保護観察
朝。
学院の正門前に、見慣れない車両が停まっていた。
無塗装の灰色。装飾のない箱のような車体。
側面の隅にだけ、小さく――
東都研究都市・中央局の紋章。
志乃は足を止めた。胸の奥が、嫌な形で静かになる。
隣で西野が舌打ちする。
「早すぎるだろ」
古本は何も言わない。ただ車両の型式を目で追っている。逃げ道を探す目ではなく、仕様を確かめる目だった。
後部座席のドアが開き、一人の男が降りる。
三十代半ば。無表情。
黒いコートの内側に、識別章が覗いていた。
男は迷いなく近づき、形式だけの丁寧さで名乗る。
「中央局観測管理課、三条です」
声は淡々としている。感情を運ぶための声ではなく、決定事項を伝えるための声。
「綾崎志乃さん。本日より、あなたは保護観察対象となります」
“保護”。
言葉の響きだけは柔らかい。
けれど、実質は監視だと志乃にはわかった。
学院内。
臨時会議室。
神代教官と三条が、机を挟んで向かい合っている。室内には学院側の職員もいるが、空気の主導権は中央局側にあった。
三条が告げる。
「移送は三日後。中央塔での同調精査を実施します」
神代が静かに問う。
「強制か」
「都市保安規定第七条に基づきます。拒否はできません」
言い切り。余白なし。
志乃は椅子に座っている。会話が遠く聞こえた。
塔へ行く。中央へ。波の中心へ。
怖くないと言えば嘘だ。
けれど逃げる選択肢はない――それも、理解してしまっている。
昼。
10:08。
揺れ。
十一秒。
志乃の先行は2.6秒。
教室の空気が沈み、霊気灯が揺れ、数名の顔色が変わる。医療班の動きは早い。もはや“想定外”の動きではない。
三条は教室の端で端末を見つめていた。塔との同時観測。波形が重ねられ、数値が確定する。
一致率、93%。
「……制御可能性あり」
小さく呟く。独り言に近いのに、言葉は刃物みたいに耳に残った。
志乃は揺れの途中で、ほんのわずかに押し返す。
昨日より小さく、しかし意図して。
九秒で収束した。
医療班の出動が減る。たったそれだけの変化でも、教室の空気が少しだけ戻る。
都市の出力制限は継続中。ニュースの言葉はまだ硬い。
――安定してはいない。落ち着いただけだ。
放課後。
屋上。
風が強く、フェンスが低く唸る。三人の間に、言わなくてもわかることが増えすぎていた。
西野が言う。怒りと不安を、どちらも押し殺した声。
「中央に行ったら、戻ってこれる保証は?」
志乃は答えられない。保証なんて、誰にも出せない。
古本が静かに言う。
「塔内部の逆位相、昨日より拡大してる。時間はない」
時間。
それがすべてを急がせる。
志乃は塔を見る。
近づいている。物理的な距離ではなく、感覚として。
都市の中心が、こちらの胸の内側にまで入り込んできている。
夜。
中央局。
三条が報告を上げる。
「対象は自発的制御を確認。ただし共鳴は深化しています」
モニターに別の画面が映る。公開されない、塔内部の未公開ログ。
“空白時間”――0.4秒。
その欠損に、微弱な乱れが貼り付くように残っている。
外部干渉痕:微弱
解析中
三条の視線が、わずかに鋭くなる。
「……内部要因だけではない?」
誰にも聞こえない独り言。
けれどその疑いは、言葉になった時点で消えない。
志乃の部屋。
時計は22:41。
揺れ。
八秒。
短くなっている。押し返しは、少しずつ安定し始めていた。
“できてしまう”ことが、逆に怖い。
その瞬間――
窓の外、遠くのビルの屋上に、光が一筋走った。
塔ではない。方向が違う。
都市の中心ではなく、別の場所。
志乃は気づかない。
けれど波は、ほんの一瞬だけ乱れた。コンマ数秒。
中央塔の観測ログにだけ、その乱れが記録される。
異常位相ノイズ検出
発信源:不明
都市はまだ平穏を装っている。
だが、揺れはもう“二人”だけのものではなくなり始めていた。




