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「お兄様は外に出られないのに」と母が言うので、兄へのお土産に公爵閣下を連れて帰りました【連載版】  作者: みれいぬ


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娘は病弱ではございませんでした

 翌朝、兄は父を自分の部屋に呼んだ。


 私は呼ばれなかったけれど、膝掛けを替えにいく時刻だったので、そのまま部屋の隅にいた。兄は寝台の上で、昨日の疲れで少し青い顔をしていたが、声ははっきりしていた。


「父上。手紙を、四通書いてください」


 父は、何も聞き返さなかった。


 窓際の机――両親がいつも家の手紙を読み、返事を書いてきた机に、父は座った。母がその後ろに立って、口を開いたり閉じたりしていたが、兄が「母上も、見ていてください」と言うと、黙った。


 宛先は、エスコバル子爵家。近衛のサルセド卿。メンドーサ伯爵家。それから、リオセコ公爵家。


 一通ずつ、父はペンを走らせた。時候の挨拶。以前のお申し出への、遅すぎるお詫び。そして、どの手紙にも、父の字で、同じ一文が入った。


 娘は病弱ではございませんでした。


 兄は、父が最後の一通に封をするまで、寝台の上から黙って見ていた。同じ部屋の同じ机で、同じ父の手が書いた、前の手紙たちのことを、たぶん兄は思い出していたのだと思う。私も思い出していた。見たことのない手紙なのに。


 最後の封蝋が乾くと、兄は「ありがとうございます、父上」とだけ言って、目を閉じた。


 その次の日、婚約の書面が公爵家から届き、父が署名した。表に出すのは秋にしたい、と閣下は書き添えていた。兄上が北から戻って、その席に立てるようになってから、と。


 私は、その一行から、なかなか目を離せなかった。兄が、私の婚約の席に立つ。兄の部屋ではない場所で。


* * *


 詫び状を受け取った家々は、口を閉じてはいなかった。


 詫びの手紙というのは、もらった側にとっては格好の話の種だ。そこへ、あの日の厩の通路で一部始終を見ていた紳士たちの話が加わった。あの日の口笛の主の上官が、サルセド卿だったことも、あとで知った。


 五月の半ばには、王都の客間という客間で、同じ話がくすくす笑いとともに語られていた。


「ベラルデ家の病弱なお嬢様は、泥の付いたネーベ号の蹄鉄を提げて、厩の通路を平気な顔で歩いておいでだったそうよ」


 私がそれを知ったのは、ピラールが市から戻ってきたときだった。


「お嬢様、市の八百屋のおかみまで知っておりましたよ。蹄鉄のお嬢様、ですと」


「八百屋の、おかみまで」


「お嬢様の頬が赤いのは、蹄鉄を振り回しておいでだからだそうで」


「振り回してはいないわ」


「存じております。訂正はしておきませんでした」


 その春から、両親あての晩餐や茶会の誘いは、目に見えて少なくなった。前は母の文机に積み上がっていた封書が、半分ほどの高さになった。母は封書を一通ずつ開けては、何も言わずに伏せた。


* * *


 仔馬の名前は、兄が何日もかけて決めた。


 兄は血統の本を寝台の上に何冊も広げて、ネーベ号の父の名、母の名、四代前の名を書き出し、組み合わせては線を引いた。私が膝掛けを替えにいくたびに、枕元の紙の線が増えていた。


 ある朝、兄は紙を一枚、私に差し出した。一つだけ、線の引かれていない名前があった。


「レクエルド」


「古い言葉で、土産という意味だ。どの血統の名とも組まない。でも、これしかないと思った」


 私はそれを、閣下への手紙に書いた。返事はすぐに来た。用件だけの短い手紙で、終わりのほうに、ぽつんと一行あった。


 ――また笑った。いい名だ。


 兄はその返事を何度も読み返してから、蹄鉄の横の壁に、ピンで留めた。


 閣下の笑い声なら、厩の通路でも、牧場の囲いの前でも聞いた。今度のは、手紙の一行の向こうにあった。紙に書かれた「笑った」は、声がしないのに、聞こえる気がした。


* * *


 北の話を持ち出したのは、アンセルモ先生だった。


 次の診察の日、先生は兄の胸の音を聞き終えると、窓のほうを見て言った。


「若様。この夏は、王都を離れてはいかがです。北の高原は空気が乾いて涼しく、胸の弱い方の療養にも使われる土地です。リオセコ公爵家の牧場が、ちょうどそこにある」


 兄は、すぐには答えなかった。


「ただし、一つだけ決まりがございます。厩の中と、干し草を置く小屋には、お入りにならないこと。干し草とわらの埃は、若様の胸には煙と同じでございます。馬にお会いになるのは、外の放牧場で」


「柵の外からでいい」


 兄が言った。


「馬は外にいるんでしょう。朝になったら、外に出てくるんでしょう」


「出てまいりますとも」


「なら、行きます」


 自分で決めた、と兄は言った。父ではなく、母でもなく、先生に向かって。


 母が、椅子から立った。


「でしたら、わたくしが付き添います。マテオの薬の時刻も、咳のときの背中のさすり方も、わたくしが一番」


「奥様」


 先生が、穏やかに遮った。


「母君がおそばにおいでになると、若様は窓を開けられません」


 母が、先生を見た。それから、兄を見た。


「母上は、王都で待っていてください」


 兄の声は、やさしかった。やさしくて、少しも揺れていなかった。


 母は、口を閉じた。椅子に座り直して、膝の上で手を組んだ。私は、母が兄の部屋で何も手に持っていないのを、初めて見た気がした。


「イネス」


 先生と母が部屋を出ていったあとで、兄が呼んだ。


「出発の日は、玄関まで自分で歩くよ。見てて」

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