21.同盟交渉
あらためて設けられた交渉の場は、ゴルシャネル卿の時代から続く儀礼をきっちりと踏まえたものだった。
食堂などではなく円卓の会議場にネルカを招待し、三貴族の一員として高い椅子に座ったポプリがそれを迎える。ドレスは厚手のシックなもので装飾品も肌の露出も控えめ。しかし実は化粧は念入りにされている。これが正式なマナーなのだ。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、おかけください」
声をかけられたネルカは儀礼通りに進み出て、一礼し、入り口から最も近い席についた。ポプリの右隣にはフレスが、左隣には宰相らしい女がついているのが見えた。
ああ、あれがおそらく宰相コロンという人物だろう。ネルカはそうあたりをつけた。フレスがいうには「真面目で厳しい宰相」ということだがと以前の交渉会議を思い返しながら。
ポプリはさらなる言葉をかける。
「先ほどは楽しい会食でしたが、これからは我が領とルシアン卿の未来のかかった大事な話し合い。親書は拝見させていただきましたが、こちらとしてはあのままの内容を受け入れることはできないとお返事せざるを得ません」
「はい。私はこちらの交渉を任されるにあたり、ある程度の裁量権をいただいてこちらに参っています。どのような点について、受け入れが難しいのかお伺いできますか?」
言いながら、ネルカは感心していた。たったさっきまでは無邪気な子供のようにあれこれと語り、パンケーキにむしゃぶりついていたポプリがすっかり『三貴族』として重厚な振る舞いを見せている。このような二面性を持つことは人間だれしもあるのだが、見事に切り替えを見せられては。
ポプリは調子を崩さず、領の最高責任者として親書の内容を指摘した。
「関税については、このようにひとくくりに約束できるものではありません。ルシアン卿もご承知のはずでしょう」
「しかし、ロンシャロン時代の税率があまりにも高かったことは誰の目にも明らかです。それより下げるとお約束いただければ、我が領の商人たちも安心できます」
「もちろん、両国の関係を悪化させるような税率は是正されるべきです。ですが、同盟とはそれほど難しいものですか?」
「といいますと」
ネルカは聞き返しながら、何を言っているのかと困惑する。外交とは難しいもので当然である。お互いに考えていることが違い、そして守るべき立場の者も違い、支援している者の立場も違う。それらをあわせてふまえて調整しながら、妥協点を探すのが外交だ。
「仲良くしよう、と約束することこそが同盟というものの本懐です。私はそう思っています。であれば、まずその最低条件を満たしてからこのような複雑なことを調整するべきです。そうは思わないのですか?」
「それは飛躍した論理ではありませんか。閣下も領内の様々な意見を吸い上げてこの親書を出しています。その各所を納得させるための条件が書いてあるわけで、それを無視して同盟したというのでは、閣下も力を失ってしまい、同盟もただの口約束になってしまうでしょう」
「では、ネルカ殿はこの親書の中身を一歩たりとも譲るつもりがないのですか?」
「ある程度は裁量を任されております」
「私は領民のために、この条件のままでは同盟を受けられません。なんとかしてください」
にっこり笑って、ネルカに向かってそう言った。ポプリは相手から投げられたボールをそのまま投げ返したのだった。
「ポプリ卿、それはこちらのセリフです。私は、閣下やルシアン領の民衆の利益を無視するわけにもいきません。この親書については彼らの要望が詰まっているのです」
「でも無理ですよ。これをそのまま受けては、私たちの領が崩壊してしまいます。だから、なんとかしてください」
「それは私の役目ではないです」
ネルカはまともなことを言っているのだが、ポプリは笑ったまま動かなかった。フレスも全く動かない。コロンも同じだった。
このままではどうにも進展しない。ネルカとしてはこういう手合いに出会ったことがないでもない。そういう場合は速やかに引き上げて、「こちらとしてはしなくてもいいんです」と突っぱねる。あるいは少しずつ条件を緩めるという手を使うか、詭弁でどうにかするかだ。
こういった、相手に丸投げする手段は本来下策だった。悪印象を与えるばかりで、交渉に有利なことはない。ましてや口先で丸め込まれるリスクが膨れ上がるばかりである。フレスがこういう手段をとるというのは考えにくかった。
経験で培った話術で「損に見える条件も将来的には悪いものではない、むしろお買い得だ」と押し切ってみるべきだ、とネルカは一瞬考えたが、それがフレスに通じるとは思えない。宰相コロンという人物もまた、彼に認められている女傑であるから冷静に反論してくるだろう。
なによりネルカ自身が、この同盟条件は少々無茶だろうなと思ってしまっているところがある。それでもこちらから条件の緩和を申し出ることはできない。フレスに話を振ってみる。
「フレス殿、あなたならおわかりでしょう。私は意味もなく親書を持ってきたわけではない。そちらの意見を出してください」
「今、フレスは関係ありません」
ポプリがその声を遮った。
「最高責任者は私なんですよ。私と話をしましょう。こんな同盟条件は飲めません。ネルカさんは関税自主権という言葉を知っていますか?」
ネルカ殿、と呼んでいたものが『さん』付けに変わってしまった。
「もちろん知っています」
「それを制限してまで、同盟なんてできません。だいたい、先日の模擬戦の結果からいえば、私たちの方が有利な条件であるべきです。なぜこのような高慢なものを持って来れたのか不思議でなりません。だから、お願いしているんです。なんとかしてください」
「……」
確かにな、とネルカは思った。どう考えても無茶な条件であった。
とはいえルシアンは選挙で選出された三貴族である。どうしても民衆や利権団体の意見に縛られる。とりあえずとして作られたこの同盟条件は、そのまま受けられるとは思っていないような、たたき台に近いものだ。
それを考えればポプリたちの反応は普通のものである。だが怒ってくるのではなく「なんとかしてください」と来るとは予想外だった。
ポプリはさらに言葉を重ねる。
「兵士たちは戦いたがっているんです。彼らのことを優先するなら、同盟なんてしなくてもいいんですよ? 模擬戦の続きをやって、領土と兵士を人質にすればもっと有利に進められますからね。でも、それではまたみんなが不幸になるので私たちは話し合いをしているんです。なのに、私たちを押さえつけていいようにむしり取ろうというのは、やりすぎではないですか?」
「はい、お互いの条件が噛み合わないことは承知のうえでこちらの親書は作成されました。ですので、話し合いが必要なのです。私が裁量権を持ってきたのはそのためです。交渉を始めましょう、ポプリ卿は関税自主権を制限されたくないとお考えですか?」
「違います」
えっ、とネルカはまた肩透かしを食らった。
「では、問題になっているのはどのようなことでしょうか?」
「我々はもっと、仲良くすべきです」
「と言いますと」
「なぜ、奪い合おうとするのですか? 私にはそれがわかりません」
話が元に戻ってしまう。ポプリの理論は、ネルカの外交上の前提となっている部分に疑問をぶつけるものだ。感情の面ではわかるが、それを考慮していると話が進まないのである。だから、数字と理論で語って実に近づけるしかない。
それにお互いが納得しているということが、交渉の基本だ。これに付き合っていると、一段低いところにおちてしまう。
「お考えは分かりますが、お互いに多くの民衆の生活や命、財産がかかっています。友情や綺麗事だけでは取引も約束もできません」
「しかし、仲良くすることすら約束できないのですか? ルシアン卿は同盟を約束してくれていたのに、嘘だったのですね?」
「そういうわけでは」
「では仲良くしてくれますね」
それは前提の部分だった。ルシアンも同盟したくないわけではない。
「もちろん、閣下もそのおつもりです」
「実は」
答えた途端、フレスが口を開いた。ネルカはギョッとして彼を見る。今ここで何を言い出すのか、予想もつかない。
「リッシュにもこの親書を見せたのですが、彼女はもっと過激でしたよ。こんなものは破いて突っ返すべきだとね。我々の主権を制限しようというのであれば、そちらにもそれなりの誠意を見せてほしいというのが、私と彼女の共通の見解です」
「ああ、あの護衛ですね」
「先日、我が領内であなたが襲撃されたことについては、申し訳なかったと思います。それを考慮に入れても、ネルカ殿。このような無礼な条件を持ち出してくるということは、逆説的に冷静に我々で議論を進めた結果。次のように結論せざるを得ません」
一呼吸おいて、フレスは立ち上がって低い声で告げた。
「ルシアン卿は、我々と戦争がしたいのですか?」
「いえ、そのようなことはありません。閣下は冷静なお方です。オルガリア卿とも小競り合いを続けているのに、この上ポプリ軍とも戦うというのは厳しい。たった今、お互いに仲良くすべきだとポプリ卿が口にされた通りです」
「であれば、このような条件を持ち出すことがおかしいとは思いませんか。主権を侵害するものは、主権を侵害されても文句はいえません。仲良くしようというのであれば、そうですよね?」
「つまり、我々にも条件をつけようというのですね」
やっとまともな話ができるな、とネルカはまっすぐにフレスを見つめ返す。
「我々は主権を制限しろなどとはいいません。我々と仲良くしたいし、我々から金を搾り取ろうというのであれば、まずつぶれそうな我が領を支援すべきです。金と人員をよこしてください。早急にです。当然ですよね? そうしないと我々は明日にも破産します」
「……本気ですか?」
「本気です。ネルカ殿を含んだ実務経験のある官僚を二百名と魔王金貨一万枚で手を打ちましょう。それと、関税制限には半年の期限をつけてください。それでやっと、我々は互角です。ご納得いただけますよね」
「無茶苦茶を言っている自覚がないのですか」
「無茶苦茶はそちらです。私はそれと同じだけのものをお返ししているだけです」
「わかりました。少し、待ってください」
なんとか心を落ち着かせようと、ネルカは努力をした。フレスの言っているのは、相当無理な条件だった。
それでもネルカは過激な条件を冷静に飲み込もうとして、思案してみる。実務経験のある官僚二百名はキツいが、金貨一万枚程度なら悪くはない。土下座外交と批判されるかもしれないが、実際に国境拠点の門を破壊されている以上、相手に有利な条件になってしまうのは仕方がないところだった。
それにこちらが突きつけた『関税をロンシャロン時代より引き下げろ』という制限の半年期限もおそらくポプリ領にとってギリギリの範囲。今から半年後はまだ夏の盛りで、収穫前になる。そのくらいならば持ちこたえられるという理論だろうか。
つまり、落としどころである。フレスはおそらくこう言っている。「どうしても関税制限が領内を納得させるのに必要なら、期限付きで応じる」ということだ。
それでもキツい。やはり自分も含めて二百人も戦力になる人間が奪われるのはルシアン領の一大事だ。
「人員は、いつごろ帰していただけるんですか? 私がいないと閣下が寂しくて眠れもしないでしょう」
「こちらも半年。その間に我が領の信頼できる人材を育成するつもりです」
「わざわざ私が言うのも変ですが、一応確認します。我々の息のかかった人間で、ポプリ領の政権をつくるつもりなんですか?」
その確認に、ポプリが口元を緩めた。
「素人が作ったあばら家より、プロが作った豪邸を選ぶことの何がおかしいのですか?」
「わかりました、ポプリ卿。あなたが仲良くするということにこだわった意味が」
確かにそれは必要な確認だった。納得してネルカは頭を下げる。
ルシアン領からの官僚を二百人を受け入れるとなれば、ほとんどすべての情報は筒抜けになる。フレスは「もともと防諜などない」と言っていたが、これでは吹きさらしのような状態になってしまう。壁がないどころか野ざらしだ。であれば、「仲良く」という大前提は絶対に崩せない。だから、関税の制限まで期限付きとはいえ受け入れると言っているのだ。それで領内の諸勢力を黙らせる代わりに、お前も金貨一万枚という身銭を切れというのがフレスの条件の本質だった。俺たちの安全の担保をするためにお前も血を流して証明して見せろと言っているのだ。
ネルカは一人で交渉に来ることを決めた過去の自分に感謝した。これで資料もちや身の回りの世話のためなどの名目で従者を引き連れてきていたら、間違いなくこの場での結論は出せなかった。「蛮人どもに屈するのか」「優秀な人材と大金が流出するのを認めたのか」と言って大反対されるのは目に見えている。今回は、それが帰ってからになるのでどれだけ怒鳴られようが決定が覆されることはない。
とはいえネルカはルシアン領の人間であり、この条件を少しでも緩和するように努力はしなければならない。
「ちなみにですが、官僚たちに給料は出していただけるんですよね?」
「我が領の給料制度でよろしいなら。メイドたちよりは出しますよ」
「それは、調査していますがとても足りません。となると」
官僚たちの給与をメイドとは比較できない。この城のメイドたちの給料は安すぎる。それでもフレスたちは血を流す思いで支払っているだろうが。
つまり実質的に、二百名もの官僚経験者たちにサラリーを支払うのはルシアンの役目ということになってしまう。金貨一万枚よりもこちらのほうがきつい。ポプリたちが出す給料に上乗せする形で補填するとしても、領内の勢力を納得させるのは至難の業だ。
だからこそフレスは「お前たちが提示した主権の侵害をのんだぞ」といっているのだ。突っぱねてもいいような条件をあえて期限付きで飲み込み、かつ、「我々はスパイを大量に送り込んだ」と言い訳の利くような絶妙な条件を与え、しかし金は奪う。帰った後のことを考えると胃がキリキリするような無茶苦茶だ。せめて少しでも安くならないかとネルカは声をしぼった。
「フレス殿、やはり二百名も政権運営に穴をあけるのは大きい。四か月、いえ三か月にまかりませんか」
「ダメです。私は最低条件を提示しています。現役の官僚でなくともいい。教育だけできる人員でもかまいません。とにかく実務経験があり、ポプリ政権の官僚を育成できる人間を二百名、半年。そして魔王金貨一万枚。これは絶対です、引きません。ダメならもう一度リッシュを連れて国境拠点に行くだけです」
頑としてフレスは抵抗した。朝の会話と同じで、どう見ても感情が読めない。底知れないものを感じた。
これはダメそうだな、とネルカは理解しながらも形だけ応酬する。
「そこをなんとか。我々が倒れては元も子もないでしょう。オルガリア軍も精強ですし、今も北の国境では緊張状態なんですよ」
「絶対、無理です。ダメです」
「どうしてもですか? あんなに助けてあげたじゃないですか」
「それはそれです。ダメです」
「閣下への求婚も手伝います。一緒にその言葉も考えますし、プレゼントも選んであげます」
「それでもダメです」
「仕方ありません、その条件で従いましょう」
至極どうでもいい茶番のような会話の後、ついにネルカは折れた。コロンが信じられない者を見る目で、フレスを見ている。
「ルシアン卿に求婚するつもりなんですか?」
と、彼女は言いたそうだった。




