなことがあったんですか?」
「ありましたよ。軍師殿が一人じゃかわいそうだからです。私がいたほうがいいでしょ?」
そう言って肩をすくめつつも、エカルは歩き始める。この城の勝手は彼女も知っていた。
「で、私を呼んだってことは手に負えないような敵でも出たんですか? 言っときますけど軍師殿にできないことが私にできると思ってるなら間違いですよ」
フレスはその小さな背中を追いかけて、事情を説明し始めた。
「実は、かなりの規模の盗賊団が国境近くの森にいましてね。討伐しないとルシアン卿との同盟が危うくなります」
「その話ですか。私に何をさせる気です?」
エカルは困ったように顔をしかめて、歩きながら振り返った。
「普通に討伐できればいいのですが、彼らは軍が近づけば『死の森』近くに撤退して潜んでしまうでしょう。そうなると追撃するのはリスクが大きすぎる」
「でしょうね」
「そこで近々、ポプリ様には同盟調印のための、国境の橋を下見に行っていただきます。近くの村までは三百名の護衛をつけますが、橋の下見については精鋭三十名ほどで護衛すれば十分でしょう」
「えっ、ああ」
突然違う話が始まったので、エカルは少し混乱した。だが、すぐにフレスの意図を汲む。
「えっと、ポプリ様をエサにして盗賊団をおびき出そうってハラですか?」
「察しがいいですね。そのとおりです」
「まさか私にその指揮をとれっていうんじゃないでしょうね?」
「ちがいます」
「ちがう? ちがうってことは……」
ピタリと足を止めて、エカルは少し考える。それからハッと思い当たったように、自分の体を見下ろした。
「ひょっとして、ポプリ様の身代わりになれっていうんじゃ」
「御明察」
これにはさすがのエカルもひるんで一歩足を後ろに引いてしまった。大慌てで両手をぶんぶん振って拒否する。
「ええっ、ちょっと! 勘弁してください。私にお姫様が務まるわけないでしょう。無茶苦茶は内戦の時に散々やりましたよね。もう充分です」
「大丈夫ですよ、想像するほどポプリ様はお姫様ではありませんから。年相応の子供の部分もあります」
「そうだとしてもきついですよ。私もういい大人ですよ? いまさら子供のふりはしんどいですって」
確かに、とフレスは少し考える。ポプリと背格好が近くて、自衛能力のあるエカルは影武者としてうってつけだったが、本人としては小さな体はコンプレックスになっている部分があるのかもしれない。作戦を練り直すべきだろうか。
「そうですか……。では、何か別の方法を考えましょうか」
できればエカルに引き受けてほしかったが、無理強いはできない。フレスは誰か他に適性のありそうな者がいないかと考え始めたが、エカルはそれを止めた。
「いえ、わかってますよ、やります。ちょっと言ってみただけですから。軍師殿が私を指名するってことは、よほどポプリ様と背格好が似ているんでしょう? ならそうする方がいいに決まってます」
「しかし、いいのですか?」
「いいんです。自分だってこの体を便利に使ってきたんですから。しょうがないってことです」
確かにエカルは偵察や隠密といった行動の際に、小さな体を有効に活用していた。子供のふりをしたり、小さな隙間に逃げ込んだりといったことはしょっちゅうだった。それを今更、平和になったし気にしているからといって、体格が理由で指名された命令を拒む、というのは都合がよすぎるかもしれない。
諦めたというように、エカルは両手を挙げた。
「やりますよ、お姫様。どうすりゃいいんです?」
「まず、ポプリ様にお目通りしましょうか。確かまだ会ったことはないのですよね?」
「そうですね」
フレスの確認に、頷いて答える。
内戦のときにはそもそもポプリがザメル軍と接触したのは数回きりで、その時間も短いものだった。
それが終わってからも、今まで会う機会はなかった。ポプリが中庭に降りて挨拶をした時でさえ、エカルはアレコレと働いていて顔が出せなかったのだ。ザメルが温泉地に行ってからは、その護衛兼監視役ということで城に戻っていない。
ポプリの側でも、自分の影武者を務める兵士がどのような人物なのかと期待をしているし、作戦連携のためにもお互いの顔を知っておく必要はある。
「そんなに私に似てるんです?」
「背格好はそうですね。顔は、お化粧でごまかしましょう」
「ザメル様の娘さんなんですよね。そう考えると気になりますがね」
「あまり似てはいませんよ。母似なんだろうとザメル様もおっしゃっていました」
そんなことを言いながら、日の暮れかかった長い廊下を歩いていく。ポプリは玉座ではなく、自室で待っている。
彼女の部屋の前には、メイドが二人立っていた。
「おお、メイドさんとは。軍師殿にもおつきのメイドさんがいるんです?」
「いませんよ。ポプリ様だけです」
お金がありませんから、と言われてエカルは苦笑を浮かべた。
「領地は広いのに、貧乏なんですね」
「おっしゃるとおり。予想以上に厳しい財政です。すまないが、ポプリ様にお目通りを願いたい」
フレスがメイドたちに声をかけると、彼女たちは深く一礼。
「はい、お待ちしておりました」
と、扉を開く。エカルにとっては初めて主との対面であるが、それほど気負うこともないだろう。フレスは気軽に中に入った。
部屋の中にはポプリとコロンがいて、ゆったりしているところだった。シャトランジでもしていたのか、二人で盤をはさんでいる。
「ポプリ様、エカル殿をお連れしました。ポプリ様に代わって、橋の下見に行っていただきます」
「お疲れ様です、フレス。そちらの方が……っ」
振り返ったポプリはエカルを見るや、息をのんだ。
「どうかなさいましたか?」
「どうかもなにも、その、子供じゃないですか!」
フレスの問いかけをはねのけてポプリは立ち上がり、エカルを見ている。子供と言われたエカルは「えっ」という顔をしているが、ポプリは気にもしない。
「私と大して変わらないこんな小さい子を、私の身代わりにして戦場に送り出すというんですか!」
「いえ、あの」
「そんなひどいことを、本気で言ってるんですか!」
「その」
「もっと適任の方はいないのですか。こんなこと認めませんよ!」
ポプリはプリプリと怒っていて、フレスの反論を遮ってまで自分の意見を押し通そうとしている。
思わずフレスはコロンに目線で助けを求めたが、彼女はこの様子を見ても、何も言わない。口元を抑えて、噴き出すのを我慢しているようにも見えた。
「ぷく、くく……」
押し殺したそんな声が聞こえて、フレスも察した。笑いをこらえるのに必死で、何も言えないのだ。
失礼な話だが、本人もそうわかっているのでこらえている。フレスはどうすればいいのか迷った。迷った結果、何も言えない。
「聞いているんですか! 絶対だめです、考え直してください!」
元気よく反対意見を述べるポプリに対して、仕方なくエカル本人が深く頭を下げた。
「ポプリ様、初めてお目にかかります。エカルです」
「楽にしてください。大丈夫ですか? こんな恐ろしい任務、断ってくれてもいいんですよ?」
完全にポプリはエカルのことを年の近い友人か、妹にするような扱いをしていた。
「いえ、平気です。このくらいはいつもやってましたから」
「強がらないでいいんですよ! 別の作戦がいくらでもあります! こんなのはやめましょう」
「強がってるわけじゃありません」
エカルとしても、これまで初対面の人間から子供とみられて侮られることは多かったが、こうも強く心配されては困惑が勝った。
「そんなにかしこまらなくてもいいんですよ! 嫌なら嫌と言っていいんですよ!」
「別にそういうわけじゃないです。軍師殿、助けてくれないんですか?」
そう言われて、フレスが動こうとしたとき。ようやくコロンが笑いを奥底にしまって咳払いをした。
「おほん、ポプリ様。エカルは有力な兵士の一人なんです。ムスクのように大将軍でも騎士でもありませんが、まだ敵には彼女の優秀さが伝わっていない。この任務には最適なんです」
「そうなんですか? でも」
「本人も納得しているんですし。フレス殿は、仲間を切り捨てるような作戦なんてとりませんよ。だから信じてあげてください。それと、盗賊団を退治出来たら、たくさん褒めてあげたらいいと思います」
「たしかに、そうかもしれないけど」
まだ心配が勝っているのか、ポプリは目の前の小さな戦士をみている。しばらくしてから、やっと
「仕方ないですね。でも気が変わったらいつでも私に言いに来てください! 絶対無理しないで、危なくなったら逃げていいんですから!」
と念押ししながら作戦を受け入れたのだった。
「もちろんです。必ず無事に帰還します」
丁重に頭を下げて、エカルは退室していく。フレスも続こうしたが、ポプリが呼び止める。
「フレス、あなたは少し残ってください。お説教です」
「わかりました。エカル殿、すみませんが訓練所にいてください。リッシュもそこにいますから」
すでに扉をくぐっていたエカルが振り返って、頷く。それを見届けてからフレスは主君に向き直った。彼女はずいぶん怒っている。
「まったく! 少し目を離したらなんてことをしているんですか! いくら優秀でも、子供を矢面に立たせて恥ずかしくないんですか?」
「それなのですが……」
「いえ、わかります。内戦で戦わざるを得なかったということは。それでも言わせてください。こんなの間違っています! ムスク将軍もこんな作戦を承知したんですか?」
どうもお説教が止まらない。口をはさむ余地もなかった。
仕方なく、フレスは手のひらをポプリに向けて差し出す。強制的なストップである。
「むぐっ、なんです? 話は終わってませんよ」
「ポプリ様、落ち着いてください」
はっきり、少し強い声で言う。ポプリは不満そうに両手を腰に当てる。
「落ち着いています。だからこそ怒っているんです。内戦でどうしようもなかったことは知っていますが、それを今になっても引きずるのもどうかという話です」
「違います。前提が間違っているのです。その、事前に伝えておかなかった私が悪いのですが」
「前提? 何の話です?」
少し話を聞く気になったのか、ポプリは元の椅子にかけなおした。
フレスはどういえば誰も傷つかないのか考えたが、結局何も思いつかない。そのまま口にした。
「実は、エカル殿は既に成人されています。内戦の初期、それこそ私より早くザメル様の決起に参加されている最古参の一人です」
「はあ?」
ぽかんと、ポプリは口を開けた。
「私が参加する前に、戦いを仕掛ける先や、戦い方を考えて決定されていた方なのです。私は彼女のことを、先任の軍師だと考えて、今でも憚っています。それほどの方なのです」
「先任の、軍師ですか?」
「はい」
腑に落ちない、というよりも理解できない、という風であった。何を言ってるのかわからない、というようにポプリはじっとフレスの顔を見つめた。
どうにもならないので、フレスはさらに言葉を重ねる。
「それに、エカル殿は圧政で両親も兄弟も、家も土地も、それにその、純潔まで。全てを失いました。だからこそ、ザメル様の決起に参加されたのです」
「えぇっ」
と答えたのはコロンだった。先ほどまで笑っていたが、実はとんでもなく暗い過去を持った悲しい戦士だったと知って衝撃を受けている。
ポプリはといえば、ついていけないのかぼんやりとしたような顔のまま、黙っていた。
「振る舞いや態度が軽いので、そうは見えないかもしれません。ですがエカル殿も他の兵士たちと同じように、大変な苦労をされてきた方です。どうか、そのあたりを誤解されないようにお願いします」
「ちょ、ちょっと待ってください。ずっと前から? フレスが参加する前から、戦っていたってことですか? もうすでに大人になっているということですか?」
混乱しながらも、ポプリは質問を投げかけた。それらすべてにフレスは頷いて応えた。
「その通りです。小柄な体は戦いには不利ですが、彼女は利点を見出して偵察や奇襲をしかけてくれました。それに、何度も作戦の相談もして、話し合いもできました。頭も切れる、稀有な存在です。私は彼女を高く評価しています。覚悟も勇気も併せ持った、立派な大人の戦士です」
「あの、間違っていてほしいのですが。整理するとつまり、あなたが憚って遠慮するほどの人を、私は子ども扱いしてしまったということですか?」
「はい、残念ながら」
ポプリは椅子から立ち上がって、自分の顔を両手でおさえた。大変な失敗をしたということを、ついに自覚してしまったのだ。
「どうして止めてくれなかったんですか! これじゃ私は最低の人じゃないですか!」
「そうしようとはしたのですが」
「と、とにかくすぐにエカルを呼び戻してください! 謝らないと!」
焦っているのはポプリだけではなかった。コロンも青い顔をしている。大人だということは聞いていたのだが、重すぎる過去があるとは思っていなかったのだ。笑ってしまったことは、コロンにとっては一世一代の失敗である。
「呼びもどすのですか? ポプリ様は領内で一番立場が高いお方です。エカル殿には私から説明しておきますし、誤解が解ければそれで十分です」
フレスはそう言った。誤解はあったが、ポプリも悪気があってあのような態度をとったわけではない。次から気を付ければいいだけで、エカルのほうも悪印象を受けたということはないはずだった。
「た、たしかにそうですが」
ポプリは迷っている様子だった。謝らなくていい、と言われれば揺らいでしまうものである。誰だって自分の間違いを謝罪するのはやりたくないものだ。
しかし最終的にポプリは首を振った。
「いえ! 決心が鈍らないうちに呼んできてください……。あ、違いましたね。謝罪に行きます。訓練所に私も行きます」
「わかりました。では、参りましょう」
フレスは同意して、ポプリを連れて部屋を出ようとした。これをみたコロンが慌ててついてくる。
「わ、私も謝ります。見た目だけで笑ってしまったことを」
「コロン。別に私に付き合うことはないんですよ」
振り返って、ポプリは気遣った。コロンも折れない。
「さすがに私が笑ってたことはばれているでしょう! 謝っておいた方が今後円滑です」
そういう計算もあると自白したが、それでも謝罪に行くだけ立派だ。フレスは何も言わずに頷いた。
訓練所に三人で歩いていく。
先に立って歩くつもりだったが、ポプリはフレスの隣に並んだ。
「はあ、やってしまいました」
ポプリは明らかに肩を落としている。気にしているのだろうか。
「当人も子ども扱いされることを半ばあきらめているくらいです。仕方ありません」
「慰めないでください。なんだか、カッとなってしまったんです。あんなに小さい子供をって。ちゃんと話を聞けばよかったのに」
フレスの言葉も拒否して、ポプリは真摯に反省しているようだった。とはいえ深刻になり過ぎるのもよくはない。
「ポプリ様は、小さい女の子がお好きなのですか?」
「悪いですか? だって、かわいいじゃないですか」
「ファリアをいつもかわいがっていただいていますし、ネルカ殿のことも気に入っておられましたね」
「ファリアをかわいがるのは当たり前ですが、ネルカさんのことは大人だと思ってましたよ。今言ったらまるで私が小さい女の子ならなんでもいいみたいじゃないですか!」
ルシアン領の使者ネルカも小柄な方だったが、さすがにポプリやエカルよりは背丈があった。ポプリはそこまでひどくはないと言い返し、少し元気を取り戻す。
やがて訓練所にたどり着くと、エカルが乱雑に置かれた木箱に腰かけているのが目に入った。片づけ損ねたまま隅に置かれた空き箱だが、ちょうどいい椅子代わりになっている。彼女の視線の先には、リッシュとククランがいる。二人で訓練として打ち合いをやっているのだ。
他にも兵士たちはいたが、皆この打ち合いに注目していた。
「おう、ククラン一発くらい当てろよ! 俺の晩飯がかかってんだぞ!」
無責任に誰かがそんなヤジを飛ばしているのが聞こえた。
「馬鹿野郎! リッシュてめえぶっ飛ばしちまえよ、一撃ももらうんじゃねえぞ!」
「リッシュ、リッシュ! おめえには 俺の酒代がかかってんだぞ!」
「一分持ちこたえろ! それから負けろ!」
たちどころにヤジが増えて大きくなる。兵士たちはどうやらこの打ち合いをダシにして、賭博をしているようだった。
「フレス、あれはいいんですか?」
「よくはありませんね」
ポプリに指摘されて、フレスは言い訳ができない。
「しかし、ちょうどいいところですからリッシュの実力をみましょう。ククランも決して弱い兵士ではありません」
「ああ、止めないんですね」
彼の様子を見て、コロンも見物に入った。端の休憩所から椅子を持ってきて、ポプリを座らせる。
ポプリたちがやってきたことは、兵士たちにはまだ気づかれていないようだった。誰もがリッシュとククランの打ち合いに集中している。木箱に座っていたエカルが一瞬、目をこちらに向けたが、すぐに戻した。おそらく、気づかない方がいいと思ったのだろう。
リッシュとククランの打ち合いは、一方的に見えた。ククランが攻撃を繰り返し、リッシュはそれを余裕を持って防いでいる。木剣が時折ぶつかりあう、鈍く高い音が響く。
「もう少しで一分だ! そのまま耐えろ!」
「馬鹿! 一発くらい入れろ!」
ヤジもどんどん増えている。皆、大事なものでもかかっているのか必死に叫んでいた。
ククランは滴り落ちる汗もかまわず、リッシュの肩、胸、足と次々攻撃を仕掛ける。華麗な連続攻撃だが、それらをリッシュは軽い動作でかわしている。時に防ぎ、時にかわして、見事な防御だった。
と、一瞬で攻防が入れ替わる。足への攻撃をかわした瞬間に、「ふっ!」と気合を入れたリッシュが反撃に転じた。右手一本で薙ぎ払った木剣がククランの脇腹をとらえる。
「ぐへ!」
すくい上げられたようにククランの体が浮き上がって、一回転。彼は武器を取り落として地面に顔から着地する。
立ち上がろうとするより早く、リッシュがその喉先に木剣を突きつけた。
「はい、リッシュの勝ち。一分もたなかったな!」
この様子を見ていた兵士の一人がそう言って片手を挙げた。どうやら彼が賭けの胴元であるらしい。
「よしよし、結果は一分持たずのリッシュ勝利だ!」
「オッズは二割増しだったな! あとのやつらはごちそうさま。俺の酒代が潤ったぜ!」
「この野郎、八百長だ!」
「ククランてめえ情けねえ!」
一瞬で観客となっていた兵士たちのもみ合いが始まった。ほとんどケンカである。乱闘だった。
リッシュは木剣を弄びながら深い息を吐いてふと振り返り、フレスたちの存在に気づく。そして、いつものように声を上げてしまった。
「ああ、軍師殿。それに、ポプリ様も。声をかけてくださればよかったのに」
「えっ?」
エカルも今気づいたように振り返った。
「なに、ポプリ様?」
兵士たちも振り返った。全員が、主君の前で賭博の上に乱闘をしていた現場を見られたことに、気が付いたのだった。
「ちょうど訓練をしていたところでした。何か御用でしたか?」
リッシュは全く臆することなくフレスと話そうとしている。
エカルは木箱から下りて、片膝をついた。それを見た他の兵士たちも、あわてて片膝をつく。しかし、もうすでに遅かった。
「いや、楽にしてくれ。特に何か用事があったわけではないから」
フレスは一応そう言ってみたが、「今から怒られるんだろうな」という兵士たちの間の空気は変わらなかった。
とはいえ、彼自身はこのようなちょっとしたことでいちいち怒鳴り散らすつもりはない。ポプリやコロンの手前、見て見ぬ振りもできないが最小限にしたかった。
「鍛錬に精を出してくれていてありがたい。ところで、何か賭博をしていたような声が聞こえていたが、気のせいかな」
あまり言いたくないと思いながらも指摘したが、リッシュから返ってきたのはあっさりしたものだった。
「私は真面目に訓練をしていただけですよ。こいつらが勝手にそれを面白がっているだけです」
「リッシュ、そりゃねえだろ。お前も自分に賭けてたくせに、ひとりだけ逃れようとすんな!」
兵士の一人が叫んだ。
「銀貨一枚だけだ! それにお前らが『自信がないから賭けない』とか煽るからだ!」
「自白してんじゃんか」
エカルが冷ややかに小声で指摘したが、リッシュは聞こえていないふりでふんぞり返る。
「つまり、問題ありません」
「まあ、事情は分かった。リッシュ、君の腕が冴えていることはよく伝わった。頼もしい限りだ」
フレスは一旦褒めた。さきほどの打ち合いでは、ククランを全く寄せ付けない強さを見せたことは事実だからである。
「ところで」
と、話の先を変える。フレスはリッシュから片膝をついたままのエカルに視線をうつして、そのまま彼女に話しかけた。
「エカル殿は武勇にも優れていましたね。戦場では何度も私を守ってくれました」
「えっ、私ですか? まあ、それなりには」
顔を上げたエカルが曖昧にこたえる。
後ろでポプリが息をのむのがわかったが、フレスは振り返らない。
「申し訳ないのですが、ここでリッシュと打ち合ってみてくれませんか。ポプリ様があなたを送り出すのを不安がっておられて。どうか、変わらない実力を見せてください」
「リッシュと? それは骨が折れますね」
エカルは面倒くさそうに唸った。
ポプリが椅子から立ち上がろうとして、コロンにおさえられる気配がする。それでもフレスは振り返らなかった。
「小さい木剣が確かありましたよね? 長いやつは手に余るんで」
エカルは立ち上がって、訓練所の隅に歩いた。武器ラックから訓練用の武器を見繕い始める。
「ちょっと、軍師殿」
一方のリッシュはフレスに近づいて、さらなる弁明を始める。
「賭博なんて大したもんじゃないですよ、本当にちょっとだけのお遊びですって。いつものことなんです、大丈夫です!」
「いつものことだから問題なのだ」
「ぐむっ」
もちろん、あっという間に論破されて、項垂れた。
だがそれでもなんとか抵抗をしようとする。
「すみません。でも、いつものことすぎてやめろとおっしゃられても正直無理です」
「すごいことを言っているな。だが、今は別に罰として特別訓練をしろと言っているんじゃない。エカル殿に戦う力があるとポプリ様に知っていただけたらそれでいい」
「そうなんですか?」
「君が打ち合いたくないというなら、別にククランでも、他の誰でもいい」
「それは待ってください。これで逃げたら臆病者みたいじゃないですか。大丈夫です」
話している間に、エカルが戻ってきた。少し小振りの木剣を持っている。
「これでもちょっと長いけど、いいか。言っとくけどリッシュ。私はここんとこ、ザメル様に付き合わされてたんだ。ストレスがたまってる」
「なんだ、脅しか。私を誰だと思ってるんだ。力だけならザメル様以外、誰にも負けない自信があるんだぞ」
リッシュはこれをうけ、持っていた木剣を肩に軽くかけた。受けて立つぞ、という笑いも浮かべる。
二人は、ゆっくりと訓練場の中央に歩いていった。いつでも打ち合いが始められる姿勢になる。
それを呆然と見ながら、ふとコロンが声を上げた。
「あの、そういえばムスク将軍はどこに?」
「ムスクなら今頃は城下です。働いている子供たちの警備と手伝いです」
「ああ、引率ですね」
「実質はそうですね。ただまあ、警備という名目です」
フレスはあくまでも名目にこだわった。引率だと完全に託児所のようになってしまうからである。
「では、二人の決着をきちんと審判できる人がいませんね」
そう言われたので、フレスは一人の兵士の名を呼んだ。
「ルベッサ、君が賭けの胴元だったな」
「ひえっ! すみません。出来心で」
混乱の中心にいた胴元の男は、お決まりの謝罪を口にする。
フレスは彼に告げた。
「今回は処罰しないから、ポプリ様にわかるよう、二人の戦いを見届けて勝敗を確認してくれ」
「へっ? それでいいんですか。それなら」
厳しい罰を受けると思っていたらしいルベッサは、処罰しないと聞いて調子よくリッシュとエカルの間に立った。
「時間制限を設ける。二分だ。決着がつかないときは私が止める」
「わかりました。で、軍師殿」
「どうした?」
「始める前に、五分でいいんで時間をくれませんか。こういうときにやっとかないと、その……ムスク将軍は融通がきかねえんで」
「大した面の皮だな、ルベッサ」
思わず呆れのため息が出た。確かにムスクは堅物だが、だからといって軍師と君主と宰相がそろっている前で『賭けをやるから時間をくれ』というとは。
しかしポプリを見ると、かなり不安そうにしている。歴戦の戦士だと説明されても、エカルが戦うということ自体が怖いのだろう。それを緩和させるためにも、兵士たちが緊張しているよりは、ヤジなどを飛ばしながらでも安心して見守っているほうがいいかもしれない。
これから盗賊退治のための遠征もある。ガス抜きはしておいたほうがいい。
「だが、わかった。五分だけ私は後ろを向いている。お前たちの間での金銭のやり取りについては、あずかり知らないこととしよう」
「ほんとですかい!」
ルベッサがこぶしを握って嬉しそうにする。堅物ムスクの元での訓練が続いて、鬱憤がたまっていたのかもしれない。
「ただし」
「なんです?」
「倍率が決まったら、コロン様にも知らせてやってくれ。あの方はそういうのがお好きだ」
「ああ? まあ、わかりました」
と、フレスが後ろを向いた瞬間、「おい、どっちだ!」「リッシュに決まってるだろッ、銀貨十枚だ!」「釣りがねえから金貨はやめろ!」「最低銀貨一枚からだ!」といった怒号がその場に広がった。ルベッサの周りに兵士たちが熱狂を持って群がり、倍率も決まらないうちから銀貨が散らばった。
その様子を見ないようにして、ちらりとリッシュを見れば、宣言した通り早速この賭博に参加していた。
「私だ、私に賭ける! 倍率は!」
と唾を飛ばしている始末である。
エカルは訓練所の中央で立ったまま、腰や腕を回して準備運動をしている。
「これ、何が始まってるんです?」
ポプリはあまりの熱狂に、混乱していた。
「いえ。ポプリ様にエカルの実力を見ていただこうと思ったのですが、賭博が始まってしまいました」
「えっとつまり、リッシュとエカルのどちらが勝つのか、お金を賭けているということですか?」
「おっしゃるとおりです。ああ、倍率が出たようですね。コロン様、よければどうぞ」
ルベッサが混乱の中で差し出してきた一枚のメモを、フレスはそのままコロンに渡した。
ポプリは完全についていけておらず、椅子に座ったまま理解できないという顔をしている。
「この倍率は露骨すぎでは? リッシュが二割増し、エカルは四倍。うーん、これは悩みますね」
完全に胴元の一人勝ちになるような露骨すぎる倍率に、コロンは唸っている。
「エカル殿は内戦の時も皆と一緒に戦うということはしませんでしたからね。それに前線で戦う機会もそんなに多くなかった。実力を知らない者が多いのでしょう」
「リッシュもそうなんですか? すごい剣幕ですけど」
そう言ってコロンが指をさした先では、リッシュが「私に銀貨十五枚だ! 賭け札を早くよこせ!」とわめき散らしていた。
「あれは自分に自信があるだけでしょう。リッシュも強いですからね」
「そうなんですか? まあ、四倍なら私はエカルに賭けましょう。三枚賭ければ金貨になるんですよ。ちょっと行ってきます」
コロンはにっこり笑ってルベッサに近づいていく。兵士たちの熱狂の中にも堂々と入っていってしまった。ポプリ領の宰相として、兵士たちにも臆しないようになってきたのかとフレスはぼんやり思った。
主君のポプリはといえば、倍率表を見ながらまだ怖がっている。
「みんなリッシュが勝つと思っているんですよね? その、やはり危険なのでは」
「危険であれば、こんなに熱狂できません。きちんとルールがあるからこそ、そして怪我をしないとわかっているからこそ、こうして盛り上がれるのです。大丈夫ですよ」




