↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「お兄様は外に出られないのに」と母が言うので、兄へのお土産に公爵閣下を連れて帰りました【連載版】  作者: みれいぬ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/21

高原の速歩

 北の牧場で私に充てられたのは、カネラという栗毛の牝馬だった。


 セニーサより一回り小さくて、ずっと若い。耳がよく動いて、私が鞍に上がると、首をひねって私の靴の先を確かめにきた。


「セニーサほど大人しくない」


 閣下が言った。王都の稽古の最後に言ったのと、同じ言葉だった。


「だから、上手くなる」


 北の館の裏の馬場は、王立牧場のよりも広くて、柵の向こうがすぐ丘だった。閣下が自分の馬で隣に並び、柵沿いを並歩で一周した。カネラの歩幅は、セニーサより短くて速い。体の揺れ方が違う。


「引き綱は」


「ない」


 閣下は、あっさり言った。


「速歩」


 言われて、私は右手の鞭で、カネラの右の脇腹に触れた。叩くのではなく、触れる。


 カネラが、跳ねるように歩様を変えた。


 体が、上下に揺れはじめた。鞍の上で、お尻が浮いては落ちる。上の角に掛けた右脚に力が入りすぎて、膝が痛い。私はとっさに、鞍の角にしがみつきかけた。


「背を立てる」


 隣で、閣下の声がした。


「馬の揺れに逆らうな。乗せてもらえ」


 乗せてもらう。


 私は、しがみつくのをやめて、背を起こした。カネラの耳の間を見た。上下の揺れが、少しずつ、波のように感じられてきた。逆らわずに、その波の上に乗っていると、体のほうが勝手に覚えていく。


 柵の角を曲がるとき、カネラが少しだけ速くなった。私は、落ちなかった。


* * *


「教え方が、厩番のままね」


 柵の外から、声がした。


 大奥様だった。乗馬服のまま柵にもたれて、腕を組んで、私たちを見ていた。


「背を立てろ、馬の耳の間を見ろ、逆らうな。それしか言わないんだから。わたくしが教わったときと、一字一句同じよ」


「母上に教わったとおりに教えています」


「だから、厩番のままだと言ってるの」


 閣下が、何とも言えない顔をした。私は、手綱を持ったまま笑ってしまって、また鞍の上で揺れた。


 大奥様は、私のほうを向いた。


「お嬢さん、王都で、どれくらい乗ったの」


「週に一度、ひと月あまりでございます」


 大奥様は、少しのあいだ私を見て、それから、閣下を見た。


「アルバロ。この子、筋がいいわ。あなたより」


「……知っています」


 閣下は、むっとした顔で、そう言った。


* * *


 午後は、閣下と並んで、館の外の道を行った。


 並歩だけ。大奥様とピラールが、少し後ろから小さな馬車でついてきた。


 高原の道は、どこまでも広かった。王都では、どこを見ても屋根か塀が目に入る。ここには、何もなかった。草と、空と、遠くの山の影と、風だけ。カネラのたてがみが、風に流れていた。


(お兄様に、話さなくちゃ。風の匂いが――)


 そう思いかけて、やめた。兄は、この風の中に、もうふた月いるのだ。


 私の頭の中から、兄に話すことの一覧が、一つずつ消えていく。代わりに何が入るのか、私にはまだ分からなかった。


 閣下は、口数が少なかった。ときどき馬を半歩寄せて、道の先の石や、溝を指さした。それだけで、十分だった。


* * *


 帰り道、丘のふもとの放牧場の脇で、仔馬の群れに行き合った。


 三つ編みの人が、馬に跨がって、仔馬たちを隣の放牧場へ移しているところだった。スカートではなく、革の乗馬ズボンを穿いていた。長い竿を一本持って、声と竿だけで、仔馬の群れを、きれいに柵の戸へ流していく。


 移し終えると、その人は馬を返して、こちらへ来た。閣下に頭を下げてから、私の鞍に目をとめた。


「横鞍。それで、落ちないんですか」


「今のところは」


「すごい。私は跨がないと、乗れないです」


 そう言って、三つ編みの人は、まっすぐ私を見た。


「アランサ・ウルキサです。差配の娘です。マテオ様の、妹さんですね」


「イネスと申します。兄が、お世話になっております」


「お世話はしてません。風下に立たないように見張ってるだけです」


 アランサさんは、それから、少し首をかしげた。


「イネス様は、マテオ様の何ですか。看病の人?」


「妹です」


「妹って、そんなに、兄のことばっかり考えるものですか」


 私は、答えに詰まった。


「マテオ様が、毎日言ってるんです。妹が王都で何を見たか、何を持って帰ったか。十何年分。毎日です。だから、てっきり、妹さんのほうもそうなんだろうって」


 アランサさんは、責める顔ではなかった。不思議がっている顔だった。


「私には兄が三人いますけど、兄のことなんて、一日に一回も考えません」


 そう言って、アランサさんは馬の首を返した。


「明後日の朝、マテオ様に手綱を持たせます。イネス様も、落ちないでくださいね」


* * *


 その晩、館の居間で、兄が聞いた。


「乗れるようになった?」


「速歩までは」


 兄は、ふうん、と言って、それからにやりとした。


「十分だ」


 兄の手のひらに、赤い筋が一本できていた。手綱を握った跡だった。


 このところ、兄が朝から晩まで、アランサさんとパルドと一緒に、柵の向こうで何をしていたのか、私はたずねなかった。手のひらを見れば、たずねるまでもなかった。


* * *


 次の日も、兄は柵の向こうから戻ってこなかった。その晩、私は眠れなかった。


 妹って、そんなに兄のことばっかり考えるものですか。


 アランサさんの声が、天井のあたりで何度も聞こえた。私は、兄のことばかり考えてきた。兄の分を選び、兄に話すことを覚え、兄の見たいものを見てきた。それが、私の外出だった。


 では、兄のことを考えない私は、何を考えるのだろう。


 答えが出ないうちに、うとうとした。


 まだ真っ暗なうちに、扉が、小さく叩かれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。