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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第3章 混沌と狂気
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提案の重さ

学院の朝は、塔の中ほど白くない。


窓の外では学生が走り、掲示板には今日の講義予定が貼られ、誰かが自販機の前で小銭を落とした。

都市はいつも通りを演じている。


西野はその「いつも通り」が腹立たしかった。

自分だけが置いていかれている気がする。


研究棟の端、古本のいる小部屋。

ドアを閉めた瞬間、外の音が一段遠くなる。


古本は端末の画面を見ていた。目だけが動く。顔は動かない。

西野は立ったまま、机の角に指を置いた。置いた指に力が入る。入れたくないのに入る。


「来た?」西野が言う。


古本は頷く代わりに、画面を少し傾けた。


「整流室からの速報。医療措置扱いで回してる。……三条、無理してるな」


西野の喉が鳴る。


「志乃は」


古本は言葉を選ばない。数字に落とす。


「解除は成功してる。侵蝕指標は、微減。混線も減る兆しはある」


一拍置いて、続けた。


「ただ、解除時間が伸び始めてる。0.6秒以下の目標に対して、0.7秒台が出てる。理由は――身体反応」


西野の顔が歪む。


「身体反応って、何だよ」


古本はログの行を読むみたいに言う。


「筋緊張の上昇。握り込み。呼吸の一定化傾向。あと、“戻し”の遅れ」


西野は机を軽く叩きそうになって、堪えた。

叩いたら割れる。割れたら戻らない。志乃と同じだ。


「俺たちが言ったせいだろ。呼吸にしろって」


古本は否定しない。


「提案はした。だが、二択のままだったら別の形で壊れてた可能性が高い。問題は今、“呼吸”が効くほど副作用が表に出たこと」


副作用。

その単語が西野の胃を押す。


「……軋むってやつか」


古本は画面から目を離さずに言う。


「志乃の身体が、“基準”を保持するための微修正を止められてない。短時間解除と再固定の間だけじゃない。日常動作まで補正が染みてる」


西野は思い出す。

面会の映像越しの志乃の表情。笑おうとして笑えなかった顔。

あれは心だけじゃない。身体がもう、笑う筋肉を勝手に調整していたのかもしれない。


「じゃあ、どうすんだよ。やめさせるのか」


古本は首を振る代わりに、指で画面の一行を示した。


備考:解除時の歪み兆候、増加


「ここ。解除の“隙”に、何かが寄る兆候が増えてる。長くなればなるほど危険。だから回数を減らす、だけでは駄目だ。解除時間そのものを削らないといけない」


西野は息を吐く。


「削るって、どうやって。志乃の身体が追いつかないんだろ」


古本はようやく西野を見た。


「方法は二つある。ひとつは志乃の身体を助ける。もうひとつは“戻し”を身体にやらせない」


西野は眉を寄せる。


「身体を助けるって、薬とか?」


「薬は波形に影響が出る」古本は即答した。「整流室は今、刺激禁止に寄ってる。上がそれを利用して止めに来る可能性もある」


西野は奥歯を噛んだ。


「じゃあ後者か。身体にやらせないって何だよ」


古本は、紙にペンで線を引いた。波形の絵ではない。手順の絵だ。


「解除・再固定を“志乃の意志”で全部やらせると、身体が遅れたときに無意識の補正が入る。その補正が積む。なら、補正を志乃の身体じゃなく、外側の制御に肩代わりさせる」


西野が言う。


「外側の制御って、塔のシステム?」


「正確には、整流室の補助環と抑制環の使い方」古本は言った。「今は限界値を設定して“止める”方向に使ってる。これを“先回り”に使う」


西野は理解が追いつかない顔をした。


古本は噛み砕く。


「解除前に、志乃の身体が固まる兆候――筋電の跳ね、握り込み、呼吸の一定化――それをトリガにして、解除窓を短縮する。本人が戻そうとする前に、外側が戻す」


西野は目を見開いた。


「そんなことできんのか」


「理屈ではできる」古本が言う。「ただし、危険がある。外側が介入を増やすと、第三の位相に“学習材料”を渡す可能性がある」


その言い方で、西野にも分かる。

どんな手を打っても、相手はそれを読む。読むための材料を与える。


西野は喉を鳴らす。


「……じゃあ結局、どっちも毒じゃん」


古本は淡々と言った。


「毒の配合を変えるしかない。今の配合は、志乃の身体に寄りすぎてる」


西野の端末が震えた。父からの短いメッセージ。


上が動く。名目は「安全確保」。今日中に整流室へ監査が入る可能性。


西野の背中が冷える。


「監査……止めに来るってことか」


古本の表情は変わらないが、指が止まった。


「三条は“医療措置”の名目で押してる。監査は名目の穴を探しに来る。穴が見つかれば、手順ごと止まる」


止まれば、固定に戻る。

固定に戻れば、志乃が削れる。

削れて戻らない。


西野は声が低くなる。


「俺、行く。整流室に――」


「行けない」古本が遮った。「保護区画だ。今の西野が行っても、上に“私情”の札を貼られて逆効果になる」


西野は拳を握った。握り込み。

さっきまで志乃のログにあった言葉が、自分の指にも出る。


古本はそれを見て、少しだけ言い方を柔らかくした。


「行くなら、やり方がある。ここから“数字”を送る。止めるためじゃなく、続けるための手順として」


西野は、古本の机の上の紙を見る。

波形ではない。手順。条件分岐。上限値。


「……お前、もう書けてんのか」


古本は頷いた。


「速報を見た瞬間に書いた。遅れが出た時点で、次は“癖”になる。癖は読まれる。読む側がいるなら、なおさら」


西野は息を吸い、吐く。


「送れ。三条に」


古本は端末を操作した。送信先は整流室の専用回線。件名だけが冷たい。


間欠維持(呼吸)改訂案:解除窓の“自動短縮”と身体トリガ導入(医療監督判断枠)


送信ボタンを押す指は迷わない。

迷わないことが、今の西野には少し怖い。


「……これで助かるのかよ」


古本は即答しない。代わりに、画面の一番下の行を見た。


解除時の歪み兆候:増加(理由不明)


「助かる可能性を上げるだけだ」古本は言った。「それでも、解除の“隙”が狙われてる。志乃の遅れが増えたのと同じタイミングで、歪みも増えてる」


西野は唇を噛む。


「つまり、相手は……志乃の身体まで見てる?」


古本は言い切らない。だが、否定もしない。


「波形だけじゃなく、媒介の癖が情報になる。もしそうなら、“呼吸”は都市を守るだけじゃなく、相手にこちらの癖を渡してしまう」


西野の胸の奥がざらつく。


「ふざけんな……」


古本は静かに言った。


「だから、癖を消す。志乃の身体から癖を取り上げる。外側で戻す。戻しの遅れを起こさせない」


西野は頷いた。

頷いた瞬間、自分の首が少しだけ重い。

志乃の軋みを想像してしまう。


「……志乃に、伝えられないのが一番きつい」


古本は画面を閉じた。


「伝えなくていい。伝えたら、志乃が“気をつけよう”として、また微修正が増える。あの人は真面目だ。真面目さが今は刃になる」


西野は黙った。

黙るしかない。


外の廊下で笑い声がした。

学院の朝は、何事もないように続く。


その続きのために、誰かが塔の中で軋んでいる。

その事実だけが、西野の視界を白くする。


古本が最後に言った。


「監査が入る前に、整流室が改訂を通せるかが勝負だ。――今日、動くぞ。上も、外も」


西野は立ち上がった。


「動くなら、こっちも動く。数字で、ぶん殴れ」


古本は小さく頷いた。


「数字は、嘘をつかない。ただし――相手が数字を読むなら、数字は武器にも足場にもなる」


その言葉が、嫌な予感として残ったまま。


二人は、学院の白くない朝へ戻った。



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