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08. 慕わしい:川瀬匠海は自重した

 俺……川瀬匠海が目を覚ますと、腕の中で詩音ちゃんが寝息を立てていた。

 さらさらの髪が顔に当たってくすぐったい。


 学校の制服姿で寮から出てきた詩音ちゃんを思い出す。

 俺や美海が通った公立中学とは全然違って、おしゃれな濃い紅色のジャケットに膝下丈のワンピース。本当に制服か? ってくらいおしゃれだった。服に詳しくない俺には上手い褒め言葉すら出てこなかったけど。

 髪もきれいに整えていて、少し化粧もしていた。

 俺のためにしてくれたんだと思うと、ますます何て言えばいいのかわからなくなる。

 義弟(未定)の夜だったら、きっと立て板に水の勢いで褒めまくるんだろうけど。

 でもそんな俺のしょぼい褒め言葉でも詩音ちゃんは喜んでくれて、なんかもう、かわいくて仕方ない。

 俺のスーツ姿もめっちゃ褒めてくれて、嬉しいやら恥ずかしいやら。

 レストランでも、どうしていいかわからない俺に、メニューの見方からフォークやナイフの使い方まで教えてくれた。

 かっこ悪くて仕方ないのに、それでも詩音ちゃんは


「匠海さん、かっこいいねえ」


 なんて笑う。


 ほんと、この子は俺をどうしたいんだろう。

 今は腕の中ですやすや無防備に眠っている。

 ときどき俺の背中を掴み直したり、擦り寄ったりしながら寝息を立てていた。


 つーか、詩音ちゃんはイイトコのお嬢さんだったらしい。知らなかった。

 まあ、通ってる中学がめちゃくちゃお嬢様学校だしなあ。

 それに本人がそのことに触れたくなさそうだったから、あえていつもどおりに接した。詩音ちゃんがホッとしたような顔をしていたから、たぶんそれで正解だったのだろう。


 顔を上げて時計を見ると、いつも起きる時間より少し早いくらい。

 もうちょっと寝てていいかな。日曜日だし。


「ん……朝?」

「あ、ごめん。起こした?」

「ううん、だいじょぶ。今何時?」

「六時すぎ」

「もうちょっと寝ていい?」

「いいよ」

「匠海さんは?」

「俺ももう少し寝ようかな」

「よかった。ここにいてね」

「いるよ。ちゃんといるから、大丈夫」


 詩音ちゃんはふわっと欠伸をして、また俺の胸元にすり寄って目を閉じた。

 すぐに寝息が聞こえた。

 そっと抱き直して、俺も目を閉じる。


「おやすみ、詩音ちゃん」


 返事の代わりに寝息が聞こえた。




 結局起きたのは昼前だった。

 二人でぼんやり起き上がって、順番に顔を洗って歯を磨く。


「寝過ぎた……」

「昼飯食ったら寮に送るよ」

「ぶー。もうちょっと匠海さんとゆっくりしたかったのに」

「晩飯も一緒に食う?」

「……宿題いっぱいあるから帰る」

「持ってくればよかったのに」

「次からそうする」


 むくれる詩音ちゃんの頭を撫でると、擦り寄ってきたのでつい腕の中に入れてしまう。

 あー、もう。

 この子はただ、保護者を求めているだけなんだ。

 大事にしてくれて、自分の居場所になってくれる大人を求めている子供なんだ。

 自分にそう言い聞かせて、俺は腕を離した。


「またおいで」

「うん、来る。匠海さんに彼女ができるまで来ていい?」

「いいよ。……その予定ないし」


 そう言うと、詩音ちゃんはクスクス笑った。

 いや、マジでないんだ。基礎ゼミが同じ女の子たちは半分以上彼氏持ちだし、他の子にも特に相手にされてない。

 それになにより、詩音ちゃんが美人すぎて、同じ大学の女の子を見てもまったくピンとこなくて困っている。

 ……あとは、あれだ。俺が彼女を作って、詩音ちゃんを追い出すようなことをしたくなかった。


「匠海さん、かっこいいのに」

「いつも言ってるっしょ。それ言ってくれるの詩音ちゃんだけだから」

「本当にそう思ってるんだけどな」

「はいはい。ほら、着替えて飯行こう。なんか食いたいものある?」

「何がいいかなあ。駅前歩きながら考えよう」


 詩音ちゃんは洗面所から出て行った。

 俺も歯磨きを終わらせて、洗濯を回しておく。

 彼女の着替えが終わったころに洗面所から出て、俺も着替えてから二人で外に出た。


「蒸し暑いなー」


 そう言いながらも俺と詩音ちゃんは手をつないで歩いていた。

 三月に駅前でぶつかったあの日から、俺はずっとこの子と手をつないでいる。


「ねー。もう六月だもんね。その割に雨降らないけど」

「最近、梅雨が来るのが年々遅くなってる気がするよな。そういえば、この間授業で梅酒を漬けたんだ。詩音ちゃんが二十歳になったら一緒に飲もうぜ」

「楽しみにしてる。あと六年かあ。長いなあ。……早く大人になりたいな」

「そう?」

「うん。詩音ね、自分の力で生きていけるようになりたい。矢崎のお嬢様って言われたくないから」


 それに俺は、なんと答えればよかっただろう。

 散々悩んで、駅が見えてきたあたりで、俺はようやく口を開いた。


「少なくとも俺は、詩音ちゃんのことを『矢崎のお嬢様』だって思ったことないよ。そもそも美海と夜の友達だし」

「……そっか」


 握っていた手の力が抜けたから、離れないように強く握り直した。


「昨日行ったホテルの近くに、もっとリーズナブルなホテルがあってさ。そこのレストランフロアにビュッフェがあるから、今度行こうよ」

「うん」

「あと、何年か前の夏に、詩音ちゃんと美海と夜で大崎町の遊園地に行っただろ? そこの駅近くのカフェのパスタが美味しいらしいから食べに行こう。それから、詩音ちゃんの実家の近くの飯屋も行きたい」


 詩音ちゃんが目をぱちぱちさせながら俺を見上げた。


「俺、ずっと田舎育ちでさ、都会のレストランとかカフェとか何にも知らないから連れて行ってよ」

「……詩音も、家の近くのお店ってあんまり知らないよ」

「じゃあ、一緒に開拓しよう。夏とか冬とか、一度くらいは実家に顔出すだろ? 俺も行くから、親御さんに挨拶したら、すぐ一緒に出てきちゃえばいい」


 笑って見せたら、詩音ちゃんはうつむいて、俺の腕に頭を押しつけた。


「うん……そうする」


 声が震えていて、抱きしめたくて仕方なかったけど、駅前だから自重した。

 空いている手で頭を撫でるだけにしておく。


 適当に昼を食べて、詩音ちゃんを寮まで送って別れた。


 俺はスーパーで買い物を済ませて部屋に戻る。

 とっくに終わっていた洗濯物を干した。詩音ちゃんのパジャマもあったけれど、あまり気にしないようにして干した。

 ベッドに倒れ込んでスマホを見ると、詩音ちゃんからメッセージが届いていた。


『レストランに連れて行ってくれてありがとう。スーツ姿のかっこいい匠海さんが見られて嬉しかった。また遊びに行くね』

「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう。いつでもおいで」


 無難に返してから、写真アプリを開いた。

 昨夜、部屋で撮った写真をタップする。

 スーツ姿の俺と、制服姿の詩音ちゃんが並んでいるだけの写真だ。

 帰ってきた後に撮ったから、二人とも少し疲れてはいるけれど、詩音ちゃんはやっぱりきれいで、かわいい。

 俺のネクタイが少し曲がっていて、かっこ悪かった。


 ……本当は次の約束が欲しかったけど、中学生の女の子に甘えていいかわからなくて自重した。

 何か理由があればよかったけれど、そんなものはどこにもなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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