15.愚か者たち
ほとんどの商人はすでに、フレスの近くにいた。
だが値下げに同意していない商人がまだ残っている。先ほどリッシュによって怒鳴りつけられた若者二人だ。
「これでは、我々が築いてきた自由経済がなくなってしまう……」
彼らはそんなことを言って、値下げには抵抗を続ける構えを見せていた。リッシュの迫力に腰が抜けてはいたが、その言葉をはっきりと聞いて考えることすらしていないだろう。
一体なにを怒鳴られていたのか、それすらわからないで恐怖していただけだった。
ネルカはそれを横目に見ながら、空いた席について懐から出した水を飲んでいる。彼女の役目は終わっている。すでに、この交渉の目的は達成されていた。これ以上するべきこともないと考えているのだろう。
二人の若者はこのネルカに目を止めて、そしてなんとか壁につかまって両足を立たせ、近づいていく。
「し、失礼いたします。あなたは先ほど、市場原理を支持するとおっしゃっていましたね?」
話しかけられて、ネルカは答えなかった。それどころか目を向けることさえしない。
だが若者たちはそのような反応に慣れているのか、さらに言葉を重ねた。
「それならば、あのような弾圧を許しておいていいのですか? 私たちと力を合わせ、権力に立ち向かいましょう。未来を守るためです!」
「そうですとも! 我々が団結すれば覆せます」
言われても、やはりネルカは反応せずにいた。しばらくまるで聞こえていないように水を飲み、それからようやく一目若者たちを見やった。
「とんでもないバカですね」
そう言って、ネルカが立ち上がる。あっけにとられる若者たちを放置してフレスのところへ歩いた。
「フレス殿、私も商人としてふるまう際には、塩の価格を下げることをお約束します」
「ありがとうございます」
ネルカがそう言ったことをうけて、フレスが頷く。多くの商人が彼の前に集まり、彼の要求を飲んでいるのだった。
「大変多くの方が、塩の値下げに同意してくれました。これならコロン様もご納得いただけるかと思ったのですが」
そう言って彼は残った二人の若者に目を向けて、言葉をつづける。
「完全ではないですね。お二方は、同意してくださらないのですか?」
問われた若者は後に引けなくなっているのか、少し大きな声で叫んだ。
「もちろんです! これを認めれば、次は香辛料、次は衣料といったように次々と法で値を縛られる。我々は最後まで抵抗いたします!」
「わかりました。強制するつもりは一切ありません」
フレスはあっさりとそう言って引き下がった。香辛料の関税引き下げは、必須の課題ではない。ここで完全な結果が得られるとは、彼も思っていないのだ。
しかし、真っ先に彼に降伏した黒ターバンの商人はそれを許さなかった。
「いえ、軍師殿。今この場で、私の権限をもって彼らを我々の行商から追放します。塩も香辛料も、取り扱いをさせません」
「なっ!」
そんなことになるとは思っていなかったのか、若者たちは素っ頓狂な声を上げる。
「ルシアン領の塩問屋にも彼らのことは伝えておきます。もう彼らが塩を売ることはできません。ですから、ここは満場一致ということにしていただきたい」
その黒ターバンの意見に、他の商人たちも次々と同意した。
「そのとおりです。彼らはもはや我々とは無関係です!」
「軍師殿の御意思に従います」
フレスは頷く。頷かざるを得なかった。こうなることを予想していたわけではない。
流れに反発して行商団からの信用を失った若者たちが遠からず破滅するだろうという予想はしていたが、こうも早く、そしてあっけなく鉄槌が下されるとは思っていなかった。
未来ある若い商人があのように追い込まれるのは胸の痛む部分もあるが、ここは割り切らねばならない。
「わかりました。満場一致とみなして問題ないでしょう。コロン様もきっとご納得されます」
「おお!」
商人たちは香辛料の関税引き下げがあると確信して、嬉しそうに拳を握ったり、隣のものと顔を見合わせている。もはや、追放された若者たちのことは眼中になかった。
ネルカでさえ、もう彼らを一瞥もしない。
「では、半年後あたりにもう一度この場を設けたいと思います。香辛料の関税については、それまでの間に追っての通達があるかと思います」
と話をまとめて、フレスは立ち上がろうとした。この場を終わらせ、商人たちを帰らせるためである。
だが、そこに先ほどの若者たちが突っ込んできた。走りこんできたのだった。
「天誅ッ!」
護身用らしいダガーを構えている。一人はフレスを、もう一人はネルカを狙っていた。
「むっ」
襲われていると判断した時にはもう遅かった。若者のダガーはすでに目の前に迫っている。
グチャリと嫌な音がその場に響く。
「大丈夫ですか?」
冷静にリッシュがそんな風に聞いてくる。頷いて応じたが、「君こそ大丈夫なのか」と言うことさえはばかられた。
咄嗟に自分の前に体を割り込ませたリッシュがついでのように片手で振り払っただけで、若者は地面に転がってしまっていたからだ。どこか内臓でも傷ついたのか血を吐いている。ピクリともしない。
「ネルカ殿は?」
「ああ、大丈夫だと思いますが。そっちは平気ですか?」
リッシュがノシノシとネルカに近づいていく。ネルカを襲おうとしていた若者はリッシュが投げた剣を腹部に受けて、即死していた。
ヤワな若者の肉体はほとんど真っ二つになっている。そのせいであたりには血と臓物が散らばっていた。一般的な感覚では地獄絵図だったが、貧しさの地獄や戦場を潜り抜けたリッシュやフレスにとってはなんということもない。
リッシュは血だまりに突き刺さっている剣をつかんで引き抜く。死体の服で血をぬぐい、そのまま鞘に叩き込んだ。
この惨劇をネルカは下手な芝居でもみるように冷静に見る。彼女は足を組みなおしながら、リッシュの顔へ目を向けた。
「ご苦労様。まあ、あんなダガーくらいで私が死んだとは思えませんが」
「あなたがケガでもしたら、大問題になるでしょう。たぶん」
「襲われただけでも大問題ですけどね」
ネルカはそう言ってクツクツと笑った。もちろん、守ってくれたから不問にするなどということはない。
今後の交渉で、色々と言われることは確かだろう。フレスは深いため息をつきたかったが、こらえた。彼はどうしていいのかわからなそうな商人たちに向き直る。
「後の始末はお任せください。本日は得るところの多い話し合いでした。ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい」
あっさりそう言って、何事もなかったように解散を宣言。フレスは、目の前の死体を見ないふりをしながら、ネルカとも目を合わせなかった。
商人たちは恐々といった様子で部屋を出ていき、あとには二つの死体、フレスとリッシュ、そしてネルカが残された。
「くくく……、あははは! 面白かったですね。なかなかのものでした」
ネルカが思い切り笑った。
フレスにとってはあまりにも空虚な笑いに聞こえたが、リッシュは椅子に深く座ってそれに応じた。
「面白くなんてありませんよ、軍師殿は優しすぎる。すぐに殺しておけばこんなことにならなかったのに」
「私は楽しかったですよ。それにしても、まさか私を殺そうとするなんて。短絡的というのを超えていますね。どういう思考回路だったんでしょうか。ちょっと頭を割って中身を見てみましょうか?」
とんでもないブラックジョークだった。フレスは気が重い。若い商人をやむを得ないとはいえ殺してしまったことは、すぐに町の噂になるだろう。彼らの愚かな行為のためだったと伝わればいいが、そうでなければポプリ軍の評価がさらに下がってしまう。
剣で刺されたほうは即死だとわかるが、もう一人をよく確認してみると、まだわずかながら息がある。
「まだ息があるな。医者を呼んできてくれないか?」
「こんなやつを診せるんですか? 診察代も薬代も高いですよ。もう一発殴って殺したほうがいいと思います。それともネルカ殿のいうとおり、頭を割ってみますか」
恐るべき提案をリッシュがしてくる。
しかし、殺したほうがいいというのはある意味では事実である。命には費用が発生するものだからだ。フレスとてそれはわかっているが、できない。
「殺してもおそらく大して変わらないだろうが、もう一人をきちんと治療して裁判に出させるということが大事だ。君は散々さっき、商人たちを脅しつけたんだ。これでこの若者二人が、二人とも死んだのと、一人が治療を受けて生き延びたというのでは人々の受ける印象が大きく異なる。できれば助けたい」
「助けたってどうせ死刑なんじゃないですか? 軍師殿を殺そうとしたんですから。それにこの町の衛兵たちは傭兵みたいな連中ですし」
「わかっている。それでもだ」
「めんどくさいんですね」
ぼやきながらも、リッシュは外の衛兵を呼んで医者の手配をしてくれた。
「それで? 死体はどうするんですか」
ネルカは血だまりが広がる床を一瞥して、フレスに問いかけた。
「本音を言えば医者に縫い合わせてもらって、ご家族のもとに返したいところですが。ひとまず火葬して共同墓地に、それしかありません。ご家族への連絡は商人たちに任せましょう」
「大変ですね」
「私の目の前で起こったことなので。それよりもネルカ殿、ルシアン閣下は同盟の件については何か言っておられませんでしたか?」
「ああ……、その件ですか」
問われてネルカがつまらなそうに首を振った。
「前向きに検討しています。なにしろ門の修理もまだ終わっていませんからね。一応、閣下の直筆の返事がそろそろできているとは思いますが」
「思いますが?」
「私がフレス殿にお誘いいただいた交渉の場で殺されそうになってしまいましたからねえ」
「誠に申し訳ありません」
「こんなところで謝ってもらっても意味ないんですよ。きっちりもらうものをもらわないと。岩塩の輸出なんかじゃ割に合いません。閣下もそうおっしゃるでしょう、そちらの宰相もそうらしいですが、閣下も本当に厳しいお方ですよ」
「知っています。ですが、我が軍の精強さは身に染みて知っていただけたのでは?」
むっ、とネルカは眉間にしわを寄せた。確かに言われてみればその通りである。あの間合いから二人で襲い掛かってきたのに、リッシュはこともなげに処理して見せ、しかもまるで特別なことなどなかったように普段通りに落ち着いていた。精強さを知ったかと言われれば頷かざるを得ない。
「それはそうですが。まあ、わかりました。私はそろそろ行きます、衛兵たちの事情聴取に巻き込まれたらたまりませんから」
「はい。ご協力いただきありがとうございました」
ネルカはため息をついて、窓へと歩いて行く。そこでフードつきのマントを脱いで、翼をひろげた。フレスはここで初めてネルカの両腕、翼になっている部分を見たのだが、まるで地味な茶色の羽だった。そこに黒がところどころに入って、模様をつけている。どこにでもいる小鳥のような目立たない色合いだったが、なぜかそれはネルカに似合っているように感じられた。
脱いだマントをその翼で器用に畳み、腰に巻いていた小さなカバンに押し込む。完全に飛んでどこかに行ってしまうつもりのようだった。
「近いうちにまたお会いしましょう」
窓枠に足をかけて、ピョンと気軽な調子で外へ飛ぶ。そのまま翼を開いたかと思うと夜風にのって、急上昇。アッという間にネルカの姿はちいさくなり、闇の中に消えてしまった。
「あんなに気軽に飛べるものなんだな。ネルカ殿は有翼種の中でもよほど飛ぶことに長けているらしい」
思わずフレスはそんなことをつぶやいた。ポプリ軍にも空を飛べる者はいたが、ネルカほどに簡単に飛べる者はいなかった。長い助走をつけたり、高いところまで移動するなどの下準備を必要する者がほとんどだったのだ。
「医者が来ましたよ。衛兵も」
少しぼんやりと夜空を見上げていると、リッシュが戻ってきた。老齢の町医者と、傭兵そのものといった風貌の衛兵も連れている。衛兵は「めんどくせえな」という心情を隠そうともしないで死体を見つめている。
「やれやれ、何があったんだ? あまり面倒ごとをおこさないでほしいんだが。あんたが殺したのか?」
何も知らないらしい衛兵は横柄な口調でフレスに何やら言ってくる。
「礼儀を知らんやつだ。その方はポプリ軍の軍師であらせられる。その方なくしてはポプリ軍は成り立たんのだ、敬意を払え」
リッシュが苛立ち紛れにそう告げると、衛兵の態度は露骨に変わった。
背筋も急に伸ばして、かと思うと猫背になってフレスにおもねるような口調で言い訳を始める。
「へ、へえ。これは気が付かなくてすみません、軍師殿にはご機嫌もうるわしゅう……」
「ああ、君たちはこの町をよく守ってくれているようだな。ポプリ様に代わって感謝しよう。この二人は我々と大切な会議をしていたのだが、逆上した挙句にナイフを握って襲い掛かってきたのだ。やむを得ず護衛が切り捨てた。よく検分をして、そちらの者には公平な裁判を頼む」
「へい。じゃあちょっと見てみましょう」
気持ち悪いほどの愛想笑いをしながら、衛兵はそう言った。だが、いざ血だまりの中に倒れている若者の死体を見ると、どうやらため息がこらえられなかったらしい。
「こりゃひでえ。ちょっと応援を呼んできますわ」
立ち去ろうとした彼の手に、フレスは銀貨を少し握らせた。
すると露骨に衛兵は機嫌をよくする。
「へへ、軍師殿はよくわかっておいでで。すぐに片づけますから。そっちの生きてる方もね」
「殺すなよ。くれぐれも裁判までは」
「ウッ……。わ、わかりやした」
衛兵は気圧されたようになったが、それでも銀貨は握りこんだままで町に戻っていく。
リッシュはその背中を嫌そうに見送った。
「がめついやつらですね。我々は命がけの戦いにも、金なんて求めてなかったのに」
「君の気持ちはよくわかる。成り行きで加わった私と違って、君はあの内戦に、ザメル様の義憤に同意して参加したんだからな。だが、それを今になって恩着せがましくいうと、我々の評価が下がってしまう。金のために戦う傭兵とはああいうものだと割り切るしかない」
「しょうがない、とは言いたくないですよ」
自分たちはこんな汚い世界を守るために戦ったのか? そんな疑問が渦巻くばかりなのだろう。フレスは一言付け加えた。
「どんな政治体制であろうとも、理想の政治を完全に実現できたためしはない。我々は命がけで戦ってこの地を最悪の地獄から、欲にまみれた現世に戻したんだ。それ以上の世界にするのは、今のところ戦うだけでは無理だ」
「やりきれませんね。酒をください」
「まだ駄目だ。城に戻ってからにしてくれ」
「はぁ」
リッシュは深いため息をついて、町医者が若者の容態を確認しているのを見る。しばらく心音や脈などを診た医者は、ゆっくりと振り返って言った。
「首を捻挫しているかもしれんが、折れてはない。養生すれば助かる」
「先生、しかし血を吐いているのですが、大丈夫なので?」
あばらが肺にでも突き刺さっているのではと心配していたのだが、町医者が助かるというので思わずフレスは確認してしまった。
「ああ、口の中をちょっと切ってそう見えたんだな。内臓がつぶれてたらこんなもんじゃすまんよ」
「そうですか……」
「右腕も折れているし、顎もバキバキでガタガタ。しばらくは一人で飯も食えんがな。そっちは骨接ぎの専門に頼んだほうがよかろう。命が助かるだけましだろうさ」
「構いません」
命があればよい。殺さずに法で裁いたという証拠が残ればそれで問題なかった。
残酷なようだが、フレスもさすがに自分やネルカを殺そうとした者まで庇うつもりはない。
「よっし、片づけるぞ! 軍師さんもどいててくれ!」
ドタバタという足音が響いて、衛兵が戻ってきた、二人ほど応援を連れている。木桶とムシロを持っている。死体の片づけをするのだろう。
衛兵たちも慣れた様子で、散らばっていた臓物をすくいとっては木桶に入れる。人間がモノになって片づけられていく。
「軍師殿、私たちももう戻りましょうか」
「そうだな……。ここでできることはないな」
フレスたちは宿に戻って、翌朝になってから城へ歩き始めた。




