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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第3章 混沌と狂気

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掛け合い

中央局の上層フロアは、中央塔より静かだった。


機械音がない。循環の唸りもない。

その代わり、言葉だけが循環している。


「綾崎志乃関連の一連の手順は中止だ。これは決裁済みだ」


会議室の奥、局の幹部が淡々と言った。

机上の端末に、同じ文面が表示されている。


志乃関連プロトコル停止(即時)

参照先差し替え/偽履歴/捕縛手順 禁止

理由:外部参照同期の誘発、責任不明確、対外説明不能


三条は立ったまま、その文字を一度だけ見て、視線を上げた。


「中止は理解します」


「理解するなら終わりだ」


別の席が言う。保安規定を盾にする声だった。


「……ただし」


三条は続けた。


「綾崎本人は、塔に残る意思を示しました。復学の選択肢を提示した上での意思です」


会議室の空気が一段だけ変わる。

“意思”という単語が、この部屋では異物だからだ。


「意思? 彼女は未成年だろう」


「保護観察対象だ」


「極度のストレス下での同意に意味はない」


声が重なる。どれも正論の形をしている。

正論はいつも、人を守るとも、縛るとも言える。


三条は端末を操作し、画面を投影した。

同意書の雛形。撤回権。安全限界。第三者監督。ログ封印区分。


「“実験”はしません」


三条は言い切る。


「危機対応の運用に切り替えます。条件は四つです」


一つずつ、淡々と。


「一、志乃の介入は防御のみ。誘発・捕縛・偽履歴は禁止。こちらから餌を撒かない」

「二、本人の同意と撤回権を明文化する。撤回されたら即停止」

「三、医療と監督を常設し、限界値を越えたら強制中断」

「四、判断責任は現場ではなく、監督官と局の合同にする。——責任の所在を曖昧にしない」


幹部が眉を寄せる。


「責任の所在を曖昧にしない? 君が今、ここで一番やりたいのは“責任を分散する”ことだろう」


三条は否定しなかった。


「そうです。現場に押し付けないために分散します」


別の席が低く言う。


「彼女を塔に置き続ければ、外部がまた狙う。一般施設に戻せば監視が難しい。……結局、どこでも危険だ」


「だから危険の場所を選びます」


三条は一拍置いて答えた。


「塔はすでに掴まれています。掴まれた塔に“誰も触らない”という判断は、手を放すのと同じです」

「綾崎を塔から切り離せば、塔は現状のまま“外部参照”に寄っていく可能性がある」

「そして次は、別の媒介が発生する。——都市のどこかで」


会議室が静まる。

“別の媒介”という言葉は、脅しではなく現実の予測だった。


幹部が短く言う。


「君は、彼女を“必要”と言うのか」


三条は少しだけ間を置いた。


「必要です。ただし“使う”のではなく、“壊れない形で運用する”必要がある」


誰かが鼻で笑いかけて、止めた。

笑える段階ではない。


「……神代はどう言っている」


幹部が言うと、扉の横に控えていた神代教官が一歩だけ前に出た。


「本人の意思を尊重すべきです。戻れる道がある上で、残ると言った」


神代の声には感情が薄い。薄いから、余計に重い。


「ただし、放置は危険です。現象は“彼女を中心にした現象”に見えるが、実際はもっと広い。塔の成立点に触れられている」


その単語が出た瞬間、幹部の一人が目を細めた。

塔の「成立点」。言葉にすると、不用意に真実へ近づく。


沈黙のあと、決裁の声が落ちた。


「条件付きで認める」


三条の肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。


「ただし二点」


幹部は続ける。


「一、綾崎志乃を“特別保護観察A”に格上げする。通信は制限。学院関係者との接触は監督下のみ」

「二、撤回権は認めるが、都市保安規定第七条の緊急条項を適用する。全域遮断の恐れがある場合、本人の意思より都市を優先する」


三条は言葉を飲み込んだ。

それが、この都市の“本音”だ。


幹部が最後に釘を刺す。


「君の提案は“実験”ではない、として通す。

……だから一度でも誘発手順を再開したら、君ごと切る。理解しているな」


「理解しています」


三条は短く答えた。


会議は終わった。

終わったが、解決ではない。


ただ、志乃が選んだ道が“書類上”通っただけだ。


中央塔。


保護区画の廊下は相変わらず白い。

だが志乃には、白が少しだけ違って見えた。


戻れる道があると知った白。

それでも残ると決めた白。


志乃は個室で待っていた。

胸の奥の波は、相変わらず整いすぎている。掴まれた重さが消えない。


ノック。


三条が入ってくる。手に端末。表情は変わらない。


「通った」


志乃の喉が鳴った。


「……どうなるんですか」


三条は端末を机に置く。


特別保護観察A

塔内滞在:継続

介入:防御のみ(誘発・捕縛・偽履歴 禁止)

接触制限:監督下

緊急条項:適用(条件付き)


志乃は画面を見つめた。


残れる。

その代わり、縛りが増える。


でも、戻っても縛りは消えなかっただろう。

なら、意味のある縛りを選ぶしかない。


志乃は静かに言った。


「……ありがとうございます」


三条は一拍だけ間を置き、答えた。


「礼を言う相手は俺じゃない。お前が決めたから通った」


その言い方は不器用だった。

だが志乃には、それで十分だった。


三条は視線を逸らさずに言う。


「今日からは、こちらから仕掛けない。守るだけだ。

——だから守り方を、もっと研ぐ」


志乃は頷く。


「はい」


その瞬間、胸の奥がわずかに沈んだ。

触りではない。揺れでもない。


掴まれた塔が、さらに“固定”を深める気配。


志乃の顔色が変わったのを、三条は見逃さなかった。


「……来てるか」


志乃は小さく首を振る。


「来てない。でも……重いです」


三条が短く息を吐く。


「仕掛けないと決めた瞬間に、相手は動く」


それは予言ではない。経験則だった。


三条は端末を握り直し、扉の方へ向かう。


「監督官を呼ぶ。医療も付ける。

お前は——今日は休め。休めるうちに休め」


志乃は返事をする前に、胸の波を確かめた。


整いすぎる波。

誰かの手。


志乃は小さく息を吐いた。


残ると決めた。

通った。


なのに、安心は一つも増えていない。


ただ、逃げない場所が決まっただけだ。


扉が閉まり、白い部屋にまた音がなくなる。


志乃は天井を見上げる。


(真実を知りたい)


その願いだけが、怖さの中で消えずに残っていた。

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