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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第3章 混沌と狂気

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残留

中央塔の夜は、白い。


昼と同じ白で、時間だけが違う。

窓がないから、夜が来ても「夜になった」と身体が納得できない。


志乃は個室の椅子に座っていた。

机の上には端末。復学手続の画面が開いたまま、薄い光を放っている。


復学:可

観察:継続(週次測定/通学同行/校内一定距離)

常時収容:解除

志乃関連プロトコル:中止


戻れる。

戻れない。

その二つが同じ画面に並んでいる。


志乃は指先で画面の縁をなぞった。

触れたところで、決まることは何もない。


胸の奥の波は、今日も静かに動いている。

塔の応答はある。整いすぎる重さが、そこに居座っている。


——掴まれている。


それが、答えを急がせた。


ノック。


扉が開き、三条が入ってくる。

いつも通り無表情。いつも通りの距離。


「決まったか」


志乃は一度だけ息を吸って、吐いた。


「……残ります」


三条の表情は変わらない。

まばたきの回数も、口元の形も。


それでも、志乃にはわかった。


三条の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

端末を持つ指の角度が、わずかに緩む。


嬉しい、と言わない嬉しさ。


三条は短く返した。


「理由は」


志乃は視線を端末から外し、三条を見た。

怖さは消えていない。消えたら嘘だ。


でも、怖いまま言える。


「私ができることがあるなら……微力でも手伝いたいです」


三条は頷く。


志乃は続けた。


「それに、仲間を危険な目にあわせたくない」


西野の声。古本の目。

面会室の空気。あの「戻ってこい」の切実さ。


戻って、何もしないで、また誰かが巻き込まれるくらいなら。

自分がここにいた方がいい。


三条は何も言わない。

否定もしない。肯定もしない。


志乃は最後の理由を、少しだけ遅れて口にした。


「……それから」


一拍。


「ここまで塔に近づいて、真実が知りたくなりました」


知りたい。

その欲求を口にするのは、少し恥ずかしい。


でも嘘ではない。


欠損の向こう。参照先。掴まれた成立点。

自分の胸に残った別色の断片。


ここまで来て、目を閉じたまま戻ることはできない。


三条が、ほんの少しだけ息を吐いた。


「分かった」


言い方は平坦だ。

けれど、返事がいつもより速い。


「……でも、上層部は中止を命じたんですよね」


志乃が言うと、三条は即答する。


「掛け合う」


志乃は眉を動かす。


三条は続けた。


「“実験”は中止だ。上の言い分は正しい。

だから形を変える。これは実験じゃない。危機対応としての運用だ」


志乃は胸の奥が冷たくなるのを感じた。


運用。

それはまた、志乃が装置に近づく言葉だ。


三条は、志乃の反応を見たのか見ていないのか、視線を外さずに言った。


「そのために必要なのは、お前の意思だ」


「……私の?」


「自発的同意。撤回権。安全限界。第三者の監督。ログの封印区分」


三条の口から出る単語は、どれも都市の言葉だった。

都市の言葉でしか、都市は動かない。


でもその中に、志乃の居場所を作ろうとしているのがわかった。


「志乃」


三条が名前を呼ぶ。短く。


「残るなら、残り方を決めろ。お前が壊れないように」


志乃は頷いた。


「……わかりました」


三条は踵を返す。


扉に向かう歩幅が、いつもより少しだけ速い。

迷っている歩幅ではない。


「今すぐ行く。上と話す」


「三条さん」


志乃が呼ぶと、三条は扉の前で止まった。


志乃は言葉を探して、結局、正直に言った。


「怖いです」


三条は振り返らないまま答える。


「怖くていい。怖くない方が危ない」


それだけ言って、扉を開けた。



志乃はひとりになった。


端末の画面はまだ「復学:可」を表示している。

それを閉じれば、戻る道が消えるわけではない。けれど、いま閉じたら自分が逃げる気がした。


志乃は画面を閉じなかった。


胸の奥の波が、静かに一拍打つ。

塔の応答が、それに重なる。


整いすぎる重さは、まだ消えない。

掴まれた中心は、まだここにある。


志乃は天井を見上げる。


残ると決めた。

それは勇気ではない。


怖いまま、知りたいまま、守りたいまま、ここにいる選択だ。


そしてその選択は、都市の言葉に翻訳され、上層部の机に運ばれる。


三条が掛け合う。


——その結果がどうあれ、もう一度だけ、波は来る。


志乃はそう確信していた。


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