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11.二人旅

 さしあたって緊急に対処しなければならない問題は、ガルチ将軍のことだった。オルガリア軍に手紙を届けて、連絡をとらなければならないのだが、ザメルのいる温泉地周辺のオルガリア軍はすでに完全に追い払った。かといって山間の国境拠点までいくにはリスクが高いが、それしか方法がなさそうだった。

 以前に手紙を受け渡しした時にも部下たちがそこまで行っているのだが、今回はすでに小競り合いが起こった後だ。あちらから攻めてきたとはいえ、ガルチ将軍を殺してしまっているので、姿を見せた途端に矢を射かけられる可能性がある。


「まあ、大丈夫ですよ。私がお守りしますから」


 リッシュがついてきてくれてはいるが、不安は残る。


「見えてきたな。あれがオルガリア軍がつくった国境拠点だ。こうしてただ行くだけならどうにかなるが、軍勢を率いて攻め落とすとなると難攻不落の要塞だな」


 本当に、拠点は山間に作られていた。

 長年にわたってオルガリア領との境界とされている場所を守るための拠点だ。偶発的にここが境界となっているわけではない。ここが難所で、攻めにくいからこそ自然と境界になったのである。


「確かにそうですね。少人数ならどうにか通れますが……」


 リッシュは呻きながらも、拠点に向かっていく。フレスもそれに続いた。


「うむ。ここを一気に攻めるとなれば、大勢で登山をしたのちに、この拠点を攻め落とすという大変な苦労を強いることになる。疲れた体で元気いっぱいの兵士と戦うというのだから、さらに厳しい。本格的にオルガリアと戦うのは避けたいところだ」

「そうですね。そう言われると確かに」


 うんうんとリッシュは頷いている。フレスの言うことには納得があった。

 実際に、この魔界が三つの勢力に分割されることが多いのは、この地形に理由がある。オルガリア領とポプリ領の間には、この険しい山がそびえており、どれほど両者が争おうともこれが要害となり境界線になりがちであった。

 さらにルシアン領とポプリ領の境界にも流れの早い河川、ルシアン領とオルガリア領の間にも砂漠地帯が広がり、それぞれを隔てている。このため、古くから三貴族の多くはほとんど同じ領土を治めてきた。それだけに、より多くの領土を得て長い間保てたとしたら、それは歴代の三貴族よりもはるかに大きな力を持ちえたということになるだろう。現状で満足せずさらなる領土拡大を求めたロンシャロンや、積極的に外征を仕掛けるオルガリアの気持ちもわからないではない。名君と言われる何人かの三貴族はこの山や川を超えてそれぞれの最大版図を築いたのだ。


「だが、今回は戦いに来たわけではない。ガルチ将軍の遺骨を返還すれば、それで終わりだ。まあ、相手が冷静なら」

「何か光りましたよ、軍師殿」

「何?」


 リッシュが国境拠点を見て、顔に手を当てた。オルガリアが山間に作らせた拠点はかなり大きく堅牢な建物だ。ルシアン領との国境で見た拠点にも似ているが、こちらはもっと大きい。門というよりも、完全に砦であった。

 その砦の屋上あたりに、見張り兵がいる。彼が持っている望遠筒のレンズが光るのをリッシュは見逃さなかったのだ。


「おそらくもう、こちらには気づいているでしょう」

「まあ、行商人には見えていないだろうな」

「それで、ここからどうなさるんですか? もう少し近づきますか」

「そうしよう。だが、矢が届かない位置までだな。それ以上行けば、万一の時は逃げられない」


 フレスとリッシュは、少しずつ砦に近づいていく。


「待て、止まれ」


 砦の外にいる歩哨がやってくる。言われた通り、フレスたちは馬を止めた。

 歩哨は二人で、一人は槍を構えている。もう一人は厳しい口調で当然の質問を投げかけてくる。


「何者だ。この先はオルガリア領、現在は立ち入るものを厳しく調査するよう命ぜられている」

「私たちはロンシャロンを倒し、彼の領土を支配したザメル様の跡を継いだ、ポプリ様のご命令でここまでやってきたものです。こちらをあなたたちの司令官に渡していただきたい。もし、お話が通じるのであればさらにお渡ししなければならないものがございます」


 フレスはへりくだった言い方をして、歩哨たちに用意してきた手紙を渡した。こちらは正式な文書ではないので、気軽に差し出した。オルガリア本人に向けて書いた国書は、まだここでは出さない。

 もちろん、国書とともにガルチ将軍の遺骨も持参している。話の通じる相手であればここで直接、国書とともに引き渡していいという判断だ。

 本来的には本人のものであるという証明のため、遺体、せめて首をそのまま持参するべきだったが、それは無理だ。顔が無事であれば首くらいは保存できたかもしれないが、ザメルの攻撃で大穴が開いている。それに腐乱してしまっていてはかえって辱められたと感じるだろう。


「まあ、よかろう。ここで待つがよい」


 手紙を受け取り、歩哨の一人が砦へ戻って行く、もう一人は構えていた槍をもどしたが、まだ油断なくこちらを見ていた。

 そこにフレスは気安い調子で話しかける。


「やあ、それにしてもここは寒いですね。このようなところでお勤めとは、大変でしょう」

「ん、まあな……。だが慣れればどうということもない」

「わずかではございますが、ルシアン領から直入のお酒を持っております。どうぞ体を温めてください」

「おお、そうか。いや、勤務中だ」


 歩哨は酒と聞いて、槍を放り出して飛びつこうとしたものの、寸前でとどまった。当然である。砦の見張り台から、この状況は見られているのだ。


「そう言わず。手がちぢこまっていては、お仕事にも差しさわりがあるでしょう」

「ああ、言われてみればそうだな。ご厚意に感謝しよう」


 言葉遣いは丁重だったが、その歩哨はフレスが差し出した杯を素早く受け取ってガブガブと飲んだ。これをリッシュは「ああ、敵にやるなんてもったいない」という目で見ていたが、どうにもならなかった。


「おおっ、いい酒だ。うむうむ。だが仕事は仕事。温情など期待しないことだな」

「もちろんです。ですが、このようなところでお勤めでは、ご家族とのご連絡もとれないのでは」

「無論だ。着任の間は公人として、兵士として命を捧げるものだ。貴公らもそうだろう。守っていたのが私たちでなければ、矢を射こまれて死んでいたかもしれなかったぞ。届け物とはいえ、我々の間はすでに危険なものだ。命の覚悟をしてここまで来たのではないか?」

「おっしゃるとおり。出発前に遺書をしたためてまいりました」


 大嘘をつきながら、フレスは会話をつづけた。


「険しい山道に何度もくじけそうになりました。ここでお勤めになっている皆様に畏敬の念が募るばかりです。先ほどの酒は、その表れとお考え下さい。決して、賄賂などではなく温情にも期待しておりません。届け物がお気に召さず、死を賜ったとしても皆様からの刃でしたら従容としていられるでしょう」

「ははは、そういわれると困る。貴公はなかなか口がまわるな。まあ、もう少し待つがよい。そちらの御仁はどうだ、立派な体格だが、護衛か? わずか一人の護衛でここまで来られたのか?」


 歩哨がリッシュに話を振った。

 リッシュは「へっ」と笑って、大きな剣を肩にかけた。


「私がいれば十分。ひとりでもそこらの護衛の五人分は価値がある」

「ほう、大きく出たな。だが我らに山岳での戦いで、勝てるとは思わぬことだ。こちらは地勢を把握している」

「かもな。だが、剣で私にかなうものなどない」

「……待て、その声。貴公、女か? まさか女の身で剣を振り、五人分の護衛をするというのか」

「ああ、そうだ。何かおかしいか?」


 リッシュは身長ほどもある大きな剣を鞘ごと地面に突き立てて、挑発的にニヤッと笑った。


「これは豪胆だな。気に入ったよ。敵でなければ、息子の嫁にほしいくらいだ」


 歩哨もそう言って笑った。


「あいにく、当分結婚の予定はないな。忙しい」

「だろうな……残念だよ」


 その後は他愛もない世間話、特に天気に関することや最近靴に穴が空いてしまって困っているといったどうでもいい話題が続けられる。そうしているうちに、もう一人の歩哨が戻ってきた。酒を飲んだ方の歩哨もピシリと兵士の顔つきにもどる。


「司令官は届け物を預かると仰せだ。この場で受け取ろう」


 そう言われて、フレスは箱に入ったままの国書と遺骨の入った木箱を取り出した。そしてそれをあらためて袋に入れて、兵士に両手で差し出す。

 兵士らはそれを受け取ったが、先ほど話したほうの歩哨は木箱を見て何かを察したようだった。


「確かに。では、速やかに退去されるがよい。ここに残っていれば、貴公らを捕らえねばならない」

「はい。失礼いたします」


 大事そうに袋を抱えて歩哨たちが去っていく。フレスたちも馬に乗って、踵を返した。


「矢が飛んできたりしませんかね」

「砦から射こんでもここまでは届かない。たった二人に砲弾を使うほど愚かでもないだろう。心配ない」


 フレスとリッシュは、のんびり歩いてその場を離れたのだった。

 ようやく振り返っても砦が見えなくなってから、リッシュが緊張を解いて、大きく息を吐き出した。


「ふう、それにしてもなかなか張り詰めた感じでした。まあ、戦いになってもそれはそれで面白そうでしたが、あの歩哨はおそらく相当な手練れですよ。私でも、負けはしないと思いますが、倒せたかどうか」

「そこまでか。ではあれはおそらく、ガルチ将軍の息子だろう。年齢から考えても辻褄が合う」

「そうだったんですか?」

「たぶんな」


 敵から差し出された酒を無警戒にガブガブ飲むのは、無能と思ったがそうではなかった。根拠があって飲んだのだし、そうすることでこちらの警戒もある程度解いたのだ。

 その後の話題の選び方も、できる限り情報を与えないという意図が感じられた。フレスは自分の判断がそれほど見当違いではないと考える。


「なるほど、じゃああの息子と結婚という話は、ガルチ将軍の孫と私が婚姻するみたいな話だったんですか? それはちょっと困りますね」

「そう悪い話でもないんじゃないか? 当たり前だがガルチ将軍の家は裕福だぞ」

「悪い話ですよ! そんなことをしたら子供を産まないといけないでしょう。嫌ですよ、戦えないのは」

「……まあ、それは人それぞれだが。そうされたら、たしかに私も困るな。優秀な護衛がいなくなって」

「そうでしょう。断ったんですからほめてください」


 リッシュは嬉しそうに馬を寄せてくる。


「それにオルガリア領に行かないといけないし、ポプリ様やファリアとも会えなくなりますし。だいたい、軍師殿の護衛を私以外の誰がするっていうんですか?」

「ま、まあな。それは確かにそうだが」

「ちょっと贅沢な暮らしができるくらいじゃ、割に合いませんね。第一、オルガリアとかいうよく知らない奴のために戦いたくないし、そいつの手下になるのをわかっていて子供を産むなんて、どうかって感じですよ」


 いつの間にか上機嫌になって、リッシュはべらべらと話し続けていた。フレスとしてはリッシュの結婚観がどうなっているのか、彼女の人生設計が気になってきたが、以前に「戦って死ぬ以外どういう人生があると思ってるのか」と言っていたことを思い出す。

 思わず言葉が少し強くなった。


「それじゃ、君は死ぬまで私の護衛として戦い続けるつもりか? 私がいうのもなんだが、先のことは少し考えたほうがいいぞ」

「考えてますよ、軍師殿も失礼ですね。戦って死ぬのが本望ですが、もし生き残れたら戦友たちの墓を作ってやらないといけないでしょうが」

「そういう問題ではない気がするが。君自身はどうするんだ。もしオルガリア領とも友好関係になったら、しばらく大規模な戦いはなくなるんだぞ。戦って死にたくても戦う相手がいない」

「まあ、そうなったら前の暮らしに戻るのもいいかもですね。話したことがあったと思いますけど、狩人をやってましたから。クマでもシカでも殺して、のんきにやりますか。くたばったら山に還るだけです」

「……」


 フレスは言葉が出てこなかった。あまりにも達観しすぎている。というよりも、戦士すぎる。どこでそんな生き方を習ってきたのかと聞きたいくらいだ。


「君には戦うことしかないのか? ファリアやノースのことを見届けてほしいとも思っていたのだが」

「ああ、そうでしたね。彼らが大人になるくらいまでは、護衛を続けましょうか」

「どちらにしても、君に今辞められては困る。君の勇猛さと正直さは他の者には代えられない」

「そ、そうですか? 照れますね」


 でへへとリッシュは笑った。褒められて素直にこういう態度をとれるところも、彼女のいいところだとフレスは思う。

 

「では行こう。次は商人たちと塩の値段についてやり合うのだ」

「少し休んでから下りませんか? 馬が疲れてしまいますよ」

「いや、少し急いだほうがいい。予定がたてこんでいるんだ、馬はザメル様のところで交代させる」

「そうですか? わかりました」


 商人たちの会議に予定している日付には余裕があったが、できればその準備の時間がほしい。フレスはすぐさま下山することを選択した。それにいくら砦から離れたといっても山の中で火をつけて野営していて見つかれば、オルガリア軍に余計な疑念を抱かれてしまう。

 休みもなく下山を終えると、すでに日が暮れかけていた。フレスたちはそのまま温泉地に向かい、ザメルたちが持っていた馬と自分たちが乗ってきた馬を取り換える。この馬は急ぎの伝令のために預けているものだが、それが必要になることはおそらくないだろう。


「なんだ、随分忙しいんだな。酒くらい飲んでいったらどうだ?」


 ザメルにそんな言葉をかけられたが、丁重に辞して次の目的地に向かった。リッシュも馬を取り換え、フレスに同行してくれている。

 次は国境から離れて、ルシアン領との境界近くまで南下していく必要があった。今回会議があるのは、そこなのだ。


「一杯くらい飲んでいったらよかったのに。軍師殿、少し根を詰めすぎですよ」

「そうかもしれんが、あまり城を空けたくない。一度の会議で全て決めるために、できれば準備をしたい」

「どっちにしたって、一日でたどり着くのは無理ですよ。どうするんですか? 夜も走るんですか」


 城下近くにさしかかったところで、完全に日が落ちた。明かりをつけたとしても、馬を走らせるのは危険だ。


「ああ、この近くに村があったはず。そこで一晩休ませてもらうつもりだ」

「そこですか。まあ、かまいませんが」


 リッシュはあまりうれしくなさそうな顔で、頷いた。確かにその村は、いい思い出のない場所なのだ。


「あのときは仕方なかった。村人たちのいうこともまったくわからないわけでもないだろう」


 フレスはどことなく、さみしい笑いを浮かべた。

 ロンシャロンとの最終決戦の直前、フレスたちはこの村で兵士たちを休ませようとしたのだが、断られたのである。当時ザメルたちはロンシャロン軍を追い詰めてはいたが、まだまだロンシャロン軍の兵力は大きかったし、名も知れないただのごろつきにすぎないザメルが立ち上げた軍など三貴族の軍隊を打ち破れるものではないとこの村の人々は考えたのだろう。

 それに、大勢の兵士たちを村の中に招き入れて、乱暴狼藉や略奪がおこらないとも限らない。村の判断はまともなもので、フレスはそれをわかっていた。そこで村から少し離れたところで野営し、少人数で酒や食べ物を村からわずかに購入するにとどめた。しかし、リッシュからしてみればやっとまともなところで休めると思っていたものが裏切られたのだからガッカリもいいところだ。村の印象も悪くなるというものである。


「今回も断られるんじゃないですか?」

「その可能性は低い。我々は今や支配者だし、ポプリ様の善政はすでに知れ渡っている。それに二人だけだ」


 そう思っていたのだが、村の入り口で交渉してみたところ、「できればご遠慮願いたい」と言われてしまった。

 フレスは心底驚いた。しかし顔には出さず、


「なるほど、わかりました」


 と引き下がる。以前に野営したところを目指して、そこで一晩明かすしかない。

 リッシュは剣の柄に手をかけているが、小さく「やめろ」と注意しておく。仕方なく、二人で村を離れた。馬のための干し草くらいは買いたかったが、それも拒否された。


「ほらみたでしょう! ああいう村なんですよ。重税をかけて干上がらせましょう」


 少し離れてから、リッシュは怒りをぶちまけてきた。フレスは率直で何も遠慮のない言葉に思わず笑ってしまう。


「何を笑っているんですか、ポプリ軍がバカにされているんですよ! なんだったら私一人で制圧してきましょうか? 一時間もかかりませんよ!」

「まあまあ、そう怒らなくてもいい。彼らは恐れているんだ。以前私たちの受け入れを拒否したことを覚えていて、怖がっているんだろう。君が今提案してきたようなことを、まさに実行しに来たんじゃないかとな」

「だったらなおさら、受け入れてひれ伏して謝るべきじゃないですか!」

「そうできない者もあるんだ。気に入らないといってそれを殺していれば、ロンシャロンと同じになってしまう」


 フレスは自分の代わりにリッシュが怒ってくれていることを嬉しく思う。同時に、『ポプリ軍がバカにされている』という言葉にも頼もしさを覚えた。


「じゃあ、あんな無礼な態度を許していていいんですか?」

「いい。税さえ収めてくれればな。それに、今回の要請はどうしてもというものではない」

「むぐぐ、それじゃ気が収まりません。軍師殿は私たちの今までの戦い全部がこんなふうにバカにされていても、平気なんですか」

「平気じゃない。君が怒ってくれているから、こうして笑っていられるだけだ」


 話しているうちに以前野営した場所についた。近くに澄んだ池があり、雑木林も広がっている。少し注意して探せば、薪もまだ見つかるはずだった。


「じゃあもっと怒りますよ! なんなんですか、あの態度は。誰がロンシャロンの重税から解放してやったと思っているんですか! 死んだ戦友たちに謝ってほしいですね、土下座して額から血がでるまで! それもしないで解放の恩恵をタダで受け取ってのうのうとして、軍師殿の頼みまで拒否して、どういう神経をしているんですか。私だったら恥ずかしくて生きていられませんよ!」

「よくそこまで言葉が出てくるな」

「当たり前です! これで怒らないとみんなに私が責められますよ!」

「かもしれないな。私とて、勝利の特権だけを受け取って、何も対価を出さない態度には思うところがあった。しかし、それは何もあの村だけというわけではないからな。あの村だけ扱いを悪くすれば、他の村もますます態度を硬化させるだろう」


 地面に杭を打ち付け、馬をつなぐ。縄は少し長め、ある程度の範囲を歩き回れるようにしておく。これで馬たちも草を食べ、水を飲むことができるだろう。

 フレスとリッシュは薪を集めて、火を焚いた。持ち歩いていた非常食を取り出し、鍋で湖水を煮沸する。

 それを冷まして、やっと飲める水ができた。もちろん飲める水も持ち歩いているが、温存できるならそうする。


「それにしても、ムカつく村ですね。ここらへんの森ごと燃やし尽くしてやったほうがいいんじゃないですか?」


 まだ湯気がでている水に、リッシュは文句を言いながら口を付けた。

 いつまでもでてくる怒りの言葉にフレスは笑いながら頷く。


「なかなかそういうわけにもいかないだろう。だが残念だな、こういう小さな村も実際に塩の価格がどうなっているのか確かめてみたかったんだが」

「それなら私が聞きだしてきましょうか」

「いや、次の村で買い物でもしてみればいい。まだ目的地は遠いからな」

「そうですか。軍師殿、酒はもうないんですか? ルシアン卿からもらったものは」

「いや、あれで終わりだ」


 リッシュは露骨に肩を落とした。ガルチ将軍の息子らしき歩哨に渡した酒が最後だったのだ。ルシアンからもらった酒は完全に在庫切れだ。


「君ももらっていたはずじゃないのか? 毒見もしてくれていたし」


 酒が振る舞われたとき、リッシュはかなり多めの酒を荷物にしまい込んでいた。そんなにどこに入ったのか、割れたりしなかったのかという疑問はあるが。それに、毒見をする際にもかなりの量を飲んでいたのである。


「あんなの飲んだうちに入りませんよ。それに、もらった酒は負傷兵たちの傷口の消毒に使いました」

「そうか……。それは悪いことをしたな」


 フレスは申し訳なさそうに顔をしかめた。が、リッシュは「そんなこといちいち謝らないでください」とばかりに手をヒラヒラと振る。


「しかしこの干し肉は硬いですね。塩っ辛いし、もっとまともな保存食は作れなかったんですか?」

「それも問題なんだ。ロンシャロン軍が持っていた食料の多くはまともな飯だった。膨らませずに焼いたパンとか、水につけて芽を出させた麦とかな。だが今の我々に作り出せる保存食はそんなものしかなかった。コストがかかりすぎたんだ。となるとどうなるか、君のように文句を言う兵が出て、士気が下がる。そして、戦えなくなってオルガリアに負けるのだ」

「パンくらい作りましょうよ」

「麦がない。ついでにいえば金もない。干し肉しかないのは、乳の出なくなった乳牛や農耕用の牛を格安で買い上げたからだ」

「軍師殿、今まだ冬なんですよ。秋まで我慢しろっていうんですか?」

「そんなわけにいかないだろう。なんとかして金をつくって、領内から、もしくはルシアン卿から買うしかない」

「それなんですよね」


 リッシュがカップを口にくわえたまま腕を組んだ。


「塩の値段が大事なのはわかりますけど、値段を下げても我が軍は潤わないじゃないですか。いや、間接的に少しは潤うかもしれませんが、全然足らないでしょう」

「そうだな。むしろ、兵士たちを出さなければならないぶんだけ大損だ」

「それなら塩の値段どうこうより、まず金策をするべきじゃないですか?」

「もちろんだ。そっちも考えているのだが、今やれているのは焼け石に水程度のことしかない。保護している子供たちに城内や城下の掃除をしてもらって、商店から多少のお小遣いをもらったりな」

「子供たちって、ファリアたちですか?」

「いや、ファリアたちも参加することはあるが、多くはただの戦災孤児だ。彼らは保護してきただけで、ひどい言い方になるがまだ生産性がない。動ける子供には、働きに出てもらった」

「……あまり歓迎したいことじゃないですね」

「私もそうだ。できれば労働より教育を受けてほしいのだが、教職とかのインテリ層が離散気味になっていてな。募集しているのだが……」

「集まってないんですね」

「ああ」


 干し肉をガジガジとしがみながら、リッシュはマントを着なおした。


「軍師殿はそろそろ寝たほうがいいですよ。私は周囲を見てますから」

「ああ、だが……」

「一日くらい平気ですよ。明日は眠れるんでしょう?」

「無理はしないでくれ。私も見張るから、交代で休もう」

「私が眠いくらいは問題ないですが、軍師殿が眠いのはだめでしょう」


 強く言われて、仕方なくフレスはマントにくるまって横になる。地面が冷たいが、マントのおかげで眠れないほどではない。

 少し眠ったらリッシュと交代して見張りをするつもりだったが、目が覚めるとすでに日が昇りかかっていた。


「お目覚めですか? どうです、食べます?」


 肉のにおいがする。起き上がってみれば、燃やされている火に何かの肉がくべられていた。


「ま、まて。それは何の肉……」

「ああ、キツネですよ。だいぶデカかったですが、うまくはないですね。毛皮は売れそうですが、どうしますか?」

「キツネ? そんなものがいたのか?」


 頭を掻きながら見てみれば、すでに毛皮と肉になってしまっていて生きていたころの面影はまるでない。肉の量はそれほどあるわけでもなかった。


「い、いつの間に。いや、それより寝入ってしまった……、出発は遅らせるから少しでも眠ってくれ」

「大丈夫ですよ、このくらいのことはいつもやっていましたから。しかし近くに来たので獲りましたが、キツネはマズいですね。その上肉も少ないし、内臓も食べられませんから」

「……そうか? うまそうに見えるが」

「臭いんですよ、かなり。売れやしません。馬が心配だったから殺しましたが、追い払うだけにしとくべきだったかもしれません。失敗しました」


 言われてフレスも焼けている肉を少しかじってみたが、「ムッ」と思わず顔をしかめてしまうほどだった。


「きついでしょう。それに冷めると固くなりますよ、食べるなら今のうちです。私は慣れてますが」

「あとで商人たちにちょっと香草を譲ってもらったほうがいいかもしれないな……焼いてしまった後では手遅れか。それにしても、君はすごいな。狩人としても優秀だったとは」

「こ、このくらいは普通ですよ、普通。もっと狩りのうまい人はいます」


 リッシュが謙遜したが、フレスは「そんなことはないだろう」と思う。あれほど戦いに秀でているのだから、狩りをさせても超一流というのは納得できる話だ。しかしどういうわけか、狩りに関しては彼女は「普通」だと言っている。

 さては、周りによほど狩りのうまい人間がいたのだろう。リッシュの親か、祖父か、仲間あたり。彼らと比べてしまって、自分を普通だと思っているのだろう。そのようにフレスは結論した。

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