減衰しない波
AM10時38分。
昨日より、さらに一分早い。
教室は静まり返っていた。
誰もが時計を見ていないふりをしている。見ていないふりのまま、全員が同じ秒を待っている。
志乃は背筋を伸ばし、呼吸を整えた。
胸の奥の波は、もう始まっている。
まだ何も起きていないのに、身体のほうが先に“合図”を受け取っている。
(来る)
10:38
窓の外――スカイ・ピラーが揺らいだ。
昨日より、わずかに長い。
三秒半。
空気が重くなる。教室の音が沈む。紙の擦れる音すら、床に吸い込まれるみたいに鈍くなる。
数名が、堪えきれず小さく息を漏らした。
志乃の内側が強く引き上げられる。
胸の奥から、押し上げられる。抗えない浮力。
(制御)
出力を抑える。
机の縁が白くなるほど握り込む。
光は出ない。
出さない。
皮膚の上ではなく、内側で波が暴れているのがわかる。それでも――掌の外へは漏らさない。
教壇の神代教官は、何も言わなかった。
叱りもしない。慰めもしない。ただ、黒板の前に立ち続ける。
けれど手元の端末は、開かれたままだった。画面の表示が更新されるたび、淡い光が指先を照らす。
志乃はそれを見逃さなかった。
揺らぎが収束すると、塔は再び完璧な直線に戻った。
教室の呼吸だけが遅れて戻り、誰かのペンが「今まで止まっていた」ことを思い出したように動き出す。
昼休み。
屋上。
フェンス越しに見えるスカイ・ピラーは、相変わらず遠く、相変わらず中心にいる。
なのに志乃には、昨日より塔が近く感じられた。距離が縮んだのではなく、自分が引っ張られているような。
古本が端末を差し出し、志乃と西野に画面を見せる。
「揺らぎは収束していない」
表示されたグラフは、教科書で見る“正常な減衰”と違っていた。
通常なら、微細変動は時間とともに摩耗して、波は平らになっていく。
だが今回の波形は、違う。
古本の指が、山の高さを順に辿る。
「振幅が毎回、わずかに増えている」
西野が眉をひそめる。
「……誤差じゃないのか?」
「誤差は増幅しない」
古本は言い切った。淡々としているのに、逃げ道だけは塞ぐ言い方だった。
志乃は黙って塔を見た。
完璧に見えるものほど、わずかな変化が刺さる。
夜。
志乃の部屋。
時計は22時36分。
昼ではない。塔が揺れる時刻ではない。
それでも胸がざわつく。
ゆっくり、規則的に――同じ周期で。
(……昼だけじゃない)
波は都市ではなく、自分の中で刻まれている。
塔の揺れに引きずられているのか、塔より先に“同じ型”を覚え始めているのか。
志乃は目を閉じた。
霊気を内側に沈める。水面を手で押さえるみたいに、意識で波を底へ沈めていく。
波は確かに弱まる。
だが、消えない。
抑えても残る微細なうねりが、胸の奥で「次」を数えていた。




