第8章 〈混沌世界の支配領域〉
「……あの目は……」
エデンは、目の前の光景が未だ信じられず、小さく呟いた。
ヴァークホロウはそんな彼を見ても、ただクツクツと笑うだけだった。
そして、手にした巨大なハンマーを一度軽く回転させる。
「……そろそろ遊びは終わりだ」
SWISH――!!
突如として紅蓮の炎がヴァークホロウの全身から噴き出した。
その炎は一瞬で彼の姿を呑み込み、次の瞬間には獲物を狩る獣のように爆ぜ散り、四方八方からエデンへ襲い掛かる。
「クソっ……うぐっ!?」
SMASH――!!
気付いた時には、ヴァークホロウは既に隣にいた。
空間そのものを砕きかねないほどの勢いで、巨大なハンマーが振り下ろされる。
エデンには体勢を立て直す暇すらなかった。
CREAAK――!!!
「ぐああぁっ!?」
骨が砕け散る、耳を塞ぎたくなるほど不気味な音が闘技場全体へ響き渡る。
凄まじい衝撃がエデンの脇腹へ叩き込まれ、その身体は壊れた砲弾のように吹き飛ばされた。
一直線に巨大な石柱へ激突する。
BOOOOM――!!
砕けた石片が四方へ弾け飛ぶ。
エデンの口から鮮血が噴き出した。
その身体は瓦礫へと激突し、そのまま重々しく砕けた地面へ叩きつけられる。
「若造にしては、少々死に急ぎすぎではないか? クレストフォール」
ヴァークホロウが嘲笑混じりに言い放つ。
「……あんたは歳を取りすぎたんだよ」
その返答に、ヴァークホロウの燃え盛る瞳がわずかに見開かれた。
「俺に勝てないってことを理解できないくらいにな」
彼が吹き飛ばしたはずの方向とは真逆。
そこには、エデンがしっかりと地面に立っていた。
先程まで刻まれていた傷は、跡形もなく消え去っている。
だが――
「ハァ……ハァ……」
荒い息が何度も漏れる。
身体は治癒している。
それなのに、何か別のものが確実に彼を蝕み、削り取っていた。
『くそっ……』
エデンは歯を食いしばった。
そして、ようやく気づく。
『領域の持続時間を延ばせるようになったと思ってたのに……消耗が想像以上だ』
今になって理解した。
これはもう、後戻りのできない状況だ。
ここでミスティックエネルギーが尽きれば、その瞬間に全てが終わる。
『……もう遊びは終わりだ』
エデンは強く歯を噛み締めた。
ブチッ――
舌が裂け、温かな血の味が口内へ広がる。
そして――
ゴクリ。
血の一滴が喉を通った、その瞬間だった。
「――っ!?」
エデンの瞳が見開かれる。
突如として、不気味な黒いオーラが全身から噴き出した。
まるで生きている影のように、蠢きながら身体へと絡みついていく。
「Crimson Demise」
その瞬間、理解不能なほど膨大な生命力が血管の奥で爆発した。
まるで業火のように、全身へ駆け巡る。
次の瞬間には、エデンの姿は消えていた。
一切の躊躇なく、ヴァークホロウへと突撃する。
「真正面から来るだと?」
ヴァークホロウは鼻で笑い、巨大なハンマーを一度回転させた。
「いい度胸だ」
その表情には微塵も焦りがなかった。
エデンの攻撃程度なら、止められないはずがない。
そう確信していた。
だが――
「な……に……?」
消え入りそうな声が、ヴァークホロウの口から漏れた。
その視界は、エデンを捉えた瞬間に突如として二つに割れていた。
目の前には、二人のエデンが立っている。
ほんの一瞬、ヴァークホロウの思考は目の前の光景を理解できなかった。
……いや、違う。
何かがおかしい。
二人いるわけじゃない。
最初からエデンは一人だけだった。
ならば今、自分の全身を這い回るこの悪寒は……既に現実になっているということだ。
何かが起きた。
自分の目で捉えることすらできないほど速く。
その事実に気付いたのは、一拍遅れてからだった。
いつの間にか、身体の中心に一本の深紅の線が走っていた。
SHRKK――!!
「がっ……!?」
胴体が縦に裂ける。
「フン」
ヴァークホロウの背後で、エデンの姿が揺らめくように現れた。
結晶のような紫色の短剣から、赤い血が滴り落ちている。
エデンは迷いなく握りを強めると、その場で身体を反転させた。
そして次の瞬間、再びヴァークホロウの身体へ刃を叩き込んだ。
SLASH――!!
横薙ぎの一閃が、ヴァークホロウの身体を完全に断ち切った。
その一撃は容赦なく身体を貫き、四つの断片へと分断する。
「ク……レ……スト……フォォォォル……ッ!!」
もはやその声に、Redfallとしての面影はなかった。
それは死にゆく獣が最後に放つ断末魔。
苦痛と絶望に歪み切った、醜く掠れた咆哮だった。
そして次の瞬間。
その身体に残されていた最後の力さえ、完全に尽き果てる。
THUD――!!
切り裂かれたヴァークホロウの肉体が、闘技場の床へ重々しく叩き落とされた。
「ハァ……ハァ……ぐっ……!?」
突如として、エデンの口から鮮血が溢れ出す。
赤黒い血が唇を伝い落ち、胸の奥を引き裂くような激痛が全身を駆け抜けた。
身体が小刻みに震える。
この技は、本来の限界を遥かに超えた力を与えた。
そして今、その代償を取り立てに来ていた。
「少なくとも……」
疲れ切った笑みと共に、小さな笑い声が漏れる。
「……やっと終わったか」
「――おや、おや、おやぁ~♪」
だがその瞬間、不気味な笑い声が闘技場全体へ響き渡った。
その声は一つではない。
四方八方、あらゆる場所から同時に聞こえてくる。
それを耳にした瞬間、エデンの瞳が細められる。
「……は?」
そして次の瞬間。
目の前に広がった光景に、言葉を失った。
ヴァークホロウと同じ、不気味な歪んだ笑みを刻んだカボチャたち。
その数は数百。
小さな身体を跳ねさせながら、闘技場中を飛び回っていた。
虚ろな眼窩には、狂気じみた炎が燃えている。
ピョン、ピョン、と。
異様なリズムを刻みながら、それらは四方からヴァークホロウの残骸へ集まり始めた。
一つ。
また一つ。
切断された胴体の周囲を埋め尽くしていく。
そして――
FWOOOOSH――!!!
巨大な紫炎が天へ向かって噴き上がった。
「――っ!?」
闘技場全体が激しく震え出す。
数え切れないカボチャたちは、まるで禁忌の儀式へ捧げられた生贄のように炎の中へ溶け落ちていく。
混ざり合い。
歪み合い。
そして、一つの異形へと姿を変えていった。
その悍ましい光景の中から――
再びヴァークホロウが立っていた。
……いや。
エデンの前に現れたのは、ヴァークホロウなどではなかった。
もっと、遥かに最悪な何かだった。
以前よりもさらに巨大な体躯。
燃え盛っていた瞳は、今や禍々しい紫炎へと姿を変えていた。
纏う衣も変化している。
深い緑と黒が混ざり合った長いコートは、まるで生きた影のように揺らめいていた。
「ミスティックエネルギーは――私のものとなる」
ヴァークホロウは静かに告げる。
その紫色の炎を宿した視線が、ゆっくりとエデンへ向けられた。
そして両腕を広げる。
まるで、長い年月を経て再会した友人を迎え入れるかのように。
「やぁ、アノマリーの友よ」
歪んだ笑みが、刻まれた顔にゆっくりと広がっていく。
「まだ立っていてくれて嬉しいよ」
その声は、不気味なほど穏やかだった。
そして次の瞬間、その笑みはさらに深く歪む。
「……だが残念だ」
「今のお前のままで、いつまでも立っていられればよかったのにな」
「……そんな……」
エデンの瞳が大きく揺れた。
「……ありえない」
戦いが始まってから初めてだった。
彼は今、その感情を確かに感じていた。
恐怖。
自らの奥底へと押し込み、存在ごと封じ込めたはずの感情が、再び姿を現したのだ。
「前に言っていたよな?」
ヴァークホロウはゆっくりと片手を持ち上げる。
「Zo Deus」
SWIRL――!!
紫炎が掌の周囲で渦を巻いた。
蠢き、圧縮され、形を成していく。
そしてそれが完成した瞬間。
エデンの全身が凍り付いた。
「……なっ――」
そこにあったのは、一振りの大鎌。
いや、ただの大鎌ではない。
エデンが誰よりも見慣れている武器。
自分自身の武器だった。
完全に同じ。
寸分違わず。
「アノマリーなら何だって可能なんだろう?」
ヴァークホロウの歪んだ笑みが、ゆっくりと深まっていく。
CUT――!!
******
「アリアぁぁっ!! もう無理だって!! この呪われた連中、何回倒しても復活してくるんだけどっ!?」
レイは泣きそうな声を上げながら、迫り来るスケルトン騎兵を必死に斬り払っていた。
その一方で。
「YES!! もっと来い!! 俺の方へ来い、スケリーどもぉぉ!!」
シンは顔いっぱいに狂気じみた笑みを浮かべながら、次々とスケルトンを叩き潰していた。
奇妙なことに、スケルトンたちですらシンへ近づくのを躊躇しているようだった。
まるで集団で、
"こいつはヤバい"
という結論に至ったかのように。
「ヴェロニカ! まだなのっ!?」
アリアはスケルトン騎兵を切り裂きながら叫ぶ。
「もう少しよ!」
ヴェロニカはそう返すと、再び誰にも理解できない詠唱を続けた。
その両手の間では、緑色の雷球がバチバチと激しい音を立てながら形成されていく。
時間が経つにつれ、その球体はさらに巨大になっていった。
そして――
「今よっ!!」
その叫びと同時に、シン、アリア、レイの三人が一斉に後方へ飛び退く。
FWOOOOSH――!!!
次の瞬間。
ヴェロニカの側から、巨大な緑雷の奔流が津波のような勢いで解き放たれた。
荒れ狂う雷撃はスケルトン騎兵の大群を呑み込み――
跡形もなく灰へと変えていった。
「……もう、限界……」
そう呟いた瞬間、ヴェロニカはその場にへたり込み、荒い息を漏らした。
「ハァ……ハァ……」
アリアはすぐに彼女の傍へ駆け寄り、治癒術を発動する。
「なぁ」
レイが息を整えながら口を開いた。
「なんで俺たち、まだ学院に転送されないんだ? これって十分危険じゃないか?」
「危険ではあるわ」
アリアは小さくため息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。
「でも、あの人たちが言ってたのは"致命的状況"」
「つまり、死がほぼ確定しているようなケースよ」
「今みたいな状況は……対象外ってこと」
「はぁ?」
シンが眉をひそめる。
「じゃあ何だよ」
「死ぬ寸前でも、まだ生きてるなら放置ってことか?」
そう言いながら、彼の視線はゆっくりとエデンの方へ向けられた。
「……じゃあボスはどうするんだ?」
その表情がわずかに曇る。
「レッドフォールは消えたけど……ボスは……」
「おやおや~? 君たちのボスなら、今頃レッドフォールと遊んでるんじゃないかなぁ、黄色頭くん?」
突如、聞き覚えのある奇妙な声が右側から響いた。
「――!?」
全員の身体がピタリと固まる。
ゆっくりと視線を向ける。
そこには、見覚えのある人物が立っていた。
人生最高の見世物でも見つけたかのように、口元を大きく吊り上げながら。
そして次の瞬間。
全員が完全に同じタイミングで叫ぶ。
「「「なんでお前がここにいるんだぁぁぁぁっ!?」」」
******
「……っ」
痛い。
腕の感覚が妙に薄い。
失ったのかもしれない。
そう思いながら、エデンはゆっくり左側へ視線を向けた。
そこには、まだ腕があった。
だが、肩口を深々と裂いた巨大な傷口のせいで、その腕は力なく垂れ下がっていた。
まるで枯れかけた枝に、辛うじてしがみついている一枚の葉のように。
「おや?」
「静かだねぇ?」
ヴァークホロウはケラケラと不気味に笑った。
「叫ぶかと思ったんだけどなぁ。あぁ、残念だ」
だが、エデンは何も返さない。
『……俺は死なない』
頭の中で、その言葉だけが鋭く響いていた。
視線は地面へ落ちたまま。
反応しなくなった治癒能力。
そして、刻一刻と失われていくエネルギー。
少しでも気を抜けば、その場で倒れてしまいそうだった。
「哀れだな……」
ヴァークホロウが静かに呟く。
「自分の限界くらい知っておくべきだった」
そう言うと、彼はゆっくりと両手を合わせた。
そして宣言する。
「そろそろ終わりにしよう」
「君は私に、自分の領域を見せてくれた」
歪んだ笑みが、その顔にゆっくりと広がる。
「なら今度は……私がお返ししようじゃないか」
ふぅ――
長く静かな吐息が、ヴァークホロウの口から漏れた。
その瞬間だった。
空気が、一気に冷え込む。
次の瞬間、二人を囲んでいた巨大な闘技場が無数の黒い光の欠片へと砕け散った。
パリン、パリン、と。
まるで存在そのものが剥がれ落ちていくように崩壊し、景色は再び、あの果てしない草原へと戻っていく。
「私の"静"は見せた」
ヴァークホロウが静かに口を開いた。
瞳の中で燃えていた炎が、ゆっくりと上へ流れ始める。
その炎は蠢くように立ち昇り、長い貴族帽へ吸い込まれていった。
そして、声がさらに低く沈む。
「クレストフォール……次は見せてやろう」
ザワァァァ――!!
周囲の草原が激しく波打ち始めた。
まるで世界そのものが恐怖に震えているかのように。
「……私の"憤怒"を」
燃える視線が、まっすぐエデンを貫く。
そしてヴァークホロウは宣言した。
「Deus Zyn」
その重々しい二つの言葉が、ヴァークホロウの口から放たれた瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ――!!!!
背後から、莫大な溶岩の大津波が噴き上がった。
それは天を喰らわんばかりの勢いで空へと駆け上がっていく。
そして、ほんの一瞬で――
果てしなく広がっていた草原は、その全てが呑み込まれた。
エデンの足元に広がっていた緑の大地が、ゆっくりと黒く染まっていく。
草は枯れ果て、内側へ捻じ曲がりながら崩れていった。
バキッ――!!
やがて大地そのものが悲鳴を上げる。
無数の亀裂が果てしなく広がっていき、その奥から深紅の光が漏れ始めた。
そして次の瞬間――
BOOOOSH――!!!
溶岩が激しく噴き出した。
さらに遥か彼方では、山々までもが震え始める。
ゴゴゴゴ――!!
岩肌は黒く焼け焦げ、次々と溶け落ちていく。
剥がれ落ちた岩層は燃え盛る巨大な炭山へと変貌し、その側面からは灼熱の溶岩が川となって流れ落ちていた。
灼熱が空間そのものを歪ませていた。
揺らめく視界の中、燃え尽きかけた星々のような火の粉が空中を漂っている。
「……これ、は……」
エデンは弱々しく呟いた。
CLANK――!!
その瞬間。
灼熱の溶岩から造られた鎖が突如として飛び出した。
まるで獲物を逃さぬ蛇のように。
ガシャンッ!!
両腕へ。
両脚へ。
次々と巻き付き、その身体を地面へと縫い止める。
「ようこそ、エデン」
ヴァークホロウはゆっくりと両手を合わせた。
そして燃え盛る視線を、炎に包まれた山々へ向ける。
「……我が混沌の領域へ」
その声は静かだった。
だが、世界そのものが震えるほど重かった。
徐々にエデンの視界が暗く染まっていく。
身体が鉛のように重い。
意識までも、遠くへ沈んでいく。
このまま眠れば。
きっと二度と目覚められない。
そう本能が告げていた。
それでも闇が全てを呑み込む直前。
エデンの脳裏に、一つの疑問だけが浮かび上がる。
『……なんで俺は……学院へ転送されないんだ……?』
〈FATE SIMULATOR — 観測ログ〉
[Location: CHAOS REALM(混沌領域)]
[Subject ID: DENIGRØS継承者]
[Primary Anomaly: エデン・クレストフォール]
[Hostile Entity: REDFALL — ヴァークホロウ]
[局所現実歪曲: CRITICAL]
[領域顕現: CONFIRMED]
→ COLOSSEUM OF ZERO DEATH:崩壊
→ REALM OF CHAOS:発動中
[異常体生命状態: CRITICAL]
→ ミスティックエネルギー枯渇
→ 治癒反応失敗
→ 自己破壊型強化を検出
→ CRIMSON DEMISE:発動中
[汚染進化: DETECTED]
→ ヴァークホロウ フェーズシフト
→ 個体再構築完了
→ ZO DEUS 起動
[異常体シグネチャ模倣: CONFIRMED]
→ 武器複製
→ 異常眼顕現
[心理反応識別]
→ 恐怖再発
[領域影響密度: EXTREME]
[緊急帰還システム: FAILURE]
→ 転送反応:NULL
[時間軸同期: CRITICAL DESYNCHRONIZATION]
[脅威レベル: IRRELEVANT]
[観測者メモ]
→ 対象、致命状態にも関わらず戦闘継続中




