護送
朝。
空は曇天だった。光が拡散して、都市の輪郭だけが薄く硬い。
志乃は学院の正門前に立っている。
灰色の護送車が二台。前後を挟む配置。
無塗装の車体に、中央局の紋章が小さく光っていた。
三条が淡々と告げる。
「中央塔まで直行する。所要四十分」
西野が、笑いを作れない声で言う。
「必ず戻れよ」
古本は小さく頷くだけだった。
志乃はスカイ・ピラーを見る。
近い。――近い気がする。
今日で、直接触れることになる。
胸の奥の波が、もう静かに高まっていた。
午前9時42分。
車両は都市中心部へ向かう幹線道路を進む。学院のある区画から中心へ抜ける道は整備され、出力制限下でも交通は回っている。人々は歩き、店は開き、都市は「平常」を保っているように見えた。
三条は隣席で端末を確認していた。
塔との常時同期。志乃の波形も同時表示。
一致率――95%。
「安定している」
そう言いかけた瞬間。
志乃の胸が跳ねた。
(来る)
時刻は、いつもの揺れより明らかに早い。
まだ“山”が来る時間じゃない。
あり得ない。
志乃の波が先に立ち上がる。
急激で、強い。自分の意思とは無関係に、内側が引き上げられる。
三条が顔を上げた。
「どうした」
次の瞬間――
空間が軋んだ。
視界が、わずかに歪む。
塔の方向ではない。別方向から、位相干渉。
強い。これまでで最大。
護送車の霊気制御系が乱れる。計器が跳ね、警告音が鳴った。
「外部干渉検知!」
後続車両から通信が割り込む。
『出力低下、制御不安定!』
道路脇の街路灯が一斉に明滅した。
揺れは都市全域ではない。この一帯だけが、局所的に“別の規則”に呑まれていく。
志乃は理解する。
(塔じゃない)
誰かが、志乃を直接――引いている。
前方。
道路上の空間が、ゆっくりと歪み始めた。透明な熱波のような揺らぎ。その中心に、黒い影が立っている。
人影。
距離はまだある。
だが霊気の圧だけが先に届く。粗く、重く、制御というより暴力に近い圧。
三条が即座に命じた。
「停止! 対象保護優先!」
ブレーキ。車体が沈み、二台が路上で停止する。
だが波は止まらない。
影が一歩踏み出した。
その瞬間、志乃の胸の波が強制的に引き上げられる。叫びは出ない。呼吸が止まる。身体の中だけが浮く。
塔の応答は――来ない。
塔の波形が立ち上がらない。
ここは中心から遠い。循環が薄い区画。さらに干渉が“回線”そのものを塞いでいる。
影が手を上げる。
空間が裂けた。
霊気がねじれ、護送車の側面を叩く。金属が悲鳴を上げ、窓が白くひび割れる。
後続車が弾かれ、横転した。
三条が咄嗟に志乃へ覆いかぶさる。
「意識を切るな! 合わせるな!」
志乃は必死に波を整えようとする。
押し返す。塔に向けるときと同じように、内側から外へ――
だが相手の位相は塔と違う。
粗く、強い。
整える余地を与えない。制御ではなく、奪取。
影が近づく。フードに覆われた顔。輪郭だけが見える。
声が低く落ちた。
「やっと見つけた」
その言葉と同時に、志乃の視界が白く弾ける。
強制的な位相接続。
塔ではない。別の“装置”の波だ。
三条が叫んだ。
「干渉源、携行型共鳴機か――!」
爆音。
霊気衝撃。
道路が割れ、白い粉塵が舞い上がる。
光が潰れ、音が潰れ、世界が一度だけ裏返る。
そして――静寂。
数分後。
中央局の応援車両が到着した。
護送車は半壊。後続車は横転。
三条は意識を失っていたが、生存している。
だが。
志乃の姿はなかった。
残されたのは、焼けた路面と、異質な位相残滓。
塔とは一致しない波形。短く、鋭く、誰かの「指紋」みたいに残る揺れ。
観測記録が自動で仮判定を吐き出す。
外部強制共鳴による対象転移の可能性
中央塔内部。
警報が鳴る。
常時同期の一致率が、突然ゼロになる。
共鳴点、消失。




