兄からのお土産
封筒は、思ったより重かった。
自分の部屋に戻って、乗馬服のまま寝台の端に腰かけて、封を切った。便箋の束と、小さな布の包みが一つ、膝の上に落ちてきた。
包みは後にして、私は便箋を開いた。兄の字は、部屋の中で書いていたころより、少し大きくなっていた。
イネスへ。
北に着いて、十日になる。閣下から聞いているかもしれないけど、旅のあいだ一度も咳をしなかった。先生は「お静かに」と百回は言った。僕は数えていた。
最初の朝、館の窓から放牧を見た。夜明け前に厩の戸が開いて、馬が一頭ずつ出てくる。一頭ずつ、出方が違う。跳ねて出るやつ、首を振ってから出るやつ、戸口で一度止まって空を見るやつ。それから群れになって、丘を水場まで駆け下りる。冷えた朝は、背中から湯気が立つ。
血統の本には、こういうことは一つも書いてなかった。
三日目の朝、柵まで歩いた。途中で二度休んだ。次の朝は一度で済んだ。今は休まずに行ける。
厩には、入れてもらえない。先生と、それから、差配の家の口うるさい誰かが、目を光らせている。その誰かの話は、また今度書く。
小川で、石を拾った。放牧場の脇を流れていて、馬が水を飲みにくる小川だ。君の行けない場所からの、最初の土産だ。
マテオ
* * *
読み終えて、私は布の包みを開いた。
中から、石が一つ出てきた。
灰色の、手のひらに載るくらいの丸い石だった。白い筋が一本、斜めに走っている。川の水に長く洗われてきたのだろう、角がどこにもなく、触るとひんやりとなめらかだった。
兄の棚にある、川原の縞の石に、少し似ていた。あれは、ずっと前の夏に、私が兄に持って帰った石だ。
今度は、兄が、私に持って帰ってきた。
(お兄様からの、お土産)
私は石を両手で包んだ。生まれて初めてだった。兄から、何かを持って帰ってもらうのは。
北の小川の水の冷たさは、私には分からない。けれど、石はまだ少しだけ冷たい気がした。
* * *
戸口で、衣ずれの音がした。
母が立っていた。手に、私のものより薄い封筒を一通持っている。
「マテオは、何と」
母の声は、低かった。
母宛ての手紙もあったのだ。母の封筒の薄さを見て、私は何となく分かった。母の手紙は、たぶん短い。
「お母様には、何と」
「元気です。窓は開けています。……それだけよ」
母は、それだけ、と言った。私を咎める調子はなかった。どこか、迷子のような声だった。
私は、自分の便箋を見下ろした。全部を読んで聞かせる気には、なれなかった。それでも、母に何も渡さないのも、違う気がした。
「放牧のことが、書いてあります」
私は、馬が一頭ずつ厩から出てくるところと、湯気のところを読んだ。それから、柵まで歩いたところ。今はもう、途中で休まずに行けるところ。
母は、戸口から一歩も入らずに、黙って耳を傾けていた。
厩には入れてもらえない、のところまで読むと、母は小さく言った。
「……埃は、胸に悪いのに」
それだけ言って、母は戻っていった。何が言いたかったのか、私には分からなかった。厩に近づかせないでほしいのか、それとも、近くまで行っているのが心配なのか。たぶん、母にも分かっていなかったのだと思う。
* * *
私の部屋の窓辺には、何も置いたことがなかった。
置く物が、なかったからだ。外から持って帰る物は、全部兄の棚へ行った。
私は、鹿革の手袋を窓辺に置いた。その隣に、灰色の石を置いた。
二つだけだった。並べてみると、窓辺はまだずいぶん広かった。
(これは、私の棚)
十二年遅れて始まった、私の分の棚だった。
洗濯物を抱えて入ってきたピラールが、窓辺を見て、足を止めた。
「おや。お嬢様の棚でございますね」
「そう見える?」
「見えますとも」
ピラールは手袋と石を、首を傾けて眺めた。
「一つ目は閣下から、二つ目は若様から。どちらも、よそから来た物でございますね」
ピラールの言うとおりだった。どちらも、人が私のために選んでくれた物だ。私が自分で選んだ物は、まだ一つもない。
「いつか、自分で選んだ物も置くわ」
「何をお選びになるので?」
私は、少し考えた。何も思いつかなかった。自分の好きな物を一つ挙げてみなさいと言われたら、私は、兄の好きな物ならいくらでも挙げられるのに。
「……分からないわ。まだ」
「では、楽しみが一つ残っているということで」
ピラールはそう言って、洗濯物を箪笥にしまいはじめた。
* * *
便箋を封筒に戻そうとして、最後の便箋の裏に、もう少し字があるのに気がついた。急いで書いたような、斜めの字だった。
追伸。八月に入ったら、土産をもう一つ用意しておく。今度のは、持って帰れないものだ。だから、取りに来てくれ。
父上には、僕から頼んである。
私は、もう一度読んだ。取りに来てくれ。北へ。
顔を上げると、戸口に、今度は父が立っていた。
手に、兄の字の封筒を、もう一通持っていた。父宛ての。
「マテオが」
父は、封筒を見下ろして、少し困ったような顔をした。
「おまえを、八月に入ったら北へよこしてくれ、と言っている」
両親は、兄の頼みだけは断らない。
今度の行き先は、兄のいる場所だった。




