26.リッシュとフレス-③
回復までは三日ほどもかかった。
フレスが熱心な看病を続けてくれて、エカルも周辺から滋養に効くという薬草を集めてくれた。味は良くなかったが効果はあり、少しずつ楽になったのだ。命が救われた、という感覚がある。なんとか立って動けるようになったが、まだ完調ではない。
リッシュはまず、ザメルへの報告に向かった。フレスもそれに付き添ってくれている。もうすでに、反抗的な気持ちも不満に思う気持ちも消し飛んでいる。処刑されるならそれも仕方ないと受け入れる覚悟で、彼の前に出た。
「この度は、迷惑をおかけしました。私の軽率な判断が全ての原因です。どのような処分も甘んじて受けます」
かなり大きめの椅子に座って、足を組んだままのザメルはこの謝罪を受けて深いため息をついた。
「えらく、しおらしいな。さすがにこたえたか」
「はい」
リッシュは認めた。極限の恥辱を味わった今、もう怖いものはない。
ザメルはこぶしを握って、それに息を吹きかけたが、手を下ろした。
「まったく、バカが。一発殴ろうと思ってたんだが、随分痛い目を見たみてえだし、やめといてやる。だが、しばらく前線には出るな。お前を使っていると、他の奴らに示しがつかねえ」
びっくりするほど軽い処分だった。普通に考えれば軍紀を乱したかどで軍事裁判となり、処刑されるのがスジであった。フレスが自分を庇って色々と理屈をつけたのは聞いていたのだが、気が変わって「やはり示しがつかないから」ということで殺されることもあり得たはず。
しかし、「前線に出るな」ということだけで、つまり処分としては左遷だけで終わるらしい。
「完全に動けるようになったらそのままフレスの護衛をしていろ。護衛だ、間違えるなよ」
「護衛ですか?」
思わず訊き返してしまった。同時に、後ろで控えているフレスの姿をちらりと振り返ってしまう。
自分は彼をあれだけ怒鳴りつけて、突きとばし、侮辱したのだ。その上、糞だまりの中から助け上げられた。
その相手を護衛していろという命令はどういうことなのか。
「お前が護衛の仕事をしてる間、あいつに何かあったりしてみろ。とにかく、もう問題を起こすなよ。次はねえぞ」
「はい」
リッシュは頷いた。それしか許されていない。
拒否権はない。軍を辞めるということも許されない。ここは革命軍である。リッシュも自分の未来や命、そのすべてを捧げるためにここに来たのだ。辞めるということは、その選択を否定するということだ。
ザメルは話を終えて、次はフレスに振った。
「フレス、そういうわけだからこいつを頼む。エカルに見張らせるつもりだが、なんかあったらすぐ言え」
「わかりました」
フレスはいつも通りだった。疲れたような弱い声で、静かに応じる。が、ザメルはその声の弱さから何かを感じ取ったのか、慌てたように付け加えた。
「お前がカルバンやリッシュの看病をやってるから、色々と計画が遅れてるが。つうかお前、寝てんのか? この後何をするつもりなんだ。午後は寝てろ。俺の命令だ」
「このあとは、彼女の謝罪に付き添います。迷惑をかけてしまった方々に詫びて回らないと、ともに心から戦うことができないでしょう」
「そんなことまでしてやる気かよ。子供じゃねえんだから一人でやらせろ」
「彼女の前で言うことではありませんが、監視の意味もあります」
「だからって、お前がやらなくてもいいだろ。フレス、お前は俺たちにとって一番必要な最重要の人間なんだぞ。どうしてもやるってんならそれもいいが、午後は絶対寝てろよ! 命令違反は罰するからな!」
「わかりました」
ザメルのいる部屋から出ると、リッシュはすぐに訓練所になっている中庭に向かった。この三日ほどは出撃することがなかったので、身体をなまらせないために多くの兵士は思い思いの方法で訓練をしている。軍師フレスがここにいるため、計画的な調練は行われていない。
中庭に出る直前、リッシュは躊躇した。極限の恥をかいた。その記憶は皆の脳裏にこびりついているだろう。出て行って姿を見せたら、笑われはしないか。あるいは、デマを振りまいた加害者として怨嗟を向けられないかと不安になる。
だが、それらを噛み殺す。ぐっと胸を張ってリッシュは扉を開けた。
「おっ? なんだ、リッシュだ……治ったのか?」
「軍師殿もいるってことは、治ったんだな」
「見たか? あれが噂のクソ漏らしだ……」
注目を浴びた。自分の姿を見た兵士たちの率直で、飾りのない声が届く。『クソ漏らし』というあだ名があまりにも突き刺さる。だが反論はできない。
萎縮しかけたところで、フレスが彼女の前に出た。
「皆さん。そのままでいいので聞いてください。ここにいるリッシュは、皆様に大変な迷惑をかけました。彼女から謝罪がしたいそうです。お聞き届けください」
さすがに軍師フレスの言葉を遮る者はなかった。再びリッシュに注目が集まる。ここからは自分の言葉で言わねばならない。
一応用意した謝罪の言葉があったが、もうすでに吹っ飛んだ。思い出せない。
立っていられなくて、跪いた。そこからさらに手をついて、思いつくだけの謝罪を並べる。これしかなかった。
「す、すまなかった。私が愚かだった。みんな、私のせいだ。言い訳はない。どんな非難も甘んじて受ける……」
と、そこまで続けたところで、彼女の前に一人の男が進み出た。ククランだった。
「すまんだと? それで済むと思っているのか?」
怒りの形相でリッシュの胸ぐらをつかみ、グッと持ち上げる。少し前ならこんなことをされれば相手を殴らずにはおかなかった。だが、そんな気力はないし、怒るような資格もない。
「思っていない。バイテスとアレッタには、申し訳ないと思っている」
「バイテス? ああ……あの突撃で死んだ奴か。それもそうだが、お前が変なことを触れ回ったせいでどんだけのやつが苦しんだと思っているんだ! カルバンのやつは死にかけたし、大したことのなかった奴らもみんなザメル様にどつかれたんだ。歯が折れたやつもいる! 俺たちはロンシャロンをぶっ殺すために集まったのに、味方に騙されるとは思ってなかった。どう落とし前つけるつもりだ!」
顔面に唾をまき散らし、ククランはリッシュに怒鳴りつけた。抵抗する資格は、なかった。
「私はザメル様のお許しが出るまで、前線に戻らない。私をクソ漏らしと呼びたいなら呼べ」
「そうさせてもらうが! 謝ってもらってもお前を許せねえぞ。せいぜい後ろから刺されないようにしろよ! クソ漏らしがよ、そういやさっき一階の便所が詰まってたぞ。掃除して来い!」
無茶苦茶を言っている。ククランはザメルに殴られたので相当腹に据えかねていたようだった。
当然だが拠点の便所は汲み取りで、詰まっているということは便槽が満杯ということである。これを掃除するのは大変な労力が必要だった。
「それはリッシュの仕事ではありません。掃除担当者に連絡しておきます」
淡々とフレスが答えた。
ククランはギョッとして彼を見つめる。
「軍師、フレス殿? リッシュはなんでもするべきでしょう。どんな非難も甘んじて受けるといったんですぜ?」
「限度があります。罰はすでにザメル様から伝えられています。それ以上のことをあなたが命じる権限は残念ながらありません」
確かにその通りではある。だがククランは怒りをこらえられない。
それでもフレスは淡々と説明をつづけた。
「お気持ちはわかります。私から言えることは、彼女は謝罪をしたということです。ですが、それは彼女を許せという命令ではないのです」
「許さなくてもいいってことですかい?」
「気持ちの上では。謝罪を受け入れる必要もない。言葉だけの謝罪がそう通用するわけではないことは、私も知っているつもりです」
「でしょうが。だったら形にするために今からでも便所掃除をしてこいってことなんですよ。手で掃除してきたっていいくらいですよ? みんなそう思ってますよ、たぶんね!」
顔を赤くしながら、ククランは怒鳴るように言った。勢い任せの暴風のようだった。しかしフレスはまるで厚手のカーテンのように、それを受け流していく。
「その方法はククラン、あなたが指定するべきではない。口だけの謝罪は、宣言に過ぎないのです。それを見てすぐに『許さない』と判断するのは短絡的です」
「宣言? 何を言っているんですかね? 俺らにもわかるように言ってくれませんかね!」
「リッシュはこれから謝ると言っているんです。口先だけのものではない。真に反省した、もう過ちは繰り返さない、と態度と行動で表すのです。そうする以外に許しを請う方法などありません」
「だとしても、ケジメは必要じゃないですかね! なんだったらここで素っ裸になってもう一度土下座してもらったっていいんですよ!」
ククランがそう言った瞬間、フレスは指を突き出した。
「その言葉は許されません」
「ウッ」
鼻先に指を突きつけられて、ククランがひるむ。
確かに今の言葉は言い過ぎだった。勢いに乗り過ぎて、ククランが一線を越えてしまったことは明白だ。
周囲の兵士たちも明らかに、「ククランのやつ、やりすぎだ」「ただ女の裸が見たいだけだろ……みっともねえ」「あんなのと一緒にされたくねえぞ。というか、リッシュの気持ちもわからねえでもなかったしな。不幸な事故だってことで俺は許すよ」「確かにな。自業自得だがそこまで言われる筋合いはねえぞ」といった具合に変化しつつある。
「一応自分の体で実験してからだったんだろ? 根拠もねえことを言ってたわけじゃなかったんだしよ」
「軍師殿も前に言ってたが、誰に何を言われようが、最後は自分で判断して指示に背いたわけだろ。飲んだ奴らの自業自得だぜ。それをあんな八つ当たりしちゃあなあ……」
形勢不利だった。ククランは焦り過ぎて自分の正当性をなくしてしまった。
「とにかく、リッシュを許すかどうかは個人個人の判断にお任せします。ですが、私からもお願いします。彼女を見ていてください。そして、その行動で判断してください。リッシュは私の護衛を命じられました。ザメル様の後ろについて一番槍を争うことは、できません。後方で私の安全を守るためだけに盾となります」
そのフレスの言葉に、兵士たちはざわついた。ロンシャロンを殺すためにザメル軍に参加した者は多い。戦えないということは、その目的から遠ざかることになるので、多くの兵士が嫌がるものであった。それを命令されて、軍師を敵の槍から守るだけのただの盾役に成り果てたのだ。
ククランもそれを静かに聞いて、舌打ちをしながらリッシュから離れた。
「もう一度言いますが、行動で判断してください。そして、問題があると感じたらすぐに報告してください。次に問題があれば、彼女はザメル様からも許されません。それは確約をいただいています」
兵士たちはもう口を利かず、だまって地面に膝をついているリッシュを見下ろしている。
フレスはしばらくしてから、手を貸して彼女を立ち上がらせた。
「では、くれぐれも彼女に私刑をくわえないようにお願いします。問題がないのであれば、私の大事な盾ですので」
まるで迷子の子供のように、リッシュはフレスに手を引かれたままだった。
そのまま中庭から出ていき、静かに扉が閉まった。
もう、兵士たちの言葉は聞こえない。フレスはそのまま歩いて、角を曲がったところで自然に手を離した。
「あとは……」
振り返り、いつものように弱い声で話し始める。
「あとはあなたの行動次第です。私はあなたを特別扱いするつもりはないし、私情で処分を変えませんし、次に何か問題があれば弁護することもできません。よく覚えていてください」
フレスの声は厳しかった。当然である。甘やかしてくれるはずもなかった。
今は大勢の兵士たちに謝罪をしたが、リッシュによって直接的な迷惑を受けたのは死んだ二人を除けば、なんといってもフレスなのだ。糞だまりのからリッシュを引き上げ、丁寧に洗って、その後の看病まで引き受け、しかも『これは水の管理が不十分だった自分の責任』とまで言ったのだ。本来的にはククランよりも激しく怒っていて当然なのだった。
それをリッシュはわかっている。わかっているが、フレスにはまだ直接口で謝っていない。
「はい……でも、なぜククランを止めたのですか? 私は便所掃除も、土下座もそれで許されるならかまわなかったのに」
リッシュはそんなことを聞いていた。
「そんなことをしても、あなたの名誉の回復が遅れるだけです。何より性的な羞恥を公開せよと強要するのはただの私刑に他なりません。土下座だけならまだしも、あれはククラン側の問題行動です。あなたが付き合う必要はない。ましてや、尊厳を捨ててまで。言った通り、あなたは行動で反省と改心を見せなければなりません。その行動とは我が軍への奉仕であるべきで、個人の欲望の発散に付き合うことではありません」
尊厳。それはリッシュが三日前に完全になくしたものだ。あれだけ恥をかいたのだから、もう裸くらいどうでもいいとも感じていた部分があるが、フレスはそれがまだあると思っているらしい。
こんな愚か者であっても、そこまでしなくていいと言ってくれることが嬉しかった。
「よくわかりました。それと、あの、軍師殿」
リッシュはフレスのことをどう呼べばいいのか迷って、結局エカルに倣って同じ呼び方にした。他の兵士たちも同じように呼んでいるし、これでいいだろうと思いながら。
「何か他にもありますか?」
「あの、今さらですが。どうして私を助けてくれたのでしょうか」
「どうしてとは……」
「エカルが言っていたでしょう。汚くて臭いし、自業自得だと。私もあの時そう思っていました。このまま死なせてほしいとも。なのに、軍師殿は来て下さった。あんなに私はあなたに怒鳴り散らし、突きとばして、ひどいことも言ったのに」
リッシュはまだフレスに謝っていない。機会を逃して、そのままなのだ。謝罪に付き合ってくれているのに、その本人に謝らないまま「どうして助けてくれたのか」などと聞いている。
しかし、聞いておきたかった。善人だから、というのでは足りない。あの時言っていた「戦力になるから、他の兵士たちが病気になったら見捨てられると思うから」というような理由でもまだ足らない。直接自分の手ですぐに救い出す、という理由には足らないのだ。軍師の立場なら、衛生兵に「悪いがそれでも助けてやってくれ」というだけで済んだはずなのだ。なぜ、その手を汚したのか。知りたかった。
フレスは少し困ったように小さく笑って、口を開いた。
「何をおっしゃっているんです? 私とあなたは、血を分けた兄弟じゃありませんか」
「えっ?」
戸惑ったリッシュに、さらに彼は付け加えて言う。
「ザメル様が最初にそうおっしゃったでしょう。今でも常々口にされています。当たり前のことです」
ガン、と鉄槌で殴られたような衝撃。それほどの理由だった。
リッシュは信じられないものを見る目で、フレスの顔を見た。ただの、どこにでもいそうな男の顔だったが、それがみるみる歪んでいく。鼻の奥がツンと痛む。
涙が勝手にこぼれそうになっている。あわてたリッシュは下を向いたが、それだけで涙がボロボロとこぼれた。
「どうかされましたか。リッシュ、大丈夫ですか?」
「んぐっ、ぐぅ……うぅ」
返事をしたかったが、それさえできない。両手で顔をおさえて、その場にうずくまる。
「ご、……ごめんなさい。ごめんなさい……」
謝罪を繰り返した。自分が何をしていたのかが思い出されている。後悔と罪悪感が怒涛のように押し寄せてくる。感情が耐えられなかった。押しつぶされないために、涙として吐き出さなければならなかった。自分の罪悪感を少しでも消すために、ごめんなさいと呪文のように繰り返すしかなかった。
リッシュは詫びねばならなかった。心から土下座しなければならなかった。
しかし、それは自分のための行動でしかなかった。
フレスは身じろぎもしない。頭を下げて泣きながら呪文を繰り返すリッシュの前から動かず、ただ立っている。
息切れを起こすほど涙を流して、ようやく落ち着いてきた。それを見計らっていたのか、フレスがリッシュの肩に手を置いた。
「リッシュ、謝罪は受け取りました。これからのあなたの行動を見ています。しっかり頼みます」
「わたしなんかに……敬語はやめてください。どうか、おねがいです」
「そうですか? ではそのうち、そうしましょう。私も慣れないので」
リッシュは両目をこすって、両手で頬を叩いた。いつまでも泣いていては進まない。フレスには午後に休めという命令が下っている。謝罪に付き合ってくれるうちに、多くの人に謝っておきたかった。
気合いを入れて、立ち上がる。
「もういいですか? では次に行きましょう」
「はい」
厨房にも向かう。そこでも謝罪した。ククランのように直接的に怒りをぶつける者はなかったが、フレスが「行動を見てやってくれ」と伝えると一応は受け入れられたようだった。厩舎にいた兵士たちにも謝罪した。そちらも同じような塩梅である。
宙づりだった。完全に許されたわけではもちろんないし、拒絶されたわけでもない。ただ、猶予をもらっただけだった。
「当然です」
と、フレスは言う。
「バイテスとアレッタのことは皆が知っています。あなたを助けるために私がこねた屁理屈のことも、あの場にいた者は嘘だと知っています。それを口先の謝罪で許せるものなどいません。我々は仲良しごっこをしているのではない」
「はい。わかっています」
リッシュはそう言いながら、謝ればすぐに許してもらえるわけではないという当たり前の事実に胸が重くなっていた。責任を取るということは、地道で時間がかかるもの。反省するということは、ただそういうポーズをとるだけのことではない。
覚悟はしていたのだが、ずっと気を張り詰めていられるわけもない。どこかでボロが出るだろう。そのとき誰かに見られていれば、それで終わりだ。今の自分は執行猶予期間であるにすぎない。
不安が残るが、やるしかない。やるしかないが、できるのか。
そう思いながら歩き続けていると、エカルがいた。髪が以前より短くなっている。汚臭がしみついたので切ったのだ。小さな体で、たくさんの薪を背負って歩いている。さらに、両手には付近から集めてきたらしい野草を抱えていた。
「エカル」
一瞬、仕事の邪魔をするべきではないのではと思ったが、機会を逃すべきではないと考え、リッシュは彼女を呼び止める。
「ん、リッシュと軍師殿か。カラダはよくなったのか? もう廊下で糞なんか漏らすんじゃねえぞ?」
「うん。迷惑をかけた。すまない。全面的に私が愚かだった……」
エカルがいつも通りの調子で、軽くなじってくれたおかげでリッシュは謝りやすかった。
「そりゃそうだろ。前にも言ったけど、沢の水がヤバいなんて、山に住んでりゃ子供だって知ってるんだぞ。何を思って飲めるなんて言ったんだ? 狩人が聞いてあきれる」
「申し開きもない。それと、ありがとう。カルバンを看病してくれたことも、薬草を持ってきてくれたことも」
「ああ、あれか……」
照れくさそうにエカルは視線をそらす。面と向かってありがとうと言われることには慣れていないらしい。
「まあとにかく治ってよかったよ。死ねばいいなんていったけど、ロンシャロンが許せないって気持ちは同じだもんな。それと、聞いたかもしれないが明日から私がお前を監視することになった。マジでもう変なことすんなよ」
「それは、もちろん。私の行動を見ていてほしい」
フレスの言葉を引用して、リッシュは答えた。不安はあるが、できる限りのことはやるつもりだった。そうするしかないのだ。逃げ道はない。
薪を背負いなおして厨房へ歩いていくエカルを見送って、最後に戦死者の共同墓地に行く。ただの盛り土に切り出した石を置いただけの即席ものだが、大事な共同墓地だ。ここにバイテスとアレッタが埋葬されている。ここでもリッシュは手をついて謝り、黙祷した。もはやこの二人には許しを請うことさえできないのだ。
リッシュはひとまず謝罪回りを終えた。生きている者たちに許されるかどうかは、今後の行動にかかっている。
ひとまず付き添ってくれたフレスに礼を言い、彼を休ませなければならない。部屋に戻りましょう、と二人で歩き始めた。
しかし、訓練所横にある休憩所を通り過ぎようとしたとき、信じられない言葉が聞こえた。
「クソ漏らしの話を聞いたかよ。あれだけやってまだ自分がここにいられると思ってやがる。軍師殿だって甘いぜ、わざわざくっせえところに入っていって助けてやってよ。あれもどうせ、ただ女だから助けただけだろ。下心が見え透いてるぜ」
聞き捨てならなかった。一瞬で頭に血が上った。
振り返ってみれば、そんな話をしていたのはククランだった。先ほど怒りをぶつけられた相手だ。
リッシュは落ち着こうと努力した。今ここで相手に何かすれば、間違いなく「怒鳴られたことを逆恨みして暴力をふるった」と思われてしまう。そうなればもう誰も助けてくれない。死刑を免れない。
そうしている間に、他の兵士がククランの言葉に反論した。
「カルバンも助けただろ。あいつ、感激して泣いてたぜ。ただスケベなだけで糞の水たまりに入れるのかよ?」
「そりゃあ、女だけ助けたら露骨すぎんだろ。引っ込みがつかなくなっただけさ。それに、軍師殿も色々たまってるからよ。もしかしたらどっちでもお構いなしなのかもしれねえしな!」
「おい、言いすぎだろ」
仲間がさすがにそれ以上はやめておけと釘を刺したが、ククランは怒りが止まらないのか、さらに続けた。
「それによ、あの件でエカルだって前以上に軍師殿に懐いちまっただろ。カルバンを二人で介護してたって話だから、軍師殿にとっちゃラッキーだったんじゃねえか。クソ漏らしも女だし、一応胸とケツはあんだろ。エカルもちょっと口説けば落とせるだろうし、もう不自由しねえな。俺たちには我慢させといて、自分だけ好き放題とはいいご身分だ」
「バカ、お前。そんなこと誰かに聞かれたらどうすんだ……」
「いいんだよ、このくらい言わせろよ。さっきも軍師殿はクソ漏らしをかばってただろ、そんな義理ねえのに。ありゃもう股を開いてるぜ、間違いねえよ。マジで……」
言い終わらないうちに、ククランは座っていた椅子から吹き飛ばされた。回転しながら床を滑って、石の壁にドカンと叩きつけられる。
完全に理性を失ったリッシュが彼に鉄拳を見舞ったのだ。
「てめえ、今の言葉は撤回しろよ」
怒りのままにそう言い放った。執行猶予期間中で、何か問題を起こせば死刑確定。それでも今の言葉はどうしても見過ごせなかった。
やってしまった。やってしまったが、不思議と後悔はなかった。
「みんな見たか。これで私は終わりだ。だがそれでもこいつだけは、今の言葉だけは聞き捨てならなかった」
どこか晴れ晴れとした気持ちだった。まあ遅くとも明日には死刑か、色々心配してたが全部無駄になったな、などとそんなことも考えてしまう。
「リッシュ……」
「お、おい。ククラン、大丈夫か?」
周りの兵士たちはリッシュの宣言を驚愕の表情で見つめていた。その中で二人ほどが吹っ飛んだククランを助け起こそうとする。
ククランはなんとか膝を立たせて立ち上がろうとしていた。
「て、てめえ。図星を突かれたからって不意打ちはねえだろ」
「そんなことはどうでもいい。ククラン、お前今、軍師殿が下心で私を助けたといったか?」
「ああ、そうだよ。お前が女だから助けたんだ。役得だろ、それともお前が自分で全部洗ったのか?」
「やかましい!」
リッシュはそういうなり、歯を食いしばって足を踏み鳴らした。ドスンと石のタイルにヒビが入って、欠片が飛んだ。あまりの衝撃にククランもひるんで一歩下がり、壁に背を付けてしまった。
「じゃあ他の誰でも、お前でも、下心でもなんでも私を糞だまりから助けてくれたのかよ! エカルだって衛生兵だって私を助けるのは嫌だと言ったんだぞ! 私は死ぬところだったんだ、カルバンだってそうだ! 何もしなかったてめえが口先だけで軍師殿を非難するとか、どういう了見なんだ、納得するものを出してみろ、今すぐだ!」
戦場でのザメルもかくやというほどの、すさまじい大声でリッシュはククランを怒鳴りつける。
「口先だけのてめえより、私は軍師殿を信じるんだ。私の前でそれを侮辱なんてするな!」
言いたいことを全部吐き出してしまうと、頭は冷静になっていく。殴った右の拳が痛む。無理をして動いた体がピリピリと痛みだす。
しかしそれも、明日までのものだ。それならもう一発くらい殴っておいたらよかったか、と思いながらぼんやりとククランを見下ろす。
すでにククランは反論もできずに視線をそらせている。
周囲にいた兵士たちも、リッシュのあまりの剣幕に驚き飲まれ、一言もない。揶揄することも、息を漏らすことさえできなかった。
「おい、今の騒ぎはなんだ……って、なんだこりゃ!」
後ろからエカルの声が聞こえてきた。近くにいたのだろう。リッシュの声がしたので監視役としてあわててすっ飛んできたに違いない。本来は明日からだが、放っておけなかったのだろう。
「エカル殿。見ての通りです」
フレスが冷静にそんなことを言っているが、エカルはククランを指さした。
「見ての通りですって、大問題じゃないですか! リッシュがククランをぶん殴ったんでしょう? もうどうやっても庇えませんよ!」
「確かに大問題ですね」
「でしょう!」
「ククランの言動は、一線を超えていました」
「えっ」
エカルはフレスの顔を見上げる。
「リッシュは護衛として、私の名誉を守ってくれただけです。ククランには夕食抜きを宣告します」
「そ、それでおさめるつもりですか?」
「ザメル様にも報告しますが、おそらく同じ意見でしょう。リッシュ、あとは放っておきましょう。それ以上は過剰です」
まるで大した問題でもなかったように、フレスは踵を返してしまう。エカルはあっけにとられた。リッシュも同じだ。
「エカル殿、あなたも性的中傷をされていたので他人事ではないですよ」
「え! 私もですか? 一体なぜ。何があったんですか?」
「それはククランが自分で説明して、謝罪しにきてくれるでしょう。リッシュのことを批判したのですから、当然です」
「ええー、また謝罪されるんですか? どうせ陰口でしょ、そんなのどうでもいいんですけど」
エカルはフレスの後ろについて歩き始める。リッシュもそれに倣った。
「護衛だぞ、間違えるな」というザメルの言葉が耳に思い出されている。
もしかすると、軍師殿を侮っている者が多いことを憂えているのか。それなのにこの人は自分を守ろうとしない。自分が彼を突き飛ばした時もそう。誰も彼を守れなかった。だから私が彼の命と名誉を、命をかけても守る必要があるのか。
色々なことがとりとめもなく頭の中に浮かんだ。
だが今は、ザメルに報告に行かなければならない。そのあと、フレスを休ませる。これは絶対にそうしなければならないことだ。
もし、本当に死刑にならないのなら、絶対にもう二度と彼を疑わない。
リッシュは密かにそんな決意を固めていた。




