第十二話 招待状の動き
机の上の招待状が積み重なる速さに、私自身が驚いていた。
王宮夜会から、ひと月が経っていた。
その朝、家令が私の書斎に運んできた銀の盆の上には、五通の封筒が並んでいた。封蝋の家紋は、それぞれ違っていた。伯爵家、別の伯爵家、子爵家、辺境伯家、そして王都の中央にある侯爵家。
「お嬢様」
「ありがとう」
「本日は、五通頂戴いたしました」
「五通」
「先週は三通、その前の週は二通でございました。お預かりしてからのひと月で、合計十一通でございます」
家令の声は、淡々としていた。けれど、その淡々とした口調そのものに、わずかに重みが含まれていた。
私はお盆の上の封筒を、一通ずつ、卓の上に並べた。
差出人は、いずれも、私と直接親しいというわけではない家ばかりだった。けれど、ヴァランス家とは長く付き合いのある家だった。お父様の社交圏で、お互いの催事に出かけ合う家。私の名が、それらの家から直接に届くようになったのは、私の覚えている範囲では、初めてのことだった。
「お嬢様、お父様より、ひと言、お預かりしてございます」
「お父様から?」
「『今朝、ヴァランス家の客人帳に、新しい頁を増やしておくように、家令へ伝えなさい』と」
私は軽く頷いた。
それから、五通の封筒を、封蝋の家紋を確かめながら、机の上で並べ直した。
伯爵家の春の茶会へのご招待。
別の伯爵家の、ご令嬢のご婚約祝いの集まりへのご招待。
子爵家の、新しい屋敷お披露目のご招待。
辺境伯家の、王都滞在中の小夜会へのご招待。
侯爵家の、若き貴婦人方の歌会へのご招待。
これらの招待は、いずれも、私を「ヴァランス侯爵令嬢クラリス殿」として、個別に招いてくださっていた。
つい先日まで、私あての招待状は、ロベルト様の婚約者として、モンフォール公爵家とお互いに調整したうえで届くのが慣例だった。それが、私の名だけで招いてくださる形に、ひと月で十一通、変わっている。
私は書斎の卓のいちばん奥に、別のお盆を引き寄せた。
そこには、王宮事務方からの正式な書面の控えが、束で積まれていた。先日の王宮夜会の運営担当の正式な記録と、次回の夏期宮内茶会へのご公務継続の書きが、すでに届いていた。
ご公務として、王宮の側に私の名が記録された。それが、社交界へ静かに伝わっていく速さを、私はこのひと月で、肌で感じていた。
「お嬢様」
「はい」
「お返事の書きは、いつもの段取りで、家令の側で作ってもよろしゅうございますか」
「お願いします。返事の方針は、私のほうから家令にお伝えします」
「承知いたしました」
家令は、銀のお盆を片付けて、書斎を出ていった。
書斎の窓の外で、春の光が、お庭の植え込みの上に長く伸びていた。
午後になって、お父様の書斎へ伺うと、お父様も、私と同じように、机の上に書状の束を並べていらした。
「クラリス」
「お父様」
「お前あての招待状の件、家令から伺った。ひと月で十一通だな」
「はい」
「私の側にも、別の知らせが届いている。今朝までで、わかっているところを、お前にも伝えておく」
お父様は、机の上の書状の束のいちばん上から、二通を引き寄せた。
「これは、公爵家の側から、私の社交圏の親しい家に届いた招待の控えだ。我が家とは、直接やり取りはない。ベルナール伯爵家の長女が、私のところへ、写しを送ってくれた」
「ベルナール様が」
「ああ」
お父様は、その二通の写しを、私のほうへ滑らせた。
「公爵家の春の茶会と、初夏の社交集まり。どちらも、当初の招待を、辞退する家が出始めている」
「辞退、ですか」
「二件だ」
お父様の声は、低かった。
「ベルナール伯爵家の長女と、もう一軒、別の伯爵家。両家とも、ご当家のご都合を理由に、丁重な返しを送られた」
私は、その二通の写しを、ゆっくりと目で追った。
「家中の事情により、誠に勝手ながら、本年は欠席させていただきます」
「貴家のお招きに、心よりの感謝を申し上げつつ、本年は、わたくし共のお席を、控えさせていただきたく存じます」
いずれも、礼を欠かない書きだった。けれど、辞退の理由は曖昧で、本当の事情を読み取ることは、社交界に長くいる者なら、すぐにできるものだった。
「お父様」
「うん」
「ベルナール家は、ご令嬢のお席の件で、先日の公爵家の茶会を、忘れていらっしゃらないのでしょう」
「だな」
「もう一軒は、どちらの伯爵家ですか」
「カランド伯爵家だ」
「カランド様」
私は、その家のご当主の顔を思い出した。
カランド伯爵閣下は、社交界では中央の方ではなく、静かに席に出られる方だった。けれど、ご令嬢方への贈答の格付けにはお厳しい方で、ご家のご当主夫人が、その評価をいつも丁寧に書きとめていらっしゃると、社交界では知られていた。
先日の公爵家初夏の茶会で、贈答の格をリーゼ様のために一段上げた、という話を、第七話で公爵家の侍従頭からお預かりしていた。あのときの贈答の取り違えの記録が、カランド伯爵家のご当主夫人の覚書に、たぶん残っている。
「贈答記録の件と、ベルナール家の長女の席の件と、二つが、別々の家から、別々の形で、ご辞退の理由になっている」
「お父様」
「ひと月で、二件だ。社交界の家の動きとしては、ゆっくりだが、確かにひとつの方向を向いている」
お父様は、書状の写しを、机の上で軽く揃え直された。
「クラリス」
「はい」
「お前の側に届いた十一通と、公爵家の側で生じた二件の辞退と、合わせて十三件だ。ひと月で、社交界の動きが、十三件分、形を変えている」
「お父様」
「お前のひと月の名簿を、ヴァランス家の客人帳に、丁寧に書き残しておきなさい。お前が将来選ぶ席のために、それは、お前の手の中の地図になる」
「承知いたしました」
私はお父様の書斎を後にして、自分の書斎へ戻った。
その日、家令と一緒に、客人帳の新しい頁を作った。
頁の左の段に、お招きくださった日付。中央に、ご当家の名前。右の段に、返事の方針。
書きながら、私は、社交界というものが、人ではなく、家と家のあいだに引かれる細い糸でできている、という当たり前のことを、改めて感じていた。
その糸は、目には見えない。けれど、招待状の数と、辞退の数で、確かに、糸の張り具合が変わっていく。
公爵家の側で、その糸が、わずかにゆるんでいる。
ヴァランス家の側で、その糸が、わずかに新しく張られていた。
夕方、書斎の窓辺で客人帳を閉じたとき、家令がもう一通、封筒を運んできた。
「お嬢様」
「ありがとう」
「王宮からの便でございます」
「王宮、ですか」
「ご公務の書きでは、ございません。別の便でございます」
家令はそう告げた。
王宮からの別の便、というのは、ライナス殿下からのお手紙だった。
私は封筒を受け取った。
封蝋は、王宮事務方の正式な印ではなく、小さい王家の私印だった。けれど、これまでにライナス殿下からヴァランス家に届いた便と、同じ形のものだった。
私は書斎の机の上で、封蝋を割った。
中に入っていたのは、一枚の便箋だった。
王宮夜会のご公務に関する打ち合わせの予定が、本文として書かれていた。次回の夏期宮内茶会まで二ヶ月ある。そのうちに、王宮事務方の側で席次案の準備を進めたい。ヴァランス家の書斎にお預けの規定の写しに、追加で十数頁、王宮の事務方の控えを織り込みたい。ご都合のよい日に、王宮の控えの間で打ち合わせをお願いしたい。
そう書かれていた。
ご公務の打ち合わせの文面としては、いつもの形だった。
けれど、便箋の最後に、もう一行、追加されていた。
「別の話として、ひとつだけ。
このひと月、社交界の側で、あなたあての招待が、ゆっくりと積み上がっていることを、王宮の側からも、わずかに伺っております。
お返事の段取りを、ご無理のないお席で、お決めくださいませ。
ご公務の席の務めを、ご無理のうえに重ねていただくのは、王宮の側として、本意ではございません。
お疲れではありませんか。
ライナス・グレオール」
私は、その最後の一行を、二度読み返した。
「お疲れではありませんか」
短い言葉だった。
王宮の事務方を通じての書面ではなく、私あての別の便で、王宮の家紋ではない私印で押されたお手紙の、いちばん最後の行に置かれていた。
書斎の窓の外で、夕方の光が、ヴァランス家の植え込みの上を、ゆっくりと滑っていった。
私は、便箋の最後の行に、もう一度、目を落とした。
「お疲れではありませんか」
この一行の前に書かれた、ご公務の本文は、王宮事務方を通じてやり取りされるべき内容だった。それを、わざわざ、別の便で、お手紙の形にしてくださっている。
ご公務の本文は、たぶん、口実だった。
殿下は、ご公務の話を本筋にしながら、最後の一行で、私の様子を尋ねてくださっている。
私は、便箋を、机の上で丁寧に折りたたんだ。
それから、ヴァランス家の家の手紙用の便箋を、引き出しから取り出した。
書く前に、しばらく窓の外を見た。
ひと月で十一通の招待。
公爵家の側での二つの辞退。
王宮からのご公務継続の書き。
そして、ライナス殿下からの、別の便の、最後の一行。
私の三年は、社交界の側で、わずかずつ、報われ始めていた。
けれど、私の中の何かは、まだ、報われ始めたばかりだった。
私は、便箋にペンを置いた。
「ライナス殿下
ご公務の書き、たしかに頂戴いたしました。
夏期宮内茶会のご準備の話は、家令を通じて、王宮事務方の窓口で日程をご相談いたします。来週のうちに、ご返事の書きを返します。
別の話、ありがとうございます。
このひと月のあいだに、招待の書きが、ヴァランス家にも増えております。返事の段取りは、お父様と相談しながら、無理のない範囲で進めております。
王宮事務方のご公務も、お疲れにならない範囲で続けたく存じます。
殿下のお気遣いに、お礼を申し上げます。
クラリス・ヴァランス」
書き終えてから、もう一度、便箋を上から下まで読み直した。
ご公務の本文の側は、丁寧に。
別の話の側は、短く、けれど、お気遣いを頂戴したという気持ちを、はっきり残した。
殿下が「お疲れではありませんか」と尋ねてくださった言葉に、私は、まだ「お疲れでございます」とは書けなかった。
書斎の卓の上の客人帳。
公爵家の側での辞退の写し。
王宮からのご公務の書きの控え。
そして、殿下からのお手紙。
書斎の机の上には、ひと月の私の名簿が、紙のままで積まれていた。
私は、便箋を封筒に入れて、家令に預けた。
「家令」
「はい」
「殿下あての返しは、ご公務の便とは別の便で、お送りしてください」
「いつもどおりに、別便で」
「お願いします」
家令は深く頷いて、書斎を出ていった。
その夜、母と父との夕食の卓で、お父様はもうひとつだけ、話をくださった。
「クラリス」
「はい」
「明日、公爵家から、私あてに、公爵家の侍従頭を通じて、面会の申し入れがあった」
「公爵閣下から?」
「ああ」
私は、紅茶のカップに伸ばしかけた手を、止めた。
「いつ、お越しになりますか」
「明日の午後、ヴァランス家へ、公爵閣下自らがいらっしゃる」
「公爵閣下ご自身が、ですか」
「ああ」
お父様の声は、いつもより低かった。
「公爵閣下は、私の書斎ではなく、応接室で、お会いしたいとのご希望だ。私と、クラリスの、二人でお会いする」
「公爵閣下が、私と一緒に、ですか」
「ああ」
お父様は、紅茶のカップを、軽く卓に戻された。
「明日の話し合いの中身は、私からは、まだ話せない。ただ、公爵閣下は、ご当家からの正式な動きとして、ヴァランス家にいらっしゃる。クラリス、お前は、明日、応接室で、ヴァランス家の令嬢として、私の隣に席につきなさい」
「承知いたしました」
母が、わずかに眉を寄せて、お父様の顔を見ていらした。
母は何もおっしゃらなかった。けれど、母の顔の色で、明日の席が、社交界の慣例から、わずかに外れた席であることが、私にも伝わった。
公爵閣下ご自身がヴァランス家へ、ご公務でも社交の催事でもなく、面会のためだけにいらっしゃる。
社交界の慣例で、それは、お謝りの形のひとつだった。
「お父様」
「うん」
「明日のお席は」
「明日の席は、明日の応接室で、お前自身で聞きなさい」
お父様の声は、それ以上のことはおっしゃらなかった。
その夜、書斎に戻った私は、客人帳の新しい頁の脇に、明日の日付を、軽く書き込んだ。
日付の脇には、まだ、何も書かなかった。
明日、何が起きるか、私には、お父様のお言葉で、ようやく半分だけ、見当がついていた。
私は、書斎の卓の上の便箋を、もう一度揃え直した。
ライナス殿下からの便の最後の一行が、まだ、紙の上に残っていた。
「お疲れではありませんか」
私は、その紙を、机の引き出しの中に、丁寧に収めた。
夜が更けていく音は、ヴァランス家の廊下のいちばん遠いところで、家令の最後の見回りの足音と重なって、ゆっくりと消えていった。




