第11話 憤怒の果てに
「はっ――!」
次の瞬間、エデンは大きく息を呑んだ。
混沌領域へと意識が引き戻された瞬間だった。
「ごほっ……! ごほっ……!」
激しく咳き込む。
まるで魂そのものを揺さぶられたかのように。
「どうして……」
掠れた声が漏れる。
瞳には未だ涙が滲んでいた。
胸の内で渦巻く感情が消えない。
ノアへの怒り。
そして――
たった一夜で幸福が灰へと変わり果てた光景への悲しみ。
「この世界が不公平だからだ。」
静かにヴァークホロウが答えた。
顔を上げたエデンは、彼が再び骸骨の山を見つめていることに気付く。
だが。
不思議なことに。
その瞳には憎悪がなかった。
怒りも。
殺意も。
何もない。
ただ静かに見つめているだけだった。
「あまりにも悲惨な結末だったが……」
小さな溜息が漏れる。
「それでも、最後に娘の笑顔を見ることはできた。」
そして。
燃える瞳がエデンへ向けられた。
「さて――」
カボチャの顔に歪んだ笑みが浮かぶ。
「最期の願いは叶っただろう?」
「……」
エデンはすぐには答えなかった。
腫れた目を伏せたまま、溶岩の大地を見つめる。
噛み締めすぎて裂けた唇。
まるでセバスチャンの怒りが自分の心へ流れ込んできたかのようだった。
「なあ……」
やがて顔を上げる。
「どうしてお前はここにいる?」
真っ直ぐヴァークホロウを見据えた。
「どうしてこの館にいるんだ?」
「質問が多いな……」
疲れたようにヴァークホロウは呟く。
だが。
不機嫌そうでありながらも、答えることをやめなかった。
「先ほども言っただろう。」
彼は骸骨の山へ視線を向ける。
「あれは五百年以上前の出来事だ。」
しばし沈黙。
「まだアノマリー狩りが密かに続いていた時代。」
「王の命令すら無視してな。」
炎が揺れる。
「私は覚えていない。」
ヴァークホロウは拳を握った。
「なぜこの館へ辿り着いたのかも。」
「どうやって生き延びたのかも。」
「何もな。」
その瞬間。
瞳の炎が激しく揺らぐ。
「だが、一つだけ残った。」
声が沈む。
「力への渇望だ。」
炎が膨れ上がる。
「この世界が私に与えた苦痛を――」
「同じように返してやるための力。」
再びエデンを見る。
「クレストフォール。」
足元に亀裂が走る。
「表には出していない。」
「だが私の憤怒は、この領域よりも深い。」
周囲の溶岩が激しく泡立ち始める。
「誰にも止められない。」
「私はこの世界を壊す。」
「そして――」
その声には確固たる執念が宿っていた。
「この腐った差別ごと消し去る。」
エデンは黙っていた。
なぜなら――
ヴァークホロウの言葉が理解できてしまったからだ。
彼自身もまた、アノマリーであるという理由だけで蔑まれたことがあった。
ゴミのように扱われたことがあった。
だからこそ。
その怒りの根源だけは理解できた。
「結局さ。」
エデンがぽつりと呟く。
「お前もノアと同じになるんだな。」
「――!?」
その一言は。
ヴァークホロウの核心を貫いた。
足がわずかに震える。
同時に、領域を包む炎が激しく吹き上がった。
「お前の家族にしたことと同じだ。」
エデンは静かに続ける。
「お前の町にしたことと同じだ。」
乾いた笑いが漏れた。
ゆっくりと顔を上げる。
「お前はあいつを憎んでる。」
疲労に濁った瞳が鋭くなる。
「でも今のお前を見ろよ。」
周囲の溶岩が激しく沸騰し始めた。
「やろうとしてることは全く同じじゃないか。」
「違うッ!!!」
BAAAAAAM――!!
ヴァークホロウの咆哮が《混沌領域》全体を揺るがした。
燃える山々が砕け散る。
溶岩の海に張り巡らされた鎖が激しく鳴り響いた。
次の瞬間。
彼はエデンの襟首を掴み、その身体を無理やり持ち上げる。
「私は違う!!」
紫炎が瞳から噴き出した。
「私が求める力は差別を終わらせるためだ!!」
握力がさらに強まる。
「この腐った世界を壊すためだ!!」
世界そのものが震える。
「本来あるべき姿へ作り直すためだッ!!」
「へぇ?」
だがエデンは怯まなかった。
首を少し傾ける。
そして問いかける。
「で?」
疲れ切った瞳が炎を見据える。
「お前の世界の変え方って何なんだ?」
「罪のない子供を殺すことか?」
薄く笑う。
「それでまだノアと違うって言えるのか?」
「貴様……」
初めてだった。
ヴァークホロウが言葉に詰まったのは。
心の奥底では理解していた。
エデンの言葉が完全な間違いではないことを。
力が欲しい。
誰よりも。
だが同時に。
家族を奪った怪物そのものになることを恐れていた。
「どうした?」
エデンはなおも追撃する。
鎖に拘束されたまま。
後戻りできない心理戦だと理解しながら。
「やれよ。」
笑みが広がる。
「ノアと同じように。」
溶岩が荒れ狂う。
「俺の心臓を抉り出せ。」
「力を奪え。」
瞳が鋭く光る。
「何を躊躇ってるんだ――」
一拍。
そして。
「――ノア先生。」
「黙れェェェェェェェェェッッ!!!」
BAAAAAAAAAAM――!!!
絶叫が世界を引き裂いた。
ヴァークホロウは頭を抱えたまま苦しみ始める。
歯を食いしばる。
紫炎が暴走する。
「アアァァァァァァァッ!!」
《混沌領域》そのものが揺れていた。
何百年もの間。
決して触れなかった矛盾。
決して向き合わなかった傷。
それが今。
再び暴かれている。
憤怒。
そしてノア。
その境界線が曖昧になり始めていた。
エデンは表面上笑っていた。
しかし内心は真逆だった。
(よし……効いた。)
(心理戦は成功だ。)
だが問題はここからだ。
視線を走らせる。
出口を探す。
生存への道を探す。
しかし。
見えるものは溶岩。
燃える山々。
破滅。
それだけだった。
出口はない。
隙もない。
何もない。
(クソ鎖が……)
苛立ちが込み上げる。
抜け出そうとする度に締め付けは強くなる。
(何でもいい……)
(何か……)
疲弊した脳が必死に活路を探す。
その時だった。
『第二段階? ボス、それって隠し能力を自由に使うだけだろ?』
「――?」
エデンの目が見開かれる。
脳裏に蘇ったのはシンの言葉だった。
(なんで今さら……?)
困惑する。
だが。
その言葉が頭から離れない。
第二段階変身。
胸部。
ミスティックコア。
全エネルギーをそこへ集中させる。
そして身体全体へ強制循環させる。
エデンの視線がゆっくり胸へ落ちた。
「……まさか。」
自分でも狂っていると思った。
だが今は。
狂気しか道がない。
深く息を吸う。
そして目を閉じた。
Sizzle――!!
「っ……!」
灼熱。
極寒。
相反する感覚が体内で衝突する。
太陽のような熱。
深淵のような冷気。
血管が悲鳴を上げた。
ミスティックエネルギーが暴走する。
そして――
「ぐぅぅぅぅッ!!」
BAAAAK――!!!
鎖が砕け散った。
拘束が吹き飛ぶ。
エデンは解放された。
「なっ……!?」
ヴァークホロウが気付いた時には遅かった。
「いつまで迷ってんだァァァァァッ!!」
エデンが吠える。
その声は低く。
獣じみていた。
THOOOM――!!
次の瞬間。
彼はヴァークホロウの懐へ潜り込んでいた。
そして。
腹部へ渾身の拳を叩き込む。
「さっさと決めろッ!!
――セバスチャン!!!」
「ぐはぁッ!!」
溶岩のような血が噴き出した。
衝撃でヴァークホロウの身体が吹き飛ぶ。
炎の瞳が大きく見開かれた。
やがて。
エデンはゆっくり歩き出す。
「なぁ。」
声は元に戻っていた。
「俺は親を失った。」
少し笑う。
「お前は娘を失った。」
疲れ切った顔だった。
それでも。
どこか優しい笑みだった。
「変な話だよな。」
「何が言いたい……クレストフォール……」
ヴァークホロウが呻く。
エデンは彼の前で立ち止まった。
そして。
右手を差し出す。
「お前ができなかったことを。」
静かに。
真っ直ぐに。
「俺がやる。」
紅い瞳が揺らぐ。
「復讐に人生は使わない。」
溶岩が瞳へ映り込む。
「だけど。」
「お前が嫌ったこの世界は変える。」
「ヴァークホロウ。」
少しだけ間を置いた。
そして。
「……いや。」
「セバスチャン。」
「…………」
長い沈黙。
ヴァークホロウは骸骨の山を見る。
再びエデンを見る。
そして――
静かに何かを呟いた。
*****
「ふーむ……」
つん。
つん。
「なるほどなるほど。」
男は楽しそうに笑いながら、意識を失ったエデンの頬を何度も突いていた。
「こりゃ完全に魂がどっか行っちまってるなぁ?」
エデンの意識がどこか別の場所にあることなどお構いなし。
男は相変わらず好き勝手に遊んでいる。
「あなたは……」
アリアのこめかみに青筋が浮かぶ。
限界だった。
完全に。
「……やるべきことをやれぇぇぇぇぇぇッ!!!」
「ぶげぇぇぇぇぇッ!?」
悲鳴が響いた。
次の瞬間。
アリアの拳が男の背中へ直撃する。
ドゴォォォン!!
男はそのまま膝から崩れ落ち、エデンの前で土下座のような体勢になった。
「す、スウィーティー……」
男は震える指を一本だけ持ち上げる。
「友達の前ではやめようよ……」
ちなみに。
この男の正体はマクスウェル。
アリアの父親であり、《ヒストリアズ・ワイルド・マンション》へ学生たちの安全確認のため派遣された人物だった。
そのやり取りを見ていたヴェロニカは慣れた様子で苦笑する。
「ふふ……相変わらずね。」
一方。
シンとレイはというと。
まるで伝説級のミスティックマスター同士の決闘を見届ける観客のような顔をしていた。
ただし。
この戦いだけは圧倒的だった。
一方的すぎるほどに。
アリアが。
「完全勝利」していた。
Sizzle――!!
Sizzle――!!
「ん?」
その時だった。
緑色の雷がエデンの身体を走る。
「――!?」
場の空気が一変した。
次の瞬間。
エデンの身体が緑色の煙へと崩れ始める。
そして――
BOOOOSH――!!
激しい突風が周囲へ吹き荒れた。
「おほほほほほ~♪」
「なっ――!?」
アリアが思わず一歩後退する。
突然の風。
そして。
煙の中心へ視線を向けた瞬間。
彼女の瞳が大きく見開かれた。
「エ、エデン……?」
「ボス!?」
レイもシンも言葉を失う。
誰も状況を理解できない。
だが。
彼らが反応するよりも先に――
煙の奥で。
二つの橙色の瞳が開いた。
緑の雷を纏いながら。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
その姿が現れる。
貴族のような衣装。
落ち着いた佇まい。
優雅な所作。
だが。
誰がどう見ても。
それはエデンではなかった。
現れた人物は一同を見渡した後、
丁寧に一礼する。
そして穏やかに口を開いた。
「ご機嫌よう。」
優雅な声だった。
だが次の瞬間。
歪な笑みがその顔に浮かぶ。
どこか不気味で。
どこか狂気を孕んだ笑み。
そして彼は告げた。
「現代を生きる人類諸君。」
〈FATE SIMULATOR ― 観測記録〉
[座標:混沌領域]
[第一級アノマリー]
→ エデン・クレストフォール
[観測対象個体]
→ ヴァークホロウ
[精神状態]
→ 内的衝突:進行中
[憤怒因子矛盾]
→ 検出
[第二段階変異]
→ 発動確認
[制限機構]
→ 破壊
[領域安定度]
→ 不安定
[不明発言]
→ データ消失
[記憶断片]
→ 終了
[外部顕現反応]
→ 緑雷現象
[現在存在]
→ 識別不能
[最終発言記録]
→ 『現代を生きる人類諸君』




