表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第3章 混沌と狂気
56/81

改訂呼吸

学院から届いた改訂案は、紙に印刷すると拍子抜けするほど薄かった。

条件分岐と上限値と、責任の所在を医療監督へ寄せるための文言。都市の文章。


位相整流室の空気は、薄い金属臭がした。抑制環の温度が上がっている。


制御主任が眉間に皺を寄せたまま言う。


「“本人が戻す前に外側が戻す”……つまり、先回りで再固定を掛ける。そんなことをしたら、志乃さんの操作感が崩れる」


医療監督が淡々と返した。


「崩れるのは操作感だけで済みます。崩れるべきは、身体のほうです。身体が先に崩れる兆候が出ている」


志乃は椅子に座ったまま、指先を見た。

昨夜から、握り込む癖が抜けない。抜けないことを直そうとして、また力が入る。


直す、という行為がすでに微修正だ。


三条は改訂案の末尾を指で叩いた。


「監査が来る前に、これを“医療監督判断枠”で走らせる。記録は全部残せ。名目は負荷軽減。実態は、解除窓の短縮だ」


制御主任が渋い声を出す。


「上は“方針変更”と見なす。止めに来ますよ」


「止めに来たら」三条は言った。「止めた責任を取らせる」


言い切りの声が、今日も揺れない。揺れないから、志乃は安心できない。


モニターに新しい表示が出た。


基準位相:間欠維持(試行)—改訂

方式:短時間解除+再固定(乱数)

追加:身体トリガによる解除窓自動短縮(医療監督)

トリガ:握力上昇/筋電跳ね/呼吸一定化兆候/再固定遅延

目的:解除時間超過の抑止・身体負荷の分散

注意:外部参照再侵入リスク/制御介入増による学習材料化


志乃は目を閉じた。


(呼吸)


座り続けるのではなく、座り直す。

そのために、今度は“自分の身体”が座り直す前に、外側が椅子の角度を変える。


カウント。


3。

2。

1。


緩む。


胸の奥の席が浮く。息が入る。

同時に、背中の寒さが来る。空気の端の歪み。


志乃が「戻す」と思うより早く、抑制環がわずかに鳴った。音ではない。圧の変化。


再固定。


席が沈む。歪みが薄れる。


志乃の身体が追い付く前に、戻されている。

それは救いで、同時に不安だった。自分が手を出さないほど、外側が手を出している。


ログ。


間欠維持:成功(改訂 N=01)

解除:0.49s(短縮)

再固定:0.21s

身体反応:握力上昇(軽)→トリガ作動

歪み兆候:あり(微)

参照侵蝕指標:微減


医療監督が言う。


「解除は短くなった。身体反応も、跳ねたところで切れてる」


制御主任が不満げに言う。


「切れてるだけだ。本人が“戻す”感覚を失えば、いざというときに――」


「いざというときが来る前に壊れます」医療監督が遮った。「今は“身体が遅れて解除が伸びる”のが最悪です」


志乃は息を吐いた。吐いた息が少し震える。震えを整えたくなる衝動が来て、すぐ止めた。


整えない。一定にしない。


二回目、三回目。

解除は短い。戻しは先回りで切れる。


そのたびに、志乃の胸の奥が「助かる」感覚を覚えるのがわかった。

助かる感覚が増えるほど、依存になる。依存は固定へ寄る。


そして、歪みは消えない。むしろ、解除のたびに“同じ場所”で薄く立ち上がる。


志乃は理解する。


解除の長さだけが隙間じゃない。

「席が浮く」という事実そのものが、誰かにとっての合図になっている。


そのとき、整流室の扉が開いた。


黒いスーツの一団。監査だ。

先頭にいる男が、名札を出す。


「上層監査室。安全確認のため、手順とログを提示してください」


制御主任の顔が固まる。

医療監督は一歩前に出た。


「医療判断の範囲です。患者の負荷軽減を目的とした緊急措置。責任は私が負います」


監査の男が目を細める。


「患者?」


その一語が、志乃の胸に冷たく刺さった。

患者。守るべき対象。保護されるべき対象。つまり、発言権を削りやすい対象。


三条が横から言う。


「撤回権を伴う措置です。志乃本人の意思で継続している。止めるなら、その責任をあなた方が引き取ることになる」


監査は笑わない。笑わないまま、視線を志乃へ移す。


「綾崎志乃。あなたの意思で、これを続けていると?」


志乃は目を開けた。

言葉を選ぶと遅れる。遅れると、胸の奥の席が余計に重くなる。


「はい」


「理由は」


志乃は短く言った。


「固定のままだと、削れるからです」


監査の男が書類に目を落としたまま言う。


「削れる、という表現は曖昧だ。安全確認にならない」


三条が代わりに言う。


「参照侵蝕です。混線頻度も計測されている。ログを見れば分かる」


監査が手を伸ばし、ログの一部を要求する。

医療監督が端末を回転させる。三条はその動きを止めない。止めれば、それが“隠し”になる。


監査の男が読み上げる。


「解除窓、0.49秒。……改訂前より改善。だが、歪み兆候は増加傾向……外部位相ノイズは検出不能のまま」


検出不能。変化なし。

それが一番嫌な言葉だった。見えないまま、こちらだけが介入を増やしている。


監査が言った。


「続行は条件付きだ。解除回数上限、厳格化。監査立ち会いのもとでのみ許可する」


医療監督が食い下がる。


「回数を絞れば侵蝕が進みます。短い解除を積むことで負荷を逃がしている。回数を絞るなら、代替措置が必要です」


監査の男は、答えない。

答えないまま、書類だけを残す。都市のやり方だ。


志乃は椅子の上で、腰の奥がまた軋むのを感じた。

改訂は効いているのに、軋みは消えない。軋みは“溜まっている”感覚に変わっていく。


解除のたび、戻しは外側がやる。

それでも、戻しの“準備”だけは志乃の身体がやめない。


準備は、止められない。

止めようとする努力が、また修正になる。


その晩。

志乃は個室で、腕を抱えた。抱えると楽になる。楽になる姿勢を探すこと自体が、基準に寄り添う行為になっている気がして、すぐ離した。


耳の奥に、あの声が薄く触れる。


「……戻して」


今日は、匂いが濃い。紙とインク。

白い部屋の輪郭が、眠りの縁に浮かぶ。


志乃は息を止めた。


(明日……持つかな)


問いが、身体の軋みに埋もれていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ