返事を待つ部屋【コンスタンサ視点】
マテオの部屋の暖炉には、毎朝、火を入れさせております。
八月の王都は暑うございます。女中たちは汗をかきながら薪を運び、窓を閉め、カーテンを引きます。部屋の中は、春と同じ暖かさになります。マテオが咳をしなかったころの、いちばん具合のよかった冬の朝の暖かさです。
「奥様、この暑さでは、お部屋のほうが傷みます」
家政婦がそう申しましたが、わたくしは聞きませんでした。九月の初めには戻るのですから、冷やしておくわけにはまいりません。
手紙を出してから、もう十日あまりになります。北の館まで、馬車で五日。返事が来るなら、そろそろのはずでした。
マテオは北へ発ってから、わたくし宛てには一度も手紙を書いておりません。届くのはいつも、イネス宛てか、夫宛てでございます。イネスが食堂で読んで聞かせるのを、わたくしは向かいの席で聞いてまいりました。柵まで歩いた、馬を見た、町の市へ行った。どれも、わたくしの知らない場所の話でした。
ですから、わたくしから書いたのです。あの子が、わたくしに返事を書くように。
わたくしは毎朝、マテオの部屋の椅子に座って、門のほうを見ております。窓は閉めてありますから、門の音はよく聞こえません。
* * *
その日は、古いお付き合いの侯爵夫人のお茶会でございました。
春からこちら、わたくしへの招きは半分に減りました。それでも、昔からのお付き合いの家は、まだ呼んでくださいます。わたくしは、暗い色のドレスを着て、いつもの席に座りました。
お茶のお代わりが回ったころ、向かいの席から、柔らかい声がいたしました。
「ベラルデ伯爵夫人。お嬢様、北の公爵家の館へご旅行ですってね」
メンドーサ伯爵夫人でした。
去年の秋、メンドーサ家からは、三男のエミリオ様との縁談のお申し入れがございました。夫が、マテオの部屋で、断りの返事を書きました。娘は病弱ゆえ、と。
「病弱だと伺って、うちの子はお断りいただきましたのに。北の空気は、よほどお体に合いますのね」
伯爵夫人は、笑っておいででした。周りの方々も、扇の陰で笑っておいででした。誰も、声を立ててはいませんでした。声を立てずに笑われるほうが、ずっと長く耳に残るものだと、わたくしはこの春に知りました。
仕方がなかったのです。マテオのそばに、あの子が要りました。断りの文句は、どの家でも使う、角の立たないものでした。メンドーサ家だけを悪く扱ったわけではございません。
「……あの子は、丈夫なものですから」
わたくしがそう申しますと、伯爵夫人は、まあ、と目を丸くなさいました。
「では、病弱でいらしたのは、いつまで?」
わたくしは、お茶を一口いただきました。答えは、出てまいりませんでした。
隣の席の、若い子爵夫人が、気を利かせたつもりなのでしょう、明るい声で話を変えてくださいました。
「秋には、ご婚約の披露ですわね。お嬢様のドレスは、何色になさるの? お嬢様のお好きな色は?」
わたくしは、カップを受け皿に戻しました。
あの子の好きな色。
暗い色を着せてまいりました。暗い色なら汚れが目立たず、マテオの部屋の薄暗がりで、あの子が目に立つこともないからです。仕立て屋が若草色を勧めたときは、それでいいと申しました。あの子は、黙ってうなずいておりました。
「あの子は、何でも着ますから」
そう申し上げてから、わたくしは、あの子に好きな色を聞いたことがあったかどうかを考えようとして、やめました。聞かなくてもよかったのです。あの子は丈夫なのですから。何を着せても、病気にはなりません。
子爵夫人は、そうですの、と笑って、それ以上はお聞きになりませんでした。
メンドーサ伯爵夫人は、最後まで、柔らかい声のままでいらっしゃいました。
* * *
家に戻ると、玄関の広間で、家政婦が申しました。
「奥様、旦那様が書斎でお待ちでございます。北からお手紙が」
マテオの返事だと思いました。わたくしは階段を上がりかけて、書斎のほうへ向き直りました。どうして書斎なのか、とは、そのときは思いませんでした。
夫は、机の前で、一通の手紙を持っておりました。封には、蹄鉄を囲む麦の穂の紋がございました。
「先代のリオセコ公爵夫人からだ」
家の手紙は、いつもマテオの部屋で、二人で読んでまいりました。夫が書斎で手紙を開いたのは、わたくしの覚えている限り、これが初めてでございます。夫は、読み上げはせず、わたくしに便箋を渡しました。
婚約の披露は、十月の終わり、王都のリオセコ家の屋敷で開きます。晴れた日の昼に。お客様の名簿は、追ってお送りいたします。マテオ殿のお戻りは、アンセルモ先生のお考えにお任せするのがよろしいかと存じます。
それだけでございました。丁寧で、短くて、わたくしに何かを尋ねる言葉は、どこにもございませんでした。
「わたくしに、何の相談もなく」
夫は、黙っておりました。
「披露は、マテオが戻ってから、と決めたはずです」
わたくしがそう申しますと、夫は、便箋を机の上で、ゆっくりと畳みました。
「決めたのは、私たちだけだ」
夫のそういう声を、わたくしは、ずいぶん長いこと聞いていなかったように思います。




