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04. 同時:川瀬匠海は少女をつい甘やかした

 三月末、俺……川瀬匠海は実家から出て一人暮らしを始めた。

 妹とその彼氏と友達に見送られて家を出て、手続きのために親父が着いてきた。

 段ボールだらけの部屋で親父がカーテンをつけてくれて、ついでに家電の設置も手伝ってくれた。


「ありがと」

「おう。困ったら言えよ。匠海はしっかりしてるけど、でも、頼ってくれたら嬉しい」

「うん、もうしばらくは頼らせてよ」


 その後二人で近所でラーメンを食べて、親父を駐車場まで送った。

 車に乗る直前、親父は少し迷ってから俺を見た。


「あー、あのさ。詩音ちゃん、たまに様子見てあげて」

「うん。言われなくてもそうするけど」

「……ほら、春休みの間、うちにいただろ? それをあの子のばあさんがよく思ってなくてさ。詩音ちゃん、食費をうちにいれてくれてたんだよね。それを、うちが出しゃばったから、ばあさんの懐に入らなかったっつって怒鳴り込まれて」


 言葉が出なかった。

 あの子の周りの大人は、あの子をなんだと思っているんだろう。


「だから、まあ、匠海に余裕があるときだけでいいんだけどさ、よろしく」

「わかった」


 親父はひらひら手を振って車に乗り込んだ。

 車が見えなくなるまで見送った。

 部屋に戻ってシャワーを浴びる。

 ベッドは組み立ててあったから、寝転がると新しい家具の匂いがして、ちょっとテンションが上がった。

 でも疲れていたからか、目を閉じたらあっという間に寝てしまった。


 その後は二、三日かけて部屋の片付けをした。詩音ちゃんの荷物は靴箱の上に置いておく。

 四日目の朝、なんか寂しくなってスマホをいじってたらアドレス帳に詩音ちゃんの名前があった。

 スマホの上で指をさまよわせて、散々迷った末に伏せてトイレに向かった。戻ってきたら、詩音ちゃんからの不在着信が残っていた。


「タイミング悪」


 苦笑して折り返したら、詩音ちゃんはすぐに出た。


『あ、すみません、忙しかったですか?』


 慌てたような声に、つい口元が緩んだ。


「ううん。トイレ行ってただけ。なんかあった?」

『明日、寮に戻るので匠海さんの都合のいい時間を教えてほしくて』

「いつでもいいけど」


 ふと顔を上げて時計を見た。まだ朝だから、今から小崎町に行けば昼前には着く。

 詩音ちゃんと駅前で昼飯を食べて電車に乗れば、夕方には部屋に戻ってこれるな、なんて。


「詩音ちゃん、今日って美海や夜と約束ある?」

『ないです』

「寮っていつから入れるんだっけ」

『明日からです』

「……今日、迎えに行くって言ったら迷惑かな」


 スマホの向こうで戸惑ったような気配がした。

 それで我に返る。

 何言ってるんだ俺は。

 妹と同い年の女の子に甘えて。


『あの、そうなったら私はどこに泊まることになるんですか?』

「俺の部屋。親父が置いていった寝袋あるし。……ごめん、嫌だよね。無しで。えっと、明日はいつでも大丈夫。詩音ちゃんの都合のいい時間で」

『今日がいいです』


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 今日がいい? 何が?


「えっと、それは」

『匠海さんが今から小崎町に来たら、何時くらいに駅に着きますか?』

「昼前には着く」

『わかりました。荷物をまとめておきます』

「……うん、ごめん」

『何がですか?』

「わがまま言ったから」


 スマホの向こうで笑い声が聞こえた。


『匠海さんが無しにしようとしたのに、詩音が無理言ったんだよ。匠海さん、迎えに来てよ。……すみません、つい』

「……うん、行く。すぐ行くから待ってて」


 通話を切って、スマホをポケットに突っ込んだ。

 財布と鍵と上着をつかんで、部屋を飛び出した。



 電車に乗ったところで詩音ちゃんに連絡した。

 一応実家にも連絡を入れたら、母さんと美海からすぐに『おっけー』『急なんだから!』と返事が来た。

 詩音ちゃんからも


『電車が着くくらいに駅に行きます!』


 と返ってきて安心した。

 車窓を眺めると、ぼんやりとした俺の顔が映っていた。

 昨日切ったばかりの短い髪。

 新しいカミソリにちょっと負けて赤くなってる頬。

 やけに光って見える瞳。

 なんつーか、すげー張り切ってるみたいだ。

 なんでだよ。

 それを言ったら、「今日迎えに行く」って言っちゃってる時点でなんでだよって感じだけど。


 小崎町まで、いつもよりやけに長くかかった気がしたけど、やっと着いて電車から降りた。

 改札を出ると詩音ちゃんが大きく手を振っていて、その後ろから美海と夜もやってきた。


「もー、お兄ちゃん、いきなりなんだから」

「匠海さん、早くもホームシックなんだ?」

「うるせーな、二人して。ごめん、詩音ちゃん。急で」


 やかましい妹と夜を手で追い払って、詩音ちゃんから旅行カバンを受け取った。


「いえ、用意はしてあったから大丈夫です。迎えに来てくれて、ありがとうございます」

「いーよ。じゃあ、行こうか」

「はい! 美海、夜、またね。夏休みに遊びに来るから」


 詩音ちゃんが言うと、美海がしょんぼりした顔で手を振った。


「うん。絶対だよ。お兄ちゃん、何が何でも詩音のこと連れて帰ってきてね」

「またね、詩音。手紙書くから」

「ありがと、私も返事書くね」


 改札を抜けて、詩音ちゃんはもう一度二人に手を振った。

 ホームに向かうと、ちょっと悲しそうな顔をしていた。


「ごめん。俺が急に来たから、ちゃんと二人と話せなくて」

「ううん。私が匠海さんに会いたかったから」

「……あのさ」


 やってきた電車に乗り込みながら、詩音ちゃんを見た。

 彼女はこてっと首を傾げて俺を見上げている。

 小崎町に来たときに乗ったボックス席に座ると、窓の外で美海と夜が手を振っていた。

 詩音ちゃんと振り返すと、二人は嬉しそうに手をぶんぶん振り回している。

 やがて、電車が走り出して、美海と夜が見えなくなった。


「あのさ、さっき電話したとき、『匠海さん、迎えに来てよ』って言ってくれたじゃん」

「す、すみません。つい勢い余って」

「いいよ、それで。詩音ちゃんに敬語使われると、何か変な感じするし。美海はまあ妹だからだけど、夜も俺に気い遣わないし。普通に喋って」


 詩音ちゃんはしばらく俺を見て、口を開きかけては閉じ直していた。

 二駅くらい過ぎたところで、意を決したように口を開いた。


「ありがと、匠海さん。あのね、詩音、嬉しかったんだよ。匠海さんが手を引いてくれたのも、迎えに来てくれたのも。だからもう謝らないで?」

「わかった。ところで詩音ちゃん、昼飯は何がいい?」

「えっとね、じゃあ、カレーがいい」

「カレー?」

「うん。駅の近くにインドカレー屋さんがあったんだ」

「マジか、行こう」


 詩音ちゃんは嬉しそうに笑っていて、やっぱりこの子が笑顔だと安心する。

 妹や夜もそうだけど、子どもにしょんぼりされるのはどうにも苦手だった。



「お腹いっぱい! 食べ過ぎたあ」

「ナン食い放題だったから、ついあれこれ食っちまったなあ。いや、でもめっちゃ美味かったわ」

「もー無理。苦しい。匠海さん、抱っこ」

「俺も無理。屈んだら出るって」


 詩音ちゃんが笑いながら手を伸ばすから、俺はその手を取って部屋に向かった。

 小さな手がキュッと握り返してきて、思ったより力強くて、それがやけに嬉しい。

 並んで俺の部屋まで行って、二人でベッドにもたれかかって座り込んだ。


「すごい、ちゃんと片付いてる」

「頑張って片付けたんだよ。まーそもそもそんなに散らかす方でもないしさ」

「そうだよね。お家も片付いてたし、美海もきれい好きだし。ねえ、匠海さん、入学式っていつ?」

「明後日。その後は一週間くらいオリエンテーションだってさ」


 大学から送られてきた書類を引っ張り出してきた。

 詩音ちゃんは俺の手元を覗き込んで、「ふうん」と頷いた。


「忙しくなる?」

「さあ? 最初はそうでもないと思うけど」

「あのね、社交辞令じゃないんですよ」

「なにが?」


 なぜかうつむいた詩音ちゃんを覗き込むと、顔を背けられた。

 つい体を起こして追いかけたら、真っ赤な顔で睨まれて、心臓が変な音を立てた。

 ギクシャクしながら、さっきより少し距離を取って座り直す。


「ご、ごめん」

「いいけどさ、だからね、詩音言ったでしょ。『匠海さんとごはん食べるの好きだから楽しみにしてます』って。本当に楽しみにしてるからね」

「わかった。さしあたり今夜の晩飯どうしよっか」


 そう聞いたら、詩音ちゃんは眉を下げた。


「お腹いっぱいすぎて考えられない……」

「俺もだよ」


 詩音ちゃんが笑って、俺は手を伸ばさないようにするので必死だった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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