5-4
この村で目覚めてから、ずっとフワフワしている。
正確には、ここにくる途中から。街から村への道を歩いている時から、どこかおかしかった。
オレはフェリクスだ。テオではない。
父親と村を歩いた記憶なんてないし、母親と料理をした記憶もない。
こんな景色、初めて見るのに、何を見ても懐かしい気持ちになる。
オレの記憶が塗り替えられていく。
夢を見た。
顔はよくわからないが、父親と母親だということはわかる。
父親は上機嫌に笑っており、肉を食べ、酒を飲んでいる。机の上にはご馳走がいっぱいで、オレも夢中で食べる。母親もおいしそうに食べている。
こんな日は長くは続かない。そうわかってはいるが、今はとても満たされていて、幸せだ。
目を開くと、夢はうたかたのように消えていく。
オレは父と会うことなんてほとんどなかったし、母ともあまり会わせてもらえなかった。一緒に食事をしたことなんて、一度もない。
村を歩くと、母親と手をつないで歩いたことを思い出す。
家を見ると、ここに住んでいたことを思い出す。
ここで毎日、母親と暮らしていた。一緒に食事をして、一緒に眠って。
見覚えのある机や壁。
母親の姿が、陽炎のように揺らめいて家の中を満たしていく。
違う。
母は、オレが五歳の時に亡くなっている。
そんな思い出は存在しない。
テオの家を出て、ユウトと少し話をする。
家の中は何もなかった。誰かが持っていったか、売られたか。
「ユウト、あの人たちに、テオの家の物がどうなったか聞いてきてくれ」
そう言うと、ユウトは困ったような顔をする。
「……俺が?」
「オレはあの人たちとどんな関係だったかわからないし、聞くわけにはいかないだろ」
自信のなさそうな、怯えたような顔。ユウトはよくこの顔をする。
鏡の中の自分が、とても不安そうな表情になっているような、不思議な感覚だ。
オレは、こんな顔はしなかったはずだ。
「わ、わかった」
ユウトは洗濯をしている女性の所へ歩いていく。
何か、わかるだろうか。
冒険者ギルドでこの村の名前を見た時、帰りたいという気持ちがあふれてきた。
母親に会いたい。あの家に戻りたい。
今ならまだ何か残っているかもしれないと、ここに来てみたが。やめておけばよかった。
今すぐにでも、この村を去りたい気分だ。
ユウトを見守っていると、一人の少女が近づいてくる。
テオと同じくらいの年の黒髪の少女。昨日会った村長の娘だ。
テオは名前を知っているはずだが、あの時は名乗らなかったし、オレにはわからない。
「テオ、まだいたんだ」
彼女に冷たい声で話しかけられると、とても嫌な気持ちになる。
「あんたの家、なんにもないでしょ。ボロい家。もうすぐ壊れちゃうわよ」
テオの家を見ながら、オレに絡んでくる。
うっとうしいが、テオらしくないことを言うわけにはいかない。どう対応するのが良いだろうか。
「……そうだな」
ひとまず同意しておく。
「なによ! 冒険者なんてあんたには無理に決まってる。どうせなんにもできないわよ」
甲高い声で騒いでいる。
村長の娘は、少しサイズの大きいワンピースに、薄い黄色のストールを羽織っている。その胸元に、キラリとブローチが見えた。
小ぶりで、緑色のガラスがはめ込まれたブローチ。
夢で見た、幸せそうな母親の胸元にあった緑色の光。父親がいる時には、いつも付けていた。
「……その、ブローチ」
オレがその胸元を指差すと、彼女は見せびらかすように胸を張る。
「ブローチ? これ、素敵でしょ。お父さんの棚の奥に落ちてたから、借りたの」
「ちょっと、見せてくれないか」
「イヤよ」
テオの母親の物かはわからないが、似ていると思う。
ただ似ているだけの物なのか。村長がテオの家にあった物を持っていったのか。
大して高そうには見えないし、売ってほしいと言ったら、承諾してくれるだろうか。子供に交渉するわけにもいかないし、ユウトとこの子を連れて村長の所に行くしかないか。
「そのブローチのことを村長に聞きたいんだけど、一緒に来てくれるか?」
「イヤよ! あんたなんか、サッサと出ていけばいいのよ」
彼女はそう言って、走っていってしまう。
オレが元の姿だったら、優しく微笑んで話しかければ、大抵の女性は素直に聞いてくれたのだが。
彼女は村の柵を乗り越え、行ってしまう。一部の柵が壊れているようだ。
そんなに遠くには行かないだろう。もう一度、説得してみるか。
オレは彼女の後を追って、柵を越えた。
昨日の雨のせいだろうか。地面はぬかるみ、走りにくい。
林の中で、彼女を見失った。
あの子とテオがどんな関係だったのか、わからないが、オレも彼女を苦手だと感じる。話は聞いてもらえないかもしれない。
辺りを探していると、ズズッと何かが滑るような音が聞こえた。バキバキと、木が折れるような音もする。
音のする方へ向かうと、木が倒れ、地面に穴が開いている。開口部は三メートルくらいだろうか。
「誰か、助けて!」
村長の娘が地面から上半身だけ出ている状態で、必死に叫んでいる。両手で何とか踏ん張っているが、ズルズルと後ろに下がっていく。
とっさに近づいて手を取ってしまった。
以前のオレなら、この子くらいの重さは片手で引き上げられただろう。魔法で地面を安定させたり、筋力を補強してやれば、簡単に助けられたはずだ。
でも今は違う。ただ手を掴んだだけ。引っ張ってみても、まったく動かない。
地面は柔らかくぬかるんでいるため、少しも抵抗できず一緒にズルズルと穴に落ちていく。
穴は垂直ではなく、急な斜面になっていた。
この角度のまま滑り落ちるなら、なんとかなるかもしれない。底もそれほど深くはなさそうだ。
「イヤァー! 落ちる。助けて!」
彼女は取り乱し、叫び続けている。
手を強く握り、こちらに意識を向けさせる。
「落ち着いて。大丈夫だから。もうすぐ、足がつくよ」
できるだけ優しい声音で話しかける。
彼女はオレの言葉に驚いたような顔をして、叫ぶのをやめた。
直後、ズザーッと滑る。彼女の上にならないよう、なんとか体をずらす。
すぐに底に着く。高さは二メートルくらいだろうか。
二人とも泥まみれだ。
どうやら地面の下にできていた空洞の、天井部分が崩れたようだ。昨日の雨で、緩くなっていたのだろう。
オレたちが落ちた部分は急な坂になっているが、ドロドロで登るのは無理そうだ。
村長の娘は、泥の上にへたり込んでいる。
「どこか痛めたのか?」
彼女に話しかける。
「別に、大丈夫よ」
そう言って立ち上がり、足についた泥を落としている。
「あんた、助けられないのね。ほんと、使えない男」
悪態をついてくる。
助けられなかったのは事実だが、そこまで言わなくてもいいと思うんだが。
オレは肩にかけたままのカバンから、タオルを取り出し彼女に渡す。
「顔くらい拭くといい」
彼女はタオルを受け取り、ポカンとした顔でオレを見ている。
「あんた、ほんとにテオ?」
しまった。テオらしくなかったか?
「昨日だって、全然言い返してこなかったし」
言い返すのが正解だったのか。めんどくさいな。
「オレは、冒険者になったんだ。あの頃とは違うんだよ」
昔のテオを真似るより、大人ぶって言動を変えたことにしよう。
「なに言ってんの? バカじゃない?」
「……いいから、顔を拭け」
だんだん泥が乾いて取れにくくなっている。
渡したタオルを取り上げ、そっと顔を拭いてやる。髪に付いた泥も丁寧にぬぐう。
こんなものかと思い彼女の顔を見ると、真っ赤になっていた。
「顔が赤いよ。熱でも出た?」
そう言って、彼女の頬を触りそのまま首筋に手のひらを添わす。
「ない! 熱なんてないから」
彼女はそう言い、オレの胸元をグイッと押して体を離す。恥ずかしそうにうつむいている。
さて、どうしようか。
ユウトはオレを探しているだろう。ここにいることに、気づいてくれるだろうか。




