↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「お兄様は外に出られないのに」と母が言うので、兄へのお土産に公爵閣下を連れて帰りました【連載版】  作者: みれいぬ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/18

君だけの分

 六月の半ば、閣下が王都へ戻ってきた。


 北から戻ったその足で、うちへ寄ってくださったらしい。乗馬上着の肩に、まだ街道の砂埃が白く残っていた。父は書斎から出てきて挨拶をし、それから、庭なら日が当たって気持ちがいいでしょう、と言って、私たちを庭へ出した。


 前の父なら、言わなかったことだと思う。


 ピラールが、薔薇の植えこみの向こうに控えた。声は届かないけれど、目は届く場所だ。ピラールはそういう場所を選ぶのがうまい。


「兄上から、言伝を預かってきた」


 閣下は、ベンチの前に立ったまま言った。私が座るのを待ってから、自分は座らずに。


「朝の放牧を、館の窓から見た。明日は、柵まで歩く。厩には入れてもらえない。先生の言いつけを守っている。……少し不満そうだった」


 私は笑ってしまった。厩に入れない兄の顔が、目に浮かぶようだった。


「それから、土産に、北の石を一つ送る、とも」


「お兄様が、私に、お土産を」


 口に出してみると、不思議な響きだった。十二年、私が兄に持って帰るばかりだったお土産が、今度は北から、私のほうへ来る。


「旅のあいだ、兄上はずっと話していた。馬の話を」


 閣下の声に、少しだけ笑いが混じった。


「五日のあいだ、宿でも、馬車の窓越しでも。私の知らない北の牧場の血統まで知っていた。最後の宿では、アンセルモ先生が、若様、もうお休みなさいまし、と何度も言った」


「兄は、二年分たまっていると申しておりましたから」


「二年分では、利かなかった気がする」


「北の牧場は、どんなところですか」


 聞いてから、自分の声が思ったより弾んでいたことに気がついた。兄の分を聞くつもりだったのに、半分は、私が知りたかった。


 閣下は、少し遠くを見るような目をした。


「朝が早い。夜明け前に厩の戸を開けると、馬が一頭ずつ出てきて、それから群れになって、丘を駆け下りる。水場まで。冷えた朝は、馬の背中から湯気が立つ」


「湯気が」


「兄上は、館の窓からそれを見て、しばらく口をきかなかった」


 私は、その朝の兄の顔を思い浮かべようとした。うまくいかなかった。私の知っている兄の顔は、どれも、暖炉の火に照らされていたから。


 それから閣下は、上着の内側から、小さな包みを取り出した。


「これは、私からだ」


 薄い紙に包まれていた。開けると、鹿革の乗馬用の手袋が入っていた。やわらかくて、手のひらの側だけ、革が少し厚い。手綱を握るところだ。


 手に取って、指を通してみた。


 ぴったりだった。指の長さも、手のひらの幅も。私の手に合わせて作ったとしか思えなかった。


「どうして、手の大きさを」


「蹄鉄を持ったときに、見ておいた」


 閣下はそれだけ言うと、私の顔は見ずに、包み紙を丁寧に畳み始めた。角と角を合わせて、折り目を指でなぞって。厩の通路で、ネーベ号の首を拭いていたときと、同じ手つきだった。


「秋までに、乗り方を教える」


 畳み終えた包み紙を、閣下は自分の上着のかくしにしまった。


「今度は、君が自分で行く番だ」


* * *


 手袋の指を一本ずつ確かめながら、私は、ふと気がついた。


 これまで私が持って帰ったお土産は、どれも兄の分だった。木彫りの馬から、ネーベ号の蹄鉄まで。それから、閣下まで。


 誰かが、私の分を持ってきてくれたのは、これが初めてだった。


 八つの春から、ずっと、自分の分というものを考えたことがなかった。厩の通路で「あなたの分は」と聞かれたときも、答えられなかった。答えは、こうして向こうからやってきた。


 胸の奥のほうが、少し痛かった。嬉しいのに、痛かった。


「私だけ、楽しんでもよろしいのでしょうか」


 口に出してから、母の口癖の裏返しだと気がついた。あなただけ楽しむつもり、と、ずっと言われてきたのだ。


 閣下が、手袋の上から私の手を取った。


 大きな手だった。日に焼けて、手綱の当たるところが固くなっている。


「いい」


 閣下は、まっすぐに私を見て言った。


「これは、君だけの分だ」


* * *


 薔薇の向こうで、ピラールが咳払いをした。聞こえるように、ではなく、聞こえないように。それでも聞こえた。


 閣下が手を離して、少しだけ、耳を赤くした。


「伯爵には、もう許しをもらってある。王立牧場で稽古をする。ベニートが引き綱を持つ。君の侍女も付いてくる」


「父が、許したのですか」


「断られなかった」


 閣下は、少し考えるように間を置いた。


「断る理由を、伯爵はもう持っていない」


 そうだった。娘は病弱ゆえ、と書く手紙は、もう父の机から出ていかない。


「閣下の分は」


 思いついて、聞いてみた。


「閣下は、私に乗り方を教えてくださって、何を持って帰られるのですか」


 閣下は、虚を突かれたような顔をした。間を置いて、口の端がわずかに上がった。


「君が乗れるようになったら、一緒に遠くまで行く。それが、私の分だ」


「最初の稽古は、次の水曜だ」


 閣下は、北の砂埃の残る肩をすくめた。


「馬は、もう選んである」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。