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小さくなった夫が可愛すぎて困ります  作者: piyo
後日談

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28/30

サフィールはその後を語り、当時を振り返る

「おい。ここの検討が漏れてる。

再現性を確認して、それからここへ持ってこい」


「は、はいっ!」


目の前の部下は、広げていた報告書を慌てて纏め、椅子から勢いよく立ち上がった。


「中途半端なものをお出しして、大変申し訳ございませんでした!」


「……」


大きな声で謝罪し、会議室から部下が出て行く。

ただ指摘して指示しただけなのに、やたらに萎縮してるのはなぜなんだろうか。


(そういえば⋯⋯)


眉間に指をあて、ほぐす。

妻が眉間に皺が寄っているときは、人によっては私の顔は怖く見えると言っていた。

もう癖になってしまっているので、気を付けないといけない。


トントン


「入れ」


「失礼します」


先ほどの部下に続いて入ってきたのは、シイル先生だった。


彼は、私が休職していた間に、勝手に辞職していた人物だ。

私が復職した際、半ば強引に引き抜いてやった。


シイルという研究者を、街の薬屋で埋もれさせておくのは惜しい。

――正直に言えば、個人的な恩があったから、というのが一番の理由だが。


「サフィールさん、例の薬、持ってきましたよ」

「ああ、いつも助かる。シイル先生」


頼んでいた薬を受け取り、礼を述べる。


「先生はよしてください。今はあなたの秘書なんですから」

「なぜだ。あなたは、親身になって私に勉強を教えてくれた師ではないか」


彼が責任者として開発した薬を浴び、私が子供の姿になってしまっていた頃。

シイル先生は、私の家庭教師を務めてくれていた。

子供の自分に優しく、ときに厳しく導いてくれて――


「あ、この人、自分の助手に欲しい」、と直感で思った。


魔術師塔に復職した当初、魔法薬研究室にはすでに別の人物が、自分に代わり室長として就任していた。

そこで上層部は、私に“研究室特別研究長”という、室長と同格の特別枠を与えた。


以前よりも、むしろ自由に動ける立場になった私は、手始めに、かつて第一グループで研究していたが、私の事件によってお蔵入りとなった『肌を若返らせる薬』の改良に着手した。


あらゆる体質や年齢に対応できるよう実験と治験を重ねた結果、効能は大きく方向転換することになった。

完成したのは、数時間だけ塗布した部分の皺を目立たなくする、以前よりもグッと化粧品に近づけた代物だ。


さらに、誤ってこぼすことのないようペースト状にし、使い過ぎを防ぐため小型のチューブ容器に改良。

商品開発部との共同開発を経て、ようやく一部で試験販売される段階にまでこぎつけた。


もっとも、商品化された以上、もはや研究室の管轄ではない。

今は、別の研究に取り組んでいるところだ。

今回、シイル先生に持ってきてもらったのは、その商品の試供品になる。

妻から、マーサが使いたがってたから、サンプルを持ち帰って欲しいと頼まれていたのだ。


「そういえば、奥様の体調はいかがですか?」


「ああ、最近ようやく落ち着いてきた。今度、顔を見せに行ってやってくれ。きっと喜ぶ」


もうすぐ臨月に差しかかる。

途中、体調を崩して自宅療養していた妻だが、安静に努めた結果、今は逆に“もっと動くように”と医者から言われているらしい。


……やはり、自分の言うとおり早めに式を挙げておいて正解だった。

結局、締め付けのないマタニティドレスを着ることにはなっていたが。


時間というのは、本当にあっという間だ。

そして、その「あっという間」の中に、いくつもの出来事が凝縮されている。


この二年を振り返れば……


気づけば恋をして、

気づけば結婚して、

少し記憶が抜け落ちて、

妻に愛されて、

そして今、子供が生まれようとしている――


物思いに沈みかけたところで、業務終了の鐘が室内に鳴り響いた。


「終業時間だ。帰るぞ、シイル先生」

「本当に、泊まり込んでいた頃が嘘みたいに、鐘ぴったりで帰るようになりましたよね……」


――放っておいてほしい。

人は、いくらでも変わるものなのだから。


まあでも、自分でも考え方が劇的に変わった自覚は、ある。

あのときの出来事が無ければ……

今頃まだ、妻から逃げていたか、それともとっくに愛想を尽かされて出て行かれていたか。


夕暮れどきの景色を馬車の中から眺めている間、無意識に当時のことを思い出していた。


◆◇


――毎日が、眩しいほどなのに、どこか柔らかく温かな光に包まれているようだった。


小さくなってしまった身体で、これまで見せなかった感情を妻へ向ける。

すると彼女もまた、まっすぐな感情を返してくれた。


『旦那様』


そう呼ばれるだけで心が躍った。

ただ子供の世話を焼いているだけ――それだけの態度だったとしても。

それでも、少しずつ、自分という人間へ関心を向けてくれているのが分かった。


それが、とんでもなく嬉しかった。


……同時に、子供の姿のままの自分が、ひどくもどかしかった。


早く元に戻らねば。


解毒薬の進捗を聞きに行ったときは、愕然とした。


自身の特異体質のせいで再現性が取れず、開発はほとんど進んでいなかったのだ。


仕事を任せきりにしている場合ではないと資料を持ち帰ったものの、

子供の体力を、完全に侮っていた。


すぐに眠くなる。

集中力は続かない。

腹はすぐ減る。

そして極めつけは、突然の発熱。


以前よりも、自分の精神が退行しているような感覚があった。

妻に甘えたくなる。

甘やかされれば、信じられないほど嬉しくなる。


好き嫌いは隠せない。

フォークを上手く扱えなくなったときは、さすがに言葉を失った。


元に戻れないという最悪の事態を想定し、まだ意識がはっきりしているうちに――

これまでのことを謝り、せめて本心だけでも伝えなければと、今さらながら焦った。


そして、自分が熱を出しているという、向こうが同情せざるを得ない卑怯な状況の中で――

二度目のプロポーズをした。


翌日には、そのことをきれいさっぱり忘れていたが。


忘れてしまったのだから、返事を待つ不安もない。

それがどれほど身勝手なことか、それでいて彼女にどれだけ残酷なことをしているかも、分からないまま。


五歳に戻っていた頃、妻は母のように自分へ接してきた。

甘えれば応えてくれる。

悪いことをすれば、きちんと叱ってくれる。


彼女のことが、たまらなく好きだった。

思う存分、感情をぶつけた。


けれど――


彼女は、次第に自分を避けるようになった。


仕事で屋敷を空けることが増え、会えるのは寝る前と、出勤前のわずかな時間だけ。

たまに早く帰ってきても、自分は昼寝の最中で、遊んでもらえることはほとんどなかった。


抱きつけば、抱きしめ返してくれる。

「好き」と言えば、「私も好きです」と返してくれる。


それなのに。


そうして向けられる笑顔は、いつもどこか悲しそうだった。

まるで、自分の奥にいる“誰か”を見ているかのように。


そんな顔をしてほしいわけじゃない。


だが、自分は子供で、うまく言葉にできない。

もどかしさが積もり、やがて癇癪へと変わった。

アレックスやマーサには、随分と世話をかけただろう。


そのうち、母が屋敷へ頻繁に顔を出すようになった。


すでに大きな孫もいる年齢だ。

まさか自分の息子を、再びあやすことになるとは思ってもいなかっただろう。


侯爵家の妻として忙しくしていたはずなのに、もともと末っ子の自分には甘い人だった。

子供の頃も、よく構ってくれた記憶がある。


五歳の自分とも、母は根気強く遊んでくれた。

その時間は楽しかったし、母のことも好きだった。


――だが、それだけだ。


このときの自分が求めていたのは、

「母親」の優しさではなく、

「ノエル」の愛情だったのだから。


ある日、彼女が仕事へ向かうとき――

ついに「さびしい」と言って抱きつき、駄々をこねてみた。


返事は分かっていた。


優しい抱擁と、優しい口づけ。

そして、いつもの――どこか悲しげな笑顔。

そうして彼女は、仕事へ行ってしまった。


その日は、大泣きした。

「ノエルに会いたい」と叫び、屋敷中を困らせるほどに。


手がつけられないほど泣いていると、アレックスに言われた。


『ノエル様は、あなたの母親ではありませんよ』


ぴたりと涙が止まった。

そして、全力で反論した。


『ノエルは“ははおや”なんかじゃない! ぼくのおよめさんだ!』


口にして、ようやく理解した。


なぜ足りないと感じていたのか。

なぜ寂しかったのか。


自分は――母としてではなく、妻として。

対等な立場で、愛してほしかったのだと。


その後、また熱を出した。

ノエルが看病に来たとき、子供の自分なりの精一杯で、

ジル草と一緒に、感情をぶつけた。


彼女は少し困ったように笑って、

「ありがとう」と言った。


ただ受け止めてもらえただけ。

ただ、気持ちを知ってもらえただけ。


それだけで、胸が満たされていくのを感じた。

そうして、温かい気持ちのまま、いつの間にか、眠っていた。


翌朝。

頭の奥が、澄み切っている感覚があった。

熱が下がったからではない。

これまで欠けていた何かが、静かに補われたような気分だった。


彼女が部屋に来たとき、今なら整理して話せると思った。


自分はノエルの夫になりたい。

けれど、なれない。

どうすればいいのか分からない。


助けを求めるように、縋るように、言葉を絞り出した。


すると彼女は、いつだったのか思い出せない――

けれど確実に経験している、あのプロポーズの返事をくれた。


安堵した途端、意識が遠のいた。

そして再び、子供の自分が前へ押し出された。


そのときからだろうか。


妻――いや、ノエルの接し方が、はっきりと変わった。


子供の自分を母性で包むこともある。だがそれだけではない。

まだ幼い姿のままの自分を、きちんと“対等な存在”として見るようになったのだ。


自分も、癇癪を起こさなくなっていった。

ただ感情をぶつけるのではなく、

ときには照れ、

ときには突っぱね、

不器用なやり取りを重ねながら。


関係が、少しずつ『家族』の形になっていくのを、幼いながらに感じていた。


それと同時に――


頭が、ふっと澄み渡る瞬間が、たびたび訪れるようになった。

その瞬間は決まって、ノエルと共にいるときだけ。


そのときばかりは、自分の感情を、正しく言葉にできた。


子供の自分が、少しずつほどけていく感覚。


……そんな矢先だった。


愚かなことに、思い違いから見知らぬ大人に誘拐された。


だが犯人は、完全に私の地雷を踏んだ。


激昂した瞬間、魔力が暴走しかける。

そして極めつけに、何かの薬を浴び――力が、暴発した。


重傷を負った犯人に、何の感情も湧かなかった。


ただ一つ。


このことでノエルに心配をかけ、

再び“母親のように”自分を扱うようになるのではないか。


そのことだけが、不安だった。


案の定、駆けつけてくれた彼女は、大粒の涙を流す自分を見て――

怖かったから泣いているのだと勘違いした。


それを否定するだけの言語能力が、自分にはなかった。


気まずい空気のままの帰り道。

ふいに、頭が澄み渡る感覚が戻ってきた。


『私は――君の夫だ。君の、子供ではない』


はっきりと告げた。

彼女は、少しだけ目を見開き、それから頷いた。


――妻として、心配しているのだと。


言葉で伝えることは、大事なのだ。


あの一言があったからこそ、

また振り出しに戻らずに済んだのだから。


誘拐事件で魔力が溢れたことが引き金になったのか。

それ以降、思考が整理される感覚は、以前よりも頻繁に訪れるようになった。


この頃にはすでに、“旦那様”の存在を認識していた。

それが自分の一部であることも、なぜか理解していた。


身体はまだ幼いままだが、

頭の方は先に、急速に知識を取り戻していく。


だが、それをノエルに話すことはできない。

身体が戻らなければ、意味がない。


記憶はまだ断片的だったが、それでも少しずつ蘇ってくる。


そのせいか、ぼんやりとする時間が増えた。

けれど――


子供である今だからこそ、

ひたむきに、真っ直ぐに愛情を伝えられている。


ならば、この状況を活かさない手はない。


散々、彼女に悲しい思いをさせてきたのだ。


純粋な子供として抱く気持ちは、きっとこれが最後になる。


だからこそ――

伝えようと、思った。


彼女は、昔自分が大切にしていた――といっても、当時の記憶はまだ戻っていなかったのだが――絵本の背表紙を見ると、目を背けてしまうのを知っていた。

子供の自分は、その理由が気になり、逆に「何が書かれているの?」とせがんでみた。

だが、彼女はひたすらにそれを拒んだ。「他のことならしてあげられるけれど、それだけはどうしてもできない」と。


一人、ページを捲り、読み進める。

過去と現在の知識が混ざり合った今の自分には、以前は読めなかった本も、すらすらと理解できた。

指先に触れるページは、どこか馴染みがあり、昔の自分は何度もこの本を読んだのだと悟る。


物語は、今の自分は初めて読むはずなのに、なぜか懐かしい気持ちを呼び起こす。

そして――途中の挿絵に描かれたジル草は、まるで『あのとき』自分がプレゼントしたもののように見えた。


そして、最後のページ。

見開きいっぱいに描かれたジル草の花畑。

この花が、彼女と自分の心を通わせる“きっかけ”になったのだと、頭のどこかで理解していた。


多年草のジル草は、定期的に花を咲かせる。

きっと今は、満開の時期だろう。

前にこっそり見つけたジル草の咲く森へ下見に行き、その際、アレックスや他の使用人たちにも手伝ってもらい、道を整えた。


お膳立ては十分だ。

あとは、真っ直ぐ、純粋に――気持ちをぶつけるだけ。


この後、長かった自分自身との葛藤の決着、そして気持ちが通じ合う喜びが、一気に訪れるのだ。


◆◇


二年は、長いようで、短かったな――と振り返りを止め、意識を現実に戻すと、ちょうど馬車が停車した。


御者が扉を開け、ゆっくりと外へ降りる。

すると、弾けるような笑顔でこちらへ駆けてくる妻の姿があった。


「おかえりなさい! サフィール様!」


飛びつかれる、と咄嗟に身構える。

だが、さすがに大きなお腹をぶつける気はないらしい。私の目前で、ぴたりと止まった。


「ただいま。……おい、転んだらどうする。君に何かあったら、私は死ぬ」


「大げさですよ! 庭を散歩していたら、ちょうど馬車が見えたんですもの。慌てて裏から回ってきたんです。間に合ってよかったわ」


差し出した腕を、妻が取る。

ゆっくりと二人で、屋敷へ向かって歩き出す。


「今日は何をしていた?」


「午前中は薬草畑の世話をして、午後は編み物と……絵本の読み聞かせを。胎教にいいそうですよ」


「タイトルを当ててもいいか? 当たったら、ご褒美に君からキスを」


「もう……絶対に正解するじゃありませんか!」


人は、いくらでも変わるものだ。

気持ちの表し方も、人との距離も、関係の形さえも。


家族を通して、私はこれからも変わっていくだろう。

それが良いか悪いかは分からない。


だがひとつだけ――


妻、ノエルを愛する気持ちだけは、

百パーセントの自信をもって、変わらないと断言できる。



(おわり)

後日談までお付き合い頂き、ありがとうございました。

よろしければ、評価お願いします。今後の励みになります。


また、気が向いたら番外編を追加するかもしれません。

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