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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第3章 混沌と狂気
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白い部屋の手

翌日、整流室には監査が居座った。


解除回数上限は削られ、間隔は監査のチェックリストに合わせて“整って”いく。

整うことが、乱数を殺す。


乱数が死ねば癖になる。

癖になれば読まれる。


医療監督は苦い顔で言った。


「回数が減る。なら一回あたりの負荷が上がる。志乃さん、無理をしないで」


無理をしない、が今の志乃には最も難しい命令だった。

無理をしないために微修正する。微修正が負荷になる。


三条は監査に聞こえない声で言う。


「撤回権は生きてる。限界なら止める。俺が止める」


止める。止めたら固定に戻る。固定は削る。

削れたら戻れない。


志乃は頷いたが、頷きは小さく、遅い。首の奥が軋む。


モニターが点灯する。


基準位相:間欠維持(改訂)

解除回数:上限 6(監査条件)

解除目標:0.5秒

備考:監査立会い


一回目。


緩む。息が入る。歪み。

先回りの再固定。


二回目。


緩む。息が入る。歪み。

再固定。


三回目。


同じ。

同じ場所に歪みが立つ。“席が浮く”という事実に、向こうが反応している。


志乃は感じる。

歪みは怖い。けれど、もっと怖いのは身体のほうだ。


四回目の前、医療監督が止めた。


「志乃さん、握り込みが強い。筋電が抜けない。今日は――」


「できます」志乃は即答した。即答のせいで喉が痛い。


監査の男が淡々と記録する。


「本人継続意思あり」


都市の文字が、志乃の身体に貼り付いていく。


カウント。


3。

2。

1。


緩む。


その瞬間、志乃の腰が「きし」と滑った。

昨日までの軋みとは違う。遅れではない。“ズレ”だ。


息が止まる。


止まった息の上に、基準が重く乗る。

重さを戻そうとして、志乃の身体が勝手に補正を始める。


補正が増える。

増えた補正が、解除窓を伸ばす。


伸びる――


抑制環がトリガで先回りの再固定を掛けた。


掛けたのに。


席が沈まない。


沈まない、というより、一瞬「別の手」が席を掴んだ。


志乃の視界が白くなる。


整流室の音が遠のく。監査の男の声も、医療監督の呼びかけも、三条の低い命令も、ガラス越しに聞こえるみたいに薄い。


白い廊下。

白い部屋。


紙の匂い。インク。指の脂。


志乃は立っているのに、立っていない。

身体の境目が曖昧だ。


「……戻して」


女の声が、すぐ後ろにある。


振り向こうとして、首が動かない。

動かないのではない。動かす主体が、今、志乃だけではない。


(戸塚)


名前が浮かぶ。

浮かんだ瞬間、胸の奥の席がひとつ軋む。


戸塚は怒っていない。

泣いてもいない。


ただ、必死だ。必死さだけが、匂いみたいに濃い。


「戻して」

「戻して」

「戻して」


誰を。何を。どこへ。


志乃の中で問いが立つより先に、戸塚の“世界”が志乃の参照を引っ張った。


白い部屋の壁に、線が走る。

設計図。塔の内側。循環核の断面。座標と注記。黒塗りの縁。


縁が、足場になる。

足場が、手になる。


戸塚の手が、塔の手順を掴もうとする。


志乃は叫びたかった。

やめて、と言いたかった。


でも声が出ない。

声を出す主体が、今、志乃だけではない。


整流室のログが、遠いところで赤く点灯するのが見えた気がした。


解除:超過

再固定:遅延

基準位相:不安定

歪み兆候:急増


白い部屋の奥で、足音がした。


コツ、ではない。

紙の上を滑る音みたいな、軽い足音。


青年がいた。


年齢は分からない。

背は高くない。顔の輪郭は曖昧で、こちらに焦点が合っていないように見えるのに、視線だけが正確に“線”を読んでいる。


青年の目が、設計図の上をなぞる。


なぞったところから、紙の匂いが剥がれる。

匂いが霊気に変わり、霊気がまた別の履歴へ繋がっていく。


――読む、というより、吸い上げる。


志乃は息ができないまま理解した。


この青年は、履歴を見ている。

霊気の過去を、直接。


戸塚の声が近づく。


「お願い……戻して」


青年が一瞬だけ、こちらを見た。


目が合った、というより、志乃の中の“混ざった参照”を見抜かれた。

志乃が塔と混ざっていること。戸塚が一時的にここを媒介にしていること。解除の隙が、入口になっていること。


青年の口元がわずかに動いた。声は出ない。

それでも志乃には分かった気がした。


(ここは、入口じゃない)

(本文だ)


次の瞬間。


白い部屋が破れる。紙が裂ける音。インクが滲む匂い。

戸塚の手が、何かを掴み損ねて、志乃の胸の奥の席を強く引っ張った。


「っ……!」


整流室に戻る。


喉が焼ける。肺に空気が刺さる。

腰が崩れ、椅子の縁に身体が落ちる。


医療監督の声が近い。


「志乃さん!意識――」


三条が叫ぶ。


「固定しろ!今は固定だ、解除するな!」


監査の男の声が混じる。


「手順逸脱――」


志乃は見えない。聞こえない。

ただ、胸の奥の席が、別の重さを残しているのを感じる。


戸塚の“必死”が、まだ指に絡みついている。

そして、白い部屋で見た青年の目が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。


志乃は、震える息で思った。


(いまの人……誰)


問いの形が、今までの「外部位相ノイズ」と違う。

現象の名前ではない。人の気配だ。


ログが最後に一行、吐き出した。


備考:解除隙における“参照主体の入替”を疑う


その行を見た瞬間、三条の顔が初めて揺れた。


志乃の意識は、白へ落ちる直前。

耳の奥で、戸塚の声だけが残る。


「……戻して」


その声の向こう側で、青年の足音が、もう一度だけ紙の上を滑った。

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