20.朝食の席
「こちらへどうぞ」
メイドがそう言って扉を開いた。
ネルカは慎重にその奥を見たが、すでに小柄な女性とフレスが席についている。朝食の席が用意されているのだ。女は地味な色合いだが、動きやすそうなドレスを着ている。なにより、耳より大きな触角が頭に飛び出しているではないか。
魔王種の女。ほぼ間違いなく、ポプリ軍の最高責任者であるポプリ卿だった。
むぅ、と声がでかかる。まず正式な場でポプリ卿への謁見、しかる後に会食だろうと思ったが、いきなり一緒に朝食をとれという。
「これは、ポプリ卿……」
ネルカは膝をついて、頭を下げた。
だが、ポプリはものともしない。あの使者は何をしているんだろうか、というような困惑さえわずかにある。
「ああ、そうですね。私がポプリです。ネルカ殿ですか? フレスから話は聞いています」
「はい、お初にお目にかかります。ルシアン閣下の秘書のようなことをさせてもらっている、ネルカと申します」
食堂に入る前に膝をついたまま、そう答えざるを得ない。まともな儀礼を学んだ彼女からすれば、いきなりトコトコ歩いて行って席に着くことはできなかった。
逆に言えば、チャンスでもある。ここで自分がこのような姿をさらすことで、「間違っているのはお前たちだぞ。非常識だぞ」というアピールにもなる。
「かまわないから、お立ちになってください。どうぞ席について。朝食を一緒にということは、伝えてあったはずですよ」
「ですが」
「早く席についてください。パンケーキが冷めます!」
思わず少し大きな声が出た。ただの本音だった。
フレスはその後をついで、まるで何事もなかったように仕切った。
「ネルカ殿、どうなさいました。朝食をとるということはお伝えしたはずです。さあ、そのようなところでご遠慮なさらず」
席を立ち、ツカツカと歩いてネルカに手を差し出す。それでネルカは察した。
「親書を見たんですね。やってくれますね、フレス殿」
「とんでもない。ただ、ポプリ様のお食事を冷ましてしまうわけにはいきませんから。堅苦しいことはあとで、まずは食事をしてからです」
翼でフレスの手を取って、器用にネルカが立ち上がる。
フレスが指示した通り、厨房のメイドやコックたちは見栄えのする料理を作ってくれており、テーブルの上にはそれらが並んでいる。卵焼きとソーセージ、大きなボウルに盛られたサラダ、バゲットと白いパン、澄んだ色のスープが並んでいて、さらにハニーシロップのついたパンケーキがついている。
「どうぞ、おかけください」
「フレス殿、一国の主のお食事としては控えめに感じますが。今日は少し、量をおさえられたのですか?」
早速ネルカはやり返してきた。彼女はポプリ軍の財政を知っている。
贅沢な食事をすることは三貴族として悪いことではない。むしろ、色々なしがらみで三食が豪華になりがちだった。それを知っているからこそ、ポプリ軍の朝食メニューを見てチクリと言ってきたわけである。
これらのメニューも一応材料の質は値段と戦いながらもこだわりを持って、腕に自信のあるコックが作ったものだ。だが、三貴族の食事としては貧相もいいところである。確かにネルカがそういうのも無理はない。
「とんでもない、今日はネルカ殿がおられるからです。普段はもっと質素です。昨日の残りのスープとバゲットにするつもりだったとメイドたちは言っていましたよ」
いきなりフレスは白状した。敵がそういう態度であるなら、隠さずに正直に言えばダメージになる。「お前はとんでもない嫌味を言ってきたし、我々はそれに深く傷ついている」というアピールにもなる。予想通りネルカはピクリと眉を動かしたが、それ以上は何も言わないし、表情も崩さなかった。
「さあ、早くいただきましょう」
ネルカが席に着いたので、ポプリはそう宣言して軽く祈りの言葉を捧げた。それに倣ってフレスとネルカも静かに短く祈りを捧げ、それから食事を始めた。
さっそくポプリはパンケーキにかぶりついて、もしゃもしゃと元気よく食べていく。
「いいんですか、あれは」
思わずネルカはツッコミを入れたが、フレスは動じない。
「元気でいいですね。堅苦しくまずそうに食べられるより、あのほうがいい。マナーはきちんとお伝えしているので、よその国や領地にいくときはきちんとされるでしょう」
「そんなんでいいんですか。閣下なんか音を立てたら殴り飛ばされたと言っていたのに。というか普通はそうなんですよ」
「よそはよそです。それとも、ポプリ領の食事マナーに順応されないとでもおっしゃるんですか?」
「まさか。心配しただけです」
ネルカは舌打ちしたかった。いいようにフレスにやられている気がしたからだ。
「親書はご覧になっていただけましたか」
と言いたいところだが、切り出せない。相手が言わない限り、その話題は出せなかった。
そこでネルカは意図的に黙って、出された朝食を味わってみている。ハッキリと言ってしまえば味はルシアン領で食べなれたものと比べて劣る。だが、味の違いなどは好みの違いでしかない。これを「洗練されていない」ととるほどネルカも愚かではなかった。
とはいえ、コックが真に作りたい味ではないのだ、ということはわかった。妥協している。砂糖にせよ香辛料にせよ海産物由来の味にせよ、たっぷりと使いたいものが使えないので、他のもので代用している。
「それにしても、こんなにきれいな有翼種の方は初めて見ました」
パンケーキを味わい終わったポプリがそんな話を打ち出した。意外な方向からの切り出しだ。
ネルカは自分のことを言われていると受け取ったが、そう言われては悪い気はしない。見た目には気を遣っているし、隙を見せない努力はしているつもりだった。
「はい、ネルカ殿はとても美しい方です。見た目も、所作も洗練されています」
「ありがとう存じます」
フレスにもそう言われて、素直にネルカは軽く頭を下げた。
そこで次の追い打ちがかかる。
「さぞかし、おモテになるのでは?」
先ほど、二人で話していた時にネルカがフレスに言ったことをそのまま返された。しかも会食の場でだ。やり返されたからこそ、「女性に向かって失礼ですね」という逃げ道がふさがれている。「先ほどフレス殿はルシアン卿に求婚なさるとおっしゃられましたよね」ともやり返せない。あまりにも両者の関係を変えすぎる。これも想定してそんなたわごとを言ったのか、とネルカは喉の奥で唸った。
実際のところ、ネルカはかなり多くの異性、また同性にも慕われている。先ほど客間の護衛についていたククランでさえ、「あの方は何者ですか! 是非我が伴侶に」と目の色を変えていたほどで、同じ部屋にいるメイドからの白い目にも気づかない様子であった。
当人としては外交や交渉のため、また当然の礼儀として見た目を整えてはいるが、特に恋愛のためにそうしているわけではない。なので、そうした輩はいちいち断りをいれるのが煩わしいだけのものとなっている。
要するに恋愛的な意味で異性に好かれていても、あまりネルカは嬉しくなかった。
しかし一方、よく言われる質問でもある。自分の中からお決まりの返答を取り出して、答える。
「それなりには、そうですね。ポプリ卿こそ、そのような柔らかな角をお持ちの魔王種の方には初めてお会いいたしました」
さらに、自分が褒められたので返して相手のことも褒める。当然の話術だった。
「ああ、これですか」
ポプリは自分の触角を指で軽くつまんでみせる。彼女のものは、角というよりも完全に触角であり、特に風になびいて揺れるほどだった。
「正直、邪魔なんですよね。髪を整えるとき、動いてしまったりして。切ってしまいたいんですけど、それは駄目だとみんなに言われて困っています」
「き、切ってしまいたいのですか?」
ネルカは今度こそ度肝を抜かれた。
「だって、みんなこんなものなくても平気そうですし。私だけ魔王種と言われても父も母も魔人種で、全然そんな気はないですしね。ネルカ殿がうらやましいですよ、翼があれば飛べるのでしょう? 角なんてあっても邪魔なだけですよ。帽子もかぶれません」
角があっても邪魔なだけ。凄まじい物言いである。
ネルカがこれまで出会った魔王種の多くは、角を誇りとしていることが多かった。言葉を選ばず言えば、傲岸不遜な性格の魔王種が多いことも理由である。俺はお前らとは違うんだ、この角が俺の血筋を証明しているんだ、というようなことを言われたことも多い。
魔王種という名が示す通り、耳よりも大きな角はかつてこの魔界を統一していた偉大なる魔王が持っていたとされるもの。その正統な血筋を証明するものが、角というわけである。だからこそ、魔王種の者たちは角を自慢するし、誇りにするものなのだ。
「驚きです。そのようにおっしゃる魔王種の方がおられるとは。ポプリ卿は種族の誇りなどではなく、実用性を重んじていらっしゃるのですね」
ネルカは心からそう感じたので、そのまま口に出してしまう。ポプリはこれに首を振って応じた。
「実を言うと、種族なんて考えたこともなかったんですよ。一応こういうのがついて生まれたので魔王種と呼ばれてますが、硬くて立派な角ではありませんので、昔はかえって恥ずかしいくらいだったんです。見せびらかそうなんて思いもしません。一応、これのおかげで暗いところでも少し見えたり、小さな音も聞こえたりといったことがあるそうなんですが、生まれたときからそうなのでこれのおかげと言われてもよくわからないのが本音なんです。こんな役に立っているかわからないものより、翼の方が役に立っているように思います。オルガリア卿からの使者も有翼種の方でしたしね。山間の拠点からここまで滑空して、一つ飛びに来られるそうなんです。私も飛んでみたいものですよ」
言われて、ネルカは苦笑しかかった。なんとかこらえて、本音で応えた。
「有翼種といってもピンキリなんです。私は幸い、飛ぶのがうまいほうですが、大抵の者は翼を広げても高いところからゆったりと落ちながら進むのが精一杯。羽ばたいて飛べるものは希少です。それに、魔王種の方とは違って見た目がかなり奇異に見られることもあります。皮膚から羽毛が生えて、翼になっているわけですからね。そのせいで怖がられることもありますから、良し悪し。それに、飛んでみれば地上で憧れるほど空は自由ではないことがわかります。寒くて、落ちれば大怪我をするか死ぬ。翼はあっても、飛べるのは思ったよりも狭い世界の中だけです」
「そうなんですか?」
「はい、残念ながら」
ネルカがそう答えると、ポプリはポンと手を打った。
「それでも、翼を捨てることは考えないでしょう?」
「それはもちろんそうです。仕事に生かしていますし、切ったら痛いし、私の誇りでもあるんです」
「それなら、私の憧れは止められません!」
ふんすと鼻息も荒くポプリがふんぞり返る。いつか空を飛んでみたい、という子供らしい夢について彼女はさらに語った。
「空を飛んで、上から私たちの町を見下ろしてみたいです。本当に地図と同じなのか、しっかり確かめて、それからおいしいお店を探して全部チェックできます。いくらでも使い道が出てくるじゃないですか! いくら不自由な空でも、希望は無限大なんですよ!」
「もちろんです。実際にそうしている有翼種もいるでしょう」
「ほらやっぱり!」
ニコニコしてポプリは両手を握りしめる。もうすでに朝食は食べ終わっていて、皿も下げられていた。
しばらくポプリがウキウキした様子で一方的に空への憧れを語り続け、結局ネルカは同盟条件について全く話ができないまま、会食が終わってしまった。
これでいいのかと自問している様子のネルカが客間に引っ込むと、フレスとポプリも食堂から出る。会食の次は、正式な交渉が待っている。これはふざけていい場ではないので、キッチリと準備しなければならない。ポプリはすぐさまメイドたちに連れていかれ、念入りなお化粧とおめかしをさせられている。
フレスは大して準備が必要ないので、食堂の隣の部屋にそのまま入った。
「フレス殿! 何も肝心な話がないまま終わってしまったじゃないですか! 折角使者を追い詰めていたのに、ポプリ様の雑談でうやむやになってしまって!」
するとすぐさま、そこに控えていたコロンがフレスに食いついてきた。彼女はてっきり、この会食で勝負を決めるものだと思っていたらしい。
「もう少しで押し切れたんじゃないですか? あそこでパッと同盟条件の話に切り替えたら、丸め込めたのでは?」
「そんなことは無理です」
フレスは冷静に切り返した。
「ネルカ殿は外交と交渉のプロです。あんなものは子供の駄々ほどにも感じてはいないでしょう。交渉となれば絶対に譲れない一線を出してきますし、隙あらば有利な条件をつきつけてきます」
「じゃあ、何のためにあのようなことをしたのですか?」
「そうは言いますが、ネルカ殿をいきなり謁見させて、重々しく親書の内容について口論するほうがよかったのですか? ポプリ様が圧倒されて終わるだけだったと思いますが」
「む、それは……確かにそうですが。そのためにあなたがいるんでしょう!」
コロンがフレスの肩をつかんでゆさぶった。彼女の言うことにも一理はある。
しかしフレスは持論を曲げなかった。
「忘れてはいけません、コロン様。我々の最高責任者はポプリ様なのです。私はそれを支えるためにいる。あなたもそうです。私たちは、自分の思う通りにポプリ様を操るためにいるわけではありません」
「ウッ」
コロンはひるんだ。言い返せなくなってしまった。
「あの雑談で、コロン殿はポプリ様の顔見知りになりました。もう、ポプリ様の中ではお友達の一人でしょう」
「そんなんでいいんですか?」
「お友達が相手なら、難しい交渉も気楽にできますし、緊張もほぐれます。もちろん国家の財政がかかっている以上は真剣に引き締めるべきところはありますが、それは私が受け持ちます。ポプリ様は、お友達の相談を受け止めて、そして自分たちの問題と照らし合わせて真剣に考えてくださるはずです」
うむう、とコロンは唸った。確かにポプリの性格上、初対面の相手にビシビシ詰問するなどということは無理である。だが、友人のお願いに対してあれこれと考えて最善の策や次善の策を提示することはできる。そのほうがうまくいく、とフレスが判断したということだ。




