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24.リッシュとフレス-①

 リッシュの話は過去にさかのぼっていた。まさにザメルがロンシャロンを倒すために決起したところまで。

 ザメルたちの初陣で捕虜となったロンシャロン配下の輜重部隊兵。それがフレスであった。


「もしも、これらの鹵獲品が扱いきれないなら、我々の制服を奪ってこのまま進路を進むべきです」


 と何気なく助言した彼を、ザメルは『俺たちの軍師が見つかった』ともてはやし、彼を仲間に加えて決起の誓いを新たにしたのである。

 その時の言葉は最後にこう締めくくられた。


「よし、フレス! お前は今日から俺らの軍師だ! 俺らは今日から改めてロンシャロン打倒を誓うぜ! たった今から、ここにいるやつら全員、血を分けた兄弟だぜ!」


 ザメル自身は本気でそう思っていたのだろう。彼はフレスに全幅の信頼を寄せていて、それが揺らぐことは一度たりともなかった。

 フレスとしては自分に軍師の器があるなどとは全く思っておらず、どうにかせねばと悪戦苦闘し続ける毎日だったのだが、最初期の彼の戦略を支えたものは輜重部隊兵としての知識であった。何度となく戦略物資を輸送したので、どこにどのような物資があるのかはなんとなくわかっていたし、そこを守る兵士たちの様子もうかがうことができていたのだ。そうした知識を生かし、現状のザメル軍の人員で勝てそうな拠点を襲撃しては物資を強奪し、あるいはそのまま占領してしまうこともあった。

 そうしてリソースをつくったところで徐々に敵の情報網を乱しながら、少しずつ大きな敵を倒していった。村や町を解放し始めたのもこの頃である。ロンシャロン軍の影響から解放された村では、徴税官たちが排除された。当然である。

 このため村の人々からは大変感謝されたが、一方でロンシャロン軍の報復を恐れる声も大きい。一部の人々からは


「余計なことをしてくれた。これで一週間もしないうちに本隊が我々の村を押しつぶすだろう」


 などと言われた。それも一度や二度ではない。

 それでもフレスたちは巡回路を決め、敵の増援を背後や後ろから奇襲するなどして翻弄し、敵を解放した村に近づけなかった。解放地点を増やすことよりも、再占領されないことを重視したのだ。

 ある程度の戦力を得てからは重点的な防御と、瞬間的な油断を突いた一気呵成の攻撃を組み合わせた戦術でロンシャロン軍を食い破っていく。

 最初はザメルと他数名くらいしかフレスに全幅の信頼を寄せていなかったのだが、彼の言うとおりにしていた結果がこれである。兵士たちの立場から考えてみればじわじわと戦力が拡大していくし、勝ててしまっているのだ。


「俺たちは強いんだからフレスの言う通りにしなくてもいいんじゃないか? 慎重すぎやしないか?」


 勝ちすぎたせいか、そんな意見が出始めた。

 防御を重視するのは再占領を許すと民衆の心が離れてしまうと危惧したからである。一度解放した村や町は、すでにザメル軍の占領地であり、味方の土地なのだ。それを攻撃されるということは、自分たちにとっては一時的な負けであっても、村人たちにとっては全財産や命やプライドをまるごと没収される悲劇そのものであるとフレスは考えていた。再占領は以前の支配と比べると圧倒的に過酷なものになるのは、目に見えている。見せしめとして村がまるごと燃やされるということも十分にありえた。

 しかしその考えは、兵士たちには伝わらなかった。彼らはザメルと同じようにロンシャロンの圧政を許さないと義憤に燃えているのだが、だからこそいつまでも進軍せずに防御ばかりを固めるフレスに対する不満も育ってしまっている。

 さらにはこのような意見まで出た。


「こいつはロンシャロンの部下だったんだから、いつか裏切るんじゃないか? なんでこっちについてきてるんだ?」


 ザメルはそのすべてに対して「あいつはそんなことを考えられるタマじゃねえ」と笑い飛ばしていたが、部下たちの疑念は根深かった。

 フレスの正体を疑う派閥と、慎重すぎると批判する派閥。どちらもフレスにとっては頭痛の種だっただろう。


「……想像もつかない。本当にそんなことになっていたのですか?」


 身を乗り出して聞いていたムスクが、そんなことを聞いてくる。


「本当ですとも。大体、その両方の派閥にいた私がいうんですから、間違いない。軍師殿の悪口ばかり言っていました」

「本当に?」

「ですよ。ザメル様に聞いてみればすぐわかりますが、まあ、そんな感じで」


 現在のリッシュが言う通り、当時のリッシュは両方の派閥に属している始末だったのである。


「あいつはどうもいつも何をしているのかわからない。敵の本体に私たちをぶつけて、まとめて始末するつもりなんじゃないか。いいようにされているんじゃないか? なんてことを言いふらしてましたよ」

「軍師殿はそれを知っていたんですか?」

「知っていたでしょう。聞こえるところでもお構いなしでしたからね。そうですよね?」


 リッシュはフレスを指さした。

 問われて手を止め、フレスは軽く笑って答える。


「嫌われてるとは思っていたが、実のところ気に掛ける余裕がなかった。それより誰も死なずに次の戦いを切り抜けたいとばかり考えていたし、本当にあの時は手一杯だったんだ」

「ほら、こんな調子ですよ」


 そう言って、リッシュは話を先に進める。

 フレスが嫌われた要因としては、単純に兵士たちの不満がたまっていたということもある。当時のザメル軍は、あらゆる物資が貴重であった。食料や水が切りつめられたし、馬や武器、軍用のカバン、傷薬や包帯までも足りなかった。

 解放した町や村から供出してもらったものもあるが、それでも足りない。どうしても必要なものはロンシャロン軍を襲って奪い取るしかなかったのだが、フレスは勝てない戦いを避けた。だがリッシュたちは自分たちなら勝てると思っていた。このすれ違いであったのだ。

 そのときもまた、食料や水の切りつめが続いた。なんとかして飲める水を探し続けたが、村から井戸水をもらうにも限度があった。特に、行軍中であれば余計だ。

 山間の拠点を落とすために行軍中、あと少しで敵の拠点にたどり着く。その前に、近くの沢が見えた。


「ああ、水だ。これで水が飲めるってね」


 リッシュだけではなく、ほとんどすべての兵士たちが安心して、そして期待したのだ。だが、フレスは冷静に言った。


「飲料水としては適しません。もう少し我慢してください」


 思わず、リッシュは大声を上げてしまう。我慢の限界だったのだ。


「お前の言うことになんか、誰が従えるかっ!」


 勢いのままにリッシュはまくしたてた。


「どこがダメなんだよ、綺麗で透き通ってる! もし本当にダメだっていうなら、さっさとこの先にいる敵を倒して奪えばいいだろ、私たちならいける! それともそのくらいのこともできない腰抜けか!」

「鉱脈が近すぎるんです……ほとんど間違いなくこの水を飲んでしまうとお腹を下します。それに、直接この先の敵と当たるには、地勢が厳しすぎます。私たちには勝利が続いていますが、油断できません。もう少し我慢するしかないんです」


 フレスの反論には力がなかった。声も弱い。それが自信のなさに見えたリッシュは、さらに怒りを増して叫び散らした。


「くそっ! はっきり言ってやる! お前などいなくてもいいんだ、勝ちまくってるのにいつまでもウジウジと小さいことをこねくりまわして、攻撃を遅らせてばかりじゃねえか! 私たちはやれば勝てるんだ、お前のようなヒョロガリに痩せた豚に、部隊の指揮なんか任せていられるか! いい加減にしやがれ、正体を見せろ、ロンシャロンの犬がよ!」


 唾をフレスの顔面に吐き散らす勢い。人格否定に等しい罵倒をぶつけて、最後に両手でその肩をおもいきり突き飛ばした。フレスは後ろに吹き飛び、近くにいたエカルに支えられる。が、小柄なエカルではフレスを支えきれなかった。二人そろって地面に倒れこむ。


「おい、何してやがる」


 ザメルが振り返って、ギロリと目を光らせた。ウッ、とさすがのリッシュもひるんだ。いくらなんでも、ザメルに逆らうことはできない。

 ゆっくりと歩いて、彼は立ち上がろうとしているフレスとエカルにその太い手を貸した。そしてリッシュを見て低い声で告げる。


「俺たちは血を分けた兄弟だ。フレスは天が俺たちにくれた軍師だ。俺はそれを撤回しねえ。いいか、フレスの言うことは聞け」

「ぐう……」


 さすがにそう言われては、沢に降りて水を飲むということはできない。

 だが言われっぱなしでもない。リッシュは反論した。


「しかし、今の私たちなら勝てます! こいつの言う通り、我慢するしかないというならそもそもこんな行軍はすべきでなかった! 水がなければいくら私たちでも勝てなくなる。それを待つくらいなら突撃すべきです!」

「ちっ……。おいフレス、どうすりゃいい」


 戦術的な判断を求められたザメルは、ここでもフレスに丸投げした。とにかく自分は頭が悪いから頭を使えるやつに頼る、というのが彼の信条であった。


「今、突撃しても勝てません。あと少しの我慢です」

「だとよ。我慢しろ」

「いえ、勝てます。地図を見てください。直線ならこんなわずかな距離です。山のことなら狩人だった私が知っている!」


 リッシュは譲らなかった。その場で他の兵士たちから山に慣れている者を選抜し、突撃攻撃の準備を始めてしまった。

 ザメルはおそらく止めようとしたのだろうが、フレスは止められないと判断したのか何も言わない。ザメルもそれで黙認の姿勢をとってしまう。リッシュは自分たちだけで敵陣に突撃するつもりだった。


「行くぞっ、ロンシャロン軍をぶっ殺して水を奪え!」


 すでに日没が近かった。暗がりの中を奇襲する作戦であった。山道には慣れているし、道なき道を行くことなどお手の物。リッシュは自分のことを本気でそう思っていた。こんな山などなんでもないと。他の人員もそう思っているような者たちだったはずだ。それなのに、進軍は予想以上に進まなかった。日が落ちてもなお、ロンシャロン軍の拠点にたどり着けない。


「く、くそ……とにかく進め、敵をぶっ殺せ!」


 言ったそばから地面がズルリとぬかるみ、足がとられる。咄嗟に剣を地面に突き刺し、身体を支えたが危なかった。

 ロンシャロン軍が山間に作っていた拠点は、各地へ物資を輸送するためのもので、一時的な保管所でもある。ここさえ潰せれば、物資にはかなりの余裕がもてるはずだった。リッシュもそれを知っている。

 ここさえ落とせば、ここさえ潰せば。

 完全に焦っていた。そのような重要な拠点を、敵が守りを固めていないわけがなかったというのに。

 直線的に進軍した結果、山の険しさに足止めを喰らっているリッシュたちのところへ、突然強烈な光が注いだ。ロンシャロン軍の灯りだ。龕灯か、とリッシュが理解した瞬間にはもう、かなり細い何かが自分たちへ降り注いできていた。


「あっ」


 まずい、と判断したが間に合わない。黒い矢が右の肩に突き刺さった。痛いだけではなく、ビリビリとしびれるようなものが残る。

 毒矢だった。

 声を上げる暇もない。撤退だ、と判断することさえもできない。それほどリッシュの脳裏に明確な死が浮かんでいた。こうなってしまったら、どう転んでも、死ぬ。

 狩人だったリッシュが、知らない土地の山に追い立てられて、矢を射かけられている。完全に狩られる側だった。

 それでも左手で剣を握った。歯を食いしばって飛んでくる黒い矢を払い落とそうと振ったが、ひどくノロノロとしか動かない。絶望的なほどに自分の体が使えなかった。

 鼻先を矢がかすめる音が通り過ぎていく。


「しっ……」


 まずい、死ぬ。

 しかし間一髪、矢は頬を切り裂き、耳を裂いて貫通。すぐ近くの地面に突き刺さる。血がだらりと顎の先まで流れたが、気にする余裕などもちろんない。

 足は泥にとられて、動けもしない。もはや、気合だけではどうにもできなかった。絶望的だった。矢をなんとか避け切ったとしても、ロンシャロン軍は死体を確認しに来るだろう。この状況で至近距離からとどめを見舞われて、どうにかなるとも思えない。

 膝から力が抜ける。恐怖が体を突き抜けた。


「ウオオッ! ロンシャロン覚悟ぉ!」


 瞬間、あたり一面の空気を響かせ、そんな強烈な怒号が聞こえた。闇の中を貫く太すぎる男の声。まるで獣が集団で遠吠えでもしているような凄まじい大音声だ。ビリビリと地面が揺れたように感じさえした。

 その震えが収まるころにようやく、顔を上げた。何も見えなかったが、その声には聞き覚えがあり過ぎる。


「ザ、ザメル様か……」


 地面に膝をついたまま、リッシュは呆然とそんな言葉を漏らした。味方が助けに来てくれたのだ。


「リッシュ、無事かぁ! きてやったぞ!」


 そんな声を出しながら、ザメルは敵陣に切り込んでいったようだ。暗がりの中でリッシュには全くどこから彼がやってきたのか、さっぱりわからないままだった。

 そのおかげで、降り注ぐ矢はまったくなくなった。足止めされている部隊にリソースを割いている場合ではなくなったからだ。今、ロンシャロン軍は既にザメル率いる部隊を相手にすることに忙しい。

 その後、リッシュら突撃部隊は他の兵士たちに助けられたが、その頃には拠点の奪取が終わっていた。彼女は拠点の攻略にほとんど貢献できなかったと言っていい。矢に塗られていた毒は幸いにも命にかかわるほどのものではなく、二日ほどでリッシュたちは動けるようになったが、彼女はますます不満を溜めてしまった。

 頭目のザメルは元気になったリッシュが謝罪に行っても


「おう。あんまり無茶すんなよ。二人も死んじまったからな。お前も謝っとけ」


 としか言わない。

 彼の言う通り、あの夜の戦闘では矢で射抜かれた突撃部隊の中の二人が亡くなっていた。リッシュは誰に謝ればいいのかわからず、苛立ちばかりを募らせた。


「でも」


 と、現在のリッシュが腕を組む。話の中のリッシュはフラストレーションで爆発し、その直後に死にかけてまた不満を溜めている状態だが、現在のリッシュはその全てを明け透けにぶちまけ、秘密などないとばかりに話している。


「そのときは全く知らなかったんですが、ザメル様を突撃させたのもどうせ、軍師殿の策なんでしょ?」

「うん?」


 まだ資料を直しているフレスが生返事をしながら振り返った。


「あのときは、君が飛び出したから仕方なくだ。大急ぎで予定を詰めて、人員も変更して。泥の上を皆で通れるように板を置いてだな」

「心配してくれたんですか?」

「当然だろう。当たり前だ。絶対勝てないと思ったし、かといって作戦に賛成もできない。急いで別ルートから拠点に向かった。急いだせいでほとんどザメル様一人に戦いを任せる格好になったが、君たちの突撃が結果として陽動になり、我々がうまく拠点を制圧できたのだ。あの戦いはザメル様がすごいのであって、私の策略がどうこうという段階ではなかったな」

「謙遜しすぎです。ほとんどの兵士が助かったんです。二人……死んでしまいましたけどね。私のせいで」


 ぶるりとムスクは震えた。内戦の時の一戦闘を覚えていて、そしてその死の責任をまだ引きずっている。

 ただ二人だけの死者に留めたのは素晴らしい。結果として圧勝だし、皆ができることをやった結果だ。それなのに、「私のせい」だと。うむ、とムスクは頷いた。ポプリが「大いに悩んで決断せよ」と言ったその意味がわかってきたような気がしたのだ。

 ひとまず、話の続きを促した。


「それで、その、糞……の話はいつ出てくるのですかな」

「ああ、この次ですよ。せっかく拠点を奪ったというのに、水がなくてですね。敵が輸送した直後だったことと、負ける前に我々に渡すまいとして水をほとんどダメにしてしまったんですよ。地面にぶちまけたり、汚したりしてね。これを見つけたのがさっき話に出たエカルだったはずです。そうですよね?」


 フレスに話を振ると、彼は頷いた。


「確かそうだった。あれには参ったな……」


 それだけではない。フレスが水を探すために拠点周辺を探し回っているスキを突いて、周囲に残っていたロンシャロン軍の兵士たちが残った物資も汚損させたのである。具体的には汚水となった水を食料に振りまき、小麦粉やパンがダメになった。干し肉などの保存食もかなりやられてしまったのだ。

 もともとせっかく鹵獲した物資は厳しく管理することになっていたが、「どうせもう周辺に敵はいないから」と軽視した兵士たちがいた結果だった。事件の第一発見者はリッシュが言っている通りエカルで、汚されている食料を見て大慌てでフレスに報告してきたのだ。


「軍師殿、やべえぞ! 小麦粉もパンも泥水がかかってる! 誰がやったかわからねえが、もうだめだ!」


 エカルは、敬語がうまく使えない。頑張ってはいるが焦るとどうしても口調は荒くなる。

 フレスは報告を聞いてすぐに確認に向かったが、拠点内の食料の八割以上が汚染されていた。確実に大丈夫と言えるものは、長期保存されたビスケットや非常用キャンディーなどしかない。


「くそ、なんてこった……。フレス、どうにかならねえか」


 さすがのザメルも空腹やノドの渇きには勝てない。フレスも無から食べ物を出すことはできない。


「食料はまだ残っていますし、狩人のみなさんがある程度山から調達してくれると期待できます。しかし、水は難しい。植物や汚水から作り出すとしても時間がかかります。樽を馬車に積んで、井戸のある村から輸送するしかありません。もちろん、引き続き使えそうな水源も探します」

「つまり、もう少し我慢か」

「はい。もちろん、すぐに汚水を蒸留したり、植物を絞ったり努力はしてみます」

「それしかねえか。このダメになった食べ物はどうするんだ? 汚れてないところは切り取って使うか」

「いえ、危険すぎます。残念ですが廃棄するしかありません」

「くそ……仕方ねえか」


 ザメルは苛立ち紛れに舌打ちをしたが、フレスの判断を尊重した。聞いていたエカルも顔をしかめて地団太をふんだ。


「せっかくの食べ物を。ロンシャロン軍のやつら、農家の苦労を何もわかってねえ!」

「エカル殿。私も心苦しいのですが、仕方ありません。何がふりまかれたかわかったものではないのです」

「ちくしょう、悔しい! 私が警備してればこんなことさせなかったのに!」


 汚染された食べ物も廃棄されることになった。警備を怠った兵士は汚れた食糧庫の清掃を言い渡されたが何の問題解決にもならない。

 つまり水はゼロ、食べ物も大した量が手に入らなかったのである。

 そういう結論はすぐにリッシュたちにも伝わった。食べ物に含まれる水分だけでは、渇きを抑えることはできない。


「くそっ!」


 毒が完全に抜けたリッシュは水のない苛立ちを拠点の壁にぶつけた。拳がガツンと痛むが、苛立ちは晴れない。あんなに戦って、二人も死んだのに水が手に入らなかった事実は彼女を打ちのめしていた。裂けた耳と頬は縫合してもらったが、精神までは元に戻らない。死ぬ思いで戦ったのに、かえって心はささくれ立ってしまった。

 そこでふと思い出したのは、突撃前にフレスとモメる切っ掛けになった沢だ。あそこならそう遠くもない。

 フレスは飲めないと言っていたが、清涼で透明感のある水だった。飲めないということもないだろうとリッシュは思っている。


「しかし、ザメル様は飲むなと言っていたか」


 そう悩んでいたところ、フレス自身がその水を樽に入れて持ち帰ってきた。飲めないと言っていた水を、その張本人が拠点に持ち運んできたのだ。


「これは飲まないでください。武器の手入れや洗濯などの飲用以外の用途に使い、煮沸と蒸留で綺麗な水を得る予定です。もっといい水源地も探していますし、後方から水の輸送もしてもらうつもりですから」


 そう言われた。だが、水が飲めないという我慢は限界に達している。

 兵士たちが集めた薪を使って、その水が煮沸されていくのをリッシュは複雑な思いで見る。昼夜を問わずにその作業は続けられた。蒸留水を得るためだった。

 その理屈はわかる。蒸留水はほとんど純粋な水だ。飲めないわけがない。味は良くないが。

 それでもその生産はあまりにも遅く、需要においつかなかった。頭数で割れば一人分の水は、ないに等しい。フレスはもう少しの我慢だと言っているが、いつまで我慢すればいいのか。

 歩哨に立たされていたある日の深夜、リッシュはその水を前にして、ついに衝動に負けた。


「煮沸してるんだ。大丈夫に決まっているだろう」


 洗濯のために取り出された湯冷ましの水を、カップにとって、少し飲んでみる。なんともない。味もおかしなところがない。

 半日経っても、異変がなかった。腹痛も。


「なんだ、飲めるじゃないか!」


 リッシュは自分の体で試して、確信を得たのだ。フレスは間違っていると。

 自分の方が正しかった、あの野郎! と自信をつけて疑念を強めた。


「バカですよね」


 現在のリッシュがそれを完全否定して笑った。


「自分だけならまだしも、他の奴らに言いまわったんです。あの水は飲めるってね。行けると思ったんだから、もう遠慮もない。ガブガブ飲みましたよ。バカというか大バカでしたね。今の私があそこにいたら、ぶん殴ってでも止めたんですが」

「それで、どうなったんですか?」


 ムスクが結果を察しながらも訊ねる。答えは予想通りのものだった。


「大惨事ですよ。その水の毒は、半日くらいじゃ体に影響がでなかったんです。それかもしかしたら、最初は少しだけ飲んだので大した影響がなかったのかもしれません。でも、がぶ飲みしてからほとんどすぐ。最初に飲んでから九時間くらいでぶっ倒れました」

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