22.叙任式と大将軍
ネルカは何度も深呼吸をしてから合意書に署名した。正式な調印は二週間後に定められ、場所はかつてリッシュが破壊した国境拠点近くの橋の上と決まる。
「では、私はこれでお暇致します。早急にこのことを閣下にお伝えしないといけませんから」
そう言いながら、ネルカがスタスタと窓に近寄っていく。
「ネルカさん、そこには扉がありませんよ。それに、もう少し休んで夕食くらいは食べていかれたほうがいいのでは?」
ポプリの言葉にも首を振る。
「二週間しかありません。それまでに閣下と領内の圧力団体を納得させるか、黙らせるかする必要があります。私の仕事はここからなんですよ」
友達のように少し気安い語調でネルカは答える。交渉は既に終わっているので、気を張る必要もないのだ。
「そうですか。でも、気を付けてください」
「大丈夫です。慣れていますし、急がないと夜になって面倒ですからね。お土産もかさばるので、調印の時にあらためて受け取ります」
「あっ、調印式にはネルカさんも来ていただけるのですね?」
「もちろんです」
にっこり笑ってネルカは答えた。ポプリも笑って手を振る。
それを見てから、軽い調子でネルカが窓を開けてそこに足をかけた。気軽に外に飛び出し、翼を広げてそのままふわりと浮き上がっていく。
「あっ」
慌てた様子でポプリが窓に駆け寄り、身を乗り出してネルカの姿を追う。彼女の姿はすでに、城下の建物の屋根の上。空に浮いて小さくなっていた。
「行ってしまいました。もう、あんなに高く飛んで。さっきまでここでお話をしていたのが信じられません」
ポプリはネルカを見上げたままそんなことを言った。フレスはそれを聞いて「そうですね」と応じる。
「先ほどはお見事な交渉術でした。ご立派です」
「え?」
ポプリは嫌そうな表情で振り返った。
「全然。教えてくれたことをほとんどそのまま言ってただけです。メモの通りじゃないですか。立派なんかじゃなかったでしょう」
ポプリは左の袖口をひらいて、中にある紙束をフレスに見せつける。
それは交渉会議前にフレスに渡されたメモだった。言うことに困ってしまったら、チェックするためのものだ。「関税自主権」「このままでは同意できない」といった言葉が並べてある。
フレスは軽く頭を下げた。
「いえ、それでも立派でした。ネルカ殿を相手にあれほど言えたのです」
「まあ、失敗しても大丈夫と言ってくださったおかげですけど」
「はい。今回の交渉は失敗してもそれほど影響があるものではありません。ルシアン卿はすでに同盟することを約束してくれていましたし、ネルカ殿もこのまま受けてもらえるとは思っていなかったはずです。どうしてもポプリ様が押し切られたのなら、リッシュと二人でルシアン卿のいる城へ乗り込めば、直してくれたでしょう。あちらもこちらを絞りつくすことは本意ではないでしょうからね」
「そ、それは禍根を残しそうですが」
ポプリはフウと大きなため息をついた。それから自分の顔を軽く触って、厚いスカートをつまんだ。
「やっと終わったんですが、もう着替えてもいいですか?」
「ダメです」
フレスはあっさりと却下する。
「せっかくおめかしをしたんですから、このまま叙任式をする約束ですよね」
「そうですが。明日にしませんか?」
「ダメです」
フレスが繰り返す。先ほどのネルカとのやり取りを思い出して、ポプリは彼が折れないことを察した。
「それに今やめると、余計に面倒ですよ。一緒にすませてしまいましょう」
「わかってます。言ってみただけです」
「それとも、少し休憩なさいますか。そのくらいの時間はありますよ」
ポプリは首を振った。
「いえ、やります。全然、疲れてなんていませんから」
「おトイレは?」
「平気です!」
ムッとして、彼女は両拳を握ってフレスを睨みつける。
「乙女になんてことをきいてるんですか!」
「必要なので」
「むう」
唸って、スカートをつまみあげる。それから深く息を吐いて窓を見た。
「本当に、角なんかより翼の方がよかったのに」
割合から言えば、両方ないのが普通である。それでもポプリは、邪魔なだけの触角よりも実用的な翼に憧れているようだ。
ネルカのように自在に飛べる翼をもつ者は本当に希少なのだが、その気持ちはわからないでもない。
「ポプリ様」
交渉終了直後から部屋の外に出ていたコロンが戻ってくる。
「準備が整いました。ムスクと兵士たちが中庭にそろっています」
「はあ、わかりました」
面倒そうにポプリがこたえて、トボトボと歩き出す。ああはいったものの、すでに疲れ切っているのだ。
フレスはそれに声をかけた。
「叙任式で肩を叩きたいとポプリ様がおっしゃったんですよ。兵士たちも期待していますから、そんなに肩を落とさないで」
「わかってますよ」
「今日ポプリ様が頑張ったおかげで、ルシアン卿からお金がもらえることになりました。パンケーキももう少し我慢しないでよくなるかもしれませんよ」
「もう、食べ物で釣らないでください。子供じゃないんですよ」
そう言いながら、ポプリは無理にも背筋を伸ばした。言われていることはわかっている、と示したのだ。おめかしに綻びがないか、コロンにチェックされてから彼女は部屋を出た。
中庭に続く道へ出てみれば、すでに五百名の兵士、それも最精鋭がそろって整列していた。
しずしずとそこを歩いていく。気を引き締めて、疲れは押し隠した歩き方だった。
「おお……」
「ポプリ様」
わずかに兵士たちがどよめいている。無理もない。
いつものポプリは幼い子供の元気さや素直さが目立つ。だが、今の彼女はまさに三貴族の一員という威厳があった。かわいらしさよりも、生まれもった美貌を引き立てられた姿に息をのむ者さえあった。
フレスはそのポプリの後ろを、何の気負いもなく歩いていく。
全くいつもの通りの彼であった。
「軍師殿」
そのフレスの後ろに、サッと大柄な女性がついた。儀礼用の軍服をしっかりと着込んだリッシュだ。彼女も念入りに化粧をしていて、普段の武骨な調子は消している。
フレスは彼女を視線で振り返って、わずかに頷く。このために彼女はネルカとの交渉会議にも姿を見せずに、ずっと身だしなみを整えていたのだ。
服と化粧を変えただけだが、素晴らしく印象は変わっていた。
豪快で力任せ、粗野で武骨というのが誰もが知るリッシュという女だった。しかし鍛えられた肉体を上質の軍服に収めた今の姿は、それに加えて大きな抑制が加わって見えた。
実際には中身は何も変わっていないのだが、目元に差した朱色のラインが彼女を冷徹な知的美女に見せており、服と化粧で大きく印象が変わっている。見た目だけなら、知性と体力を兼ね備えた文武両道の大将軍といった風であった。
普段からフレスの後をついて歩くことが多く、慣れている彼女は重要な式典の最中であるのに物怖じする様子もない。堂々とした態度、振る舞い。それが彼女に風格と貫禄を与えており、化粧の美と混ざり合って知性に幻視されているのだった。
「おぉ……」
兵士たちの中には、ポプリではなくリッシュを見て感嘆の声を漏らすものさえあったほどである。
「ふん」
そんなものたちを見て、リッシュ本人は軽く鼻を鳴らしただけだった。それも、誰にも聞こえないほど小さく。
本来的には、リッシュは兵士たちの中で一緒に整列しているべき立場である。彼女は叙任されないし、大将軍になるわけでもないのだから。しかし、フレスの護衛だからという理由でその他大勢のあつかいにはなっていない。儀礼用の軍服を着て、念入りな化粧をすることが許された立場。何より、儀式を行う側の立場であるということが、改めて示されているのだ。現在は確たる地位が用意されていないが、立場としてはこれから叙任されるムスクと同格か、それより上であるということだ。
この叙任式は、それを兵士たちに伝える意味もある。理解しない兵士も多いだろうが。
重いドレスをまとったポプリが兵士たちの前に立ち、彼らに向き直る。まずはフレスが兵士たちの前に進み、声を上げた。
「皆の者、静粛に。これよりポプリ様よりお言葉を賜る。姿勢を正し、拝聴せよ」
ピシリと兵士たちが背筋を伸ばし、姿勢を整えた。そこにポプリが進み出て、ゆっくりと話しはじめた。
「皆さん、本日は伝えてあった通り、叙任式を行います。私は以前、ルシアン卿との模擬戦の際に『最も活躍した者を大将軍に取り立てる』と約束しました。その約束を果たし、同時にその者を騎士に叙任します。もちろん、模擬戦に参加していない方たちは不満を持っているでしょう。ですが、まだまだ兵力は必要です。それを統率する者はもっと必要です。ルシアン卿との国境沿いには、かなり大勢の賊がおり、その討伐も計画しています。皆さんのますますの活躍を期待し、そして新たな将軍の推挙と昇任を願う意味でも、本日は大切な日です。ではムスク、前に出なさい」
名前を呼ばれた一人の兵士が前に進んだ。
若くはない。大人の男の兵士だった。
「あなたがポプリ軍初の、誇り高き騎士にして大将軍です」
進み出たムスクに対し、ポプリが告げる。
フレスが儀礼用の剣をポプリに差し出した。塗装して重厚な剣のように見せかけているが、その実は木剣で、しかも薄い。ポプリが持っていても疲れないようにわざわざ作ったものだ。この剣の正体は兵士たちに知られてはならない。
「ではムスク、跪け。ポプリ様の御前である」
「はっ」
フレスの言葉にすぐさま反応し、ムスクは片膝をついた。
この男は若くない。実のところ、光栄というよりも戸惑いが先に来ていた。自分など大したものではない。もともとの身分も、血筋もどちらかといえばよくないほうだ。ポプリの前で片膝をついている今でさえも、自分などでいいのかという思いさえある。
フレスはそのムスクの思いを見通している。だが、現状では彼以外に大将軍に適した者はない。ムスクしかいないのだ。
ここは耐えてもらうしかない。誰しもが、自信に満ち溢れた状態で望んだ地位につけるものではない、とフレスは思う。自分もそうだし、ポプリ様も、コロン様もそう。おそらくザメル様もそうだっただろう。彼はロンシャロン政権をどうにかしたいという一心で立ち上がっただけで、三貴族の一員になろうなどとは決して思っていなかったし、英雄として持ち上げられようなどとも考えていなかったはずだ。だからムスクにもやってもらうしかない。
フレスは軽くポプリに目配せをした。それに気づいたポプリがちらりと左の袖口に目をやった。
「ムスク、あなたの戦いは私自身で見届けました。恨みと憎しみを知りながら、法と秩序を重んじるあなたこそ、兵権を預かる大将軍にふさわしいと思います。私はあなたが自分に務まるのかと不安に思っていることも、知っています」
ポプリは一度言葉を切って、木剣を構えた。
「だからこそです。大いに悩んで考え、決断をしてください。ムスク、私は期待しています。誇り高き、ポプリ軍最初の騎士の栄光はあなたのものです! 我が名をもって、このムスクを騎士に叙する」
ムスクの右肩を木剣で軽く打つ。ルシアン領では両肩を交互に打つようだが、ゴルシャネル卿の時代の資料を探したところでは、この地域での叙任は右肩だけでいいらしかった。だから、これで問題ないはずである。
だが、打たれたムスクは顔を下に向けたままだった。この後、彼が自分の口で「騎士として忠誠を誓う」と言う段取りは伝えているにもかかわらず。
しばらくポプリは待った。少し不安になって、後ろにいるフレスの顔を見ようかと考えてしまったほどだったが、そうする前にムスクが顔を上げた。彼の顔はすでに赤くなっていて、涙が流れている。
エッ、とポプリが驚いた。なんで泣いてる、どこか痛いのか、という言葉さえ出かかった。
「騎士として、ポプリ様と罪なき弱き人々へ忠誠を誓います」
ムスクは涙声でそう誓った。よかった。ちゃんと段取りは覚えていた、とポプリは安堵して笑った。
「よし。そして大将軍の印綬はここにあります。さあ、受け取り、立ち上がりなさい」
「はい」
不器用すぎる男であった。
ムスクはあまりに感じ入りすぎて、大事な儀式の最中だ、ということを思い出すことにさえ時間がかかったのだ。
「皆の者、大将軍ムスクに敬礼せよ!」
フレスが咄嗟に声を上げた。同時に五百名の兵士たちが敬礼を捧げる。フレスの後ろにいるリッシュもだ。
「ではムスク。今後とも期待しています。ここに叙任式は終了します。解散!」
片手をあげて、ポプリはそう宣言した。同時に割れるような歓声が上がった。
「大将軍万歳! ポプリ様万歳!」
「泣いてんじゃねえぞ!」
「大将軍ムスク!」
なんだか大将軍への敬意が感じられないが、フレスは意図的にそれを無視した。リッシュはムスクを引っ張って、一緒に退場する。彼はもう運営側なのだ。
早く重いドレスを脱ぎたいポプリも大急ぎで中庭から退場し、自分の部屋に引っ込んでいく。コロンもそれを追いかけて行った。
フレス、リッシュ、ムスクは中庭を出るとそのまま、先ほどの会議室へと向かっていく。
叙任式を短く終えたのは、みんな忙しいからという理由ではない。長々とやっていると、戦いでもないのにずっと我慢させられた兵士たちは飽きてきて、だれてしまうからだ。いずれは長時間の緊張に耐えられるような儀礼部隊を作る必要性があるが、今はその時ではない。
三人で中に入って、扉を閉めるなり、
「ふう! この服は疲れますね」
リッシュがそんな声を上げて襟元を指でこじ開けた。息苦しかった、とばかりにホックを外す。
「ついでに化粧も落としていいですか?」
そんなことまで言ってフレスに顔を向ける始末だった。だれてしまうのは兵士たちだけではなかったようだ。
資料を確認していたフレスはふと振り返り、リッシュの顔を見て返事に詰まった。叙任式が終わったのでリッシュが化粧をし続ける意味はもうないのだが、気の抜けた彼女の顔はそれほど魅力的に見えたのだ。
なるほど、これでは兵士たちが息を漏らすのも不思議ではなかったな。フレスはそう考えながらこたえた。
「もう少しそのままでいてくれ。話を先に片づける」
「これ、ペタペタして落ち着かないんですよね。目がかゆいのにこすれないし、手ぬぐいでゴシゴシやりたくてたまらないんですよ。軍師殿が言うなら我慢しますが」
「そういうな。兵士たちが君を見て感心していたじゃないか。私だって今みて、驚いたくらいだ。今後もあらたまったときにはちゃんと化粧をして出てきてくれないか? みんなの士気もあがるだろう」
正直なところをフレスは伝えた。リッシュは少し笑って、自分の顔を指さす。
「そうはいいますけど、いくら化粧したって私ですよ? あいつらだって笑いをこらえてただけでしょ。ポプリ様のお姿はきれいでしたけど」
「君、鏡は見なかったのか? 冗談ではなく、今の君は魅力的だぞ。ああ、ムスク将軍。かけていてくれ、話はすぐにすむ」
淡々と伝えて、フレスは大将軍となったムスクに今後のことを伝えようとしたのだが、リッシュはその話についていかなかった。
「えっ、私が魅力的ですか?」
「ああ、十分に。そうだムスク将軍、卿からも正直な意見を言ってやってくれ」
話を振られて、ムスクはリッシュの顔を見た。
「うーむ、そうですね……」
彼は妻子を内戦前に亡くしており、それ以来女性を情熱的な目で見るということがなくなっていた。だがそれをさしおいても、メイドたちの手でよそいきの化粧をされたリッシュが見栄えのする女性であるということはわかる。
「素晴らしい女性だと感じますな。魅力的といって全然問題ありません」
「な、なるほど、悪くない気分ですね。それじゃあもうちょっとこのままでいましょうか」
露骨に機嫌がよくなったリッシュは、口元をゆるめたまま席に着いた。
「そうしてくれ」
フレスは彼女の隣に自然に座り、二人に資料を配る。大将軍となったムスクには色々と伝えることがあるのだ。とはいえ、ムスクは先ほど滂沱の涙を流していた。精神的にはどうだろうかとまず心配した。
「とりあえず、楽にしてくれ。少し落ち着いたかな、将軍」
「正直まだフワフワとした気分ですが、すべきことは理解しています」
「結構。話を始める前に、少し気軽な話をしようか。先ほど決まったことなのだが、ルシアン卿の腹心であるネルカ殿がしばらくポプリ領で働くことになった。部下も大勢連れてくる。二百名ほどだ」
「二百名ですか? それは随分ですね」
どこが気軽な話なのか、とムスクは言いたげだった。
「まあそれは内政に関する部分だから、私とコロン様で調整する。ネルカ殿は美人だから、兵士たちがざわつかないように抑えてくれたらうれしい。特にククランを」
「ああ、ククランが言っていましたね。大層な美女が客としてやってきたと。是非とも嫁にしたいと言ってましたが、ルシアン領の方でしたか」
リッシュが口をはさんだ。
「ルシアン領の方どころじゃない。実質的なナンバー2だ。それを嫁にとは、ククランのやつもいつの間にやらえらくなったな」
「ナンバー2? それなら確かにそうですな、とても彼が手を出せるところではない」
ムスクが唸った。フレスがそれを聞いて頷く。
「我が領でいうならコロン様か、私にあたるような方でな。正直言ってこの部分は蹴られると思っていたんだが、強気で言ったら通ってしまった。まあ、ルシアン卿が最終的な条件を詰めてくる可能性はまだあるが、合意書があるから、おそらく本当に来るんだろうな」
「そういえば、そのククランが言ってましたがルシアン卿は未婚なんですか?」
「どこでそんなことを聞いてきた?」
「軍師殿が結婚を申し込むとかなんとか。そしたらネルカ殿が『閣下は初婚だ』とおっしゃったと」
「それか。信じるなら未婚なんだろうな」
ルシアンの素性については、よくわからない部分が多い。公人としての功績や施策はよく知られているのだが、その私生活は謎が多い。両親や兄弟、家族関係についてはほとんど不明だ。おそらく、政治的な理由で意図的に隠されているのだろう。
「本当にルシアン卿と結婚するんです?」
あらためてリッシュがそんなことを訊いてくる。
「そのつもりはない。ネルカ殿の動揺を誘うためにそう言ってみただけだ」
「ですが、ポプリ様とも結婚なさらないんでしょう?」
「前にも言ったが、身分も歳も違いすぎる。もしそれを無視したら、私がポプリ領を乗っ取ったように思われてしまうだろう。そもそも、ポプリ様にはもっとふさわしい相手がおられる」
「じゃあ、誰と結婚なさるんです?」
「おいおい」
フレスはまるで親戚に『早く結婚しろ』と詰め寄られているような気分になった。
「結婚など、運命の流れです。急かされてするものではありませんよ」
ムスクは腕組みをして、大人の意見を言う。リッシュはそれに反駁した。
「そう言ってたら永久に結婚しないんですよ、この人は。早く結婚して子供を作ってくださいと言っているのに」
「ああ、後継者がいないってことですな」
「そうです。軍師殿の子ならみんな安心してついていけますからね」
「しかし血筋だけを頼りにするのも問題では」
「それはあとから考えればいいんです。とにかく早く結婚してください」
「性急ですな……」
「とにかく、早くしてください」
言われてフレスは悩んだ。特に相手もいるわけではないし、結婚したいという欲があるわけでもない。むしろ、今結婚してしまっては相手に迷惑がかかるだろうという気しかない。家庭のために割く時間が全くないからだ。
「そうしようにも相手がいない」
「誰でもいるでしょう。メイドでもなんでも、手ごろな女をつかまえてください」
「手ごろな女性などいない。皆、高嶺の花だ」
「手近な女でいいでしょう。ちょっと口説いたらコロッといくもんです。近くにいる女を口説いてください」
「近くにいる女性か」
「そうです!」
強く言われて、フレスは頭の中で今近くにいる女性を思い浮かべてみる。真っ先に思い浮かぶのはファリア。この上なく愛情を注ぐべき相手ではあるが、結婚相手としてみるのは論外だ。次にポプリ様だが、これも結婚相手として見るべきではない。宰相のコロン様も、ポプリ様ほどではないが歳が離れているし、立場上、口説くような相手ではない。
他に内戦の時から一緒だった女性兵士たちもいるが、彼女たちも恋愛の対象にするのはあまりよくない。戦友とみるべきだろう。
「難しいな」
思い悩んでそう言ってみると、リッシュはもどかしく思ったのかグッと詰め寄ってくる。
「もう、それじゃ進みません。今すぐ、近くの女を口説いてください」
「今すぐ、近くの? ……君か?」
「えっ?」
思わず、リッシュが飛びのいた。
「えっ、私ですか? 私?」
「今すぐ近くの女を口説けと言ったのは、君じゃないか」
「最低ですよ、最低! もっとロマンチックにしてください」
「ちょっと口説いたらコロッといくもんだと言ったのも君だろう」
「いくわけないでしょうが! 手ごろな女扱いされるのは嫌です」
「とにかく、今は別の議題がある。雑談はここまでだ」
フレスは落ち着いて資料をめくり始めた。リッシュは複雑な表情でため息をついて、会議場の机に突っ伏してしまった。
「お二人はいつもこんな調子ですか?」
ムスクがそう訊ねたが、フレスは軽く首を振った。
「少し、無駄話が過ぎたな。とにかく本題だ。ルシアン領との話がいったんまとまったところで、国境沿いの盗賊団をなんとかしたいんだ。討伐のための部隊編成と、行商人たちを護衛する部隊も別で派遣する必要がある。そのことで相談がしたかった」
「わかりました。リッシュは放っておいていいのですか?」
「いつものことだ、かまわない」
ぐったりしているリッシュを放置したまま、フレスは淡々と説明を始めてしまった。




