29.ジンジャーブレッド
長い昔話を語りつくしたリッシュは、自慢げに胸を張って締めくくった。
「だから、軍師殿は信じるべきなんだ。何かおかしいなということを言い出した時は、大抵裏がある。というか、最近思ったんだが、軍師殿がいるときは全部考えることは任せといても大丈夫じゃないか」
「それは無茶苦茶です。さすがに行動の可否は自分の頭で決めたほうがよろしいかと」
ムスクは同意せず、渋面で腕を組んだ。
「ですが、お二人の絆はわかりました。確かに尾籠な話でもありましたが、それほどの絆があれば強固な信頼があることも納得できます。それに、血を分けた兄弟だとは。なかなか真っすぐにそういうことは言えませんぞ」
「そうだろう。私も涙がこぼれた。ザメル様が確かに常々言っていたが、あの方はあの通りのお方だから『まあスローガンみたいなもんだろ』とか私も思っていたのだ。ところが軍師殿は、正面からそれに向き合っておられた。それは私とカルバンを助けたことで証明されている! 内戦は色々とつらかったが、今思えば悪いことばかりでもなかったか」
目を閉じて、リッシュは昔を思い出しているようだった。
とうに資料の訂正を終えていたフレスは、苦笑いで応える。
「夢を壊すようで悪いが、あのときは余裕がなくてな。なるべく君が気に病まないような言葉を選んで話しただけだ。全員が血を分けた兄弟だ、平等だなんてことを実践していたとは、今思い返してみても、とてもいえないだろう」
「別に夢は壊れませんよ。そうやって謙遜しておっしゃったって、私やカルバンを助けたことは変わらないじゃないですか。それに、毒沼に落ちたクースを助けたこともありましたし、危険を冒してシャコナの死体を回収したのも軍師殿でしたよね?」
「そんなことは当たり前のことだ。偉そうに命令をしている者が助けにもいかずに見捨てていたら、それこそ軍が崩壊してしまうだろう。もちろん、私が助けたかったことも事実だが」
そう言ったところで、ムスクが膝を打った。
「なるほど。確かにその通りですな。人望を集めておかねば、いざ命令を下しても誰も従ってくれないと」
「まあ、そういうことだな。それより会議の話に戻ろう。盗賊団のことはエカルも呼び戻すから、彼女とも相談してやってくれ」
資料を配りながらフレスはそう話をまとめた。
「そういえば」
とリッシュが口をはさんだ。
「軍師殿、なんでエカルだけ変な呼び方をしてるんですかね、エカルどの、って」
「敬称か。彼女は私が入る前に、ザメル軍の方向性を決めていたからだ」
「え、あれ。そうでしたっけ?」
思い出そうと、首を傾げて唸る。結成当時のことは覚えていても、細かいことは忘れているのかもしれない。
「聞いた話では、私のいた輜重部隊を襲おうと提案したのがエカル殿だったと。本人もそうだと言っていたし、つまり、私より先任の軍師と言ってもいい。たとえわずかな期間であっても、彼女を立てることは当然なので、『エカル殿』と。ロンシャロンを捕らえたあと、『さすがにもういいよ』と怒られたが」
「変わってないと」
「いまさら呼び捨ても慣れないんだ。とりあえずもう人を送ってあるから、エカル殿は明日の夜には戻ってくる。そこから相談だ」
フレスがそう言ったが、ムスクが疑問をはさんだ。
「エカルは今どこにいるのですか?」
「ザメル様と温泉地にちょっとな。あの方は放っておくと何をするかわからないので、彼女にいてもらっていた。呼び戻すとあちらが不安だが、かわりにクースを送るつもりだ。それでどうにか」
とはいえ、クースではザメルに率直な意見は言いづらいだろう。誰か頼れる者がいればいいのだが。
そう思うがここはエカルがいないとどうにもならない。彼女を十日後にはルシアン領との国境まで送る必要もある。
「他にもいろいろと話したいことがある。特に今必要なのは、塩を扱う行商人たちとの取引、砂糖やシロップの産業保護、それにオルガリア領との……」
そう言ったところで会議室の扉が叩かれ、兵士が入ってきた。ククランだ。
「軍師殿、香辛料商人の代表だという方が来られ、面会を求めていますが。客間でお待ちです」
「わかった。すぐにいく」
フレスはそう答えて、深く息を吐いた。
「どうやら時間切れだな。ムスク将軍、君も一緒に来てくれ。塩値のことを詳しく詰める必要があるし、おそらくやってきた商人との顔合わせもしておいた方がいい」
「塩の値ですか? 調節するという話は聞いておりますが」
三人そろって応接室に行く。扉の前にメイドがいた。
「中にはポプリ様とコロン様がいらっしゃいます」
おや、とフレスは首を傾げた。コロンは宰相なので話を聞きに来るのはわかる。だが、ポプリまでが直接来る必要はない。むしろネルカとの交渉や叙任式で疲れただろうから、休んでいてくれた方がよかった。
訝し気な気持ちで扉を開けると、奥の席でポプリが背筋を伸ばしていた。そのそばにコロンも立っている。
「フレス、来てくれましたか。塩の話をするのでしょう? 私も聞きます」
ポプリがこちらに顔を向けて、そう言った。
「ポプリ様、コロン様。お疲れでしょう、お休みになっていてよかったのですよ」
問いかけてみると、コロンが胸を張ってこたえる。
「まだお化粧を落とす前でしたし、この際、かわいいポプリ様を見せびらかそうと思いまして」
「それは」
まさか本気ではないだろう。フレスはポプリの顔を見た。
「いえ、本当はいつもの服でお化粧も落としたかったです。でも、コロンがどうしてもというので」
「内容は後でお伝えしますが」
「それでもいいんですが、今日は時間があるのでせっかくなら自分の耳で聞こうと」
心掛けは立派だが、商人たちが委縮してしまわないか心配だ。我が領の重鎮がこれだけ揃って出迎えるとなれば、何かあるのかと疑われてしまう。しかし主君の思いを煙たがるというのもよくない。
「わかりました。それでは皆で聞きましょう、少し長くなるかもしれませんよ」
ポプリの左隣について、フレスは座った。そのさらに左にムスクがつき、リッシュは壁際に立った。
「コロン様もおかけになってください」
「そうさせてもらいましょうか……ところで、ポプリ様のデビュタントとかはしないんですか? 一応三貴族なんですが」
「その予定はありません。ポプリ様をそこらの貴族子女と一緒にされては困ります」
コロンの問いにフレスは答えた。彼女はどうやらおめかしをしたポプリをあちこちに自慢したいようだが、デビュタントはそう気軽なものではない。今は見送ったほうがいいという判断だ。
「まあそうかもしれません。こないだ視察に行ったデビュタントも、デュポア領の娘が暴走してました。勝手にドレスを脱ぎ捨ててズボン姿で壇上に上がってましたよ」
「それは……」
さすがにそういう大事件は例外中の例外である。普通、デビュタントとはきちんとしつけられた貴族女子たちが厳しいルールの中で行うものである。
そうしている間に、準備が整う。
「とにかく、今は商人の話を聞きましょう」
部屋に商人が招き入れられた。
やってきたのは黒ターバンを頭に巻いた、城に塩を卸すことを約束してくれた男だったが、部屋の中の状況を見てたじろいだ。彼についてきた従者らしき二人も、何人もの人間に囲まれたことで驚いている。
明らかにこの場に見合わない幼い女がいる。しかも、その頭には二本の触角が飛び出しているのだ。魔王種の女。
「こ、これは、軍師殿。お約束にしたがって、塩を納品させていただきにまいりましたが、こちらは……?」
「よく来てくださいました。こちらのお方は我が領の最高責任者であるポプリ様と、宰相のコロン様です。最初に塩の値下げを決めてくださったあなたにぜひ直接お礼をとのことで」
フレスは彼の顔を知っているので、立ち上がって彼を招き入れる。ついでとばかりに主君と宰相の紹介もした。
そんなことまでは言ってない、という顔をコロンがしているが気にするはずもない。
「そうでしたか。ロンシャロン軍を追い払い、圧政を終わらせていただいたザメル様のご息女と伺っております。私どもの方こそあらためて礼を言わねばなりません。まことに、ありがとうございました」
ポプリが魔王種であるということはすでに領民たちに知れ渡っている。この商人の男もそれを承知していたので、きちんとポプリに向かって頭を下げる。
話を振られたポプリは鷹揚に頷いた。
「それを成し遂げたのは父ですが、代わって礼を受け取りましょう。私たちはロンシャロンを倒したあと、政府としては弱い立場にあります。あなたはそれを助けてくれるとのこと。私からもあらためて礼をいいます。ありがとう」
そしてにっこり笑った。塩を納品してくれる商人ということで、心から笑えているようだった。
「恐れ入ります。私どものような一介の商人に、身に余る光栄です」
彼が頭を下げたところで、フレスが話に入った。
「それで、タバル殿。塩の値についてですが」
この商人の名を出し、ネルカとの交渉結果も踏まえた提案を繰り出す。半年間は関税を上げられないが、下げることはできる。香辛料に関する関税を撤廃することも、合意で決められている。この条件をのんだからこそ、ネルカは金貨一万枚と官僚二百名を貸してくれるのだ。
「はい、しかしまずは商品をご確認いただきたいのですが」
「確かに。どちらにありますか?」
「こちらにはサンプルをお持ちしました。他は荷馬車で厨房に回しております」
「リッシュ、すまないが厨房にまわって確認してきてくれないか。誰かわかる者、調理兵かメイドの誰かと」
指示を出すと、控えていたリッシュは「わかりました」と素早く部屋を出ていく。
そうする間に、タバルが従者たちから小さな塩の袋を受け取り、机の上に出した。二つのシンプルな紙袋で、中身は白い粉。片方は粒がより細かく茶色がかかり、もう一つは少し荒いが、より白い。
「こちらの少し色のついているほうがルシアン領から仕入れた海塩です。少し粒が荒いほうが、懇意にしている精製所から仕入れた岩塩です。よければ、味の違いを見ていただければと思います」
「なるほど」
フレスは椅子を飛び降りようとしているポプリを制しながら、自分が先に塩をとった。それぞれ味わいを比べてみると、海塩のほうが味に奥行きがあるように感じられる。塩味の中にもわずかな甘味や渋みがあった。対して岩塩には純粋な塩味があり、尖った味に思えた。
「ポプリ様もどうぞ」
「はい……、辛いですね」
そう言われて粒をいくつか舌にのせてみたものの、触角をピクピクと震わせて、ポプリは顔をしかめている。舐めたものは岩塩だった。
「そちらが我が領で作られている岩塩由来ものですね。純粋な塩味を得ることができます。塩だけで味をつけるのであれば、ルシアン領の海塩のほうがいいでしょう。こちらもお試しください」
コロンも提供された塩のサンプルを確かめているようだが、特に何も言わなかった。ふんふんと頷くだけだ。
それを尻目に、ポプリは淡々と自分の思ったことを率直に口にしている。
「こっちのほうが好きですね。辛いだけじゃないです」
「正直でいらっしゃいますな」
タバルは苦笑いをしながら、二つの塩の袋を仕舞った。
「本日納品させていただいたのは、ご注文通りに海塩を四分の三、残り四分の一を岩塩としております。先に納品は致しますが、値下げした後の価格でお支払いいただくことになっております」
「はい、ご無理を言いました」
「問題ありません。香辛料もお買い上げいただきましたので。それより軍師殿、民衆向けには、値下げをいつ頃からさせていただきますか」
まじめな内容だった。以前の会議で値下げをすることには同意していたが、その時期をまだ伝えられていない。
フレスは昨日あたりに通達を出していたのだが、タバルはそれとすれ違いになったのだろう。
「五日後に統一してお願いしようかと。そのための通達に人を出していたのですが、入れ違いになりましたか」
「なるほど、不公平が出ないようにですね。ひとまず三割引きでよろしいのですか?」
商人のタバルは日付の統一に込められた意図を的確に見抜いた。
「はい、ロンシャロン政権以前の価格に戻すには、段階を踏みます。まず三割、半年はそれで様子を見ます。民衆の生活を塩値が直撃しているのは事実ですが、いきなり下げ過ぎると暴落したとみなされます」
「少しずつ下げて、自然さを見せるのですね」
「それで、値引きする理由ですが」
フレスは以前に決めていたことをタバルに伝える。
「ロンシャロン政権時代の文官が完全に粛清されたからだということにしてください。彼らは私も一度再雇用したのですが、廃止したはずの地税を勝手に集めて私腹を肥やそうとしていました。それを見抜いた部下たちが粛清し、今はもう不正を働く者はいません。そして、こちらにいる大将軍ムスクが塩の値段が彼らによって管理されていたことを多数の書類から見抜き、コロン様に伝えました」
えっ、とムスクとコロンが目を見開く。自分たちも知らない、自分たちの活躍がフレスによって語られている。大嘘なのだが、いかにも彼は事実であるかのようにスラスラと語っていく。
「コロン様は不当な塩値の吊り上げに怒り悲しまれ、経済に混乱をきたさぬ範囲で値下げを命じられた。そのおかげをもって、タバル殿はようやく、民衆の期待に応えることができる。これまでのロンシャロン政権の元では高値をつけざるを得ず、人々の苦しみに目を背けるしかなかったが、これからはお互いにとって有益な取引ができるのです」
「なるほど、そういう筋書きですな」
タバルはすぐさまフレスの意図を察知した。
「そこまで配慮いただいてよろしいのですか? それとも、ムスク将軍の活躍を触れ回ってほしいということですか?」
「コロン様もです。こちらにおられる宰相コロン様は、とても数字に厳しいお方です。厳しいだけではなく、人々の生活を心配するお優しい方であることを民衆に届けてほしいのです」
「なるほど、そういうことですか」
「ちょっとフレス、嘘はやめてください。提議から話し合い、決定まで全部あなた一人でやったことじゃないですか。文官を追い出したのも随分前の話だし、無茶苦茶です」
ポプリが怒ったように両手を腰に当てて、そんなことを言ってくる。だがフレスは笑って答えた。
「もちろんです。コロン様も、タバル殿もこれが嘘であることはわかっています。ですが、本当のことを言うとタバル殿や我々は悪者になってしまいます。以前ポプリ様がおっしゃったように、我々は本来なら塩を専売化して強引に価格を下げて、民衆を救うべきだったのですから。しかしこの嘘をつけば、強引なやり方を選ばなかったが、できるだけの努力をしたと人々も思ってくれます」
「でも、言い訳じゃないですか」
「そうです。言い訳です。しかし我々には塩を専売化するほどのノウハウも、お金もなかった。それも正直に民衆に伝えますか? そのようなことをすれば政府には力がないと思われて、ナメられます。侮られると、犯罪が増えます。犯罪が増えると人々が離散していきます」
「む、むう。政治っていうのは嘘ばっかりなんですね」
ポプリは腰に当てていた手を持ち上げて、腕組みをして首を傾げた。
「仕方がありません。いつか我々が本当に力を付けたときには正直な政治ができるかもしれませんが、今は誤魔化し続けるしかないんです。我々がちょっと嘘をつくだけで人々が困らないのなら、よろこんで嘘をつくしかありません」
「ええー……。コロン、あなたからもちょっと言ってやってください」
悪びれないフレスに対して、ポプリは援護要請を繰り出す。
とはいえ、コロンとしても何も言えることがなかったが、主君からそう言われた手前何か言わねばならない。
「そうですね。次からはせめて私とムスク将軍の承認をとってから嘘をついてください。私は厳しいですよ、とっても数字にうるさい鬼宰相ですからね」
「わかりました」
勝手に厳しい宰相にされたことに対して、皮肉を言ったつもりだったがフレスは軽く頷いただけだった。
ポプリは深く息を吐いた。
「もういいです。それより、香辛料も納品してくれたんですよね? どんなものなんですか? おいしいですか?」
「香辛料はそれだけで食べるものではないんですよ、ポプリ様」
コロンが子供をたしなめるような口調で言う。するとポプリは眉を寄せて顔をしかめた。
「そんなこと知ってます。でも、ジンジャーブレッドはよかったじゃないですか。他の香辛料もあれくらいおいしいものが作れるんですよね?」
「ああ……、なるほど」
ポプリ様の香辛料知識というのはそこなのか、とフレスは得心した。だがジンジャーブレッドは焼き菓子だ。ロンシャロン政権が始まってからはそんなものを作る余裕などなかったはず。
「ポプリ様が最後にそれをお召し上がりになったのはいつ頃でしたか?」
「収穫祭のときですね。そういえば、もう三年も食べてないです」
フレスはそれを聞いて、喉の奥で唸った。ポプリはまだ幼い。もちろんファリアやノースよりは年上だが、それでもまだ子供だ。子供の三年は長い。ロンシャロン政権下では収穫祭は行われなかった。金の無駄だとされて、中止に追い込まれた。そのような圧政下ではジンジャーブレッドなど食べる機会はなかっただろう。
「パンケーキもいいですが、ジンジャーブレッドの味も思い出さずにいられないのです」
「わかりました。収穫祭にはぜひ、ジンジャーブレッドも出してもらえるように商会にお願いしておきましょう」
「まだそんなに待つんですか? ジンジャーも今、買ったんじゃないんですか?」
ポプリは露骨に文句を言っている。もはや、大事な商人との交渉の場であるということは完全に頭からとんでいるらしい。
「もうお砂糖がないんですよ、どこかの誰かのせいで」
コロンが腕組みをして、横目でフレスを睨む。もちろん、フレスは軽く受け流す。
「はい、ネルカ殿が急にいらしたせいです。ですが、ルシアン領からのお金が届けば領内生産の砂糖やハニーシロップが買えます。そうすれば、その味見のためにジンジャーブレッドを作ることもあるかもしれません」
「ほんとうですか!」
パッと笑顔を咲かせて、ポプリが机の上に乗り出した。




