第十六話 庭園の紅茶
王宮の小さな庭園には、季節を二度跨ぐ薔薇が一輪だけ咲いていた。
ご公務の打ち合わせを終えたのは、夕方より少し前の時間だった。
その日は、夏期宮内茶会の席次案の最終確認のために、王宮の控えの間で半日ほど、書面を並べていた。王宮侍従長と、王宮事務方の文官の方が二名、ライナス殿下が一名。来賓の名簿は四百名を超えていた。茶会の席を組むには、王宮夜会よりも繊細な気の配り方が必要だった。茶会では席のあいだの距離が近いぶん、人と人との相性が、より直接に出る。
私は、四百名のうち、ご親族の確執が二代続いている家を三組、表に書き出した。表を見ながら、王宮侍従長と、席の距離を一席ずつずらして確認していった。
「ヴァランス侯爵令嬢」
「侍従長様」
「こちらの家とこちらの家の席を、卓を一つ挟んでお置きでよろしゅうございますか」
「はい。お互いに目礼の動線は外せませんが、卓を挟むことで、直接の会話は避けられます」
「承知いたしました」
ライナス殿下は、控えの間のいちばん奥の席で、王宮事務方の覚書を読んでいらした。私たちの席次の話には、口を挟まれなかった。けれど、私と侍従長の声が止まるたび、視線をこちらへ向けて、わずかに頷かれていた。
打ち合わせが終わったのは、夕方の少し前だった。
「ヴァランス侯爵令嬢、本日のご相談、ありがとうございました」
「こちらこそ、お時間を頂戴いたしました」
王宮侍従長は、書面の束を整えて、控えの間を出ていった。文官の二人も、それに続いた。
控えの間に、ライナス殿下と、私と、卓の上の紙束だけが残った。
「クラリス嬢」
殿下の声は、低かった。打ち合わせのあいだのご公務の声よりも、少しだけ柔らかい色が含まれていた。
「殿下」
「お時間を、もう少し頂戴できますでしょうか」
「はい」
殿下は、卓の脇から、小さな紙包みを取り上げた。何の包みか、控えの間からは見えなかった。
「王宮の庭園に、ご案内したい場所がございます」
「庭園に、ですか」
「王宮の北棟の側に、小さな庭がございます。控えの間の窓からは見えませんが、ご公務の打ち合わせの帰り道に、お通りいただくことができます」
「お通りいただける、ですか」
「お時間にして、十分ほどです。お疲れでなければ」
「お伺いします」
殿下は、わずかに頷いて、控えの間の扉を、ご自分の手で開けた。
廊下の侍従が、殿下の側に立とうとして、殿下の手のひと振りで、その場に控えた。
王宮の北棟は、私には初めて通る廊下だった。控えの間とは違う側の建物で、廊下の窓が低く、外の植え込みが見えるように作られていた。廊下の床は、白い石ではなく、温かい色合いの木の床だった。
「殿下」
「はい」
「こちらの廊下は、私には、初めてです」
「王宮の北棟は、ご公務の催事ではなく、ご家族の生活の側でございます」
私は、わずかに足を止めかけた。
王宮の北棟は、王家のご家族が普段過ごされる側の建物だった。ご公務の来訪者をこちらに通すのは、社交の慣例としては、限られた場面の話だった。
「殿下、私が、こちらの廊下を通ってもよろしいのですか」
「ご公務の打ち合わせの帰り道です。庭は北棟の側にしかありませんので、廊下を通っていただきます」
殿下の返事は、簡潔だった。けれど、廊下を通すことについて、ご公務の名目を、お父様の書斎の時と同じように、整えていらっしゃるのが、はっきりとわかった。
廊下の終わりに、小さな扉があった。
殿下が、ご自分の手で、その扉を開けた。
扉の向こうは、王宮の北棟の壁に囲まれた、小さな庭だった。
石畳の小道が、庭の中央に向かって、ゆるく曲がっていた。両脇に低い植え込み。中央に、小さな四阿。四阿の屋根は、白い石。柱は、細く、古い木でできていた。
四阿の中の卓のうえに、紅茶の支度が、すでに整えられていた。
紅茶のカップ、ふたつ。
ティーポットの脇に、小さな焼き菓子の皿が、ひとつ。
支度を整えた侍従の方は、四阿の入口の手前で、深く礼をして、そのまま庭の入口のほうへ下がった。
「殿下、紅茶のお席が」
「ご相談を、お庭の中でしたく存じます」
殿下は、四阿の入口で、わずかに立ち止まった。
「クラリス嬢」
「殿下」
「お庭の四阿は、私の個人の場ではございません。王宮の北棟の庭は、王家の家族と、近しいご来賓が、紅茶を召し上がる場として、長く整えられてきました。本日、こちらにご案内するのは、ご公務の慣例の範囲では、一段、外れた場でございます」
殿下の声は、ご公務の打ち合わせの声よりも、わずかに低かった。
「ご公務の話ではなく、紅茶を召し上がっていただきたく、こちらの場を選びました」
私は、四阿の入口で、しばらく立ち止まった。
四阿の中の卓のうえに、湯気を立てている紅茶のカップが、ふたつ。
殿下は、私の返事を急がせなかった。
ご公務の場の慣例から、一段外れた場。
その意味を、私は、四阿の入口で、しっかり受け止めた。
「殿下」
「はい」
「紅茶を、頂戴いたします」
私は、四阿の中に、一歩、足を進めた。
殿下は、四阿の中の卓の、向かいの席に、わずかに先に腰を下ろされた。私の席を、殿下の向かいに、整えてくださっていた。
紅茶は、まだ熱かった。
ティーポットの脇に、小さな紙包みが、ひとつ置かれていた。先ほど、控えの間の卓の脇で、殿下の手元にあった包みだった。
私は、紅茶のカップを、両手で取り上げた。
紅茶の湯気が、私の頬のあたりまで、ゆっくりと上がってきた。
「殿下」
「はい」
「庭の薔薇が、一輪だけ咲いていますね」
四阿の窓の脇、低い植え込みの中に、白い薔薇が、ぽつりと一輪、咲いていた。
「夏のはじめに咲きそびれた花でございます」
「咲きそびれた、ですか」
「春の終わりに、蕾のままで、一度、休んだのです。咲く時期を、自分でずらしたようでございます」
殿下の声には、わずかに笑いの色があった。
私は、紅茶のカップに一口、口をつけた。
紅茶は、味がよかった。温かさが、口の中から、お腹のあたりへ、ゆっくりと降りていった。
四阿の中で、しばらく、お互いに何も言わなかった。
殿下は、紅茶のカップを、両手で持っていらした。両手を温めるための持ち方だった。
「クラリス嬢」
「殿下」
「お疲れではありませんか」
殿下の声は、控えの間で打ち合わせをしていた時の、ご公務の声ではなかった。お父様の書斎で「家のお考えを伺い」されていた時の声でもなかった。
普段の声よりも、少しだけ低かった。
「ご公務は、無理のない範囲で続けております」
「ご公務ではなく」
殿下は、紅茶のカップを、卓のうえに軽く置いた。
「クラリス嬢、ご自分の体のことで」
私は、紅茶のカップを、両手で握り直した。
紅茶の温かさが、両手のひらの中で、わずかに揺れた。
「殿下」
「はい」
「大丈夫でございます」
殿下は、私の顔を、ゆっくりとご覧になった。
「クラリス嬢」
「はい」
「あなたの大丈夫を、私は、もう二年以上、見ております」
四阿の中の空気が、わずかに止まった。
殿下は、卓のうえの紅茶のカップを、両手のあいだに、もう一度置かれた。
「二年前の春の夜会で、控えの紙の上に、お礼を一筆返したあと、私は、ヴァランス家のお父様のお名で王宮に来てくださっていたあなたの仕事を、年に四度、見ておりました」
「殿下」
「夜会の終わりに、控えの間で、紅茶のカップを置かれる位置。席の終わったあとで、疲れの色を、顔に出さない癖。馬車寄せまで、背中をまっすぐにして歩く姿」
殿下の声は、控えの間で頂戴したご公務の書きの言葉よりも、はるかに静かだった。
「あなたが大丈夫とおっしゃるのを、私は、二年以上、聞き続けてきました」
私は、紅茶のカップに目を落とした。
紅茶の表面が、四阿の入口から差し込む夕方の光で、わずかに揺れていた。
「殿下」
「はい」
「私は、自分の仕事を、王宮の側で、誰かが見ているとは、思っておりませんでした」
「はい」
「自分一人で、席の仕事を、整えているのだ、と、ずっと思っておりました」
「はい」
「殿下の覚書の意味を、控えの間で頂戴した晩に、初めて存じ上げました」
「はい」
「殿下の覚書の意味を、知らないままで、私は、自分一人で、三年、続けていたのでございます」
紅茶のカップの中で、ゆっくりと湯気が消えていく。
「殿下」
「はい」
「疲れて、おりました」
私の声は、四阿の中で、自分でも、小さく聞こえた。
「三年、ずっと、疲れておりました」
「クラリス嬢」
「席の仕事は、好きでございました。紙の上で、席を整えていく時間は、今でも好きでございます。けれど、席を整えても、整えても、一年分整えて、ロベルト様の机の上にお運びしても、ロベルト様は、それを、一度も開かないままでいらした」
「はい」
「ロベルト様のお気持ちの中で、私の席は、整える紙のうえだけの席だった、ということが、公爵閣下のお越しの日に、ようやく、私の胸の中で、はっきりと分かりました」
殿下は、何も言われなかった。
紅茶のカップを、両手のあいだに持ったまま、私の話を聞いていらした。
「殿下」
「はい」
「席を整えるのが、辛うございました」
「はい」
「整えても、整えても、見ていらっしゃらない方の席を、続けて整えるのが、辛うございました」
私は、紅茶のカップを、卓のうえに軽く戻した。
四阿の窓の外で、白い薔薇が、夕方の風で、わずかに揺れていた。
「殿下」
「はい」
「殿下が、王宮の控えの紙の上で、覚書を見つけてくださっていたことが、私が一人だけの席の仕事ではなかったのだと、教えてくださいました」
「クラリス嬢」
「ありがとうございます」
私は、頭を、わずかに下げた。
殿下は、紅茶のカップを、卓のうえに置いた。
「クラリス嬢」
「殿下」
「お礼の言葉は、私の側から申し上げる立場でございます」
「殿下」
「あなたの三年の仕事で、王宮の催事の整いが、一段変わりました。それは、王宮事務方の書きの記録に、はっきり残っております。私から、お礼を申し上げるのが、本来の順番でございます」
殿下は、卓のうえの紙包みを、手に取った。
「クラリス嬢、包みを、ひとつ、お預かりください」
「包み、ですか」
「ご公務の品ではございません。私の個人の側からの品でございます」
殿下は、紙包みを、卓越しに、私のほうへ滑らせた。
「お受け取りいただくのは、ご自由でいらっしゃいます。お断りいただくのも、ご自由でいらっしゃいます」
私は、紙包みを、両手で取り上げた。
軽い包みだった。指の下に、ほんの少し、硬いものの感触があった。
「殿下、開けてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
私は、紙包みを、ゆっくりと開いた。
中には、小さな銀の缶が、ひとつ、入っていた。
缶の蓋に、模様の入っていない、ただの銀の缶。蓋の縁だけが、わずかに磨かれていた。
私は、缶の蓋を、軽く開いた。
中には、紅茶の茶葉が、ひと包み分、入っていた。
「殿下」
「王宮の北棟の庭の、小さな池のあたりに、年に二度、白い羽根の鳥が、羽根を落としていきます」
「殿下」
「その羽根とは別に、お庭の北の隅に、小さい茶の木がございます」
「茶の木が、ありますのですか」
「はい」
殿下の声は、いつもどおり、低かった。
「先代の王太子のおいでで、お母様が試しに植えられた木でございます。今では、お庭師が、年に二度、小さく摘んで、王家の家族の側で、お茶として召し上がる程度の量でございます」
「殿下」
「クラリス嬢、お疲れの時、お一人で召し上がっていただきたく存じます」
「殿下」
「一人で召し上がるのは、王宮の側ではなく、ご家の台所の側で、楽になさるためでございます」
私は、銀の缶を、両手のうえで、軽く持ち直した。
缶の蓋を、ゆっくりと閉じた。
蓋を閉じる音は、四阿の中で、小さく響いた。
「殿下」
「はい」
「お受け取りいたします」
殿下は、わずかに微笑された。
「ありがとうございます」
「殿下のお気遣いに、ひとつだけ、お返ししてもよろしゅうございますか」
「はい」
「殿下が、私が疲れを長く続けていたのを、見ていてくださったことに、感謝いたします」
「クラリス嬢」
「私が、疲れを、誰かに口に出して伝えるのが、初めてでございました」
殿下は、深く頷かれた。
「クラリス嬢」
「はい」
「これから先、疲れを、口に出していただく相手が、ご家の方、家令、お母様、お父様で、増えていきますように」
「殿下」
「私を、その方々のうちの一人に、加えていただければ、光栄に存じます」
殿下の声は、四阿の中で、短く落ちた。
私は、銀の缶を、両手のうえで、軽く握り直した。
「殿下」
「はい」
「殿下を、一人に加えさせていただきます」
殿下は、もう一度頷かれた。
それから、紅茶のカップを手に取られた。
私も、紅茶のカップを、もう一度手に取った。
紅茶の温かさは、まだ、両手の中に残っていた。
「殿下、ひとつだけ、伺ってもよろしゅうございますか」
「はい」
「殿下が、私を、控えの間でお呼びの時、初めのころは、ヴァランス侯爵令嬢、と呼んでいらした」
「はい」
「次に、クラリス嬢、と呼んでいらっしゃいます」
「はい」
「呼び方が変わったのは、何かございましたか」
殿下の口元が、わずかに笑った。
「クラリス嬢」
「はい」
「あなたが、控えの間で紅茶を召し上がっていた晩に、私は、ヴァランス侯爵令嬢の呼び方を、一度止めました」
「お止めに、なられたのですか」
「あなたが、ヴァランス家の令嬢としての席で紅茶を召し上がっていた三年が、一段、終わるのが見えました。クラリス嬢、と呼ぶのが、席として正しい、と、私は考えました」
「殿下」
「クラリス嬢、と呼ぶのが、今のところ、私の側の呼び方でございます」
私は、深く頷いた。
殿下が、控えの間で「クラリス嬢」と呼び方を変えた晩の意味を、私は、今、自分の中で、ようやく受け止めた。
殿下が、席の呼び方を、一段ずつ整えていらっしゃる。
ご公務の席で、ヴァランス侯爵令嬢の呼び方は、別の呼び方になっていた。クラリス嬢の呼び方は、今、席の名の呼び方になっていた。
その先の呼び方の段が、いつか来るかどうかは、今は分からなかった。
けれど、今のところは、クラリス嬢の呼び方で、止まっていた。
「殿下」
「はい」
「クラリス嬢の呼び方、お受けいたします」
殿下は、深く頷かれた。
四阿の中で、紅茶のカップの湯気が、ゆっくりと薄くなっていった。
夕方の風が、四阿の柱のあいだを、軽く通り抜けた。
白い薔薇が、一輪、また、わずかに揺れた。
「殿下」
「はい」
「薔薇が、咲く時期を、自分でずらした、とおっしゃいましたね」
「はい」
「咲く時期を、自分でずらした花が、私には、初めてでした」
「咲きそびれた、と、庭師が、長く呼んでいらしたのです」
「殿下が、今、咲きそびれた、とはおっしゃいませんでした」
殿下の口元が、わずかに笑った。
「咲きそびれた、と呼ぶのは、花にとっては、不当だったかもしれません。咲く時期を、自分で決めたのだ、と呼ぶのが、正しいのかもしれません」
「殿下」
「一人前の方が、咲く時期を、自分で決めるのは、ひとつのお手本の形でございます」
殿下は、紅茶のカップを、卓のうえに、ゆっくりと置かれた。
「クラリス嬢」
「はい」
「疲れを、口に出してくださり、ありがとうございました」
「殿下、こちらこそ、紅茶を頂戴いたしました」
私は、卓のうえの銀の缶を、両手のうえに軽く持った。
四阿の入口で、王宮の侍従が、わずかに控えていらした。お帰りの時間の合図だった。
殿下は、先に席を立たれた。
四阿の外で、お庭の小道の側に立たれて、私の退出を待ってくださっていた。
私は、卓のうえの紅茶のカップを、両手で取り上げた。
紅茶は、すでに冷たくなっていた。
それでも、両手のひらに、まだ、紅茶を持っていた頃の温かさが、ほんの少し残っていた。
私は、紅茶のカップを、軽く、卓のうえに戻した。
四阿の外に、一歩進んだ。
殿下は、私の側ではなく、お庭の小道の側で待っていらした。
「殿下」
「はい」
「お帰りの馬車の席まで、お送りくださいますか」
「お庭の入口まで、ご一緒申し上げます。馬車の側は、王宮の侍従が送ります」
「ありがとうございます」
殿下は、お庭の小道を、一歩、先に歩かれた。
私は、銀の缶を、両手のうえに軽く持ったままで、小道を、続けて歩いた。
お庭の入口で、王宮の侍従が、深く頭を下げて、私の側に立った。
「クラリス嬢」
「殿下」
「お気をつけてお帰りなさい」
殿下は、お庭の入口で、わずかに頭を下げられた。
「殿下、こちらこそ、紅茶を頂戴いたしました」
私は、深く頭を下げた。
王宮の侍従の案内で、お庭の入口を出た。
廊下の側で、一度だけ振り返った。
四阿の側で、殿下が、まだ、お庭の小道の側に立っていらした。
ひとつ、頷きを、お互いに交わした。
それから、私は、廊下を進んだ。
王宮の馬車寄せまで、歩く道のあいだ、両手のうえの銀の缶の重みを、自分の中で確かめていた。
ご公務の紙の重みでもなく、社交事業の覚書の紙の重みでもなく、一人で、自分の台所で、紅茶を召し上がるための、小さな銀の缶の重みだった。
帰りの馬車の中で、銀の缶を、膝のうえに軽く置いた。
馬車の席に、ようやく腰を深く下ろした。
紅茶のカップを、自分で淹れて、一人で召し上がるのが、今夜、始まる。
ヴァランス家の台所で、お母様のお湯の沸かしを借りることになる。
お母様が、ひと言、何かをおっしゃるかもしれない。
お父様が、笑われるかもしれない。
家令が、ひと言、頷きを入れてくれるかもしれない。
馬車の車輪の音が、王都の石畳の上を、規則正しく響いていった。
王宮の馬車寄せの石畳が、夕方の遅い光の中で、わずかに濡れたように光って見えた。
ヴァランス家の門が見えてきた頃には、夕方の空気が、ようやく深くなっていた。
両手のひらの中で、紅茶を持っていた時の温かさが、まだ、ほんの少し残っていた。
庭園を出るとき、私の手の中で紅茶のカップはもう冷たくなかった。
その温かさは、一人で召し上がる紅茶として、ヴァランス家の台所で、もう一度温め直されようとしていた。




