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14.塩値会議

 日が暮れかけている中、ロンシャロン政権で使われていた館の一室に人々が集まっていた。もともと、会議のために作られた広めの部屋だ。

 フレスとリッシュの前に、商人たちが十名近く集まっていた。それぞれ椅子に座り、何を言われるのかと待っている。


「お待たせいたしました。本日は無理を言いまして、申し訳ありません。皆様のお知恵を拝借したく、お集まりいただきました」


 とフレスが軽く頭を下げる。商人たちは多少驚きながらも礼を返した。彼らにとっては、フレスは『神算鬼謀』の軍師であり、冷徹な知恵でロンシャロン軍を滅亡に追い込んだ切れ者だった。油断のならない相手だと思っていたのだが、予想外に腰の低い態度でこられたので面食らったのだ。


「さっそくですが、本題に入らさせていただきましょう。現在ポプリ領内では塩の価格が高騰しており、これにともなってあらゆる物価が上昇しております。このままでは人々の生活が成り立たず、ポプリ様も大変心を痛めておられます。どうか、皆様のお力で塩の値段を引き下げていただくことはできないでしょうか?」


 穏健な言い方であったが、フレスはまっすぐに商人たちの目を見ながら伝えた。

 商人たちの反応はと言えば、やはりその話か、と言いたげなものであった。中でも年配の、黒いターバンを巻いた商人が代表のようにこたえる。


「塩の値が高騰していることは、我々も承知しています。しかし、我々としてもルシアン領との行商には危険が伴い、常に高額な旅費や護衛をつけざるを得ず、これ以上の値下げは難しいというのが現状です。それに市場原理で価格は決まるものでありますから、高値を出しても塩を買う人々がいる限り、我々が一時的に値下げをしたとしても、人々の助けにはなり得ないと愚考いたします」

「たしかに、ルシアン領との境では深い森に盗賊が住まっているとの情報があります。皆様のご苦労もわかります。そこでですが、我々ポプリ軍は精強であり戦いを求めています。ぜひ皆様の危険な行商を護衛したいという若い兵士たちが大勢いますので、それをもって、塩の値段を調整できないかと。お互いにとって、悪い話ではないと思うのですが」


 むっ、と何人かの商人が唸った。護衛を雇う金が減れば、それだけ値下げをしても釣り合いはとれる。

 だがそれだけで全体に影響を与えるような値下げを決めることは無理だった。別の商人が口を開いた。


「護衛してくださるのはありがたいのですが、先ほども申しあげたように市場原理で価格は決まっておりますので、一時的なものにしかならないと考えます。それに、我々としてもいつ、急な政変が起こるかわかりませんし、他の商人たちとも信頼関係がありますから身勝手に値引きはできないのです」

「なんだと!」


 リッシュが突然大きな声を上げた。


「貴様ら! 市場原理で価格が決まっていると言いながら、身勝手に値引きはできないだと? それは示し合わせて価格を高く吊り上げているということではないのか! 我々が槍や白刃をくぐりながらロンシャロンを倒し、重税をなくしたというのに、それにかわって貴様らがまだ民衆を苦しめるというのか! 今度は貴様らが私の相手を務めるつもりか? 今この場で全員、ロンシャロンと同じところに送ってやろうか!」


 猛獣のように吠えながら、彼女は大きな剣に手をかけ、その場で振りぬく。彼女の目の前にあった机が一瞬で両断され、その上に乗っていた杯が吹っ飛んで天井にぶち当たり、砕けて散った。


「どうした! 言い訳もできないのか。言ってみろ! 私の言うことが違うというなら、そう言ってみろ!」


 戦場を潜り抜け、戦友の死を超えてきたリッシュの気迫は、歴戦の商人たちをもってしても真正面から向かい合うことができなかった。彼らは目をそらし、冷や汗をぬぐう者さえあった。

 談合と言われれば全く否定できないのが実情であるから、当然である。塩の値段が吊り上がったのはロンシャロンが企んだことだが、彼らはそれに乗じて自分たちの利益をせっせとかすめ取り続けているのだ。とはいえ、事情が分からないわけでもない。ロンシャロン軍が倒れたとはいえ、ポプリ軍は精強ではあるが数が少なく、その支配圏もまだ完全に固まってはいない。いつまた政変や内戦が起きるかわからない以上、商人としては貯蓄に励まざるを得ないのである。

 だがそのような理屈は、目の前の女にはおそらく通じない。リッシュは重税と圧政のせいで気ままな狩人の生活から土地も家族も失い、貧しさの地獄そのもののような世界を見てきた。そしてザメル軍に参加して、その底であがきながらもようやくロンシャロンを打ち倒したのだ。これでやっと地獄が終わると信じて。だというのに、結局民衆の血をすするのがロンシャロンから富裕層に代わっただけだったというのでは、戦死した友人たちが報われないし、リッシュ自身も到底納得できない。今彼女が怒っているのは、フレスに言われたからではない。本心からの怒りと叫びだった。


「徴税官がようやくいなくなったと思ったら、今度は金に群がるハエどもか! 世を乱すというなら、私が誰でも、何度でも殺してやる!」


 怒気を容赦なく放ちながら、剣先を突きつける。商人たちは息もできないほど追い込まれた。

 もちろん、彼らとてこういった手法は知っている。片方が荒々しい態度で語気も荒く迫る一方、もう一人は柔和で温厚に対応するという人心掌握術、話術だ。非常に古典的な方法であり、普段なら「ああ、その話法を使うのか」といったものだが、今回はまるでそんなことを考える余裕がない。


「リッシュ、そこまでだ。一度剣をおさめてくれ」


 穏やかな声が聞こえると、女の発していた怒気がおさまった。リッシュは剣を抜いたまま、目だけでフレスを見る。


「しかし軍師殿。こいつらはヒルにも劣るようなカスどもですよ。こんなやつらは今すぐここで殺して、我々でルシアン領から塩を買い入れたほうが手っ取り早いですし、民衆も納得します!」

「確かにそうかもしれないが、金がかかる」

「ん、むう。わかりました、少し待ちましょう」


 彼女はくるりと剣を回して、鞘に納めた。これをみてようやく、商人たちが安堵の息を漏らす。その多くが背中に嫌な汗を感じており、中には椅子から崩れ落ちたまま身体を戻せない者もあるようだった。

 フレスはゆったりと、そして今まで以上に温和な声で話しかける。


「彼女の怒りには、私も同意する部分があります。私も彼女とともに戦場を駆け抜け、命を懸けて戦いました。何人もの戦友を失いました。私とて、この隣にいる彼女が守ってくれなけば何度命を落としていたか知れない。そのような戦いをしたのも、ロンシャロン卿が起こしたあの地獄のような圧政と重税が終わることを願ってのことです。どうか、皆様のお力で今度こそその地獄を終わらせてはくれませんか?」

「し、しかし」


 フレスの穏健な言葉になんとか言い返そうとした商人もいたが、ここで部屋の端に座っていた地味で痩せた商人がスルリと長袖で見えない手を挙げた。


「失礼、よろしいでしょうか」

「はい」


 フードの陰からうっすらと見えるのは、ネルカの顔だった。フレスにだけわかるように、笑ってさえいた。


「先ほど、市場原理という言葉が出ましたが、私としてもそれを支持するものです。軍師殿の理想は素晴らしいが、商人は私たちだけではない。何人もの行商や旅人が塩を抱えてルシアン領からここへやってきているではないですか。ルシアン領では一袋でたったの三銀貨、ここに持ち込めば安くとも金貨二枚にはなる。このようなおいしい商売をだれがやめられるというのですか? 我々がやめたとて、他の者がやるでしょう。軍師殿の提案は無意味ですし、価値などありませぬ」


 この暴露に、商人たちの反応は二つに割れた。まず、何の考えもなく、ただ味方してくれたと感じて「そうだ! 市場原理を壊すな!」とまくしたてる若者が二人もいた。彼らほどではなくとも、心強い味方が援護してくれた、と感じているのであろう者がプラスして何人かは見える。

 それ以外のほとんどの商人たちは『余計なことを言ってくれた!』と顔をしかめている。

 なぜなら、誰にでもわかるほど穴のある理論をわざわざ振りかざしてしまったからだ。そしてその穴は、突かれると非常に痛いのである。

 もちろん、フレスはその穴を当然のように突き刺した。


「素晴らしい。そのようなおいしい商売であれば、もっと参入してほしいくらいです。どんどんとルシアン領から我が領へ塩を持ち込んでほしいですね。そうであれば、供給が需要を上回り、塩もいずれ暴落してくるはずですが……、不思議なことに内戦が終わって数か月経っても、まだ値下がりが見えてきませんし、むしろまだ高騰しています。なぜでしょうか?」

「それは……」


 ネルカがわざと言いよどんだ。もうはっきりとわかるほど、彼女は笑っていた。

 フレスは大げさに、さも今思いついたように問いかけた。


「もしや、ルシアン領の塩問屋が売り渋っているからですか? そうであったとすれば、皆様を責めていたのは筋違いでした。ならば、さっそくルシアン卿に手紙を送り、もっとたくさんの塩を売ってもらえるように手配しましょう。そうすれば、皆様のおっしゃる市場原理が正常に機能し、皆が喜ぶ正しい状態になり得るはずですね」

「それはおやめください! あちら側にも事情がございます。無理に海塩を量産すれば、質も落ちましょう!」


 声だけは悲痛に、ネルカが答えた。だがもう完全に笑っている。この状況が楽しくてしょうがないという顔だった。


「なんと、質のために供給を絞っているのですか? 我が領ではなけなしの金でそのお高い塩を買っているというのに。しかし先ほどの話では一袋で銀貨三枚だったと。やはりこれはコストをかけても、ルシアン領へ行って、我が軍で塩の買い占めをすることも考えなければなりません。小売店から買ったとしても、領内での価格よりは良心的ですからね」

「そんな、お慈悲を! そのようなことをされては我々が干上がってしまいます!」


 もはや子供のようにネルカは笑いながら、適切な言い訳をかましていった。その言い訳に対して、フレスは次々と容赦なく指を突きつけ、矛盾を暴いていく。


「干上がる? おいしい商売をやめられないとおっしゃっていたのに。自由競争と市場原理があるのですから、優秀な皆様なら生き残れますとも」

「いえ、本当なんです! 今はもう香辛料より塩の転売で食べているのです! どうか塩の価格だけは!」


 もはや商人たちは阿鼻叫喚だった。だが、ネルカが言っていることは嘘でもなかった。誰もが心の中で言いたいことであった。言ってはならないことでもあったが。


「たしかに」


 フレスはネルカの笑いが落ち着くのを待ってから、一段と低い声で切り出した。


「我々が商人の分野である市場価格に口を出すことは本来は許されないことかもしれません。しかし、我々も支配層である以上、皆様からの税金を徴収せざるを得ません。そして、ルシアン領からの輸入品には先々代のゴルシャネル卿の時代より、関税が課されております」


 突然そのような真剣な話が始められて、商人たちは感情を制御できない。明らかに狼狽えてしまった。

 それをネルカは横目に見て、笑いを殺しきれずにいる。


「その関税もまた、皆様の市場原理にはむしろ邪魔なのかもしれませんね。考えてみれば、ロンシャロン卿が塩の関税さえも引き上げておりました。いっそ、このような自由経済を邪魔するものは撤廃すべきかもしれません。そうしたほうが、より多くの商人が塩に手を出せる。そうすれば、自然と価格は引き下がりましょう」

「ちょっ、待ってください!」


 大慌てで一人の商人が立ち上がった。彼にとっては死活問題だったからだ。


「そのようなことは許されません! 領内には岩塩の精製所がいくつもあります。関税が撤廃されてしまえば、それらの精製所は消えてしまいます!」

「確かにそれは大変なことですが、塩の値が下がらないのであれば……」


 予想通りの反応だったので、フレスは落ち着いて関税撤廃の姿勢を崩さない。

 ここに、突然の声が入った。


「それはいいですね!」


 二人の若い商人が立ち上がっている。ネルカではない。かなり若い、幼ささえも残したような顔をした商人が一人、それとほとんど年齢も変わらないであろう、黒髪の商人がひとり。

 彼らは興奮していた。関税が撤廃されるということを聞いて、稼ぎ時だと感じているのかもしれない。


「関税など、ぜひ撤廃していただきたい! そうすればルシアン領からの塩がもっと流入します。軍師殿のおっしゃるとおり、ひいては塩の価格も下がりましょう!」

「そうです、今の税率は高すぎる。引き下げがあれば我々もより多くの商品を運べるし、領民も豊かになります!」


 もっともらしいことを言ってはいるが、どう見ても彼らの本音は『関税がなくなれば、もっと儲かる』というものでしかない。彼らはフレスが言わねば、関税が下がったということなど客にはおくびにも出さず、そのまま同じ価格で取引し続けるだろう。

 ネルカはといえば、フードの下で今にも舌打ちをしそうな苦い顔をしている。それから、フレスに軽く目線を向けた。


「なんですか、あのバカは」


 口に出すことこそしなかったが、そう言いたげであった。だが若者二人はむしろ、ネルカに熱い視線を送っていさえいる。

 先ほどフレスとやり取りをし続けたので、権力者と果敢に口論をしたように見えていたのかもしれない。なによりネルカは「市場原理を支持する」と口にしていたので、自分たちの味方だと思っていたのだろうか。

 いずれにしても、このような勢力が出てきたことで、いよいよ話が進めやすくなったといえる。


「そうですか。このように若い方は、すでに岩塩精製を見切っているのですね。それでは、やはり関税は撤廃する他ないようですね。では、早速宰相のコロン様と協議に入りましょう。民衆の生活はもはや限界に達していますから、一刻の猶予もありません」

「待て待て! わかった、塩の値は下げる。わしが下げるとも!」


 矢も楯もたまらずといった様子で、黒ターバンをつけた商人が前に進み出た。


「わしは安く塩を城に卸す、だから関税をなくすのは思いとどまっていただきたい!」


 息を切らして彼はそのように訴えた。それに続いて何人かがバッと前に飛び出した。破壊された机を乗り越え、フレスの前に二人の商人がさらに身を乗り出す。


「私どもも同じ意見です! 塩値は私たちだけでも下げます、二割、いや三割まで!」

「いえ、四割引きにします。それなら関税など下げなくとも民衆が困ることはなくなりますとも!」


 争うようにして値下げをしてきた。どうやら、城に塩を卸すことでその後の関係がよくなることを見越しているようだ。

 フレスは穏やかに笑って最初に申し出てくれた黒ターバンの商人の手を取った。


「すばらしい。城内でも塩の購入先には苦慮していたところです。ポプリ様もお喜びになるでしょう」

「それでは、関税は?」

「安定して塩値が下がれば、あえて領内の産業を壊す必要などありません」

「お、おお」


 ホッとした様子で、値下げに賛成した三名の商人は露骨に力を抜いた。彼らにとってはそれほどの一大事だったのだ。


「なんと、これこそ談合ではありませんか!」


 と、若い声が後ろから響いた。

 先ほどの若い商人たちが批判している。自分たちのことを「示し合わせて値を吊り上げている」と批判しながら、関税で脅して無理やり値を下げさせているではないかと、そういって批判しているのだった。

 商人たちはしんと静まり、空気を読まない若者たちを振り返って睨んだが、彼らは止まらなかった。


「市場原理はどこへいったのですか、権力で自由取引を押さえつけるおつもりですか。談合そのものではありませんか!」


 フレスは落ち着き払って答える。


「ええ。これもまた談合と言われれば、そうでしょう」


 取り乱すこともなく、淡々としたものである。


「私は皆さまのやっていたことも否定しません。むしろ私自身もこうして大いに利用します。それだけのことです」

「詭弁ではありませんか! それで民衆が納得するとお思いですか?」


 若者たちは声を上げ、唾を飛ばして批判してくる。確かにフレスのやっていることは正道ではない。

 痛いところをついてやったという自負が彼らの顔にもあらわれていた。どうだという得意顔だ。が、フレスはそれにとりあわなかった。


「納得など求めていません」


 きっぱりと言ってつづける。


「今はとにかく塩の値を、ひいては物価を抑えて民衆に生き延びてもらうことが重要です。市場原理も大事ではありますが、それにこだわって人々の命を天秤にかけようとは思いません。あなたはそうは思わないのですか?」

「一日や二日、塩がなくとも生きられましょう! それに、富める者が生きるのは貨幣経済の基本です!」


 フレスはこの答えに、目を見開いた。まさか、命よりも金を優先するということを堂々と言い切るとは思わなかったのである。そこまで非道な考えを恥じもせずに論じようというのか。

 あまりのことに、反論が思いつかなかった。あっけにとられた。彼が、それでも何か言わなければと思った次の瞬間に雷鳴のような衝撃が隣から響く。

 リッシュだ。彼女が立ち上がって、机の残骸を足で蹴り上げたのだった。バン、とひときわ大きな残骸が壁にぶつかって跳ね返る。ふたたび部屋の中が静寂に包まれた。誰も何も言えなかった。


「今、なんといった!」


 その静けさを切り裂くような、重々しくも激しい声が轟く。リッシュは先ほどよりも怒っている。激怒していた。


「命よりも自分たちの金を優先するといったのか、貴様ら!」


 長身で大柄なリッシュが怒りのままに、唾を散らす。剣に手をかけて、二人の若者を射抜くように睨んでいた。

 あわてた二人はオロオロと口を開く。


「い、いえ。そんなつもりでは……」

「じゃあどんなつもりだったか、言ってみろ!」


 弱弱しい声は、リッシュの怒声にかき消された。彼女は武人ではあるが、無意味に怒り狂うようなことはない。今のこの怒りも、理由のあるものだった。


「ロンシャロン時代の過ちをまた繰り返すつもりか! あの地獄をまた作るつもりか! 貴様ら、生まれたばかりの、へその緒もついたような赤ん坊がゴミために捨てられているのを見たことがあるのか!」


 リッシュは怒鳴り散らすような声で、それでもハッキリ聞こえる呪詛のように若者たちに突き付ける。


「私はあるぞ、一度や二度じゃない。生きて泣いていたことさえある! 女だった、助けようとしたが無理だった! それでなくとも、徴税官が邪魔だからという理由だけで子供を蹴り殺していた、そんなのはもう数えきれない、私が見たことだけでだぞ! 金がないという理由だけで、どれほどの子供が死んだか、どれほどの人間が死んだか、わかっていてそんなことを言ってるのか? それでもあの地獄の時代に戻したいのか!」

「いや、その……」


 若者たちはその悲惨極まる話の内容よりも、リッシュの迫力に気圧されているようだった。たったさっきも怒鳴られていたのだが、今度はその比ではない。


「ヒル以下と言ったが、貴様ら二人はそれ以下だ! この場で切って捨ててやる」


 バキン! と重々しく大きな剣が鞘から抜かれた。先ほど机を一刀両断にした鈍い刃が、ランプの弱い明りを反射する。

 若者たちは口をパクパクとさせながら、その場に崩れ落ちて膝関節をバタバタと曲げ伸ばしする。逃げようとしているのだが、腰が立たないのだ。


「覚悟も決まらんとはな」


 そう吐き捨てて、リッシュが剣を振りかぶったところで


「リッシュ」


 と、フレスが短く名前を呼ぶ。リッシュは振り向きもしなかった。


「今度は止めないでください、軍師殿。こんなやつらは、我々が戦った理由を死んだってわかりはしませんよ」

「わかっている。だが、今はダメだ」

「なぜです?」

「剣と君が汚れる」


 そう言われて、リッシュは「ぐう」と唸ってから剣をじっと見つめた。それでやっと剣を下ろして、鞘に戻した。


「命拾いしたな、貴様ら。軍師殿の優しさに感謝するんだな」


 まだ怒りが収まらない様子であったが、それでもリッシュはフレスの隣に戻ってくれる。若者たちは、完全に床にへたりこんでいた。

 商人たちはこの始末に呆然としていたが、


「それでは、他に値下げに同意する方はおられませんか」


 まるで何事もなかったように、フレスは交渉を続ける。実際、塩の値下げを断行してくれるのは領内の岩塩精製にかかわりのある商人だけだったのだ。これでは効果が低い。


「い、いえ。我々は……」

「そうですか」


 海塩を輸入して売っている商人たちは、特に影響がないので利益を自分から捨てはしなかった。フレスは頷く。これも仕方ない。


「何名かだけでも値下げをしてくださるなら、他に追従してくれる方も出るかもしれません。それに、ポプリ様がお使いになる塩の購入にも目途が立ちました。本日はよき話し合いができましたね」


 護衛が二度も剣を抜き、事実上脅しつけて従わせたようになっているが、それはそれとして、結果を見れば悪くはない。無為ではなかった。

 フレスは話が完全に終わったように、まとめに入っている。

 商人たちは複雑な思いでそれを見ていたが、フレスはもちろんまだ手を残している。


「実は、今日この場では香辛料の関税についても話をしたいと思っていましたが、それはまたの機会にいたしましょう。焦ってはよくありませんからね」

「なんと?」


 黒ターバンの商人が、目を見開いた。


「香辛料の関税ですか? まさか、増税ですか?」


 そう思うのも無理はない。ロンシャロン時代は増税に次ぐ増税であったし、ポプリ軍は現在財政が厳しい。だが香辛料の関税は高い。これ以上あげられては塩で食う生活を捨てられなくなってしまう。黒ターバンの商人はそのように考えたのだ。

 フレスは笑って答えた。


「いえ、逆です。実は、塩の関税を下げなくていいのであれば、ポプリ領の食を豊かにするためにも香辛料関連の関税は引き下げようと考えていました」

「おお!」


 この話には、岩塩組だけではなく輸入組の商人も一気に身を乗り出した。


「本当ですか、軍師殿!」

「い、いつ頃の予定ですか!」


 ワッと商人たちに取り囲まれ、フレスは次々と質問をぶつけられる。


「ええ。近いうちにするつもりでした。しかし、本日の交渉では全員が塩の値下げに同意していただけませんでしたので、この状況ではおそらく、宰相のコロン様が同意してくださらないでしょう。彼女は公平で厳しいですから、『一部の者を優遇したように見えてしまうから、これでは許可できない』とおっしゃるでしょう」


 リッシュだけが目を見開いてフレスを見た。彼が平然と嘘をついたからである。

 宰相コロンは基本的にほとんどお飾りであり、フレスの提案には大抵頷いてくれるが、この場では彼女は公明正大で厳格な宰相ということにされてしまった。


「そういうわけですから、残念ですが関税については現状維持ということで。本日はお集まりいただき、ありがとうございました」

「ま、待ってください!」

「お待ちください、軍師殿! 私も下げます、塩の値段なんか下げます!」

「三割引き! 三割下がれば物価も落ち着くはずです! 私も協力いたします!」


 帰ろうとしたフレスに、商人たちが死に物狂いでしがみついた。輸入組も必死になって値下げに同意している。

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